現在2
「ユウキくん、部活いこっ!」
女子生徒が廊下から教室を覗きこんで話しかけてきた。
声のする方へ顔を向けると、前野絵美が廊下から顔を出して教室のドアから頭を出して呼びかけていた。彼女こそがユウキの恋人である。
ユウキの席は最前列で廊下側の端の席、なので右を振り向けばすぐ側に絵美がいるのがわかった。
「絵美、早いね」
穏やかな笑みを浮かべながら答えた。
季節はあっという間に移り変わっていった。一周と少し。進藤ユウキが入学してから早いことに一年以上経過していた。
つまりそれは絵美と出会ってから同じだけの期間が過ぎ去ったことを意味しているんだな、とユウキは不意に思った。
「今日は地区大会のための作品と配役の発表があるから居ても立っても居られなくて。それで授業が終わった途端に教室を飛び出しちゃった」
今更自分のしたことに照れているのか、それともユウキの微笑みにつられているのか絵美も頬を緩ませた。
「そうだったね。すっかり忘れていたよ」
「えー、忘れてたの? やっぱり主演の余裕ってやつですかー」
そう言ってユウキの頬を突く。ちょっと痛い。
「痛いよ絵美。だいたいそんなこと言ったら絵美だってきっと主演になるでしょ?」
ユウキが少し不満げに口をすぼめて抗議する。
すると絵美も不満げな顔をして指で突くのをやめた。
「私は今回の発表では出られないよ。だって三年生だし」
「あっ、そっか……じゃあ学園祭だね」
演劇部では常に全国大会を視野に入れているため、年を跨いだ配役によって演技の質を変化させないように翌年の全国大会に出られない三年生は地区大会に出演できないきまりとなっている。
「学園祭か……そうだと思いたいけど万が一ってこともあると思うの。そう考えたら落ち着かなくて……」
絵美の表情が曇る。伏し目がちになった彼女の顔も綺麗だなとユウキは思った。瞬きで揺れる細長い睫毛はまるで不安に揺れる彼女の心そのもののようであった。それだけ彼女はユウキと共に舞台に立つことを望んでいた。
「きっと絵美なら大丈夫だよ」
「うーん」
絵美はまだ納得いっていない様子だった。
「ところで今回の作品はなんだろうね?」
不必要に絵美の不安を煽っても仕方がないので話題を変えることにした。
「えーと、前回は椿姫でしょ。これはユウキくんも知ってるよね? あとは確かその前はとりかへばや物語だったような——」
「全然違うね」
あまりの関連性のなさに苦笑した。
「つまり先生から聞くまでは何か全く予想がつかないというわけだ」
いくら頭の回転が早いユウキといえども予測が立てられないのであれば匙を投げるほかない。ユウキは長めの前髪を少し邪魔そうに掻き分けながらため息をついた。
「じゃあそろそろ部室に行こうか」
そう言いながら机の横にかけられた鞄に手を伸ばす。
すると、
「「ちょっと待った!」」
とむさ苦しい男たちの声がユウキと絵美(そして教室にいたクラスメイト全員)の耳をつんざいた。
耳の痛みからようやく解放され一息ついていると、二人の男がユウキの近くへ寄ってきていることがわかった。
彼らは阿部京介と江藤浩司である。
「授業が終わって即部活とは少々友人に対して冷たいとは思わないのかねユウキ君?」
京介は両手を広げ大げさに尋ねてくる。
一方浩司は「そーだそーだ」と京介に同調しながらボディビル風のポーズをとっている。日頃の筋力トレーニングの成果を見せたいようだ。その体格の良さは数十センチメートルも背の低いユウキたちにとってその光景はひどく迫力がある。
「別にたまに声をかけないくらい良いじゃないか。今更そんなことを気にするような間柄でもないわけだし」
ユウキが不平を漏らす。
「ノンノンノン、実に初歩的なミスをしていることに気がつかないのかねユウキ君! そんなことではこの先が思いやられるぞ」
「この先って」
「君は最愛の友人を失うことになるかもしれない」
「あっそう。ではまた明日ね浩司、あとついでに京介も」
「おうじゃあまた明日——って、ちょっと待てぇ!」
「なにさ」
ユウキはジト目で批判めいた視線を京介に投げつける。
「なにさもなにもない! 少しくらい構ってくれても良いではないか。別に特別急いでいるわけでもないのであろう?」
「まあそうだけどさ……」
「ならば良いではないか、良いではないか〜むふふ」
「なんか嫌な予感がするんだよね……」
簡単に言ってしまえば阿部京介は変人であった。
京介は入学した当初から生徒会に籍を置き活動してきた。彼の爽やかな見た目と圧倒的な手腕、そして人を惹きつけるカリスマ性で一年生でありながら活躍し、生徒から絶大な人気を得ている。そのことから時期生徒会長最有力候補とされている。
多忙でありながら文武両道を極め、一見完璧なように見える彼であったが、普段の行動の奇怪さとそこから溢れ出る狂人ぶりで常に周囲を困惑させている。
ゆえにユウキは自身が取るべき方策を『即時撤退』とした。
「なぜそうもつれないのかね、マイディア」
「いやだって、ねぇ? というかその言い方はなんか気色悪い」
「まあまあそんなことはどうでも良いではないか」
そう言いながらにじりにじり歩み寄る京介。
「今日の京介はいつもに増して気持ち悪いね」
「俺もそう思う」
浩司は腕を組み、うむと頷いた。
「そんなどっしり構えてないで助けてよ浩司!」
「いやさすがに俺も今のコイツには近づきたくない」
「そんな……」
にじり歩み寄る京介。後ずさるユウキ。やがてユウキは壁に追い詰められた。京介の眼鏡はややずり落ちていて普段の爽やかさが微塵もなくなっていた。
これで終わりか。
いったい何が終わるのか全くわからないがとにかく何かが終わる気がした。ユウキはぎゅっと目を瞑って、やがて来るべき何かを待ち構えた。
「さあこれで逃げ場はないぞ。おとなしく俺の話聞くがよい。にゅふふ……ようやくおとなしくなったか。手間をかけさせおって、グフフ……ごへぇっ!?」
瞬間、京介の横腹に鞄が打ち付けられた。
「ちょっと今日はやりすぎじゃないかなぁ京介くん? オイタは駄目よぉ?」
絵美だった。
彼女はいつの間にか京介の真後ろに立っていた。鞄を両手に持って微笑んでいるが、目が全く笑っていない。怖い。
「ま、前野君!? あははは、いやだなぁ。この俺がユウキ君にオイタなんてするわけがないではないか。ちょっと戯れあっていただけさ。そう野原を駆け回る子犬たちのように! なあユウキ君」
「子犬たちのように戯れるって、また気持ちの悪い例えを出してきたね」
「ねぇ、ちょっと、まって! ユウキ君! もうちょっとフォローしてくれないものかねぇ!? 前野君がものすごく恐ろしいのだが!!」
「え? なに? わたしが? 恐ろしい?」
微笑みを崩さず、とてつもなく恐ろしい気配を漂わせていた。普段は温和な彼女であるが、一度怒らせるとこの世を滅ぼしかねないくらいの迫力があった。
「まあまあ絵美、京介も悪気があったわけではないし。ね?」
京介が本気で怯えていたのでユウキは助けを出してあげることにした。
「まあユウキくんがそう言うなら……」
若干まだ不満気ではあるがなんとか矛を収めてくれたようだ。
「で、結局なんなのさ?」
「ふふふ、ようやく聞いてくれたな! あ、すいません前野さん怖いです。本当にゴメンなさい。真面目にやりますんで本当に勘弁してください。ご、ゴホン。つまりだな、我々は幸運にも知り合うことができ親しい関係となることができた。しかしお互いに忙しい身とはいえ未だに学校の外で一度も遊んだことがないというのは少々寂しいのではないか、そういったことを浩司と話していてね」
彼の話はユウキの想像とは異なり普通の内容であった。そして続ける。
「ならば遊ぼうではないかと提案されてな。その誘いに来たところよ」
京介の提案は普通でいて、なおかつユウキにとって魅力的なものであった。
遊びか、なるほどそれは良い。
「なんだ、京介にしては珍しくまともな提案だね。身構えて損したよ」
ユウキはふうと息を吐いて強張った身体から力を抜いた。
どうやら悪い予感は杞憂であったらしい。
「もちろんではないか。誰がユウキ君を悲しませるようなことをするか。第一、君をそんな風にしようものなら校内中の王子様ファンが俺の敵にまわることになる。そのような状況は二学期に選挙を控える俺にとって好ましいものではないからな。そもそもそのような状況などお前の恋人君が許さないであろう」
「まあ確かに」
ユウキは隣の絵美をちらりと見る。彼女は京介の話を興味深そうにうんうんと頷いて聞いていた。彼女も京介の提案には不満はなさそうだ。
「して、返事はどうだろうか」
「もちろん。ぼくも京介と浩司と遊びたい」
「おお、それは良かった」
「それでいつにする?」
ユウキは尋ねる。
「明々後日から夏休みだし来週でいいんじゃねーの?」
既に楽しみなのを隠しきれない浩司が言う。
「うむ、俺は問題ないな。お二方はいかがかな」
「えっ、わたしも行っていいの!?」
絵美が驚いた顔で返答する。
「もちろんだとも。でないと嫉妬の炎に焼かれて大変なことになるであろうからな」
「だな」
「お熱くて羨ましい限りですなー」
「ですなー」
悪友二人はニヤニヤしながらユウキと絵美に視線を向ける。
「し、嫉妬なんてしないもん!」
絵美はぷくーと頬を膨らませて抗議する。
「あはは……」
「ユウキくんも否定してよ!!」
ユウキは否定できなかった。
「とにかく、ぼくらも来週は大丈夫だと思う。ね、絵美?」
絵美は「あ、誤魔化した!」とぽかぽか背中を殴ってきたが、そのまま押し切ることにした。
「そうだね。夏休みが始まってから数日後には毎日練習や大会があるからむしろすぐの方が都合良いかも」
「あー、そういや二人とも地区大会と全国大会が近いんだっけか?」
浩司が思い出して尋ねた。
「うん、そうだよ」
「大丈夫なのか?」
「問題ないよ。地区大会の劇もだいぶ仕上がってきてるし、それに全国大会の方は言うまでもないしね?」
ユウキは不敵な笑みを浮かべながら答えると、絵美の方へと視線を向けた。
「もちろん! なんてったってわたしとユウキくんが主演を務めるんだからね! でも地区大会にも出たかったなー。むー」
絵美は唸って唇を尖がらせた。
「学園祭でも一緒にできるんだから我慢してね?」
「そうだよね、きまりだもんね……」
露骨にしょぼんとする絵美。
「隙さえあればすぐにいちゃつきおってこのリア充が」
「なら京介も作ればいいじゃんかよー。お前モテるんだし」
「確かに京介結構女子から人気だよね。まあ告白した後についてはコメントを差し控えさせてもらうけど」
「たしかに京介くん『黙っていれば』格好良いからそうすればきっと良い恋人ができると思う!」
「グハァッ。それはつまり中身が駄目ということではないか……まあ良い。きっと時が満ちれば自然と俺の伴侶となるべき女性も現れるであろう。話を戻すが、遊びに行くのは明々後日で構わんな?」
京介は周りを見て各々に異存がないことを確認する。みんな一様に頷いていた。
「よし。では日程に関しては明々後日ということで。詳しい場所については後ほど携帯で決めることにしよう。さすがにそろそろ二人も行かねばならないだろうからな」
「あっ、もうこんな時間か」
教室に掛かっている時計を見ると部活が始まる五分前であった。
「じゃあそろそろ行かないと。日時と場所については了解。また後でね」
「うむ、引き止めてすまなかったな」
「ううん。明々後日を楽しみにしてるよ」
そう言ってユウキは絵美と共に駆け足気味に部室へと向かった。




