カザンディビ30歳、冬。~会いたい人がいるということ~
「よし、薬草に被害はないな。引き続き警戒を怠らぬよう頼む」
初めて訪問した薬園。
道中に資料はしっかり読み込んだが、現地で見るもの聞くもの全て新鮮で殊の外まごつき、見回りを終えるまで想定の倍以上の時間がかかってしまった。爆発音の正体を探りに出られたのは到着から3日後だったが、雨の少ない時節が幸いして手掛かりはまだ多く残っている。
「深い轍に複数の靴跡…、軍の遠征でもあったのか?」
25年前。
将来を嘱望された天才薬師ヘルゲート・スュトラッチはこの薬園の視察に向かう道中、14歳という若さで謀殺された。彼の兄嫁、つまり私達の母によって。祖母である王姉に似ず、栗色の髪で生まれた子供達に家を継がせる為に。
実行犯は間も無く捕らえられて処刑され、薬園の視察は当主のみが行うようになった。葬儀では両親も祖父母も酷く憔悴していた記憶がある。
それで解決したかに思えたけれど、時を経て、栗色の髪を持って生まれた弟フルンの髪色が段々と薄くなるにつれて母は病んでいき、金髪になるともう駄目だった。懺悔とも贖罪ともつかぬ言葉を日がな一日呟いて、弟を見ると発狂して害そうとまでするので領地で療養させるよりほかなかった。そうして家族は、幼いフルンは、母が犯した恐ろしき罪を知った。それから我が家にはこの轍よりも深い溝がある。正確には、あった。あの日、医務室でフルンの生の感情に触れるまでは。
「あれ?カザンディビ医師?お久しぶりです」
蹄の音に気付いて周囲を警戒する私に、のんびりとした声がかけられる。いつも突然現れては心を奪う彼女は、孤独な私と弟の、決して叶わぬ、叶えてはいけない、想い女。大きな馬に乗るその姿はまるで神話の世界の乙女で、おとぎ話の中の存在であれば良いと、どれだけ願ったものか。
「レディ・マドレーヌ。どうして…、ここに…」
「探し物の帰りなんです。うちの村はすぐそこなので、もしお時間あればお茶して行きません?父も居ますから、きっとお話が弾むと思います」
北の国境に横たわる巨大な山脈がまだ活発に火山活動をしていた時に生まれた寄生火山。小さな丘と麓の平地を併せた土地がコメルシー男爵領、通称コメルシー村だ。
彼女と初めて会った時から胸の奥底に抱いて来た予感を、爆発音の正体を掴むため、という理由に置き換えて。彼女の家に招かれた。
「ただいま父さん!前に手紙で書いたでしょう?図書館の精霊様を連れてきたわ!」
「おかえりマディ、ぼくの天使。精霊様よりもお帰りのキスは?」
やはり、予感は当たっていた。
ぎゅっとレディ・マドレーヌを抱き寄せるのは、フルンとよく似た金髪に菫色の瞳。懐かしい声。“澄んだ海峡“を意味する、失われた存在。
「ヘルゲート、、、様ですか?」
「あら。久しぶりだねぇカザンくん。えっと、そうだカザンディビくん」
「知り合いだったの?紹介の手間が省けた~」
「うん。ぼくの甥っ子」
「ふぅん?だから似てたんだ」
「ええー!??」
雑に流したレディ・マドレーヌよりも早く。ばっちり目を見開いて驚いているのは、赤い髪に赤い瞳の。レディ・マドレーヌと並んでも姉妹のような、小柄な美しい女性。
彼女は私に着席をすすめるとごく自然にヘルゲート様の隣に座り、ヘルゲート様は彼女の腰に手を回す。レディ・マドレーヌはその反対側の隣に座り、卓上のティーセットからお茶を注いでくれた。
「スヴァさん、ぼくの女神。こちら、ぼくの兄さんの子供のカザンディビくん。記憶では今30歳。春の花の蜂蜜とサーモンの香草焼きが好きで、にがい薬草茶が大嫌い。甘いと飲める。あと、名前は知らないけど弟が生まれてたはず」
「フルン・スュトラッチ先生よ。王立学院の語学の教師」
教本を読み上げるように過去の出来事を誦じるヘルゲート様にレディ・マドレーヌがそう補足し、私と父親の顔を見比べる。
「色味は語学教師のスュトラッチ先生の方が父さんに似てるかも。でも大体はカザンディビ医師の方が似てるわ」
「そうそう。マディがね、ぼくに似てるって手紙に書いてた精霊様だよ」
レディ・マドレーヌが淹れてくれたのは、いつか贈られたふんわり甘く香る薬草茶。初めておいしいと感じた、あの味。やはりそうか。様々な出来事や想いがすとんと心に落ちる。
「へえ!そういえばヘルギの昔話は聞いたことないな。カザンくん?今日は泊まって行くといい。部屋はたくさん余ってるから」
「ちょっと母さん!カザンディビ医師はお仕事で来てるんだから」
「どうせ近くの薬園絡みでしょう?スヴァさんがこう言ってるし泊まって行かない?」
小首を傾げ、両手を合わせて。これも昔から変わらない仕草で、レディ・マドレーヌもよく似た仕草をたまにする。
25年。長いはずの時が、どうにも感じられ。知らないうちに言葉を発していた。
「ご迷惑でなければ、ぜひ」