ポルックス・テュンダ23歳、秋。〜護衛騎士は見た〜
「Commercyっと…」
ポルックスは王子付きの護衛騎士に与えられた城内の一室で貴族名鑑を捲る。
あの日、すっかり眠ってしまったマドレーヌの迎えに中央教会へ呼ばれたコメルシー男爵は、商人というより歴戦の雄といった雰囲気を纏った男だった。大いなる意志の力と不慣れな店員によってキルシュ入りのケーキを提供する羽目になった哀れなカフェの責任者はその迫力に圧されて跪き、真っ青な顔で命乞いせんばかりに謝罪したほどだ。
「俄には信じ難いでしょうが、司祭様の言ではご息女には何らかの祝福があるとか」
近衛騎士団の副団長でもあるポルックスの直属の上司はコメルシー男爵に事の次第と、不慮の出来事とはいえ未成年者に飲酒させてしまったことへの謝罪、そしてマドレーヌが祝福持ちであることを伝えた。
「成る程、大陸各国と取引のある商人の間では、大凡50年周期で何処かの国が大きく揺れることはよく知られております。其方様方は我が娘もそれとお考えなのでしょう?」
一代で莫大な財を築いたコメルシー男爵の真贋を見抜く眼、時流を読む勘の良さは広く知られている。白髪混じりの灰茶髪に眼光鋭い灰色の瞳、豊かな髭を蓄えた威厳ある容貌は彼の生き様を物語るには充分であった。
「…ご無礼ながら、その通りです」
監視はとっくに気づかれていた。その上で、男爵としては国への反逆の意思もなければ家族への実害もないので放って置いた、というところか。
しかし、近衛騎士団の監視という異常事態が明るみになってしまった以上、黙認するのは男爵家にとって利のないことで、主権を侵害されたと訴えられてもおかしくない。むしろ訴えるのが当然であり己の独立性を示すためには義務ですらある。
「男爵、ポルックス・テュンダと申します。私の方からお話させて頂いて宜しいでしょうか?」
ポルックスは覚悟を決め、口を開いた。
「既にご承知と思いますが、ご息女は現在、伝統貴族のコシチェ子爵家にデライト侯爵家、金融家のデイロ家と関わりを持っておられます。また、こちらは不確定情報ですが、学院教師の中にも興味を持つ者が少なからず居り、その筆頭がスュトラッチ伯爵家のご次男です」
「スュトラッチ伯爵家と…!」
男爵の顔が一瞬にして強張り、警戒を露わにする。初耳だったからか、それとも彼の家と因縁でもあるのか。感情の揺らぎが視認できる、ポルックスの呪いの瞳にはただ、彼の戸惑いと怒り、そして少しの恐怖が映った。
「学院の警備がてらご息女の様子を伺わせて頂けませんか?何かありましたら逐一、お知らせしますので」
あの日、動揺するコメルシー男爵にそう言うと彼は一瞬の逡巡の後、頷いた。今まで通り監視を続ける許可を出す代わりに、マドレーヌの身の安全を保障せよ。言外の意味にポルックスは誓うように頷いた。
*****
「15年前、盗賊団の一斉討伐の功績により叙爵。賜った領地コメルシー村がマドレーヌ嬢の生まれ故郷、と」
商人が新たに爵位を賜わる場合、国に対する莫大な寄付に拠るのが定石だ。しかしコメルシー男爵は武功によって爵位を得、また、彼の風貌はそれが真実だと告げる。さぞかし名のある武の家柄か、それとも腕利きの冒険者か、素性を探るも叙爵以前には遡れなかった。王侯貴族以外は戸籍をさほど厳しく管理していないのだから、当然といえば当然だが。
「スュトラッチ伯爵家は元は侯爵家で先王の姉が降嫁。当時14歳だった次男が事故死。王家の血を失わせた咎で降爵。こちらは25年前、か」
事故死に見せ掛けて謀殺されたはずのスュトラッチ侯爵家次男が生き延びて10年のうちに力をつけ、仲間と共に盗賊団を討伐。まるで英雄譚そのものだ。要するに、全くもって現実的ではない。
それに、スュトラッチ侯爵家の次男は先の王姉の気質をそっくり受け継ぎ、優秀だけれど病弱な、線の細い美少年だったらしい。ますます現在のコメルシー男爵から遠く離れる。
ポルックスは中庭で見た光景を思い出す。
フルン・スュトラッチは常に笑顔を貼り付けた厭世家だ。王家の色を持って生まれ、幼少期からの優秀さ故に、愚鈍な大人達の関心を逸らすために敵も味方も作らず笑顔で武装して周囲を煙に巻く。そんな彼が声を上げて笑っていた。その傍らにマドレーヌを置いて。
スュトラッチ伯爵家とコメルシー男爵家との間に因縁があるのかないのか。現段階では不明だが、家の系譜を頭に入れておくことは大切だ。特に、守るべき対象がいる場合は。




