マドレーヌ13歳、秋。~おもしれー女認定?~
前菜は、スモークサーモン。
白いソースに赤みがかったオレンジ色のスモークサーモンがよく映える美しい一皿だが、真の感激はナイフを入れた瞬間から始まった。
これまでスモークサーモンといえば、ペタリと皿に貼り付く塩気の強いものしか知らなかった。しかし、これはどうだ。旬を迎えたサーモンのふっくらとした身に軽やかな塩味とスモーク香を纏わせ、魚の持つ独特なクセさえも深い滋味に昇華しているではないか!生クリームに細かく刻んだ野菜や香草を加えた風味も食感も豊かなソースがまた素晴らしく、添えて食べることで旨味が増す。
「なんということでしょう…!この一皿からは匠の繊細な仕事ぶりが窺えるのはもちろん、こんな内陸の地で新鮮な魚が味わえることの奇跡!王国の治安の良さと輸送手段と冷蔵保存技術の発達の賜だわ」
スープは、きのこの濃厚ポタージュ。
じっくり加熱することできのこの風味を存分に引き出した一品。敢えて具材を加えないことで、生クリームやバターを控えてさらりと仕上げたスープの軽やかな味わいを堪能できる。一緒に運ばれてきたパンをどっぷり浸して食べられたなら、どれほど幸福だろう。あぁ、貴族である身が恨めしいけれど、貴族でなければこの味に出逢えなかったジレンマ。
このパンも、丁寧に裏漉しした滑らかなポタージュの邪魔にならないよう、ふわふわのパンがセレクトされたに違いない。バターが添えてあるけれど、ポタージュの奥深い旨味を一口ごとに感じたいならパンはバターをつけずそのまま食べるのがいい。
「きのこは森の恵みだもの、これほど美味しいきのこが採れるということは森林をよく管理している証ね。そして天然きのこの強い風味を穏やかに抑えつつ旨味だけを引き出させるなんて…。シェフにはきっと個々の性格を理解して纏め上げる調和力があるに違いないわ」
修羅場ともなれば怒号とともに鍋や包丁がビュンビュン飛ぶ厨房の日常を知らないマドレーヌの脳裏には、長いコック帽を被った紳士が穏やかに微笑む姿が浮かぶ。
メインは、骨付き仔羊背肉のロースト。
赤みを帯びた見た目に反して中までちゃんと加熱されており、肉はしっとり、脂はトロトロ。仔羊の出汁にバジルで風味づけしたソースをつければまさに骨の髄まで堪能できる。
骨と肉の間にナイフを入れながら、この場にフィンガーボウルがないことが悔やまれた。ひょいと手で持って、骨と肉の間の脂まで刮げ取るように齧りつきたい。およそ上品とはいえないけれど、肉を喰らい生き延びてきたであろう遠い古代からの血が騒ぐ。
「お肉が硬くならないギリギリの低温で調理するなんてシェフは火を自在に操る魔法使いなのね。そうでなくっちゃ説明がつかないほど巧みな温度管理だわ。それにこのお肉!優しいソースで充分なほどクセが少ないのよね。柔らかいのに弾力もあるなんて、育った場所が見てみたいわ。きっと素晴らしいところなのね」
脳内に召喚したコック帽の紳士に魔法使いっぽいローブを着せてみる。チグハグで違和感だらけ、これは失敗だ。混ぜるな危険。軽くかぶりを振って頭の中から消去する。
料理が運ばれるごとに小声でボソボソ呟くマドレーヌに、最初に耐えきれなくなったのが隣席のモニカだった。噴き出すことはなんとか耐えたがふるふると肩が震えている。モニカの隣、つまりマドレーヌの2つ隣のジョンも呟きの内容が聞こえると、ぐっと頬の内側の肉を噛んでニヤけるのを抑えた。モニカとは反対側の隣にいるスュトラッチ先生は、さすが大人の貫禄か、平然と食べ進めているようだが、よく見ればカトラリーを持つ手が小刻みに震えている。
しかし、寝ることと食べることに並々ならぬ執着と情熱を抱くマドレーヌは気付かない。彼女にとって今はマナーの講義でもなんでなく、王国の素晴らしい食材と技術が融合した一期一会の作品との出逢いの場。網膜に焼き付け、記憶に留め、できるなら舌を切り取って味覚も保存しておきたいくらいだ。
*****
「あぁ、なんて素晴らしいランチかしら!わたし、今、感動のあまり打ち震えているわ」
「ええ、そうね。わたくしもこんなに楽しいランチは初めてよ」
「私もです。なんなら腹筋だとか精神力の鍛錬になりそうなほどです」
食後のコーヒーを終え、嫉妬の視線も講義のこともすっかり抜け落ちたマドレーヌは上機嫌で友人に語りかける。友人もまたニコニコと、それはもう極上の笑顔で返してくれる。おいしいものは人を幸せにするのだ。そして親しい人と食べることもまた人を幸せにするのだ。そう改めてマドレーヌは思う。
「コメルシーさん、明日のランチもぼくの隣ですよ。じゃあ皆さん、気をつけてお帰りなさい」
「ぅうええぇぇぇ!?」
お腹いっぱいの美食と友情でふわふわした心地のマドレーヌは、スュトラッチ先生の言葉によって一瞬のうちに現実に引き戻された。