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玖話  よ







 いつの間にか眠っていたようだ。そう判断したのは、かりかりと奇妙な音が聞こえてきて初めて意識をかき集められたからだ。

 人の夢を媒体に、リトとマリアは穏やかに、けれど順調に仲を深めているようで。子ども達が見ていない場所で手を繋ぎ二人で真っ赤になっていた。これが惨めという感覚だなと苦笑する。

 同時に、何がどうなればこんなことになるのかと首を傾げるしかない。慎ましく控えめでいて、楽しく真面目な生活を送る住人達。寂れているわけではないが清廉さより和やかな時間が流れる街。孤児達が健やかな身体と精神を持って成長できる、人のいい隣人に恵まれた、腕のいい司祭のいる教会。

 一体何の悲劇が起れば、あの司祭が人の道から外れるというのか。


 あの司祭はリトだと、それはもう疑いようがない。名前だけが判断材料ではない。色が変わろうが、雰囲気や顔つきが、口調が、生き方全てが裏返るほどに変わろうが、時折ふわりと現れる笑みがそれを物語っている。


『――』


 女の声が、マリアの声がする。

 耳を塞いで蹲っても声は途切れない。当たり前だ。彼女はいま私の中にいるのだ。

 分かった。救うから、貴方の望み通りリトを救うから。だからお願い。これ以上私を荒らさないで。


 長い息を吐き、ぎゅっと瞑った瞳をこじ開け、固く閉ざしていた耳を開ける。これ以上彼女にかまけているわけにはいかない。緩慢な動作で身体を起こす。乱れた髪が簾のように覆う視界の向こうで、影が蠢く。


「王様、こっち来て一緒に飲まないか?」


 結界を爪で引っ掻きながら、一人の鬼がにこやかに笑っている。


「生憎とまだ大人ではないから、苦い酒は飲めないんだ」


 それは残念。

 鬼は肩を竦めて去っていった。

 溜息を吐いた間に、再びかりかりと音が聞こえてくる。見遣れば、先程とは違う鬼が両手で結界を掻いている。


「今代の王を祝して宴をするんだけど、出てこないかい?」

「生憎と人見知りでな」


 それは残念。

 鬼は肩を竦めて去っていった。




 木々の隙間から見える空は赤に染まっている。いつの間にか夕焼けにさしかかっているらしい。このまま夜を迎えるのだろう。

 リトはまだ帰らない。

 鬼は夜になれば活発になると聞く。けれど日差しを嫌っているようには見えなかったから、どういう理由なのだろう。


「甘い果物があるんだけど、一緒にどうだ?」

「生憎と、腹は満たされているんだ」


 それは残念。

 ひっきりなしに鬼が現れ、爪で結界を引っ掻いていく。

 リトはまだ帰らない。


「美しい着物があるんだ」

「生憎と装いに興味がないんだ」


 それは残念。


「楽しい絵巻物があるぜ」

「生憎と芸術は解さないんだ」


 それは残念。


「一目見た時から、君に心を奪われた」

「生憎と、好いた男が、いるんだ」


 それは残念。



 リトはまだ帰らない。




 

 岩肌に背を預け、かりかりと爪で引っ掻く音を聞きながら、鬼からの誘いを断ち続ける。目覚めてばかりでまだ夢が色濃い私は、少し気を抜くだけで夢を呼んでしまう。

 かりかりかりかりかり。鬼からの誘いはきっぱり断ちながら、少しだけ夢に溶ける。



 司祭様遅いね。雨だからかな。マリア、今日のお夕しょく上手にできたね、ほめてあげる! おむつ変えたからこの子ごきげんだねー。マリア、まど閉めてきたよー。司さい様おそいね。おなか空いた。もう食べちゃおうよ。だめだよ、司祭様一人じゃかわいそうだよ。ねえマリア、司祭さまと結婚するの? わ! マリアがおちゃふいた! ふきん! ふきんとって! え? どうしてって? だってマリアと司祭様、夜に二人お茶飲んでたじゃん? よ、よふかししてたんじゃないもん。だってトイレだったんだよ! おまえ寝る前にお茶飲みすぎてたもんな。うっせぇよ! もー、けんかしちゃダメだよ! そのときさ、司祭様マリアを幸せにするって言ってたじゃん。だから結婚だってみんな言ってるぜ? え? 一緒に俺達のことを幸せにしようって言われたの? ばっかだなぁ、マリア。それって結婚じゃん。それに司祭さま、マリアのことも幸せにするって言ってたじゃない。マリアってにぶいんだから、もう。あ、もー。おっきい声出すからこの子おきちゃった。せっかくうとうとしてたのに。マリアのばかー!

 きゃらきゃらと子ども特有の甲高い声が楽しそうにはしゃぎ回る。けらけらと笑い転げる子ども達の声に、赤子のふやけた泣き声も笑い声へと変わっていく。それは穏やかで平和な、いつも通りの団欒だった。はずなのに。

 マリア? マリアどうしたの? どこか痛いのか? マリアおなかいたいの? マリア? だれか司さいさまよんできて! オレが行く! マリア、しっかりして! マリア!


 ……マリア?


 恐怖に見開かれた子どもの瞳に映った、角が生えた女を最後に、ぶつりと夢が途切れた。









 座ったまま夢を見ていた私は、俯いていた頭を上げる。私を夢から覚まさせ、結界を通り過ぎた鬼の顔まで視線を上げていく。


「何用か。我は貴様に入室許可を与えた覚えはないぞ」


 足を伸ばしたまま腰から二つ折りになり、私の顔を覗き込んでいるスオウの髪が頬を擽る。焼け爛れた頬から煙が上がっているが、気に留めてはいないようだ。

 随分無理やり入り込んだらしい。痛くないのかなと呑気に思う。


「ちょいとつれなさが過ぎるんじゃねぇのか、白王」

「生憎と、この身を喰らおうと狙っている輩と親しくする趣味はないな。それに、酷い臭いだ。死臭が纏わり付いているぞ。何人殺した、鬼」


 スオウはきょとんと首を傾げた。

 薄暗い洞窟内でも煌々と輝く赤い瞳が細められ、にぃっと歪んでいく。尖った牙は一本や二本でない。肉を食いちぎるのに適した歯だなとぼんやり思う。


「さあてな。百人はくだらねぇ。しっかし、てめぇも食えねぇ野郎だな。鬼に関する本が燃えただなんて嘘だろ? そうでもなきゃ、まさか着いた当日から家捜しはしねぇ」

「まさか。一応協力を仰ぎに来た相手に初手から嘘は吐かぬ。相手の出方次第で対応を変えただけだ。それだけの死臭を纏わせ、死霊を負って、何が穏やかな気質だたわけめ」


 大体、少なからず親好的な交流があったのなら、資料が失われても交流が途絶えるわけがない。その代の人の記憶が残っているからだ。

 資料と共に鬼に関する情報の一切が失われたのは、新たに作り直すことも語り継ぐことも出来ぬほど、すっぱり断絶されていたからに他ならない。特に王家と親交があったのなら嫌でも記載は残るだろう。何せ非公開であろうとそれなりに手間暇がかかるものなのだ。絶対に一人で行くことはあり得ないし、もし今回のように特殊な事情が重なって少人数であったとしても、必ずその後情報の共有は行われる。

 それに、ここの結界がとどめだ。一夜で一年と判定を受けるのは私達だけではない。鬼達はここでそうあれと神具によって縛られている。だから、本当に一夜が一年だ。

 寿命に果てが見られない鬼を、少しでも早く殺そうとする時の檻である。大層な結界を作ったものだ。先祖の鬼への憎しみが透けて見える。だからここを無理やり抜け出した鬼は、少なからず壊れた状態で見つかったのだろう。

 話が通じないとリトが言っていたが、それは壊れていたからだ。これだけ死が重なった時の檻を無理やり出れば、そりゃあ壊れもするだろう。



 鬼の長い爪が顎を掴み、視線が固定された。同じ赤でも向ける興味はまるで違うなと、ぼんやり眺める。こっちの赤にはさして興味はない。


「綺麗な顔してやるこたぁえげつねぇ。そういうところ、てめぇの先祖によく似てやがるぜ」

「欲で人を殺した輩に配慮だなんだと手をかけられる奴は、慈悲深いのではなくただの馬鹿だ」

「ひひ、違いねぇ」


 体重をかけられ、背を地面につける。覆い被さってきた鬼の後ろ、鬼が負っている死霊をじっと見つめた。死霊には浄化の痕跡がある。いつの誰かは分からないが、昇天させようとしたのだろう。その手に導かれて上がった者もいたはずだ。

 では、ここに残っているのは憎悪と怒りが勝った者達である。

 手を伸ばし、その者達へと向けた。ごめんね。私は白を守るためなら白の民である貴方達を殺した相手とでも手を組むし、貴方達を憑けたままの鬼を利用もする。できるなら今のうちに離れていたほうがいいよ。何せ、徹底的に絞り尽くすつもりだから。

 伸ばした手を見たスオウは口元を歪めた。


「何だ、乗り気か? 今代の王はゲテモノ食いだな」

「必要とあらばゲテモノだろうと気にせず食うが、今は腹を壊している時間も惜しい。このまま人道に反する手でいかせてもらおう」


 怪訝そうに眉を寄せた鬼が気づくより早くその首に指を這わせると、そのまま力を発動した。

 この鬼が摂取した私の血を呼び、私の力を鬼の身体に通していく。まるで針金を中に入れたかのように歪な動きで手足をばたつかせるスオウの下から抜け出し、服を叩く。

 私が立ち上がってもまだ地面に伏せているスオウを、今度は私が立ったまま覗き込む。


「王の血を迂闊に摂取するのはお勧めしない。何せ薄まっていても神の血だから。その上私は神子だからね。只の血ならともかく、お前が摂取したのは私が呪を施した血だよ。相手に切らせるとこういう弊害があると一つ勉強になったかい。基本的には相手の人権を尊重するけど、相手がお前のような人でなしなら躊躇なく傀儡にする。今代の王が私で残念だったね。宜しくスオウ。私の、お人形さん?」


 大きな音がして、結界が揺れた。視線を向ければ、鬼がひしめき合い結界を殴りつけている。


「大した忠義じゃないか。鬼にも忠義があるとは思わなかった。それに、本当にお前が頭領だったんだね。それも虚偽かと思った」


 乱れた髪を結びながら、適当な岩に腰掛ける。組んだ足に膝を乗せ、掌に顎をのせた。行儀が悪いのは承知の上だが、ここにはお目付役もいないからいいだろう。

 微笑みながら見下ろす私に、スオウが忌々しげに舌打ちした。


「てめぇの手駒代わりかよ」

「彼は大切な配下だから、捨て駒のお前とは訳が違うね」

「はっ、言うじゃねぇか。だが、残念だったな。あいつはのたれ死ぬぞ。どうせここの結界の要となる神具を取りに行かせたんだろうが、どうして俺らがこんなくそみてぇな場所で千年近く燻ってると思ってやがる。あれはてめぇら王族の血がなければ触れねぇように出来てんだよ。そもそも、祠に着くまでも百年迷路だ。そうそう抜けられるわけがねぇ。鬼さえあの地下迷路でどれだけ死んだと思ってやがる。どちらにしろ、あの魔性じゃ祠には触れねぇ。焼け死んで灰になるのがオチだ」


 それは特に嘘ではないのだろう。私の勘は何一つスオウの言葉に引っかからなかった。同様にリトへの不安も駆り立てない。

 反応しない私をじっと見ていたスオウは、どうにか身体を起こした。私の力に抵抗しようとしているのだろう。額には青筋が浮かび、掌は血の気が失せるほどに力がこもっている。だが、身の内に取り入れた一滴の毒を掻き出せる物なら掻き出してみればいい。

 力を入れすぎて震えているように見えるスオウは、やがてふっと息を吐くと同時に身体の力を抜いた。


「くそがっ……てめぇ、あの男より性格悪いんじゃねぇのか」

「あの男ってご先祖様のこと? ご先祖様にはお目にかかったことがないから予想になるけど、ご先祖様はお前が嫌いで私はお前などどうでもいいから、その違いじゃないかな?」

「ほんっとタチわりぃぞ、てめぇ。あんな気色わりぃもん飼ってるだけあるわ」


 立ち上がることは諦めたのか、地べたに座ったまま膝を立てたスオウは、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回す。


「今更鬼の言を信じろとは言わねぇが、ありゃやばいぞ。魂自体が歪みきって、祟り神に近い状態になってやがる。結局あれは、人なのか鬼なのか神なのか、何なんだよ」


 人の魂を持ち、魔性の色を持ち、神気の力を纏った存在。そんな存在を呼ぶ名など、私が知るはずはない。


「人里外れたここでならともかく、都で暴れるなんてなれば事だぜ? あんた、あいつを御せるのかよ。得体の知れねぇ権化であるあいつを殺す要員を作っとくに越したこたぁないぜ。それとも、その為の俺らか? ――いいぜ、そういうことなら異論はねぇよ。どうにもあの魔性は気にくわねぇ。元は人から鬼へと変わった俺らでも、あれはねぇと思える異形だ。殺しとくほうが安全だからな」


 だから安心しろと頼もしい言葉を告げるその表情はまるで誠実で。びっくりする。よく回る口だ。血の束縛を解けないと分かるや否や、くるくる舌を回し始めた。その言は、嘘と本音が入り交じっているようだ。しかし、鬼の元は人間だという説は虚偽ではないらしい。

 何をどうしたらこんなに死霊を貼り付けた生き方が出来るというのだ。十五年前の戦場から生き残った黒羅でさえこれほどの死霊を背負わない。意外と兵士の戦闘で死霊は憑かないのだ。

 戦場で死んだ場合、自分を殺した初めて会った相手より、自分を戦場へ送り出した顔を知っている上官や指揮官に憑く。戦場でこれほどの死霊を背負いたければ、余程楽しんで殺すか相手を侮辱し尽くして恨みを買わなければならない。


 スオウの首に女の指が掛かっている。ギリギリと痕が残ってもおかしくないほど締め上げているのに、気づいていないのか気づいていてもどうでもいいのか。


「忠告どうも。忠告通り、お前が気にくわないから鬼は信用しないようにするよ」


 にこりと笑って告げれば、スオウはちっと舌打ちした。


「てめぇほんと、猫かぶってやがったな」

「残念。かぶっていたのは人の皮だよ」


 大切な一人を救うために自分を犠牲にするのが人で、千人のために一人を見捨てるのが王で、一人のお気に入りのために万を巻き込むのが神だ。

 私達は所詮王だから、人の皮はかぶれても人にはなりきれない人でなしだ。


「どうせ私もお前も人でなし。この大地を侵略者から守るための礎になってようやく、今までこの大地から受けてきた恩恵に見合ったものを返せる。人でなし同士、仲良くやろうか」

「……てめぇのもう一つのお人形さんが、地下でとっととのたれ死んでることを祈るわ」

「お前、おかしなことを言うね。今更願う神も王も持たないだろうに」


 思わず笑ってしまった。くつくつ笑っている私を、スオウは嫌そうに顔を歪めて見ている。これだけ人を殺した男に、穢らわしいものでも見るかのような目線を向けられるとは、いっそ清々しい気持ちだった。


 正義だけで国が守れるならば、誰も泣きはしないのだ。

 侵略行為を受けるなら立ちはだかり弾き返す力が必要で、戦力差があるのなら一人残らずこの地で殺してしまわないといけない。逃げ帰らせてしまえば、回復して戻ってきてしまう。

 それを非道だと、残虐だと罵るならば罵ればいい。そう言って石を投げてくる輩が、侵略され焦土と化した地への責任を取ってくれる訳ではないのだ。

 失われた命も資源も知も時間も何一つ戻してはくれず、ただ正義だけを高々と叫ぶ。

 ではお前達の正論とやらで、侵略者を止めてこい。お前達が振り上げた拳も言も侵略者へと向け、国の土を踏ませるな。そうすれば兵士は誰も殺さずに済み、誰も殺されずに済むのだ。


 彼らの言を正論と認めるのならば、民の命を守り、営みを守り、資源を守り、自然を守り、故郷を守り、文化を守り、歴史を守り、日常を守り、国を守る我らの行いだって正義だ。

 国の為に命を懸ける誰もが正義だ。それは絶対だ。


 その上で、正しくないのは王だけで充分なのだ。


 上が責任を負わないで配下が命など懸けられるものか。勝利のために配下が背負った責は、全て王の罪である。

 だから王は人でなし。どこまで非道に堕ちようと、勝たねばならぬのだ。それを正義とは呼ばない。攻められれば防衛する。それは何より当たり前のことで常識だ。

 生まれたから生きる。生きているから食って寝る。生きているから死ぬ。それと同様だ。そこに正しさも義も、他者からの許しも必要ない。



「善悪を気にせず使い潰せる相手がいるととても助かる」

「てめぇ……」

「そう睨むな。敵兵であれば好きなだけ食い殺せばいいし、うまい酒だって出してやる。用が済めばここに戻してやる。自由がないだけだよ。さて、彼が戻るまでまだ少し時間がかかりそうだから、お前の身の上話でも聞いていようかな。いい暇潰しになるだろう」


 スオウ、話せ。

 命じれば、忌々しげにひん曲げられていた唇が開いていく。

 虫、鼠、鳥、鶏、猫、犬、豚、牛、馬。順調に殺していったスオウ少年が、初めて人を殺したのは八つの時だという話を聞きながら、すっかり暗くなった空を見た。

 鬼の成り立ち、思っていたより面白くないなと嘆息し、ゆっくりと目を閉じる。入り口には相変わらず鬼が詰め寄せ、それこそ鬼のような形相で結界を破ろうとしていた。その後ろに張り付く数多の死霊。ずっと泣き叫び、恨みの坩堝に居続ける哀れな魂。

 貴方達を殺した相手には、これからも囚人として生きていかせるから。だから、出来るなら穏やかに昇ってくれ。鬼達の背後で泣き叫ぶ人々へ向けて祈った願いが、嘆きと憎悪だけを延々と燃やし続けた彼らに届くことはないとしても。




 人を殺すことが生活習慣と同じように常態化し、同じ外道が集まり集団となった。地方の役人では収拾がつかなくなった頃、そんな現状を面白がったとある神が彼らに力を与えて鬼化。

 同じような性質を持っていた人間から、大人に恨みを持つ子どもまで。仲間を掻き集めては略奪行為を繰り返し、都から黒羅が討伐部隊として派遣されてからは、殺し殺されといたちごっこだったという。


 無理やり話をさせられている点については不満そうだが、その辺りの話をしているスオウはどこかうっとりしていた。どうやらとても楽しかったらしい。

 黒羅と戦うためだけに村人全員を殺して吊り下げたりして遊んだと楽しげだ。

 まさしく外道。こんなにも生き物の権利を無視した扱いに罪悪感が湧かない相手も珍しい。


 ちなみに彼らを鬼にした困った神は、既に無い。人間の、恐らくはご先祖様であろうが、その要請を受けた数多の神の手によって散っている。だから新たな鬼は生まれない。だけどここにいる鬼共はどうにもこうにも頑丈すぎて、一夜で一年過ぎるというのにもう千年近く生きている。

 いい加減化石になってほしい。彼らを鬼にした神は一体全体どういう呪いをかけたんだ。どいつもこいつも下手な神より年を食ったことになっている。


「外の連中もいい加減鬱陶しいな。お前、あれをどうやって統括しているんだ?」

「…………」

「スオウ」


 命じれば、視線だけで私を殺せそうなほど睨み、殺気篭もった口調で話し始めた。

 要は、私がスオウへした支配と同じような状況らしい。寝首を掻かれたら困るからという理由らしいが、外の鬼らは私に向けて罵倒の言葉を飛ばすのみでスオウに対しては特に恨み言はないようだ。意外と慕われているのか、鬼としての暮らしに特別不安がないかのどちらかだろう。

 それにしたってと呆れる。足を組み、そこに肘を乗せながらスオウを見下ろす。


「お前、(かしら)ならもう少し頭を使え。文字通り。頭が自ら術中に嵌まってどうするんだ」

「うるせぇ。どうせ俺は学がねぇよ」

「学は授けられる物ではなくつける物だろうに」

「そういう環境を嫌でも周りが整えてくれる野郎は黙ってやがれ」

「学が無いと自分も周りもすぐ死ぬ環境じゃなかった野郎にも黙っていてほしいものだな」


 ちなみに私は、野郎でないほうの白王である。



「それにしても、ご先祖様はお前とこういった戦い方はしなかったのか?」

「ああ? あいつは自分の手で俺らの首を飛ばしたがってたからな。ま、鬼を作り出した神様を消滅させるのに手間取っている間に、あいつの寿命は尽きたって訳だ。それでも最後の力でここ作り出した辺り、本当に食えない野郎だったぜ。てめぇは、そりゃああいつに似てやがる」

「それは光栄なことだ」

「けっ、死んじまえ。……どうせお前の手駒は犬死にだ。最低限の意趣返しくらいにはならぁ」

「それはどうだろうね。困ったことに、私は彼をとても信頼してしまっているんだ」


 嫌そうに顔を歪めたスオウには言えないが、実は本当に困っている。自分でも意外なほどマリアに引っ張られている。

 いくらソウジュがいないとはいえ、この年まで王としても神子としても成長した身で、ここまで引っ張られるものだろうか。

 相手が黒羅であることは信頼の大きな箇所を担っているが、それにしたって、この惹かれようはまずい。まるで自分の心の一部を預けてしまったような痛みがある。これはまずい。これは酷い。あんまりだ。



 表情一つ変えず、胸の痛みを握り潰した私は、洞窟の奥から現れた人の気配へと視線を向けた。

 水がたわむ音に次いで濡れた何かが岩へと上がった音だ。スオウは視線を向けもしないが、どうやら私より先に気がついていたらしい。その目は驚愕に見開かれていた。


「おい……嘘だろ。腐っても迷いの神域だぞ」


 奥の水場から現れたリトは、歩きながら自身を乾かしているようだ。歩く度に水音が失せ、さらりと揺れる髪の先まで水気が飛ばされた状態で私の前に膝をつくと、恭しく何かを差し出した。


「どうぞ、我が君。お望みの品でございます」

「ご苦労」


 その両手に掲げられた鏡だった。月のような装飾の中に白く濁った鏡面がある。

 リトに持たせたまま、その上を片手でさっと撫でた。私の手が通り過ぎた場所から世界を映し始めた面に映っていたのは、不敵に笑う白の王だ。それなのに何故か、誰かが泣いているように思えた。


 嘘つき。何が貴方の王だ。貴方はマリアのものなくせに。

 私なんて、見てはいないくせに。


 ああ、泣き叫びたい。

 母上が亡くなった時でさえこうは思わなかったのに、義務と責務が関与しない感情とはこんなにも自分勝手で奔放で、どうしようもない熱量で暴れ回るものなのか。


 お願いマリア。私の中から出ていって。

 依代とするための人形でも鏡でも何でも作ってあげるから、これ以上私の中で泣き叫ばないで。これ以上、この人の視線に熱を感じさせないで。

 彼への気持ちも彼からの気持ちも、何一つ私の物ではないのに、どうして私に傷を残していくの。




 鏡を持って立ち上がった私を追い、さっと立ち上がったリトは未だ地面に座っているスオウへ視線を下ろした。


「入ってきてるじゃん」

()れたの。今は私の手駒だから、手出ししちゃ駄目よ」


 手駒であり戦力なのだ。これを取りにここまで来たのに、無に帰されてはこの旅の意味が無くなる。


「……ああ!? てめぇ女かよ! てめぇは人の匂いがしねぇから分かんねぇよ!」

「失敬な奴だな。どこからどう見ても女だろう」


 だって私は男ではない白王だ。そしてソウジュは、どこからどう見ても男だ。だってソウジュは女ではない白王なのだから。




 鏡を両手で掲げ持ち、ふっと息を吹きかける。光と風が生まれた。適当に結んでいた髪が風に煽られて解ける。

 この旅は、さっさと終わらせてしまうべきだ。

 やけにただのシャラがマリアへ引っ張られる。姉王はこれから戦争という名の殺し合いに思考を割かなければならないのに、姉王としてではなくシャラへと引っ張られると困るのだ。

 少しだけ、楽しかったと、そう思った気持ちは早くしまってしまおう。今はそんなもの感じている暇はないのだから。



「白王シャラの名において、これなる神具の権限移行を実行する。偉大なる我が先祖の作りし神の名を冠した鏡は、これより今代白王の命に従うべし。我は鬼を統べ、白を守る者。これなる神具は、これより当代白王の物なり。白王シャラの命を聞き、白王ソウジュの命に従え」


 制作者の血縁とはいえ、鏡はあっさり私を受け入れた。元より神の名を冠する神具であり、白の王が白を害する獣達を囲うために作り出した物だ。それらが白の危機を負った子孫からの要請に応えないわけがない。

 一際強い光を発した鏡が完全に私達を受け入れる。鏡は水鏡のように波紋を広げ、一度だけ半分に境を作り出す。全く同じ色の金で二つに割れた鏡は、瞬き一つの間で一つに溶けた。

 今代の王は二人いる。されど一つ。そういうことだ。



 ずきっと胸が痛み、僅かに眉を寄せる。何だろう。やけに胸が痛む。マリアの恋心に反応しているにしては、さっきのは妙に肉体的な痛みを伴っていた。


「今代白王が命ずる。これより鬼は今代白王の命に従うべし。白に所属する全ての人間の命、尊厳、生活、財産及び貯蔵物、その他全てを害することを禁ずる」


 スオウが呻き声を上げる。それすら飲みこむかのように、彼の首に黒い輪が埋まっていく。肌に完全に埋まって何事もなかったかのように消えた瞬間、外にいる鬼達も同様に首を押さえて蹲り始める。

 鬼の頭は伊達ではないようだ。しかし、意外とあっさり片付いていく鬼達に安堵する余裕はなかった。


「しかし侵略者に、おいては、これにあらず。し、らの、王命に、従、い、侵略、者を」


 胸が痛い。やけに鼓動も早い。

 息をするための膨らみでさえ激痛が走る。

 息が、できない。



 愕然とした。

 いつから、どうして、どうして気づかなかった?

 いつから私は、一人だった?



「滅し、残りの、生を、白の、民を、害した罪の、贖いに、すべ、し」


 最後まで言い切ったところで限界が来た。膝をつき、最後の気力で鏡を置いた手で胸を握りしめる。息が整わず、脂汗が頬を伝い落ちていく。

 痛い、痛い痛い痛い。

 視界も思考も真っ赤に染まり、胸の奥、臓器が絞り取られているかのように悲鳴を上げている。


「お、おいてめぇ……どうしたんだ?」


 鬼ですら突然のことに動揺している声がした。なのに、もう一つの声が聞こえない。

 痛みと絶望で真っ赤に染まった視界を、ゆっくりと上げる。そこには、頭上の真っ赤な輪を大きく広げながら、感情の読めない瞳で私を見下ろしているリトがいた。

 どうしようね、ソウジュ。

 私、こんなになっても、どうしても、この魔性を警戒できない。


 そもそも、ソウジュが途切れていた間の私は私なのか。私はいつから私ではなくなってけれど王であって私はいつから私だけで、私ではなくなっていたのだろう。



 誰かを愛した気がする。誰かに愛された気がする。

 王としてではなく、血縁としてではなく、互いしかいない必然の愛でもなく。ただただ私としての存在が、誰かを愛し、愛された気がする。

 嘗てそんな日が。

 否、あるはずがない。これは全てマリアのものだ。十五年という私の生のどこをどう探しても、そんな時間があるはずがない。






 痛む胸と頭を抱え、蹲る。


 ソウジュがいなかった。私とソウジュが切れていた。

 そんなことあり得るはずがない。


 死んだって私達は途切れることはない。そういう生き物なのだ。

 それなのに、私達はたった今まで確かに断絶されていた。片割れが痛みを感じれば同じ痛みを、片割れが満たされれば同じ満足を、どれだけ離れようとどこにいようと必ず通じ合っていた私でありソウジュである半分が途切れるだなんて、あり得ないはずだったのに。

 私は、一人であったことすら気がつかなかった。


 私は今、生まれて初めて、神子である自身への信頼が揺らいだ。王としての未熟さや、人としての弱さ、そういった次元の話ではなく、私が私たる根拠が揺らぐ。これが揺らいではならない。これが揺らげば王の存在意義が揺らぐ。これが間違えば、白は占術による導を失う。占術による導を失うということは、神による指針と庇護も揺らぐ。



 赤い輪を反射させた赤い瞳が、じっと私を見下ろしている。尖った耳に牙、赤い輪、赤い、魔性の瞳。これは魔性だ。分かっている。分かっているのに。

 点滅する視界と意識を唇を噛みしめ、肌に爪を立てることで保つ。鏡を抱えたまま、ふらりと洞窟を出る。

 尋常ではない様子の私に近寄る鬼はいない。先程まで見せていた憎悪を困惑へと変えている。存外、素直なものだ。鬼は欲に忠実と聞くが、感情に忠実なのかもしれない。

 ああ、それにしても胸と頭が痛い。割れそうだ。



 倒れ込みそうになる身体を引き摺り、滾々と酒を生み出す泉に鏡を沈めた。はっと荒い息を吐き、力を篭める。波紋と一緒に光が伝わっていく。


「おいてめぇ、何をっ」


 鬼の声が聞こえるが、頭を通っていかない。先祖が神の力を以て作り出した地で湧いた酒だ。そこに神具と私の力を加えれば神水代わりにできる。私の力と私を主とした神具を使っているのだから、血を混ぜ込まずとも繋がるはずだった。

 それなのに、ソウジュが応じない。痛みだけが延々と伝わってくるのに、意識が通じ合えない。

 その辺に転がっている石を掴み、掌を切り裂く。ぼたぼたと鈍い動きで落ちていく赤に、スオウが苛立たしげな声を上げている。うるさい。


「ソウジュ」


 血と一緒に力が水面を満たす。ここまで来れば相手からの応答がなくとも、対峙する側に神水があれば勝手に繋がる。そして神水が空を映せば、私の視線もまた空からの物となる。

 波紋が収まっていく水面に映った光景に、愕然とした。

 そこには見慣れた自分の顔も、美しい春の都も、地を同じくする星空すら存在しなかったのだ。



 大きな泉全体に、赤い都と空が広がっていた。あちこちから火の手が上がり、鎧を着た多数の兵が怒鳴りながら走り回っている。


「ザーバット……」


 空には幾つもの穴が開き、ザーバット兵を乗せた船に似た何かが現れていた。

 水に浮かぶ為に作られた船が空を飛ぶ。その光景を笑えたらどれだけよかっただろう。ザーバットが海からではなく空から現れた異様さに比べれば、船が空を飛ぶことなどどうでもいい。


 船の合間を飛び回る見慣れぬ黒鳥。羽は生えているが烏とはまるで違う。大きさは人ほどもあり、何より裂けた口と三つの赤い瞳が尋常ではない。

 魔性だと、分かった。それも私達が見知っているどの魔性とも違う。存在が違うのだ。


 逃げ惑う民に斬りかかったザーバット兵を黒羅が切り伏せる。だが、状況は明らかに黒羅に不利だった。上から見ているからこそ分かるが、黒羅を挟み撃ちにするようザーバット兵が配置されている。見える位置にいる黒羅全てがその状態だ。

 おかしい。黒羅に統率が取れていないわけではない。土地勘もこちらにあり、まして都内だ。ここまで圧倒的に黒羅が押されるなんてあり得るのか。黒羅が移動した先に必ず集団で構えているザーバット兵に眉を寄せる。


 これはどこの神水だと、呆然とした思考の一部が弾き出す。空と繋がり都を一望できる場所。すぐに思い浮かぶ。何度も行った場所だ。それなのに、思い出すのは桜の花が舞う中に立つ赤い瞳の人だなんて、あんまりだ。


「ここじゃない……宮を、宮の、池を」


 あそこも神水だ。そして私達が住む神域でもある。ここが侵されない限り何とかなる。逆にここが侵されれば、神々の怒りを買う可能性があった。

 ここは神々の地に近いのだ。神々の怒りの矛先が侵入者へ向けられるとは限らない。手当たり次第、目につく人間へ向けられる可能性だってある。神々はいつだって理不尽であり、そういう意味で平等なのだ。

 だからこそ、許可がない限り人間が神域へ立ち入ることは不可能だ。神域の掟で弾かれる。動物ならばともかく人間は無理だ。そのはずなのに。



「――ソウジュ」



 見慣れた私達の部屋に、うつ伏せになった私が倒れていた。










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