第10話】-(君の為に
〈主な登場人物〉
紬/イトア・女性〉この物語の主人公
ギルメン〉ユラ、カナタ、ラメール、フルーヴ
夢の呪術を扱える少女〉サキブ
(紬/イトア視点)
私とカナタは顔を見合わせ詠唱を始める。
──『境界寸裂』
私達はトゥエルを囲むように座った。私とカナタは、トゥエルの身体に両手をあて、魔力を注ぐ。トゥエルの額の上でサキブさんの術の呪いが始まった。
その頃、ラメールの宣言通り夢食らいはラメールとフルーヴに圧倒され、フルーヴが魔法でその身体を拘束していた。夢食らいが足掻こうものなら、ラメールが攻撃を繰り出してた。
「大人しくしてろやぁああ」
夢食らいの鮮血が舞っていく。あの二人ならとどめを刺すことも出来るはず。それは、トゥエルが戻ってきて契約を結ぶ為に時間稼ぎをしているんだと分かった。
その為にもサキブさんの術を完成させなくては。私は術に集中する。かざした両手からまるで底が無いように魔力が吸い取られていく。大きな力が一気に腕を伝って流れている中、それに耐えられなくなった身体が悲鳴を上げた。
──ビキィッッ‼
「ぁああっ‼」
「紬‼ どうしたんですか‼」
カナタの声が聞こえた。右腕がじんじんと滲むように痛い。恐らく骨にヒビが入ったんだと思う。でもここで術を止める訳にはいかない。
「だ、大丈夫。多分ヒビ入った……みたい。でもこの手は離さないから。それより、私の魔力が……足りない」
そう、急速にそして大量に注がれた魔力は底をつこうとしていた。こんな時なのに、どうしよう。すると目の前にいるカナタが一瞬何か思慮する様子を見せると私の瞳を見つめてきた。
……え?
「紬……今度こそこれは不可抗力ですから」
このセリフ……どこかで? 何か嫌な予感がする。
「こんな時に、なに……言ってるの?」
するとカナタの顔がみるみる私に近づいてくる。私の予想は的中した。
「ちょっ‼ 何す──っ⁉」
防ぎようにも今両手を離すことが出来ない⁉
カナタ、何を考えてるの⁉ これは何の意味が?
そして──唇が重なる。
でも……。私は目を見開いた。
途切れかけていた私の魔力が蘇ってくる。
そういう事──⁉
カナタの唇経由から魔力が注がれている事を理解した。カナタは私よりもはるかに高い魔力を有している。その魔力を、術に使いながらも同時に私にも送り、術が途切れないようにしている。カナタも私同様、両手を離す事が出来ないわけで……。
不覚にもこのままを維持するしか……ない。皆のいる前で……。私はあまりの恥ずかしさに瞼をぎゅっと瞑った。そこへ、サキブさんが私を案ずる言葉をかけてくれた。
「お二人ともあと少しです……イトア様、もう少しの辛抱を……」
サキブさん……早くしてぇ……。 私の心も悲鳴を上げている。
同時に私には猛烈な眩暈、そして私の中のもう一人のわたしがほくそ笑み始めた。マズイ。取り込まれそう。意識を持っていかれそうになっている。
少し目を開けるとカナタの表情も虚ろになっている。彼もまた私同様、自我を保つ事と戦ってると思う。さらには二人分の魔力をまかなっているのだからかなりの負担になっている。
こんなに頑張ってくれてるのに私だってここで負けられない。トゥエル……私は彼の顔を思い出し集中した。彼は今、どんな悪夢に侵されているのだろうか。みんな、貴方ただ一人のために。だからどうか、無事でいて。
その間にもカナタとは唇は繋がったまま。お互い意識が薄れようともその唇は離れることはない。
その時──。
「開きました‼ この空間の歪みがトゥエル様の夢の中に繋がっています。この穴が閉じる前にトゥエル様の意識をすくいあげてきて下さいませ」
カナタと唇を離す。私は床に両手をつき汗を流した。一気に疲れが押し寄せてくる。息が途切れ大きく上下に肩を揺らした。対面を見るとカナタもまた私と同じようにぜぇぜぇと息を吐いている。
私達は顔を上げると目が合った。お互い……頬を染めていた。その、あんな長時間唇を重ねていたわけで。いくらカナタといえども赤面が抑えられない様子だった。でもそんな事に浸っている場合ではない。私は赤面を堪えてカナタに声をかけた。
「時間がないっ‼ カナタ」
「はい‼ 行きましょう」
私達はトゥエルの夢に続く空間の歪に手をかざした。と同時に意識を持っていかれた。
─────
(トゥエル視点)
海の底で俺は溺れている。
もうそろそろ酸素が切れそうだ。
意識が朦朧としてきた。
「リルや……お前は本当にめんこいのぉ」
「ひっく……ひっく……また俺の顔、バカにされたぁ……」
今日も里の同い年のヤツらにバカにされ、石まで投げられた。俺は、ただ一緒に遊びたかっただけなのに。俺はばあちゃんの膝に顔を埋めた。俺の頭をばあちゃんは優しく撫でて慰めてくれる。俺は顔を上げ、ばあちゃんに尋ねた。
「なんで俺、こんな女みたいな顔なの? 俺この里のおさになるんじゃないの? なんでみんな笑うの?」
ああ、これは昔の遠い記憶……。
ばあちゃんは、俺が泣いてるというのに顔を綻ばせた。
そして俺の頬に手を当てる。
「お前の顔は母親そっくりじゃ。大きくなれば今度は父親の顔になるじゃろう」
俺にはそれがよく分からないし、今こんな地獄なのにこれが終わるとは思えない。だからばあちゃんに当たる。
「うそだっ‼ それに俺、母ちゃんも父ちゃんの顔も知らない」
そうだ、俺は気がついた時にはばあちゃんしか親は居なかった。みんな、父ちゃんや母ちゃんがいるのに。家に帰ったら当たり前にいるのに……俺にはそんな景色がない。そんな俺を見てばあちゃんは眉を下げる。
「儂がおるではないか。嫌か? 寂しいか?」
寂しいに決まってるじゃないか。俺には甘える母ちゃんも、肩車してくれる父ちゃんもいないんだ。でも……それはばあちゃんも同じ。
「ばあちゃんは、じいちゃんが死んでさびしくないの?」
ばあちゃんは、目を細めると優しく微笑んだ。俺の頭を撫でながら。
「ああ、儂にはまだリルが残っておる。なあ、リル。ばあちゃんを一人にせんでもらえるかのぉ」
俺、ばあちゃんを裏切ったんだな。
ばあちゃんを独りぼっちにしちまったんだよな。
でもばあちゃんには里の皆もいるじゃないか。
俺一人くらい居なくても寂しくないだろう?
「リルや、お前は儂の血が通っているもうただ一人の肉親なんじゃ。家族なんじゃ」
家族……?
「そうじゃ。だからリルが助けを乞う時、どんな罪を犯そうともばあちゃんだけはリルを見捨てたりせんからのぉ。心配するでない」
ばあちゃん……。
何でこんな昔の事を今頃?
そうか……死が近いのか……。
そういえば、俺、何回目だっけ?
俺の心が弱かったから逃げ出した。
責任からも、家族の愛からも、何もかも放り出して。
そうすれば自由になれると思っていたんだ。
でも……そこに待っていたのは孤独しかなかった。
そして俺が最も恐れていたこの孤独の中で俺は一人消えていくのか。
皮肉だな。本当に悪夢だ──。
ああ、そうだ。ばあちゃんに伝えたい事が出来たんだ。
そんな俺の孤独な心に入り込んできた奴がいたんだ。
初めて見た時、目の奥が俺と同じだったんだ。
だからそいつを見ていたら苛立って、遠ざけようとした。
けれどそいつは俺とは決定的に違うところがあった。
──泣き虫な癖に諦めない心
(続く)