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カザンディビ31歳、夏。~東国からの訪問者~

 ―まったく、厄介ごとを持ち込んでくれた。


 表面上は穏やかで人好きのする笑みを浮かべながら、カザンディビは目の前の男を心の中の「不用品リスト」に書き加える。カザンディビの学友を名乗って面会の約束を取り付けて来た男だが、公に語らぬだけでぼんやりと成績順に配される王立学院習得科では机を並べた事などない。それでも、家名はつい先日の出来事でよく知っていたし、何よりも医務局長が勝手に許可を与えてしまったが為に、否が応でも会わない訳にはいかなかった。


「此方の御方は、東方、さる国の王子殿下であらせられる。先だって、東国に無償提供された薬の件で、御礼の心を直に伝えたいと、お忍びで訪問された」


 男が、つい先頃に急病のため旅先で儚くなった父の跡を継いだばかりの新伯爵が伴っているのは、飾り気こそないが一目で上等と判る衣服を纏った、()()()()()だ。



 ―随分と馬鹿にされたものですねえ。



 短く切り揃えた髪も、着用する服も、確かに男を装ってはいるが、肩幅や手首の広さ、指の節など、骨格はどう見ても女のそれである。貴人ばかりとはいえ老若男女を問わず多くの人間を診る医師の目を欺くには余りにも稚拙過ぎる。


「実は、スュトラッチ邸には何度も御訪問されて居たらしいのだが」


「そうでしたか。なにぶん、父も私も()()()()()()()()()()()もので」


 約束もなく来られても会えるわけがないだろうと咎める意を込めた形ばかりの謝罪に、王子と紹介された女は鷹揚に頷いた。さぞかし大切に育てられたらしく、嫌味も皮肉も通じないようだ。

 カザンディビはこの段になって漸く、女にしっかりと視線を向ける。年の頃は20くらいで、よく焼けた小麦色の肌にチョコレート色の髪、目鼻立ちのくっきりとした彫りの深い顔立ちは東の国の民の典型だ。

 使用人から伝え聞いた()()()()()()()にも合致する。



『紋入りの品や直筆の手紙などは、持っていましたか?』


 3日と置かず王都邸にやって来る不審者の情報は使用人から報告を受けていた。同一人物による怪しさしかない訪問だが、こうも度重なれば意図を勘繰るのが人というもの。可能性は極めて少ないが、訪問者は一族の誰かの過ちから実った者という線もある。一夜の慰めならばそんな馬鹿げた行いはしないだろうが、ある程度継続的に付き合いのあった相手ならば、情に絆されて自身の身元に繫がる証拠品を残すかも知れない。あくまで想像でしかないが。


『いいえ。求めましたが、お持ちではないようでございます。ただ、この家の主人に会わせろ、会えば判るの一点張りで』


 杞憂だった。

 だいたいにして、宮仕えの人間に会おうというのに昼前や午後の早い時間、約束もなく家に押しかける輩だ。頭の出来も推して知るべし。温情でもかけて顔を合わせればより厄介になるだろうと容易に想像がついた。妄執に駈られた狂人か、狂人を装う手合いらしいと捨て置いた相手が()()か。まあ、おおよそ予想通りだ。


「殿下はまた、医薬に大いなる関心を寄せておいでだ。ついては、スュトラッチ邸に暫くの間、滞在されたいと願っておられる」


「光栄です。しかし生憎と女主人が不在で、私も父も国から御役目を賜っている身分。充分な接遇が出来かねますので」


 幾ら女の使用人が居るとはいえ、女主人の居ない屋敷に目的も身元も定かでない女を招き入れ、無理矢理に部屋に押し入られただの迫られただのと言われては堪らない。

 それに、事実、客人の持て成しは家の奥向きを預かる女主人の仕事だ。客人が女でも男でもそれは変わらない。主と同等の権利を持つ立場の者が自ら持て成さず使用人任せにしたならば、相手を軽んじていると宣言するようなもの。真偽は不明でも王子と紹介された以上は、受け入れを断る正当な理由となる。


「妹が、居たろう?」


 男はカザンディビに小さく手招きし前のめりに上体を倒した。そうして、小声で曰く。


「ここだけの話にして欲しいのだが。殿下はご事情があって婚約者が居ないのだ。君の妹は、つい先日に学院を卒業したと聞いた。歳の頃合いも良いと思うのだが」


 忌々しい下卑た男め!ああ、ここに鏡があったなら、己の顔を見せてやりたいものだ!今にも舌舐めずりしそうな、いやらしく曲がった口元。いざとなれば口先話と金の力でなんとかなると世間を舐めきった態度。小狡い下品な、卑しい顔つきは浅薄愚劣と称するに相応しい!

 怒りがふつふつ沸き立ち血が逆流する。もちろん錯覚だ。けれど目の前の男を即刻処分しなければ到底この感情は収まらない。ぎりりと奥歯を噛み()()ないかと視線だけで探れば、視界の端に黒縁取りが見えた。それは我々兄弟に平等に与えられた、叔父の形見の、否、形見だった、眼鏡。


 そうだ。本物のスュトラッチ家の怒りは、子供の癇癪ではないのだ。もっと気高く絶望するほど美しい、ものでなければならない。

 心を落ち着けるため、紅茶を一口、含む。そして再び、目の前に座る男女の様子を窺う。

 男装の令嬢は王国語を解さないのか、それとも異文化ゆえの誤解や摩擦を恐れているのか、自らは発言せず男に何やら耳打ちしている。漏れ聞こえる声は女性にしてはハスキーな、やや掠れた響きを持っていた。


「弟君は、邸には?」


「今は旅行に出ておりまして」


「行き先は?国内か?」


「さて?いい歳をした、男兄弟ですからね。そうそう連絡を取り合うものではないでしょう?」


「手紙なども?」


「ええ」


 淀みなく答えれば男は女に耳打ちし、女の表情が変わる。それまでの澄ました顔が怒りに染まれば女の狙いが明らか過ぎて、心の深いところから込み上げる笑いを噛み殺した。



 ―男は従妹(我がレディ)を、女は(フルン)を、ご所望とは。身の程知らずもいいところだ。



 見知らぬ学友は王子を男と信じてマドレーヌを婚約者として差し出しに、女は噂にでも聞いたかフルンと縁を繋ぎに来たらしい。



 ―楽に逝けるとは、思わないことですね。



 苛立ちに任せ、カザンディビはすぐ目の前で痴話喧嘩を繰り広げる男女を心の中の「処分品リスト」のトップページに、殴り書きにして書き加えた。

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