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弐話  ―





「鬼と手を組む」


 昨日座っていた場所に、今日も二人並んで座る。服装は色も装飾も全てが同じだ。動きづらいし頭飾りは重いし、あまり好きな格好ではないが、これが王の通常衣装なのだから仕方がない。

 早急すぎて間に合わなかった者もいたが、この国を守護する為に日夜働いている者達は大体揃っている。昨日は海賊の討伐に出ていた黒羅隊の隊長も出席だ。

 来年三十路になる男で、名をヒサメという。夜には帰ってきていた彼に、私達はしっかりばっちり叱られた。

 叔父上の拳骨は、今日も痛い。




 ヒサメは私達に視線を固定し、ゆっくりと口を開いた。


「姉王、弟王、何と仰った」

「耳が遠くなるにはちと早いのではないか、ヒサメ」

「鬼と手を組む。我らはそう申した」


 鬼とは、古から白に住まう魔性の生き物だ。人の何倍もの力を持ち、獰猛で凶悪。人の姿をしていながら、人をも食らう、まさしく魔性を体現したかのような存在である。大陸には大陸の魔性がいると聞くが、そのどれとも違う。

 海は、植物の種類も動物の形も、魔性の類いでさえ隔てたらしい。


 大陸では、魔性の類いは教会により悪しき者として定められているはずだ。よって、発見すれば司祭などが祓うと聞く。

 白には教会もなければ司祭もおらず、そもそも祈る神が違う。何せ大陸ではそれぞれの国に神は一人なので、大陸中数えても神の数はそれほどいない。しかし白は一国で八百万を有する。ちなみに、便宜上八百万としているが、恐らくもっといる。何せ、何でもかんでも神を見出す国民性なのだ。


 そんな白ではあったが、鬼だけは一線を画す。決して認めない。あれだけは排除の対象だ。

 今でこそ明確に住処を分けられているが、まだ人との住処が重なり合っていた千年以上前までは酷いものだったと聞く。幾つもの村が焼かれ、幾人もの人間が食われ、殺された。鬼によって人が狩られていた時代から、現在の平和を築くまでに流された血の上に、今があるのだ。

 だが今でさえ鬼の里からふらりと出てきた鬼による被害が完全に無くなったとはいえない。その討伐は、黒羅隊の仕事だ。一般の兵士では到底敵わないからである。鬼の爪と牙に太刀打ち出来るのは黒鋼だけだ。


 鬼に関しては、今までも幾度か対策が試みられていた。しかし、何故里から鬼が出てくるかは分からない。出てきては暴れ回って討伐される。その繰り返しだ。鬼の里は完全に閉じられており、内情を知ることは出来ない。話し合いの場を持とうにも、鬼は里に王族以外を受け入れないの一点張りだ。そんな要求はこちらも受け入れられぬと平行線を辿ってきた。




 薄い唇をぐっと締めたヒサメとは逆に、大臣達は皆口をぽかんと開けた。ざわつく室内を再び鎮まり返させたのは、やはりヒサメだった。


「何を考えておいでか!」


 小さな頃から、私達を叱る際は必ず引っ張り出されてきたヒサメを見てきたからこそ、これが本気の怒りだと分かる。怒るだろうなとは思っていた。分かっていて言ったのだ。

 私とソウジュは、ゆっくりと口を開く。


「昨夜、黒羅が回収した、姉王を拐かそうとした海賊共を下ろした」


 私とソウジュは、黒羅の詰め所に忍び、死体を元に霊魂を下ろした。疲れるからあまりしないが、神子としてこの程度の力はある。死んで間もない霊魂ならば、儀式として場を構えずとも下ろせるのだ。

 ヒサメが目を見開いた。そして、廊下で控えている部下を睨みつける。部下はぴくりとも動かず頭を下げ続けていた。


「当直の者を責めるでない。我らが口止めしたのだ。王の言を尊重した忠義の者達を、其方が褒めずしてどうする、ヒサメ」


 ぐっと唇を噛んだ男は、すぐに表情を平素へと戻した。感情を抑え込み、ただ黒羅の隊長としてのヒサメが戻る。


「ザーバットは付近の海賊共を買い占めたようだ。海賊に知らされた情報にどこまで信を置くかは難しいところだが、近いうちと奴らは聞かされていた。つまり」

「嵐に敗北した奴らが侵攻に夏を選ぶとは思えぬ。かといって、元より冬の風向きは航海に適さず、秋を戦火で焼けば奴らもこの地で冬を越せまい。ならば」

「春だ」


 饅頭のように丸い顔をした右大臣、米のようにひょろりと長い顔の左大臣。書物のように四角い顔の検非違使長。そして、ここにいる誰より怖い顔だと私達が思っている黒羅隊隊長。彼らが率いる部下達に、隣の部屋に控える女官達。

 その誰もが息を吸うと同時に、ざわめきを切った。沈黙を、感情が埋め尽くす。ざわりと広がった憤怒は、本来何より先に抱くべきである動揺を追い越したのだ。

 十五年は短くない。私とソウジュが産まれ生きた年月だ。だが、決して長くもないのだ。戦火の傷と憎悪を均すには短すぎる。美しく咲き乱れる桜の花が舞い込む部屋を、一気に怒りという感情が覆い尽くす。


「密偵達の連絡が途絶えてからの日数を考えて、もう動いていると見ていいだろう」

「そうはいえども、まだ出陣はしていないはずだ。兵と物資の運搬は勿論だが、最後の連絡では至近のザーバット港に大型船は確認されていなかった。あちらは時化であったからな。問題は、どこに停泊しているかだ。それらを考慮した上で、最短で何日だと思う?」


 沿岸防衛長に問いを投げかける。彼はぎゅっと眉を寄せた。


「……風が常に良好であったと仮定し、最短で二十日かと思われます」


 長い息を吐いたのは誰だったか。あるいは全員だったのかもしれない。様々な感情をない交ぜにした息を、己の中から吐き出したのだ。感情は邪魔になる。特にこれからの方針を定める場合に限っては確実に。


「二十日の猶予が出来た。これは喜ばしいことだ。……突如戦線を開かれた十五年前の教訓あってこそ。我らは、この猶予を無駄にしたくはない。無論、今までとて最善を尽くしてきた。だが、それでも埋められぬ物は確かにある」

「十五年前戦死した白の英霊達に感謝する。その上で、これ以上英霊を増やしたくないと我らは願っている。戦なんぞくだらぬもので死なせていい命は、この白に一つたりとも存在しない。国力の違いは元より分かっていたこと。鬼の説得は我らが担う。数百年前、鬼を追いやる決断を下したのが王家ならば、助力を乞うのもまた王家が担うべきである」


 人々が大きく息を吸った。次の瞬間溢れ出すであろう制止の言葉より前に、ソウジュと二人、声を揃える。


「これは勅命である」


 白は鬼と手を組む。その説得は我らが担う。そうでなければ鬼は確実に納得しない。まず交渉の席すら設けられないだろう。


「我々は神々の慈悲を期待してはならぬ。あれらは、偶発的に与えられる奇跡である」

「幸いにして、当代は二王」

「我らが住まう都よりザーバットを遠ざける為、名乗りを上げて戦場を駆けた父を、我らは誇りに思う」

「父に、英霊達により救われたこの命、元より白の為に」


 手を繋ぎ、視線を合わせる。計らずとも同じ瞬間に互いへと向けた笑みは、自分達でも驚くほどそっくりだった。


「ここは神と修羅の住まう国」

「なればこその神羅。なればこそのシラ」


 池と水路を通じ、桜の花びらが流れてくる。風にも乗り、あちこちに美しさの恩恵を撒き散らす。散るからこそ、人はその花に永遠の美しさを見出した。


「我々は、いつだって出来る精一杯に手を伸ばしてきたな」

「その上で迎える明日ならば、悔いる理由がどこにあろう」


 奇跡により生き延びた白の命は、尋常ではない死と嘆きで繋いだ。奇跡は人の範疇になし。奇跡の是非にかかわらず、刻む歴史に相違なし。


「その結果を、人は歴史と呼ぶのならば」

「各々、気負わずいつもの通り生きよう」


 自然と災害、神々の加護と気紛れ。白はいつだって、そうやって日々を紡いできた国だ。そんな国で生を受け、傷を受け、幸を育みながら生きてきた人々は、皆一様に姿勢を正し、深く頭を下げた。


「御意」


 ずらりと並ぶ人々の頭上を、散ったばかりの美が柔らかく舞った。








 その後の閣議は、長く続いた。それとなく用意はしてあっても、本格的に戦に入るとなると段違いでやるべき事は増える。そこに鬼の説得が加わるのだ。皆にはここからしばらくの間、規則的とはとてもではないが呼べない生活を送ってもらうことになる。


「シャラ、ソウジュ!」


 昨日よりも長くかかった閣議が終わった後、私達はヒサメを私室へと呼びつけた。しかし、私室へ辿り着く前に廊下で呼び止められてしまった。振り向けば、般若もかくやと言わんばかりの形相で鬼が立っていた。

 あれ、おかしいな。鬼はこれから説得に行くはずなのに、既に家に鬼がいる。誰ぞ豆を持てー! 二人で豆を探す。しかし節分は終わりあられが闊歩する季節。豆の気配はない。


「叔父上、とりあえず部屋へ」

「喉渇いたし、お腹空いたので。叔父上も一緒に食べましょう」


 鬼が口を開く前にと早々に言いくるめ、二人でヒサメの背後に回る。そのままぐいぐいと背中を押して前へと進む。進んでほっとした。ヒサメが本気で歩行を拒否したら、二人で体当たりしてもびくともしなくなるのだ。流石隊長と言うべきか、ヒサメがおかしいのか。

 部屋に戻れば既に食事は用意されていた。けれどとりあえず装飾を外さないと動きづらいといったらない。隣の部屋で女官に手伝ってもらい、楽な格好へと着替えた。


「じゃあ、食べましょうか。今日も一日、お疲れ様でした」

「いただきまーす」

 ソウジュと甘酒で乾杯する。ヒサメには普通の酒を勧めたけれど断られた。断った口が閉じられず、そのまま息を吸い込んでいく。食事を開始して十五秒、火蓋は切って落とされた。


「どういうつもりだ!」

「怒ると思ったー!」


 二人揃って悲鳴を上げる。


「当たり前だ! 大体お前達は昔から二人揃うと突拍子もないことを言い出すんだ! 庭の池の鯉を維持する金額が勿体ないから、中に細工の鯉を入れて本物は全部食うとかな! あと少し気づくのが遅かったら、庭の鯉は全滅だったぞ!」

「幾つの時の話をしているのですか!」

「二年と三ヶ月前だ!」

「これは意外!」

「とても近い!」


 耳を塞いでぎゃあぎゃあ騒ぐ私達に、ヒサメは片手で顔面を覆って項垂れた。頭が痛いようだ。分かる。私達も最近の騒動で頭痛い。

 胡座をかいた膝に肘をつき、唸るヒサメを見ながら夕餉を取る。筍は好きだが、同じく春の旬である蕗の薹は苦いのであまり得意ではない。でも、蕗の薹も筍も、食べられる時期はあっという間だ。何せすぐに大きくなって食べられたものではなくなってしまう。


「叔父上ー、早く食べないと寝る時間なくなりますよ」

「そうですよー。あ、そうだ叔父上。申し訳ないんですが、黒羅から一名護衛にお借りして宜しいですか?」


 蕗の薹の苦さに、いーっとなりながら告げれば、唸っていた頭ががばりと起き上がった。おきあがりこぼしみたいだ。隣を見れば、ソウジュもいーっとなっていた。苦いよね、これ。


「どういうつもりだ」

「鬼を説得できなかった場合、戦闘になったら困るからです。貴重な戦力を国内で減らすわけには参りません。里へは一人で入りますので、護衛は外で待っていてください。約束の刻限までに出てこなければ交渉は決裂したと判断し、その旨を報告しに戻ってください」

「大丈夫です。交渉が決裂しても、ザーバットが攻めてくればやがて奴らも鬼の里へと辿り着くでしょう。その時は戦いますよ、幾ら鬼でも……いや、鬼だからこそ」


 鬼は壊すことに長けている。岩をも砕く拳、鉄をも引き裂く爪、その咆哮は熊をも脅えさせ、その首を噛み砕くことも容易だ。気は荒く好戦的で、短く直情的。鬼についての情報はそんなところだ。実際に幾人もの鬼と対峙してきたヒサメからの情報である。鬼全般がこの手の類いなのか、それとも鬼の里から出てくる者だけがこういう類いなのかは分かっていない。鬼についての文献は酷く少ないのだ。


「だから、もしもがあったら嫌なので、護衛は道中の為だけについてもらいます」

「この一名はとんだ貧乏くじになりますので、特別手当出してあげてくださいね」


 ヒサメは、まだ蕗の薹を食べてもいないのに、酷く苦い物を噛み砕いた顔をした。


「叔父上、ごめん。私達にはこれくらいしか思いつかなかった」

「反対案が出なかったのならば、他の皆にも思いつかなかった」

「まだ子ども作ってないのは申し訳ないけど、まあそれはそれ」

「叔父上、ごめん。僕達はもう一人でも王をやれるから大丈夫」


 ぐっと唇を噛みしめ、ヒサメは再び俯いてしまう。


「俺は、そんなことをさせる為にお前達を育てたわけじゃないし、二人で王にしたわけじゃない……」


 私達の為に傷ついてくれる大人がいる。それがどれだけ得難く優しい傲慢か、私達は知っていた。誰より私達を叱った人。誰より私達を抱き上げた人。誰より私達を抱いて眠った人。誰より私達の頭を引っぱたいた人。誰より私達の涙を拭った人。私達の兄で父で母で、家族だった人。おかげで、王の重責に潰されず、見ての通りそれなりに自由に楽しく生きてこられた。

 それらは全て、王としてしか生きる道を持たない私達に、人として生きる時間を与えてくれた人達のおかげだ。


「大丈夫ですよ、死なないかもしれませんし! 私達の運が良ければ!」

「そこは僕達の腕の見せ所ですよ! 何にも作戦思いつきませんけど!」


 顔を上げないヒサメに元気を出してもらいたくて、必死に励ます。大変残念ながら、私達姉弟は誰かを励ますという行為に不慣れな上に、あまり向いていないことがいま分かった。喋れば喋るほどヒサメは項垂れていくし、何だか掌に収めている場所が目尻から額に移動している。痛むのは目の奥ではなく頭のようだ。

 しかし、突如頭を上げた。


「待て、さっきから私達だの僕達だの、お前達はどちらが鬼の里へ行くつもりなんだ?」

「え?」


 思ってもみなかったことを問われ、私とソウジュは顔を見合わせた。私がソウジュでソウジュが私。そうやって生きてきた私達は互いの境界が曖昧だと自覚していたが、こんな弊害があったとは。


「全く話し合っていませんでした」

「えーとそれじゃ、あれでいこう」


 二人で向き合い、片腕を上げる。


「さーいしょーはぐー!」

「じゃーんけーんぽん!」

「あーいこーでしょ!」

「あーいこーでしょ!」


 そこから延々続くあいこ合戦中、いつの間にか夕餉を食べ終えていたヒサメは「育て方を間違えた」と肩を落としていた。







 あいこ合戦を制したのは私だった。勝利のぐーを高々と掲げた私に、敗北のちょきごと床に沈んだソウジュは「宮詰め決定……」と床に沈んだ。ヒサメは勝者が行くのかと項垂れてしまった。ソウジュと首を傾げる。そういえばどっちが行くのか決めていなかった。だけど、私もソウジュと同じく勝者がいけると思い込んでいた。じゃんけん勝ったら嬉しいし。



 時間がないこともあり、出立は翌日になった。させたとも言う。護衛の兵士には本当に申し訳ないと思うが、これも仕事と割り切ってほしい。鬼の里までは特殊な道を使っても、往復だけで四日はみている。説得を合わせても出来れば三週間以内には帰ってきたいが、さてどうなることやら。


 そんなことを考えていればすぐに時間になった。そろそろヒサメが護衛の人間を連れて現れる。格好がおかしくないか最終確認のためソウジュの前でくるりと回り、半分回ったところでぴたりと止まった。

 庭を挟んだ反対側の廊下をヒサメが歩いてくる。その後ろを歩いている黒尽くめの男に、何故だろう、見覚えがあった。


「あ――!」


 ソウジュに背を向けたまま絶叫する。私の叫び声に合わせて視線がこちらを向いた。舞い散る桜の隙間からだろうが、真っ正面から見て間違えるはずがない。それどころか、あの日と同じ状況で確信を深めるばかりである。彼は間違いなく、前門の死体作成者!

 賊共に襲われたところを助けてくれたことには大変感謝しているが、明らかに大事にしたくなさそうな気配を醸し出していた私の都合を一切合切無視し、容赦なく笛を吹いた男!


「シャラ?」


 ひょいっと覗き込んでくるソウジュの瞳に、大変情けない顔の私が映っている。何てことだ。どんな護衛であろうと、叔父上以外ならそれなりに私の言が優先されると高をくくっていたが、この男はあの時、私の意思をきっぱりすっぱり無視することに躊躇いがなかった。つまり、これと二人旅になると私は大変窮屈な思いをすることが確定である。

 しかも、まだ十代後半にしか見えないのに、急遽必要となった仕事に叔父上自ら抜擢するほどの実力を持つ男。まずい、断る理由がない。


 絶叫後は言葉をなくしている私の前に、歩みを一切乱さず進み続けた二人の黒羅が立つ。ヒサメはいつもの真っ黒な隊服だが、一段階頭の位置が低い後ろの彼はよく見れば隊服ではない。だが真っ黒である。遠目だと隊服を着ていると見間違えてしまった。

 道中はお忍びなのだから目立つ格好では困る、そんな機転も利かない相手では困るとそれを理由に護衛変更を申し出ようとしたのに、この手は使えないらしい。この男、先日も全身真っ黒な私服を着ていた。

 さては好きなのか。黒が。人の趣味にとやかく口出すつもりはないが、いい趣味だ。好感が持てる。いいよね黒。好きだよ。白の王としても個人としても。



「姉王、本日も大変麗しいご尊顔で」

「世辞はいい、ヒサメ。して、そやつが我の護衛か?」

「は、黒羅の中でも飛び抜けて腕の立つ男でございます故、必ずやお役に立つと断言致します」

「ほう……其方がそこまで言うか」


 断る口実を、きっぱりすっぱりさっぱり絶ってきた。いつもの癖で扇子を開こうとして指が空振りする。そういえば持っていなかった。閣議中、というより職務中は大抵装飾として持っているから癖付いてしまったのだ。空振りした指を己の顎に当てることでそれとなく誤魔化す。

 開き直って男の姿を爪先から天辺まで眺める。先日も見た金の耳飾りは変わらず左耳に収まっているので、お気に入りなのかもしれない。

 しかし、先日も思ったが、改めて見ても美しい男だ。この表現が正しいのかは分からないが、何だか妙に色気がある。少し狐面を思わせる眼がそう思わせるのだろうか。一つ間違えば目つきが悪いとなりそうな所が、絶妙な感覚で収まっている。衣装を整え化粧を施せば、美しい女としても十分通用しそうだ。

 何故こんなにも若い身空で、一番過酷な戦闘職と呼ばれる黒羅をやっているのか不思議になる。余計なお世話なのは重々承知だが、彼ならば他に幾らでも道がありそうなものなのに。


「此度は忙しないこととなってすまなんだ」

「いえ、とんでもないことでございます」

「そう言ってもらえると助かるが、其方、心構えも出来なかったのではないか? 何せ急だったものでな」

「リトと申します。このような大役を仰せつかりましたこと光栄に存じます。必ずやお役目を全うさせて頂きます」

「ほ、ほお……其方は真面目な質らしいの。しかし……道中は忍び故、我のことを町娘のように扱ってもらわねばならぬが、そのように生真面目では気疲れさせてしまうのではないか?」

「ご安心ください。尊きその御名、この口にて紡ぐ許可を頂いております。隊長から」


 私の許可は!? 私の名前なのに私の権利がさらりと無視されている。


「安心なさいませ、姉王。通常鬼の討伐は、一体に対し最低でも黒羅三名で囲みます。しかしこの男は、五体の鬼を一人で仕留めます。桁違いの強さです。若くはありますが、鬼相手にはこの男しかいないと誰もが口を揃えて言うほどの猛者です。立派に護衛を務めあげるでしょう」


 にこりと、それは美しくヒサメが笑う。私とソウジュは反射的に居住まいを正した。この笑顔を見た者は碌な目に遭わないとまことしやかに囁かれている噂は誠であると、私達は身を以て知っているのである。


「勝手に出立を決めたんだ。俺が勝手に護衛を決めて、何が悪い」


 悪いと思うとは言い出せない雰囲気だ。ヒサメの大きな手が持ち上がり、私達の頭上に掲げられた。ひぃっと首を竦めた私達の頭を鷲掴みにした手は、そのままわしゃわしゃと掻き回す。


「生きて帰る可能性が一番高い奴を選んだ。これくらいはさせてくれ。ちゃんと帰ってこい。そうすれば、拳骨で許してやる」

「拳骨は回避できないのですか!?」

「僕もですか!?」

「当たり前だ! こっちが撤回案を出す余裕を与えなかった自覚がないとは言わせんぞ!」


 二人で一緒にさっと目を逸らす。その先で、多数の影が揺れた。それを視線で追う前に、ヒサメによって二人一緒に抱きしめられた。

 薄桃色の花びらが水路にも風にも流れていく。今年は開花が早かった。冬の明けが早いと喜んだのも束の間で、せっかく訪れた春を楽しめる期間も短い。

 一年の内、条件が整ったほんの瞬きほどの時間しか見られない光景の向こうには、ちらちら着物の影が見えている。建物の中から、廊下の隅から、あちこちからこちらを伺う気配があった。見送りは禁じてある。大臣達は勿論、それなりに親しい女官達からもだ。

 彼らが出てくれば、私達は王としての出立をしなければならない。それは、手間も時間もかかるのだ。だから彼らも見送りに来たのではない。偶然、通りすがり、美しい桜に見惚れているだけだ。どちらもそうと分かっていて、見て見ぬ振り。これが、我らが故郷白の愛すべき面倒くささである。


「王としての職務を、血筋だけではない理由でも逃がしてやることが叶わなかった俺達を、どうか許さないでくれ……お前達は、王としての資質に長けすぎた」


 そんなことを考えていたなんて知らなかった。私とソウジュは、二人でヒサメに抱きつく。


「いやだなぁ、叔父上。叔父上が結婚したって私達は厄介かけますからね」

「そうですよ、叔父上。叔父上が結婚したって僕達は面倒かけますからね」

「そうか……いや待て、お前達はいま、大変な問題発言をしなかったか?」


 ソウジュと顔を合わせて、お互い噴き出す。手を握り、額を合わせる。


「弟王、我が死んでも泣くでないぞ」

「無論だ、姉王よ」


 だけど。


「ソウジュ、私が生きていたら泣いてね!」

「勿論だよ、シャラ!」


 私達の挨拶は、この体温一つで充分だった。









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