壱話 ―
今日も世界中で大国同士が鎬を削り、小国はどの国へ小判鮫すれば安全かと血走った目で情報をかき集めている。地図から村が名を消し、時に国が名を変え、領土の色合いが変わりと日々は忙しない。
だが、それらはすべて大陸での話だ。
ここ白国は平和で穏やかな国である。何故なら島国なのだ。周り中を海に囲まれ、大陸からは距離がある。途中の海域は荒れやすく、鮫も多い。島の周りは浅瀬が囲み、そうではない場所は岩が多く座礁しやすく、慣れた人間ではないと上陸が難しかった。大陸の強国達が保有する自慢の海軍は大船が多く、白へ攻め入るには向いていない。
まさに天然の要塞だ。勿論、小島が多いが故にならず者が住み着き、海賊被害には頭を悩ませているが。
戦火は遠く、四季の移り変わりがはっきりとした美しい景色に、それらの恩恵を受けた実り豊かな食物。白は平和だった。悩みは山賊と海賊、そして少々特殊なものもあったが、それらはあくまで自治の類いで。戦争と名をつけるほどの争い事とは長く無縁であった。
十五年前までは。
今日も桜が美しい。風にも雨にも散るほど儚いくせに、瞬きのような一瞬だけ現るくせに、世界を薄桃色に染め抜き、また一年も焦がれさせる魔性の花だ。
そんな美しい桜の花びらを私はうっとりと見上げている、はずだった。
だというのに、どうして私はそんな美しい光景を見もせず、桜の海に座り込んでいるのだろう。
今年の桜はやけに色が濃い。空を埋め尽くす桜は例年通り儚く美しい薄桃色なのに、地上に落ちた花びらは紅の八塩に染まっている。
呆然と地面に下ろしていた視界の中に、黒い靴先が紛れ込む。紅に染まった桜を躊躇いもせず踏みつけた靴の持ち主を、ゆっくりと見上げる。
そこにいたのは一人の男だった。まだ二十歳には届かぬであろう、少年と青年の境目にいる男だ。一つに縛った黒髪と赤い瞳。黒が多いこの国では少し珍しい瞳の色である。勿論全くいないわけではないから、気になるほどでもなかった。
何となく狐面を思い出す目をしているなと思うが、今はそれどころではない。
男は、黒い片刃の刀についた悪漢共の血を拭い、鞘に仕舞っている。この刀で、人を拐かそうとしていた男達五人を瞬く間に斬り殺した。彼の足下で桜を紅に染めている五人の男達は皆、擦り切れた服を着ている。垢で汚れ、日焼けした肌。離島に住みついている海賊達だ。何度討伐しても沸いて出てくる連中で、漁師や海辺の者を襲う。山賊は白の者が多いが、海賊は他国から流れ着いた者が多く、白にとっては山賊以上に頭を悩ませる存在だった。最近大人しいと聞いていたのに、まさかこんな町近くに潜り込んでいるとは思わなかった。
しかし、今は死体となった男達のことを考えている暇はない。男達を死体とした、一般には流通していないその武器を見て、あ、まずいと悟る。
「そのような格好をして、お一人で、何をなさっておいでか」
淡々とした抑揚のない、けれどはっきりとした声で責められた。問いではない。責めだ。
男が持っている刀は、黒鋼で打たれた物だ。黒鋼とは、ここ白でのみ採取が可能な鉱物である。鉄より固く、採取と加工に特殊な技術が必要とされるも生半可な剣であれば簡単に叩き切ってしまう硬度を有している。特に白が得意とする片刃の刀は黒鋼との相性が最高にいいのだ。
しかし黒鋼は大変稀少で、一般にはとてもではないが流通させられない。その黒い刀を持っているということは、この男は黒羅隊の一員であろう。
頭部から足下まで、刀から矢先まで、全てを黒鋼で揃えた黒羅隊は、白最強の戦力である。白の、そして王家の守護者でもあった。黒羅は王家直属の兵士だ。それならば、私の顔を知っていても不思議ではない。
しかし今は隊服を着ていないことから勤務中ではないと察する。だが、そんなことは私も同じだ。大陸では身体に沿った服が多く、釦や金具で留める意匠が多いが、ここ白では羽織を帯で止めている裾の広い服が一般的である。そんな中でも、裾が狭く身体に沿った服も重宝されていた。特に身体を動かす者が好んできていた物が一般でも広まり、今ではこれらも一般的と喚ばれる服装になった。帯で留めることに代わりはないが、着替えも早く手軽なのだ。
そういった服の上に着物を羽織り、帯で留める姿が最近の若者内では粋だとされている。私もその一人で、こっそり揃えたそれらの服と、前に立つ男の意匠が似ており、理不尽と知りつつちょっとだけ不満だ。
男は非番なのだろうに全身黒の服を着ていた。左耳にだけついた金色の控えめな耳飾りが目立つほどだ。
「何のことでしょう。助けてくださってありがとうございました。すぐに役所へ知らせないといけませんね」
手を差し出されないのをいいことに、さっさと立ち上がって去ろうとした。だが、目の前に回り込んだ男のせいで先へ進めない。後門の死体五つ、前門の死体作成者。こんな詰み方ってある?
「見逃すわけがないでしょう。大人しくなさってください」
淡々と言い切ると同時に、男は懐から取り出した笛を甲高く鳴らした。途端に、あちこちからざわめきが集まってくる。
「あ――!」
私の悲鳴は笛にかき消され、空へと虚しく散った。
人の出入りが制限される場所にはそれなりの理由がある。個人の領域であるから、危険であるから、危険を入れるべきではないから。
いま私がいる場所は、人の出入りが神域の次に禁止されている区画だ。何故ならここは、王家の居住区域だからである。
樹齢三百年の大きな桜の木がある庭園を囲むように作られた渡り廊下。そこから通じる数々の部屋。高い漆喰の壁に囲まれた中は、人の手が入っているからこそ作り出せる美しさに彩られている。形が整えられた木々に、等間隔で植わる緑。種類が統一された色味に花々。この中庭に見惚れる客人は少なくない。そんな場所を、こっそり息を殺して抜け出して、まだそれほどの時間が経っていないというのに、既に連れ戻されている現状がとても悲しかった。
美しい中庭からしばし道を外れた一室、王家の居住区域でありつつも若干隣接する政を執り行う宮よりの部屋。そこで正座したまま微動だにしない私に、部屋中にいる男達の視線が突き刺さる。部屋には名だたる大臣達が顔を揃え、ただでさえ厳めしい顔を顰めていた。その大臣達より更に奥、本来ならば下りているはずの垂れが上がっている。
そこに座っているのは一人の少年だ。真っ直ぐな黒髪、金色の瞳。体付きは華奢で肌は白く透けるようである。顔つきは整っているもどこか可愛らしい。しかし、彼の造形を私はあまり褒めたくないのだ。
何故なら、私と彼の顔はうり二つ。
私達は血を分けた双子なのである。
男女でありながら、衣装を揃えて並べば誰も見分けはつかなかった。幾重にも重ねた動きづらい衣装を着た彼は、動きやすいと市井で流行っている身体に沿った意匠の上に羽織を締めている私を半眼で見つめている。
歳は十五。名はソウジュ。彼は、この白国の王だ。そして。
「いくら海賊共が大人しいからといって、この状況下で護衛を撒き、勝手に屋敷を抜け出し、拐かされかけた挙げ句、非番の黒羅に強制連行されてのご帰宅とは。この弟王に何か申し開きはあるか、姉王」
歳は十五。名はシャラ。私もまた、この白国の王だった。
十五年前、大陸の一番西に位置する大国ザーバットが宣戦布告もなく突如攻めてきた。大量の小舟を用意し、大型船では踏み込みが難しい海域も強引に数で押し込んできたのだ。
それまで、積極的ではないにしても外へと開いていた白に強引に攻め入っても周辺国を黙らせるだけの力を、ザーバットは手にしていたのである。
白は総力を挙げて抵抗した。しかし、長い歴史上変動し続ける地続きの国境線を争い続け大国となったザーバットの攻勢に、戦慣れしていない白の防衛戦線は下がり続けた。上陸を許し、地の利があって尚多数の死傷者を出した。
我々にとっては幸運であり、そしてザーバットにとっては不運な嵐が荒れ狂わなければ、白はザーバットの属国と化していただろう。嵐は海上にいたザーバットの本船を薙ぎ倒し、沈没させるほどの威力だった。
人はこれを神風と呼んだ。
本船を多く失ったザーバット兵の戦意喪失を見逃さず、全力で押し返した白の兵により、戦は白の勝利として歴史に刻まれた。
しかし、失ったものは多かった。上陸したザーバットは、山を壊し、川を埋め、集落を焼いた。だが、自然は災害によっても損なわれるし、集落は立て直せばよい。
それより何よりも、人的被害が大きすぎた。白は当時防衛に当たった兵士の半数以上を失った。その中には、当時の王である私達の父も含まれていた。父は、私達の顔を見ることもなく逝った。
母は私達を産んだ後、産後の衰弱が収まらぬ内から政務へと就いた。王として戦後の混乱をよく収めた母は、私達が五つになったのを見届け、父の元へと逝った。最期まで私達のことを案じ続けた、厳しくも優しい人だった。父もまた穏やかな人であったと、母はよく語った。
私達は、周りの大人達に支えられながら王となった。幼い身故一人ではあまりに酷だと、史上例にない双子王として立たせてくれたのは、今ここで厳めしい顔をしている大臣達だ。生き残った己を恥じる。そんな時間すらなかった戦後の混乱を駆け抜け、母を支えてくれた人達だ。祖父母も比較的若くして亡くなった為、祖父、父、母、そして私達と四代に続いて王を支え続け国を守り続ける男達だった。
「弟王、我の此度の行いは軽率であった。謝罪する。だが皆に集まってもらったのは我の謝罪の意を示す為ではない。我を拐かそうとしておった海賊共だが、ちと妙なことを口にしておった。『多少の無茶は構わない。どうせもう白は終わりだ』と」
話しながら、真ん中の位置から半分身体をずらした弟の隣へと座る。私を向く全員の視線と向き合う。衣装は町娘の物だが、ここで私をそう扱う者は誰もいない。
「やはり、ザーバットが攻め入ってくるようだ。よって、これより閣議を執り行う。皆、長丁場を覚悟せよ」
小鉢に盛られた色とりどりの季節の幸を摘まみつつ、二つの溜息が重なった。
「シャラ、葱食べて」
「ソウジュが椎茸食べてくれるなら」
「嫌だ。僕だって椎茸苦手だよ。ほら、筍食べてあげるから」
「私だって葱苦手だよ。苦手物と旬の好物交換してもらえると思うてか」
外はもう真っ暗だ。月はとっくに昇りきり、星を押しのけ煌々と輝いている。先に湯浴みを済ませ、私達は普段より数時間遅れの夕餉を取っていた。
やるべきことは山積みだ。どう手際よく進もうも一昼夜で終わる話ではない。各地の守護役達の召集手筈を整え、伝令を飛ばすだけで手一杯だ。これ以上は今の段階ではどうしようもない。
ぼくんっと筍を噛み砕き、咀嚼する。
元より、ザーバットに潜り込ませている密偵達から不穏な情報が入ってきてはいたのだ。兵を集めているだけではなく、黒髪の人間を厳しく取り締まっていると聞いた時は、ほぼ確定だと思った。
確かに白とは違い、大陸内では明るい髪の人間が主流ではあるが、黒髪も決して珍しいものではない。それなのに僅かな密偵を炙り出す為、自国の民を嬲り殺しているのだ。尋常ではない。そんなことが罷り通る異常は、もっと異様なことが起こる前触れなのだから。
問題は、それ以降密偵達と一切の連絡が取れなくなっていることだ。元々海を挟んでいるため頻繁な連絡は難しいが、それにしても今このとき全ての連絡が絶たれたのは偶然ではないだろう。
密偵に送り込んでいる面子は、一人でも判断が可能な優秀な人材ばかりだ。こんな根こそぎな洗い出しで殺すような大雑把な策で殺させては、酷い損失だ。
己の命を最優先に考えろ。彼らを送り出す際に下した勅令を違えず動いていると信じるしかない。
こういうとき、島国は難しい。地続きであればそこまで身体的特徴に差異はなかったのかもしれないが、言っても詮無きことだ。それに、島国だからこその利点に恩恵を得ている身でこれ以上を望むのは贅沢な話である。
「あー……春はただでさえ行事が忙しいのに……」
「あー……市井で簡略化されてる儀式、宮でも簡略化したい…」
春。それは、蓄えを消費していく節制の冬を越え芽吹きと恵みの春を迎えた、喜びを祝う儀式に溢れた季節。つまり、王に休みはない。
二人いるから交互でやればいいと私達は常々思っているが、王ならば出席しなければならないのだそうだ。つまり、疲れは分散されず手間は二倍。こんなことならどちらか一人だけを王として立て、成り代わって交代していたほうが余程楽だった。
「ねえ、シャラ。どうして彼の国は、いつの時代も和平交渉に思い至らないんだろうね」
「どこよりも和平を裏切り続けたのが彼の国であるからだろうね、ソウジュ」
ザーバットは、過去幾度も同盟を裏切り続けている。同盟と称し和平を結んだ国を、時に策略で時に武力で囲い込み、やがて飲みこんでいく。そうして大きくなった国だ。
停戦の協定を結び、その報を広めた直後に相手国へ攻め入って領土を掠め取るなど日常茶飯事である。ザーバットとの契約書以上に無意味なものなどありはしない。そんな言がまことしやかに囁かれる、そんな国なのだ。白とも、多少なりと国交があった時代でさえ、宣戦布告もなしに襲いかかってきた。今回も何の前振りもないとみていいだろう。
ザーバットは、隣接するトユリフ国と長年敵対している。ザーバットとトユリフは長らく大陸の覇者争いをしているのだ。白と比べれば勿論、大陸の他の国からも追随を許さない大国である二国の争いは、大陸中を巻き込んでいた。今でこそ隣接する二つの国の間には、いくつかの国があった。しかし、それら全ては飲みこまれた。
どちらの陣営に着くか、それは大陸中の国が頭を悩ませる問題だ。特に、位置的にどちらの国からも近い位置にある国と、二国ほどではなくともそれなりの規模である国は、もう長い間板挟みになり続けている。それらの争いにかかわらずに済んでいたからこそ、白は平和だったのだ。
だがザーバットは十五年前、偶に大きな衝突がある以外は小競り合いを続けていた争いに終止符を打とうとした。その際、背後にいるどっちつかずの白が邪魔だったのだ。トユリフと全面戦争を起こした場合、ザーバットの兵力は基本的にトユリフのある西方側へ集中されるだろう。その際背後となる東側には、海を挟んで白だけがある。白は積極的に外へと出ては来ないが、いくらザーバットといえど、兵力を西方へ集中させた状態で東から白に攻め入られては甚大な被害を免れない。その程度には、白も兵力がある。海賊被害への自治もそうだが、やはりザーバットを警戒していたからだ。
そしてザーバットには、位置関係以外にも白を狙う理由がある。黒鋼だ。ザーバットは常に黒鋼とそれらに付随する技術を欲しがっていた。だから白は、大々的には国交を開かなかったのだ。
頭部から足下まで、刀から矢先まで、全てを黒鋼で揃えた黒羅隊は、白最強の戦力である。先の大戦で最も敵を屠り、死者から装備を奪い取ろうとするザーバット兵の喉笛を噛み千切ってまで白の未来を守ろうとした。
だからこそ、自然の助けがあったとは言え、十五年前に自治を守り切れた。
嵐が起こる前に上陸され壊滅的な被害を受けていては、たとえザーバットを退けられたとしても国が持たなかった。そのまま海賊に蹂躙されて荒れ果てただろう。
あれから十五年。何とか痛みが傷跡へと移行を始めた矢先にこれだ。戦禍の傷が癒えたのはザーバットも同じだったのだろう。十五年前、大きな痛手を受けたザーバットへトユリフが攻め込んでいれば話は違っていたのだろうが、トユリフは幸か不幸かそこまで好戦的な国ではなかった。ただ戦力を蓄えるに徹したトユリフと、白侵攻戦で痛手を負った傷を癒やすザーバット。十五年の沈黙を破らねば、二国の間に大きな差が生まれるとザーバットは危惧したのだろう。
だからこそ、ザーバットは動き始めた。白も、トユリフとザーバットの間に明確な差が生まれることは望んでいない。ザーバットが攻め入ってこないのは嬉しいが、だからといって二強が一強となるのもまた、ザーバット以上の脅威を生むのだ。
食事も一段落し、上げたままの簾の向こうを眺める。日のある場所でも美しいが、桜の真価は夜にこそ現れると母は言った。淡く色づいた花弁は、闇にこそ映え光る。星よりも柔らかく艶やかに地上を照らす夜桜を、母は殊の外愛していた。
蛍よりも柔らかに舞い散る桜を眺めながら、甘酒を飲む。空になった盃に、ソウジュが自分のついでに注いでくれる。きびを弾けさせ、甘く色をつけた春祝いの菓子、花きびを食べながら盃をあおる。
「シャラ、それにしても今回のは危険だよ。それにいつの間に市井の服なんて用意したの。この間全部処分されたのに」
「んー? この前の春祝いの祭りでちょっと」
「えー? 抜け出す暇なんてあった? 僕は見つけられなかったんだけど」
「んふふー、ソウジュが見合い候補達にとっ捕まってた間ー」
「なっ、道理で助けてくれないと思った! 今度見合い合戦起こされても助けてやらないぞ!」
むっと口を尖らせたソウジュは、花きびが入っている器を両手で抱え持ち、まるで大徳利を飲み干すように傾けた。
「あ――!」
「ひゃまあみひょ」
全部を口に収めたソウジュは、満足げに花きびを咀嚼している。そのまま口の中の水分全部持っていかれてしまえ。私の恨みをしれっと流したソウジュは、咽せもせずぺろりと口の中を空にした。
「私も流石に今は控えるつもりだったんだけど、どうにも喚ばれてて。仕方ないからちょっとだけ顔出して帰るつもりだったんだけど……」
ソウジュはひょいっと眉を上げた。
白の王家は神の血を引いている。だからこその王なのだ。
神がかりな何かを行うことは出来ないが、神力に長けた神官達には叶わぬ程度の神力と、神子としての側面を持つ。そんな私達は、勘が光る場合があった。ちょっと気になると精々勘の範囲から抜け出せない程度だが、これが馬鹿に出来ない。更に、無視したらしっぺ返しが来ることもあった。この勘に従うことは神子の務めでもある。
だからソウジュはそれ以上何も言わず、肩を竦めた。喚ばれたのがソウジュであれば、彼が同じ事をしなければならなかったのだ。
しかし、ちょっと確認してすぐ帰ってくるつもりだった私はがっくりと項垂れた。
「まさか海賊がいるとは! しかも黒羅に見つかるとはっ! よりにもよって叔父上直属の!」
「本当だよ! 僕まで説教くらったじゃないか! とばっちりだ! 厳重に抗議する!」
母の弟は、現在黒羅の隊長を務めている。顔が凄まじく怖いのに、何故か女性から多大な人気を得ている。大変不思議だったが、先日井戸端会議をしているご婦人達の会話を盗み聞きして、彼の顔を凄まじく怖いと思っているのは私とソウジュだけと判明した。昔から散々怒られ拳骨をくらっていた私達に恐怖がすり込まれているだけだった。驚愕の事実である。
「それは本当に申し訳なかったと思っている。だが反省はしていない」
「あ?」
「前回も前々回も前々々回も、そっちのとばっちりで怒られたからな!」
「それは本当に申し訳なかったと思っている。だが反省はしていない」
「あ?」
何故か周囲からはいつも『どっちもどっちでございますよ!』で締められる姉弟喧嘩を開幕させ、すぐに終幕させる。お互いにぷしゅうと息を抜き、へろへろと床に倒れ込む。
「して、弟王。妙案はないか」
「して、姉王。妙案はないか」
「妙な案ならあるんだけど……」
「もうこの際それでいいよ……いや待って。前に言っていた、女装してザーバットの王を虜にするのは無しだからね? そもそもそれ、僕がする必要ないよね? ありとあらゆる意味で」
トユリフと同盟を組むつもりのないザーバットの背後唯一の国が白である限り、大陸にはない最強の高度を誇る黒鋼がある限り、戦は免れない。
私達とて何も手を拱いてきた訳ではない。十五年前の教訓を胸に、兵力の増強も海岸線沿いの防衛も固めている。だが、ザーバットが前回と同じ規模で攻めてきたとして、それを防ぎきれるかと問われれば是と答えることは出来ない。
元々国力が違いすぎるのだ。尚且つ、向こうは戦慣れてしている兵が多すぎる。常に戦争状態であり兵は疲弊していてもおかしくないのに、士気を保ち続ける効力としての側面が強すぎた。すぐに戦力として出せる兵士も常時桁違いだ。
だからこそ、いつ攻めてくるか分かりづらい。物資の流れを掴もうにも、黒髪の人間は徹底して排除している為、密偵達も苦労している。出世も仕事も髪色で阻まれる。昇進の際に髪を染めても、粉落としで確認されるほどの徹底ぶりなのだ。ザーバットで黒髪に生まれた人々が哀れでならなかった。
もし前回と同じように一度防衛が可能であったとしても、連戦はまず難しい。こちらの強みは、地の利と黒鋼、そして黒羅隊だけだ。その三点だけで、楽観的に見積もっても優に五倍の戦力差を埋められるだろうか。その五倍の兵力差も、ザーバットが前回と同じ兵力だと仮定しての話だ。前回はトユリフ側の防衛に充てていた兵力を割いてこない保証はどこにもない。こちらの総戦力と、本国に余力を持たせた兵力で、五倍の差。お手上げと投げ出したくなるも、そうはいかないのが世の常である。
更に、十五年前の敗戦はザーバットの誇りを甚く傷つけたらしい。どうやらザーバットでは、白は魔性を従える魔の国になっているらしい。それならば寧ろ白は恐ろしい国とでもしてくれればいいものの、やはりそうはいかないらしい。
白は確かに神国である。八百万の神を祀り、水の一滴にも神を見出した。だが、神を兵力に数えることは出来ない。そもそも人外の生き物を人間の理屈で縛ろうというのが間違っているのだ。人間にとっては死活問題であろうと、そんなもの彼らには関係がない。気紛れに人と関わり、気紛れに去る。そこに人間の都合は存在せず、関係もない。白の民は、そうやって人ならざりしものと関わってきた。人とは一線を画し、ほんの束の間邂逅する。それだけのことだ。
そのほんの少しの例外である血を引いていても、その認識を覆すことはない。
祀り、祈る。その行為を絶やすことはないが、二度目の奇跡を最初から当てにすることは到底出来ない。
「違う……いやそれも面白そうだと思ったのは否定しないけど」
「しろよ」
「もっと妙な案だなとは、思ってる」
「これ以上!?」
がばりと飛び起きた片割れを、床に頬をつけたまま見上げる。
「……魔の国っていうんなら、そうしてやればいいんじゃないかなって」
もごもご話す私に、怪訝そうに寄せられていた瞳が徐々に開いていく。私と同じ顔が目を見開いていく様を見つめる。そこに否の色を見つけられなかった私は、自分で言っておきながら、明日の閣議の混乱に思いを馳せた。