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ポルックス・テュンダ24歳、夏。~衛生講習会〜

「テュンダ領は、当主が替わろうとも荒れる事なく平和らしいぞ」


 カストルはテュンダ家の私兵に支給される簡素な封筒を内ポケットからちらりと見せながら言った。


「そうか、良かった。義父(ちち)上が王都に滞在される隙を狙う者が現れるかと思ったけど、杞憂だったか」


 大将軍レオスはテュンダ辺境伯軍のシンボルたる存在で、前線に出ずとも居るだけで兵士の士気を大いに鼓舞してきた。その彼が当主となれば、東の国境地帯から遠く離れた王都に居る事になる。その弊害は、今のところは無いようだ。


「ああ。だが義兄殿から妙な噂話が」

「でなあ。バンタルの奴、旅装束を解くより先に素振りをし始めたんだが、随分と上達していてな!」


 同い年の兄弟の会話を遮ったのは広い会場の隅からの大声。それは頑丈な壁や高い天井にぶつかり反響し、ぐわんぐわんと木霊した。

 そうだ、ここはテュンダ邸ではなく王宮の大会議室で、これから軍人を対象にした衛生管理に係る意見交換会が予定されている。参加人数の多寡はあれど、近衛隊と王国軍の第一から第四までの全部隊が出席する場で発せられたよく響く声に皆が振り返った。その声の主は、第三部隊長、ダダール・グルン。


「ウチの奥さんが言ってたよ。子供達の面倒もよくみてくれて、お陰で家事が捗ったってさ」


「あの暴れ坊主のバンタルがか!いやー、感慨深い」


「当時は皆に心配をかけたな」


「いいって、いいって。子を持つ親、それも一番側に居てやりたい時に居てやれない身の上、思うことは一緒だ」


「それな。全部任せっきりにしちまって、カミさんには頭上がんねーわ」


 そしてグルン部隊長と同じ色の制服を纏う集団は例によって賑々しく微笑ましい。「男は強くあれ、女は貞淑であれ」を是とする王国では、妻や子を大っぴらに褒めることはしない。なんでも、男の威厳だか尊厳だかが損なわれるのだとか。案の定、彼らを一瞥して眉を顰める者もあったが…。


「貴殿らの妻の素晴らしさは解った。しかし、我が妻も負けては居ないぞ!」

「うちもだ!」

「おい待て私の妻を忘れて貰っては困る」


 他人の愛妻話を散々聞かされ痺れを切らしたか、別部隊員もわらわら集まって一団に合流する。妻子からの贈り物を見せつけたり惚気たり賑やかな彼らに名前を付けるならさしずめ“愛妻自慢の集い”だろう。公言しづらかっただけで妻子を褒めちぎりたい人間は、意外に多いらしい。


「しっかし、うかうかしていらんねーな!なんたって大きい姫様の鍛錬を受けた人間がまた1人増えるんだからよ!」


 一団の中の誰かが他意なく発した“鍛錬”の語に、反射的に体がびくりと跳ねる。翌日丸一日ずっとベッドの住人になったほど厳しい鍛錬で負った疲労は既に癒えているけれど、合間に目撃した光景は未だ小さな棘のように胸に残っていた。


「鍛錬と言っても、さすがに基礎鍛錬だけと聞いたが」


「基礎って言うけどよ。ダル、普通の人間はそれだけで割りと死ぬんだぜ?」

「だよな。アレにちゃんと付いていけんの、ダルと小さい姫様くらいだろ」

「だがしかし!筋肉は喜ぶ!」

「あ。ダダールさんもだったな」


「なんと!そのような鍛錬があるのか?!」

「ぜひご教示願いたい!」

「我も我も」


「…なんかここだけ一気に熱量が増えたぞ」


 今度は筋肉の美しさに魅了されている人々も加わり、そこだけ異様な雰囲気に満ちている。それでもまあ、見る限り皆、心から楽しそうで何よりだ。


「なんというか、、凄まじいな」


「まったくね。それで、義兄さんがなにか?」


 呆気にとられるカストルに同意しつつ、言い掛けた何事かを促した。

 カストルの母は、カストルを生む前にテュンダ辺境伯家の私兵との間に女児をもうけていた。戦争未亡人となった彼女は残された娘を育てるために借り腹となり、今は孫の面倒をみつつ軍人である婿の無事と亡き夫の冥福を祈っているという。カストルの言う義兄は、この異父姉の夫のことだ。


「あ、ああ。例の国の双子だが、数年前より片割れが公式行事以外には姿を見せないらしい。出席しても踊りも交流もせず殆ど椅子に座ってばかりで」


 カストルはそこで言葉を切り、ポルックスの耳に顔を近づける。囁かれた言葉は、びりびり痺れるほどの緊張感を帯びて。



「おいおい、そろそろ医師(せんせい)様のお出ましだ。気を引き締めろ」



「―――――ッ!!!!!」


 掌をパンパンと打ち鳴らす乾いた音に振り返り、そこに居る男に、視えた色に、ポルックスの心臓は痛いくらいにドンと大きく跳ね上がった。


「どうした?まさか何か、あったか?」


「いや…、カストルの話が、驚き過ぎて」


「ああ、俺もだ。片割れは()()()()()()()()なんて、噂話が立つこと自体が異常だからな」


 信頼する異父兄との会話で呼吸を落ち着け、両足を踏ん張って震えそうになる体を支える。そうして、隊長から命じられた、今回の任務を思い出す。



『王宮と王立学院に外敵侵入の痕跡があった以上、軍部にも内通者が紛れている可能性が高い。丁度良く軍人が大勢集まる機会がある、ポルックス、お前の眼で()て来い』



 ―まさか、それが、彼だなんて……。


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