マドレーヌ14歳、冬。~新しい日々の始まり〜
「ちょっと先生!誰かに変なこと言ったでしょ?!」
休み明け。
久々に通学した王立学院ではマドレーヌがスュトラッチ先生の異母妹という噂が実しやかに囁かれていた。慌てて教員室に突撃すれば、見目麗しい金髪男は優雅にお茶を飲んでいる。コーヒーでも紅茶でもない、村で毎日飲んでいた薬草茶だ。
「先生じゃないでしょう?マドレーヌ」
「はいはい。フルンお兄ちゃん。で、どうなんです?」
「ほら、ぼくたちすっかり有名人になったじゃない?それで休暇の間どこに居たのかって話になってね」
コメルシー村に居たことは一部の人間に知られている。
ヘルゲート・スュトラッチの存在は完全に秘匿することになり、その代わりとなる辻褄合わせのために出したのがマドレーヌ・コメルシーの存在だった。マドレーヌは王立学院の学院生で、授業は取っていないがフルン・スュトラッチとも面識がある。それに、瞳の色はまったく同じ菫色だ。
父であるスュトラッチ伯爵が昔ちょっと…、と言葉を濁して言えば、人々はマドレーヌのことを伯爵が他所でもうけた“所縁の者”だと勘違いして、捨てられた女性を哀れに思った篤志家のコメルシー男爵が自領に引き取って面倒をみている、という筋書きが成立。人々の間では、多忙な父や兄に代わりフルンが事実関係を確かめに行った、ということで落ち着いた。
これまで浮いた噂一つなかった伯爵のスキャンダルは大いに話題を浚った。真実は「スュトラッチ伯爵が昔ちょっと殺し損なった弟ヘルゲートの娘」なのだから嘘は吐いていない。
「それならそうと教えておいてください。質問攻めに遭って大変だったんですから」
「ごめんね、ほんとうに慌ただしくって。…怒ってる?」
「そういうことでしたら構いませんよ。設定、カザンさんと室長も共有しているんですよね?」
「うん。決定的なことは口にしないとも申し合わせているよ」
「わかりました。我が家でもその旨共有します」
「ぼくが説明するよ。今日、おうちに遊びに行って良い?」
「いいですよ。あ、いま王都邸にロクマもいますけど気にしないでくださいね」
あの神託が下ったことで、ロクマは西に戻らず王都で情報収集することになった。どこかに仮の住居を借りると言ったが言葉や習慣の問題がある。西の民は大昔にビアーノ国から分かれた民族らしく同じ言語を使用する。コメルシー邸なら家族皆が通じるし、全員出払っていても男爵夫人が母国から連れてきたマーサやソーヤーも居るから安心だろう。
「ロクマって、きみに求愛してた男だろう?」
冬至祭の夜。
引き合わされた西の民ロクマはマドレーヌの実家で薬草酒をしこたま飲んで酔っぱらい、「マドレーヌ、我らが姫巫女!俺の太陽であり月であり、生命育む水であり穢れを祓う焔よ!どうかその清らかな御心により救われるちっぽけな存在が居ることを許してほしい」と言ってマドレーヌに抱きつきかけ、ダルドワーズに首根っこを押さえられていた。
「違います。あの人ハグ魔なんですよ。酔うといつもああで」
本人はこう言うが、ロクマがマドレーヌに好意を持っているのは明白で。好いた女が他の男から熱烈な口説き文句を浴びせられることほど腹立たしいものはない。
「マドレーヌ」
フルンはマドレーヌの隣に座り直すと、背もたれに手を置き少女の小さな体を追い詰める。不思議そうにこちらを見上げる菫色の瞳には砂一粒ほども疑う様子はなく、吐息すら感じられる距離まで顔を近づけても信頼しきった彼女に嫌がる素振りはない。今ならその柔らかそうな唇を奪うことだって簡単だ。
「いいかい?もしロクマが今はきみに特別な想いを抱いていないとしても。彼は年頃の男で、きみは魅力的な女性なんだ。用心に用心を重ねるのがお互いのためだよ。
それにね。もしロクマが王国で素敵な恋をみつけた時に、お相手の女性に勘違いされちゃうと彼が困るでしょう?」
我ながら随分と狡い大人になったものだ、とフルンは内心苦笑する。
ロクマは19歳で、マドレーヌよりも5歳年上。馬術も武術も申し分なく、父親の名代として契約更新を任されているくらいなら頭も決して悪くないのだろう。婚姻を結ぶ相手としてはちょうど良い。
けれど。
フルンとしても、そう簡単にこの愛を諦めるつもりはないのだ。叶うなら、学院生のうちは兄として側に立って見守り有象無象を蹴散らし、卒業したらゆっくり時間をかけて外堀を埋めつつ男として意識させよう。そんなふうに思っていたが、どうにも悠長に構える余裕なんてなさそうだ。
「あ、そうですね!ダル義兄さまも家族が一緒にいないところでは絶対に会うなってロクマに言ってました。わたしがロクマの恋のお邪魔したら悪いですもんね」
「そうだね」
さすがはダルドワーズだ、どうにも色恋に疎い妹に群がる男共への対処が早いし的確。
「じゃあまた後でね、マドレーヌ」
「はい。あ、晩ごはんも食べていってくださいね。なにか食べたいものはありますか?泊まっていくならお部屋も支度しておきますよ」
「ねぇ、きみさぁ。ありがたいけれど、そういうところ本当に心配なんだけど?」
血の繋がった従兄とはいえ、つい最近まで赤の他人だった男に当然のようにお泊まりを提案する無防備さ。しばらく実家で一つ屋根の下、寝食を共にしたことで随分と心を許されたようだが、ここは人の目の多い都会だ。あらぬ噂が立って厭な思いをすることだってあるだろう。
「お嫌です?」
「嫌じゃないです。ごはん一緒にいただきます。あと、許されるならお泊まりもしたいです」
「はい。じゃあお支度しておきますね。また後で、フルンお兄ちゃん」
小さくひらひら手を振って淑女らしい礼をして去って行く後ろ姿を見送り、とっくに閉じた扉を見つめる。
――まったく、敵わないな。
あの小さな村で愛情たっぷりに、徹底的に悪意を排除して育てられたお姫様。それでいて他人の心の動きに敏く、人付き合いの下手なフルンをいつだって助けてくれる。
「あ、手土産を用意しないと。スイーツが好きなんだっけ」