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淡い少女に冒険と恋愛を。  作者: 雨森蜜
6.5 (サイドストーリー)サクラ雨~ヒスイの物語 [全6話]
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第05話】-(我

〈主な登場人物〉

ヒスイ(翡翠)〉この物語の主人公

ピノ〉ヒスイの使いパートナー

少女〉主人公の次の取引相手

 視線をグラグラと揺らし何か、否、その記憶を呼び覚ましているのだろう。額にはうっすらと汗を滲ませ、徐々に顔が紅潮していく。出された紅茶にも手を着けることはなく、装飾品が付いた右手を左手でぎゅっと握りしめた。


 明らかに動揺した様子。


 僕は、何も答えず暫し待つことにした。彼女と相反してゆっくりとティーカップを持ち上げると口に進める。この液体がまるで砂時計のように時間を削り、さらさらと僕の喉を潤していく。


 突然の事だったのだろう。彼女にとってこの僅かな時間で決めさせるのは酷な事をさせてしまっているのかもしれない。


 きっとこれが本来の記憶を失う者の姿なのだ。


 記憶は単体では存在しない。幾重もの記憶同士の糸に繋がったなかの一つ。その一つを取り去るとそれに絡みついた他の糸の記憶の断片は強制的に剥がされる。そこに忘れたくない記憶が絡みついていたとしたら、その糸はどうなってしまうのか。


 実際のところ、記憶を取り去ってしまった後でないと分からない。関連して忘れてしまう場合ケースもある。僕は窓から見える空を眺めながらそんな事を考えているうちに紅茶も残り僅かになってしまった。


 彼女は依然下を向いたままだった。僕は──。


「(ピノ、出直そうか?)」

「(うむ。ここで急かしても……ね)」


 その時だった。


「楽になれます……か?」


 最後の言葉は小さく震えていた。僕は持っていたティーカップをテーブルに置くと、視線は空の底に置いたまま答えた。


「苦しいですか?」

「はい」


「悲しいですか?」

「はい」


 僕達は視線を合わせることなく、それぞれの視線の先で会話を交わしていく。そして僕は最後のタクトを振る。


「少なくとも、その感情から開放される事はお約束します」


 答えを確かめるため、僕の目はティーカップから少女の手へ、そして胸元、首筋、顔に到達する。その表情はさっきと変わらず、怯え、苦悩し、瞳の奥の闇まで見えそうだった。


 少女は、思いきりぎゅっとまぶたを閉じるとはずかしめるように頷いた。僕は立ち上がると自分の正面に来るように。


「では、こちらへ」


 少女も立ち上がり僕の前に立ち、胸に両手を当てまた瞳を閉じた。僕はティアナの時と同じように。彼女の額に手を当てまじないの言葉を唱えようとしたまさにその時だった。


「え……?」


 僕の手首が少女の額から離れていく。それは少女が自らの手で中断させようとしてきたのだ。ぎゅっと握りしめられた手首からは、熱が伝わり、心做しか熱く感じた。非力な女性の腕力など、簡単に振り払えるけれど、さっきまでの少女とは思えない程の力強さ、強い意志が僕を静止させる。


「やっぱり……私は」


 僕は我に返ると突然の事で驚いてしまい、一歩下がるとあろうことか自分のローブに足元を取られそのまま仰向きのまま、彼女をひきつれたまま地に落ちていく。



 ドシンッ──。



「いててて……」


 すぐに伝わってきたのは僕の胸のあたりに柔らかい何かの感触。そして顔には少女の銀髪がかかり甘い香りがくすぐる。すると彼女は少し起き上がるとローブから頭がすっぽり外れた僕の眼前にその顔が迫ってきた。


 マズい。顔を見られてしまった。


 それにしても……女性の白い肌、艶のある唇。僕の心臓がやたらと騒ぎだす。僕の身体は、というか、身体も心も思考が止まり硬直した状態。そんななかで少女の唇と僕の唇が同じ位置に来た時その方向は耳元に向かっていった。


 そして吐息と共に小さな声が呟く。


「私はこの記憶と共に生きていきます。今回の事も心がある限り私は抱えて生きていきます」


 その言葉を言い終わると、まるで身体中の全ての力を使い果たしたように僕にその重みを預けてきた。そして頬と頬が擦れあう。僕は……自然と両手が彼女の背中を引き寄せようとしていた。そこへ僕を正気へと戻してくれる存在の声がした。


「(つ、潰れる……僕、このままじゃ、クッキーになっちゃう……よ)」


 胸元のポケットの中に潜んでいた使い魔(パートナー)のピノの悲痛な声が僕を呼び覚ます。少女の全体重が僕のパートナーをジャストポジションでスクラップしようとしていた。


 僕は慌てて彼女ごと抱えながら上半身を起こす。そして頭から外れたローブを急いで直し顔を隠す。姿を見られてしまった。


 ふと少女の方を見ると、彼女は頬を赤く染め下を向いていた。多分僕も同じように頬を染めているんだと思う。頬が熱い。束の間、気まずい空気が流れ、最初に口を開いたのは少女からだった。慌てた様子で頭を下げてくる。


「ご、ごめんなさいっ‼」

「いえ、私の方こそ、つまずいてしまって……お怪我はありませんでしたか?」


「はい、私は大丈夫です。私、そそっかしくて」


 いや、そそっかしいのは僕の方だろう。僕は思わず下を向くと頭を掻いていた。


 そしてまた束の間、空気だけが流れると、その頃には僕も落ち着き始め改めて少女の方を向いた。窓の光を背にしていた彼女の銀髪が綺麗に透き通るように反射した。


 僕は目をみはる。彼女の纏う空気が変わった。そして少女の手元を見ていたまなこは、ゆっくりと立ち上がりはじめ、僕の視線の高さになるとピタリと止まる。


「……」


 僕は何て声を掛ければいいか分からなかった。でもこの瞳から逸らす事が出来ない。がっしりと掴まれる感覚。見惚みとれているのか、とらわれているのか、分からないこの感覚に戸惑っていると、彼女の口元が動いた。


「術を中断させてしまってごめんなさい。すごく迷いました。このまま逃げてしまいたいって」


 逃げる……?


「でも、私は自分と約束したんです。忘れてはいけないって。苦しいです、悲しいです、やるせない、時を戻してしまいたい。だけど」


 僕は記憶屋だ。苦しんでいる人の記憶を預かる。これも立派な役目であり仕事だと自負している。


「だけど、私の心はきっとこれを受け入れる日が来ることを信じています。……信じたい」


 目の前の銀髪の少女はきっぱりと。僕のローブで隠れた瞳に向かって答えた。さっきまで怯えるように座っていた彼女の姿はもうどこにも無かった。


 心……。


 まるで僕に心が無いように平然と吐き捨てるなあ。僕だって心はあるよ。だからこそ、彼女の言葉が心を突き刺していった。


 とげが突き刺さったままの心を持つことは容易ではない。だから僕たちのような者が存在する。今の僕達は対極に位置する存在。彼女の選択した道、その心の強さにもろさと美しさを覚える。


 これを職業病と呼ぶのだろうか。いつか、この心を、記憶を手にしてみたいと思っていた。


 決めた──。


(続く)

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