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恋することと賢くあることは両立しない

作者: 葦乃灯子

自虐的で救いようのないハナシに墓をつくってあげた気分

一般企業のなんたるかが分かってないので、高卒とか転職とかは適当ですごめんなさい


 どうして、もっと早く出会えなかったのだろう。

 ——たった一年、たった一年の遅れが命とりになったと言ったら大げさだろうか。

 ぼくが彼女と出会った時にはもう、彼女は彼に恋していた。


 彼は高卒で就職し、一年遅れて三年勤めた会社から転職した彼女が入社。歳は彼女が七つも上で、仕事の経験値だって彼女が断然高かったが、彼女は比較的謙遜に、時には文句も漏らしながら、けれど高卒だからという理由で彼を馬鹿にすることは決してなく、先輩として敬いきれてはいなかったものの、そういう意味では対等に接してくれたのだと、彼から聞いた。

 彼女は彼のどこに惹かれたのだろう。天性の明るさや人懐っこさ。誰とでもすぐに打ち解けて、男女共に友達の多いところ。気の利いた言葉をかけるには足りない脳みそと、それを補って余りある優しい心根。人の悩みを真剣に聞いて、自分が悩んでしまう共感性。性質はどう見ても営業向きなのに、アピールポイントや言葉のチョイスを間違ってしまう庇護欲をそそるところ。倒れた父親に代わって家計を支えようと、冷遇されながらも高卒で就職した根性。同期の女の子たちがきゃあきゃあ言っているその「理由」を挙げてみれば、確かに、そのどれかが彼女の琴線に触れたのだろうことは分かる。それが、彼女の気にしている七つもの歳の差を越えてしまうほどのものだったのかどうかは、よく分からないけれども。

 分かるのは、彼女がその思いをぼく以外の誰にも気づかれないでこの二年を過ごしてきたことと、それから、彼が単なる「後輩」あるいは「同僚」として好ましく思っている以上には、彼女を意識してはいないということ。


「——ここ、いいすか。」

「……どうぞ。」


 死ぬほど混む社内食堂を避けて外の定食屋に行くと、珍しく彼女の姿がそこにあった。他にも席はあったが、彼女は断らないだろうと踏んで声をかけると、案の定だった。少し困ったように微笑む彼女が、ぼくの気持ちに気づいていることも分かっている。


「意外と強引だね。」

「まあ、勝ち目がないってことは自覚してるんで。」

「謙遜しなさんな、今年の新入社員の中じゃ、トップスリーに入る人材ってみんな言ってるよ。」

「先輩の中では、二番目くらいになりましたか。」

「……悪い子だなぁ。」

「先輩ほどじゃないすよ。」


 気づいているくせに、ぼくを拒否しないところも。気づいているくせに、優しくはしないところも。気づいているくせに——彼をあきらめてはくれないところも。

 ずるい女だ。


 明らかな嫌がらせでも、文句を言いながら受けて立ってしまう度胸とか。普段の言動は明け透けで粗野なくせに、ごはんの食べ方なんかの仕草がひとつひとつきれいなところも。こだわりがあって譲れないくせに、誰かに押しつけて注意したことをあとで反省しているところも。毒を吐いたり嫌味を言ったりするくせに、結局ミスや遅れを放っておけなくて、手を貸してあげるところも。そういうところをなんだかんだ受け入れてもらっている、憎めないところも。特別美人でないくせに、仕事に没頭している横顔がとても凛々しくて格好いいところも。一部の怠惰な社員には苦手意識を持たれているくせに、本人が思うよりもずっと男女問わない社員のほとんどから信頼が厚いところも。後輩社員に対してはどうしていいか分からなくて戸惑っているところもかわいいし、先輩社員には比較的甘え上手なところだってかわいい。辛いものや苦いものがダメで甘いものや味の薄いものが好きなところも。見た目に反して洋食より和食が好きで、洋食メインの社内食堂に耐えられなくて下町の定食屋に時々行くところも。笑いのツボが柔らかく、すぐ引き笑いするくせに、彼を見つめるまなざしがいつも切ないところも。


 ——彼女を好きになる理由なら、いくつでも挙げられるのに。

 彼女が彼と出会う前に、どうして出会えなかったのだろう。


 彼とぼくとは似ているらしい。容姿もだが、性格も似ているという。彼にもぼくにもあまり理解できないが、兄弟みたいだとよく言われる。ぼくも彼女に遅れること一年、同様に三年勤めた会社から転職してきたわけだが、入社当時、面白がった上司が彼とぼくを組ませたくらいだ。それが、彼女と出会ったきっかけでもある。


 でも、どうしてだろう。

 ぼくが彼とよく似ているのなら、どうして、ぼくではだめだったのだろう。


 ぼくなら、彼女の視線に気づいてあげられるのに。ぼくなら、彼女が気にしている歳の差だって一つしかないのに。ぼくなら、彼女のためになんだってしてあげたいと思っているのに。


 ——たった一年。

 たった一年が、命とりになったと言ったって、ちっとも大げさではない。


「……あたしだって、なんであんたじゃダメなんだろうって思ってはいるんだから。」


 そういうことを言って、ぼくを一喜一憂させるのが上手な彼女は、本当にずるくて、かわいくて、馬鹿で、かわいそうで、憎らしくて、でも憎めなくて、悔しいけどきれいだ。

 ぼくにできることは、時々こうしてひそやかに彼女の隙間に入り込んで、自分の玉砕を避けることくらいだ。直接的に彼女を奪おうとか振り向かせようとしない辺り、ぼくだってたいがいずるい男だった。


It is impossible to love and be wise.

恋をしている時に、思慮分別に従って、しっかりとしているということは、およそ不可能なことである

(フランシス・べーコン)


こう見ると、しっくりこないタイトルだったかもしれないけど後悔はしていない。

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