モニカ13歳、秋。~恋敵の出現~
「ジョン。さっきのアレ、どう思った?」
コシチェ子爵家の紋が入った馬車の中、モニカが明け透けな口調で言い出した。学院で新たにできた友人と別れるまでにこやかだった顔に今は苛立ちが見え隠れする。何が、とは訊くまでもない。
「あの様子だと随分と興味を持たれちゃったみたいだね」
こちらも何に、とは言わず、砕けた口調で返す。
フルン・スュトラッチ
若くして王立学院の教員に採用された有智高才、眉目秀麗な、伯爵家の次男。王家の姫君を祖母に持ち、王族や公爵家を除けば貴族でも平民でも選り取り見取りの王立学院No.1のモテ男が何の気紛れかモニカの想い人にちょっかいをかけてきた。ジョンが見る限りだが、彼女は愉快な独り言さえ多いけれど、食事作法だけ見れば及第点を取れたはずだ。しかし、
『明日のランチもぼくの隣ですよ』
合格とも不合格とも伝えず、スュトラッチ先生はマドレーヌにそう言った。生真面目なマドレーヌはきっと明日も隣に座らされ、女学生からの針の筵のような視線に耐え、そんな諸々もすっかり忘れてご馳走の数々に目を輝かせるに違いない。
「嫌だわあんな人。100歩…、一万歩譲ってジョンとなら結ばれてもいいけど。いつでも会えるし」
「マドレーヌ様は俺に興味なんかないって。あ、声は褒められたっけか」
「ふん。わたくしなんて、言葉の美しさに感動したって言われたわ。しかも上目遣いで」
「あー、モニカは背が高いしマドレーヌ様は小柄だからなぁ」
「なんですって?あなただってマドレーヌ様より背が高いけど上目遣いされていないでしょう?愛よ、愛の差よ」
「うわぁ、被ってた猫がみんな逃げた!ご令嬢感ゼロ!」
「明日までに捕まえて被り直すから良いのよ!」
気の置けない幼馴染と他愛のない会話を楽しめるようになったのは、マドレーヌのお陰だった。
*****
赤みを帯びた黄色い髪も、くすんだ黄土色の瞳も、同年代の男たちよりも高い身長も、どれもこれもモニカのコンプレックスだった。だから年頃になってからは目立たないように背を丸め、三つ編みにし、俯くように生きてきた。それはきっと、この3年で目紛しく変わった環境の影響もあるのだろう。
『はぁ?アンタが誰かなんて知ったこっちゃないわ!いい?子供には守られる権利があって、大人には子供を守る義務があるの!アンタこそ大人って言うなら義務くらい果たしなさいよ!』
入学初日。王立学院の前で待ち伏せしていたのは行方知れずだった実父だ。実母亡き後ギャンブルに嵌り、家も、借金も、まだ10歳だったモニカの親権も、まるっと実の弟に押し付けて逃げだした男は、支度金欲しさに決めてきた縁談を請けろと迫ってきた。彼がモニカの将来について口を出す権利はないけれど、血の繋がりだとか親子の情だとかを持ち出して粘った、というのがあの日の真実だ。
出奔からまだ3年。実父の顔を知る人も多く、そうでなくても揉め事には見てみぬふりが貴族社会の基本だ。送迎を断り乗合馬車で来たのが仇となった。
そんな時、自分よりも小柄な少女から差し出された救いの手。モニカを兵士に渡した彼女が、実父に対峙して強い口調で言い放ったのが、あの言葉だった。温かく柔らかな手の感触とキリリとした表情に、そして別れ際の愛くるしい笑顔に、モニカはすっかり心を奪われてしまった。
『妙なとばっちり受けて大変だったね!後は良いことだけありますように!』
その日からすっと背を伸ばし、前を向いて生きると決めた。野暮ったい三つ編みはハーフアップに、地味なワンピースは叔母-現在の義母-に相談して華やかなストールを巻いてアクセントに。養母は嬉しそうに当座の外出着のコーディネートを請け負ってくれた。
「モ、モニカ。学院でなにかあったのかい?」
「父さんったら野暮だよ。姉さん恋をしたのさ」
「えぇっ?!まだ、まだまだまだまだ早い…」
「いいだろ別に。姉さんには婚約者もいないんだし」
叔父-現在の義父-と2歳下の従弟-現在の義弟-の会話を聞きながら、この感情が“恋”だと知った。
動揺する義父を宥めて、実父が待ち伏せしていたことや助けてくれた女学生のことを手短に伝えると、今度は鬼の形相になって―叔父に心から愛されていることを知った。
「差し当たってお礼の品を贈るから、モニカもお礼状をしたためなさい」
父の提案に少しだけ迷ったものの、たくさんの無駄紙を消費して入念に下書きをした後、お気に入りのレターセットとお気に入りのインクで感謝を込めた。
実父の出奔前までいた婚約者は、モニカがいくら手紙を出しても返事は梨の礫。たまに親御さんか誰かから窘められてわざわざペンをとった旨と、モニカからの手紙の内容がつまらないことなどをずらずら書き殴った手紙が届いた。
それ以来、手紙を書くのがなんとなく億劫になってしまったけれど、マドレーヌが喜んでくれた。それだけで意欲が湧くのだから現金なものだ。
ちょっと変わった感性の持ち主で。
なんでもないことで挙動不審になって。
そのくせ、いざとなれば別人のように凛々しく気高い。
「とりあえず一番の友人の座は死守しないと」