マドレーヌ13歳、秋。~淑女のたしなみ〜
刺繍は裕福な上流階級の女性の嗜みだ。授業では亜麻布や綿布など針の刺しやすい生地を用いるが、縫い針のように先が尖った針を使うので慣れれば薄い生地から分厚い生地まで、幅広い種類の生地に刺繍を施すことができる。
「心を込めてひと針一針刺すことが大切なのですよ」
「はい、ギモーヴ夫人」
刺繍の講師ギモーヴ夫人はモブキャップを被った上品な老婦人で、教え方も口調もおっとり優しい。身につけているワンピースの袖口や襟元に施されている細やかな刺繍も夫人の手によるものだろう。
「コメルシーさんは短い期間でとても上達しましたね。文字とモチーフのバランスがとても良いですよ」
「ありがとうございます」
犬か兎か豚か熊かの区別どころか謎の生き物を爆誕させる絵心の持ち主であるマドレーヌは、飾り文字に絞って練習している。全くの初心者から始めて1ヶ月。文字の周りを囲むくらいの図案なら形になる程度にはなっていた。貴族令嬢としては落第もいいところだろうが、当初の惨憺たる有様を知る夫人は優しく褒めて伸ばしてくれる。
「刺繍はハンカチやシャツ、ドレスなど衣料品に施すことが多いけれど、絵画のように風景を映し取ることもできます。このように色を重ねて陰影を表現すれば、立体感も出せるのです」
「刺繍に用いるモチーフは自由ですが、中には特別な意味を持つ草木や動物があります。不幸な思い違いを避けるためには花言葉や古典文学なども学んでみましょうね」
ギモーヴ夫人は自らの作品を教室に掲示したり、室内をゆったり歩き、一人ひとりの進捗状況に合わせてアドバイスしていく。進度が異なる皆の質問に満遍なく答えるための配慮だ。
「ギモーヴ夫人、特別な思いを込めるためのモチーフもありますか?」
刺繍入りのハンカチは贈り物の定番だ。不恰好は重々承知だけれど、休日返上で面倒ごとを請け負ってくれた義兄には真っ先に完成品を贈りたい。
「勿論ありますよ。そうね、どのような思いですか?」
「はい。道中の安全や健康、無事に帰ってきて欲しいという祈りです。あまり上手には刺せないので簡単なモチーフがあればと」
「そうね、馬蹄の形はどうかしら?魔除けの意味があるモチーフですよ」
ギモーヴ夫人はそう言うと、マドレーヌが装飾文字の分厚い本を手本に四苦八苦しながら綴った Paulmierや Marie、Dardoiseと同じページにUの字によく似た馬蹄のモチーフを描いてくれた。




