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拾話  に





 真っ赤に染まった背を見て、一度固く目蓋を閉ざす。痛みは胸にある。ならば前面から刺されたのだ。背が染まっているのは、貫通しているから。

 黒羅がいないのは、ソウジュが弾いたのだろう。恐らく黒羅を無駄死にさせると判断するほどの相手だったのだ。



 叔父上、怒っているだろうなとふっと笑う。

 ゆっくりと開いた瞳で周囲を見つめる。奥の寝所側に、誰かがいる。立てた膝に肘を置き、大皿に酒を入れて飲んでいた。

 御簾が半分下りていて顔は見えない。けれど長身の男だと分かる。その隣には酒を飲んでいる男よりは細身の男がいた。何やら興奮した様子で両手を振り回して何事かを言い募っている。

 お前が使っているのは母の嫁入り道具だと、酒を飲むのに使っているのは神事に神への捧げ物を盛る器だと、言ってやれたらどれだけいいか。




「ソウジュ」


 昔、約束したね。母上が死んだ時、かぶった布団の中で、二人で約束したね。

 もし互いが死んでも、悲しまないでいようと。


『君がいないのはちっとも辛くないけれど』

『君がいないのは、ちょっとだけ淋しいね』


 そうあろうと、約束したね。

 互いの死は白の損失であって、互いを揺るがせる傷にしないと、誓ったね。だってもう、王は私達しかいないのだから。

 だけどそれは、簡単に互いを諦める約束ではなかったね。



 髪が不自然に波打ち、風を起こす。けれど水面は揺れない。

 胸が痛い。頭が割れそうだ。肉体的な痛みを、私がまだ感じている。ならば、ソウジュはまだ途絶えていない。

 まだ、人の領域にいる。


 水面を揺らさぬよう両手を沈め、瞬き一つせず見つめる。さっき切り裂いた掌から血が溢れ出し、明確な意思を持って動き出す。目の奥が熱を持ち、不自然に強張る。血管が切れそうだなと冷静な部分が考えると同時に、目の奥から溢れ出した液体が頬を伝い落ちていく。水面に映っている私は、ソウジュを染め上げたものと同じ色の滴を瞳から溢れさせている。一度ゆっくりと目蓋を閉ざせば、何滴もの赤が落ちていく。手ではなく意識で探る。辿るものは私達の血だ。血を辿り、魂をたぐり寄せる。


「ソウジュ、手を、離さないでね。私はここにいるから、ちゃんと握っていて」

 目一杯広げた手と視界で、私は私を掴んだ。水面の奥で、人の寝所で勝手に酒盛りをしている二人が弾かれたように動いたのが分かる。だが、遅い。すぅっと息を吸い、都中に響かせる。

「白を嘗めるな、無礼者!」


 今代の王は二王だ。

 一人が欠けない以上、二王が完成形となる。単純に二倍となるのではない。正しい形として収まる、その意味を思い知れ。


 ソウジュの身体を媒介に光が広がる。都中を光が覆い、黒い鳥達が光の外へと追いやられていく。地表から立ち上る光に逃げ場を失った黒い鳥達は次から次へと穴の中へ逃げ込む。流石に人の兵士はそのままだが、得体の知れぬ魔性を相手取らずに済むのならばまだ何とかなる。



 白が白としてある為に、どれだけの人間が血反吐を吐きながら走り続けていると思っているのだ。

 それだけの価値があるかどうかも本当の意味では分からず、ただ繋げたいという願いのみで。


 それを人は愛と呼ぶ。愛国と、呼ぶのだ。


 生を受けた地を、命を育んだ地を、生を繋ぐ地を歴史を文化をそれらが続く当たり前の明日を、愛して何が悪いのだ。それを他者から責められる謂れも、嘲笑われる謂れもない。

 まして奪われる理由など、他者から押しつけられて飲み込めるはずもない。



 光に煽られ、御簾が弾け飛ぶ。小柄な方の男は大皿で酒を飲んでいた男の腰にしがみつき、今にも吹き飛ばされてしまいそうだ。けれど、長身の男と確かに目が合った。真っ赤な瞳で真っ直ぐに私を見て、口角を吊り上げていく。

 更に篭めた力で堪えきれなくなったのか、二人の男が宮から離脱する。あれはきっと人ではないのだろう。

 宮に他の人型がいないことでそう思った私の視界に、突如白い手が割り込んだ。

 黒い爪で、それが誰のものか分かった。元より、この場で命令も無く私を守ってくれる存在など一人しかいない。


 水面を突き破った何かを受け止めた手が筋を浮かせる。皮膚が焼ける臭いと異様な色をした煙が視界を曇らせた。


「リト!」

「平気、あんたはそっちに集中して。絶対に弟王を死なせるな。弟王はあんたの命綱だ」


 言われなくても分かっている。ソウジュは私の命綱であり、私はソウジュの命綱だ。人が一人では死んでいるような傷でも、私達にはまだ互いがいる。片方の生が繋がっていればそちらに引き寄せられる。

 膨れ上がる光の塊に押され、侵略者達は空に空いた穴へと戻っていく。意識を集中させ、その姿を追う。小さな姿でしか捉えれず、向こうは動きもあるのではっきりとは見えない。けれど、大皿で酒を飲んでいた長身の男がこちらをじっと見ているように思えた。まっすぐに私を捉え、笑ったようにも。

 そのまま力を叩きつけ、異形達を押し込んだ穴の口を無理やり焼き付ける。光に晒された穴は、徐々に小さくなっていく。完全に穴が口を閉じるまで焼き付け、ふっと息を吐いた。

 空は歪に焼き付けられた跡が残っているが、すぐにはこじ開けられないだろう。



「リト、あれが何か知ってる?」

「ああ、だが説明は後だって言ってるだろ。集中!」


 それこそ平気というものだ。私達が、そうと分かっていて掴んだ互いの手を離すはずがないのだから。

 誰もいない宮を私の力で清め神域として保ちながら、その中心をソウジュと定める。私の権限でソウジュを命の流れから隔離した。神具に近しい立場へと押し上げ、彼がこの世に留まる為の権利全てが私の管轄内に収まる。

 彼の生命に至るまでの全てが私の範疇だ。私が許可を出さない限り、彼は自分の意思では指一つ動かすことは出来ず、誰も彼と関わることは許されない。私が許可を出すか、私が死ぬか。そのどちらかが起こらないとソウジュは人として目覚めることは出来なくなった。

 同時に、死ぬこともない。




 ふっと身体の力を抜き、尻餅をつく。水面は既に星空しか映してはおらず、闇を溶け込ませた水面に波紋が浮かび、鏡を沈ませている。鏡を引き上げた瞬間、頭がふわりと揺れた。力を使いすぎたかと思ったが、濃厚に立ち上る酒精に苦笑する。神水と定めても酒は酒だ。どうやら匂いに酔ったらしい。

 後ろにいるリトにそのままもたれかかる。がくんと抜けた身体の動きに巻き込まれた髪が波打ち視界を塞ぐ。

 背後からは珍しく慌てた声がした。人が感情を発して紡ぐ音はいいなと思いつつ、仰向けに揃えた指先を前後に揺らす。


「傷、見せて」

「傷なんてないよ、ほら」


 後ろから回ってきた掌には、確かに傷一つない肌が広がっている。あの時確かに肌が焼けた音を聞き、この目と鼻でも知った。それなのに、白い肌にはそんな無残な痕は残っていない。


「そう、痛くないなら、いいよ……スオウ、一時間休憩したらここを出る。必要なものがあればその間に用意しておけ。ここから都まで、鬼の足でどれくらいかかる?」

「二日ってとこだな。なあ、白王。白の奴には手を出すなっつーことだが、あいつらなら好き放題殺っていいんだよな?」

「勿論。好きに殺せばいい。欲しい物があればあいつらから奪え。白に来ている連中から奪う分には口をださん」


 軽快な口笛があちこちから聞こえてくる。意外と実入りがいいかもなこの話なんて声まで聞こえてくる始末だ。この連中に学をつける者は本当に一人もいなかったらしい。彼らがどういう生を辿ってきたかなんて興味はないが、教育って大事だなと改めて思い直す。


「以上だ、散れ。酒を持っていかせるつもりはないから、出発までここは出入り禁止だ」


 本日最大限の抗議が来た。無理やり命を懸けて戦わせられることではなく、酒の持ち出し禁止についてである。この檻から出すことを躊躇う最大の不安を、私もまさかこんなことで感じるとは思わなかった。

 別の意味で頭が痛くなってくる。ほら見ろ、いまお前達に憑いてた死霊が三体くらい離れたぞ。引いている。怨霊が「えぇー……」という顔をして消えた。悲しい。



 それ以上視線を向けず話を終わらせ、ぐるぐる回る思考を宥める。鬼達が散ってから、息を吐く。ついでに鏡へも吹きかけた。


「リト、水を。後、一旦ここを出る。そろそろ、日が変わるから。流石に、ここで一つ年を取るつもりは、ないから」

「あんたどうした? 力の使いすぎか?」

「それも、あるけど……ちょっと、匂いに酔った……だから、水……」

「あははは、成程! いつもは甘酒だもんなぁ。いいよ、了解。抱えていってあげる」


 その前にと耳打ちすれば、リトは一つ頷いて酒の泉の中に潜っていく。その手にはさっき取ってきたばかりの神具がある。所有者を書き換えた以上、持ち運ばなくてもいいので置いていく。これがなければこの地が檻として機能しないのだ。

 あれは鏡なので酒の中に沈めば分からなくなるし、溶け込むよう術もかけて置いた。

 少し経ち、戻ってきたリトは岸へ上がると同時に術で水分を飛ばし、ひょいっと簡単に私を抱き上げた。その力に叔父上を思い出す。父上も、生きていたらこうして抱いてくれたのだろうかと、思う。母上も昔はこうして抱き上げてくれたけれど、すぐによーいしょと気合いが必要になったらしい。


 嘗てこうして抱き上げられた。だけどそのどれとも違う腕は、居心地も違う。くすぐったくて気恥ずかしいのにとても落ち着く。このまま眠ってしまいたいほどに。

 分かったよ、マリア。だから、もうそろそろ勘弁して。恋をしてもいないのに恋を喪わせ、その痛みだけを与えた詫びとばかりに恋の幸せまでお裾分けしてくれないでいいんだよ。

 救いたいんだね。この人を、助けたいんだね。私を貴女の恋で地獄に叩き落としても、どうしたって、救いたいんだね。

 分かってた。けれど何だか癪じゃないか。だから後で後でと後回し。それすら、マリアは許してくれないらしい。

 

 こんな状況下で信を置く場所を間違えれば致命的だ。そうと分かっているが、私は多分、マリアの気持ちがなくてもこの人を好ましく感じたとは思うのだ。するつもりもなかった恋に届くかは知らないが、愉快で好ましく思う。街へのお忍びに伴うお供として真っ先に彼を選んでしまうくらいには。


 だから、賭けに出ようと思う。困ったくらい全く恐ろしさも疑念も持てない、この人間かどうかも分からない怪しさ全開の存在に私を傾ける、馬鹿馬鹿しい賭けに。

 王ではなくシャラとしての心を、賭ける。勝手に一人でするくせに被害はそれなりに甚大な、馬鹿げた賭けだ。

 それでも、この件を解決しないことにはどうにもならない。白王としてそれなりにやってきた自負はあるけれど、初めてな上になり損ないの恋を抱えて前代未聞の侵略者を追い返す自信はない。私の為にも白の為にも、早く解決すべきだ。そのほうが白の傷は浅く済む。

 この気持ちが誰の物か考える時間も、大事に温める時間も。

 諦める時間すら、私にはないのだから。








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