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 演劇部の出し物『シンデレラ』は無事に終幕を迎えることができた。

 部員たちの驚いたことに絵美が集合時刻に現れたのだ。彼女は「迷惑をかけてごめんなさい。お願いします。どうかわたしに演技をさせてください」と頭を下げ、何度も何度も頼み込んだ。それを聞いた代役、麗はとても嬉しそうな顔で「うむ。来てくれると思っていたぞ、絵美。さあ皆、早く準備をしよう。今回の公演は三年生最後だ。絶対に成功させよう」と言って部員たちを送り出した。

 絵美はメイク中、顔が濡れないように気をつけなければならなかった。そして、ありがとう麗、と小さく呟いた。


 ユウキは「後夜祭で会いたい。話がある」ただそれだけで何の飾りもないメッセージを正一に送った。返事はすぐに帰ってきた。

「わかった。俺もお前に話がある」


 夕暮れに染められた校庭にはすでに多くの生徒が集まっていた。中央には大きな焚き火があって、その様子を生徒たちが眩しそうに眺めていた。炎の前で佇む恋人たちの姿もいくつも見受けられた。夕日の茜と篝火の朱が混じり合うのを眺めていると、やがて世界の境界が曖昧になってここではないどこかに誘われてしまうような気がした。もういっそ導かれてどこかへ行きたくなった。けれどユウキにはやらなければならないことがある。


「進藤」

 程なくして正一がやって来た。制服姿の彼は学校紹介のパンフレットに載っている人物の切り抜きのようだった。このこだわりのなさが彼らしいな、そうユウキは思った。

「久保木くん」

「待ってたか?」

「ううん、今来たところ」

「うわっ、冷てぇ。お前本当は随分前からここにいただろ」

 ユウキの手を自身の手で包みこんで言った。正一の手は温かかった。

「俺も待ち合わせより結構早く来たってのに。全くいつからここにいたんだか。それに今さら遠慮するような間柄でもないだろ?」

 正一は不機嫌そうな台詞を言ったが、その表情は言葉とは対象的にとても柔和だった。

 急に照れ臭く感じて押し黙っていると、周囲のざわめきが強調される気がした。やがて校庭にしっとりとした音楽がかけられた。

「そういえば絵美から聞いたよ。絵美や演劇部のみんなを説得してくれたんだってね」

「うわっ、先輩バラしたのか……黙ってくれって言ったのに」

 正一は居心地悪そうに頭を掻いていた。

「でもおかげで後悔しないで最後の学園祭を過ごせたって言ってたよ。ぼくからもありがとう」

 ユウキは頭を下げた。


「おいおい、よしてくれよ。俺がやりたくてやっただけなんだから」

 正一は照れて様々な方向に視線を落ち着きなく動かしていた。

「でもまさか京介と知り合いとは知らなかったよ」

 正一は生徒会である京介に頼み込んで演劇部の公演スゲジュールを絵美が間に合うような時間にずらしてもらっていた。

「学内の有名人は何もお前だけじゃないってことだよ」

 そう言って彼は不敵に笑った。

「ここだと少し人が多いな。場所を移さないか?」

 真面目な顔になった正一が提案する。

「そうだね、そうしよう」

 ユウキもそれに応じた。

 二人はオレンジ色で情緒的な風景に背を向けて歩き出した。


 自分たちは向き合わなければならない。

 過去に。

 現在に。

 そしてこれからに。


 ユウキと正一は野球のグラウンドにあるベンチに腰を下ろした。ここは校庭とは多少距離があるのであの眩しく賑やかな音は遠く響く。それがまるで二人だけが世界から隔離されてしまったかのような感覚を与えた。

「ここなら落ち着いて話せそうだな」

「うん」

——落ち着いて話せそう。

そう言った正一の声は緊張のせいか少しうわずっていた。ユウキもその気配を感じて途端に胸の鼓動が速くなるのがわかった。

 …………。

 再び二人の間に沈黙が訪れる。まるで目の前の人物が全く知らない人のように感じられる。少し前まではそんなことなかったというのに。

 理由はわかっている。

 相手が変わったわけではない。もちろん様々な点がしばらく会わない間に変化した。けれどその本質は変わっていなかった。あの時、自分を曝け出して語ったあの日のように。


 そう、変わったのは相手ではない。

 変わったのは自分の認識。

 いつの間にかその人は自分にとっての『特別』になっていた。

 こうしている間にもとめどなく相手に対する想いが溢れてくる。

 もう理性でがんじがらめにして無理矢理押さえつけておくことなどできない。


「ぼくはね……」

 沈黙を破ったのはユウキであった。

「ぼくは常に求められる側の人間だったんだ。相手から期待をされて、それに応える。それが嬉しかったんだ。そう、最初はね。それを繰り返しているうちにいつしかそれ以外のことができなくなっていた。相手の期待に応じても段々何も感じなくなっていった。けれど他にどうすれば良いのかもわからない。周りが自分という器の中身を彩り豊かに満たしている間も、ずっとぼくは中身のない器に『誰か』を出し入れし続けた。そうしている間にぼくの中に少しだけ残っていた『自分』というものはすっかり擦り切れてしまったんだ」


 ユウキはゆっくり丁寧に言葉を選んで語った。まるで引かれた線をその上から慎重になぞるように。


「そんなぼくにもほんの小さな欠片くらいは『本物』の自分が残されていたみたいだった。君と話しているとどうしてか次々と新しい自分が生み出されていくのがわかった。それは降り積もっていって徐々にぼくという器を満たしていった。けれどそれが同時に不安でもあった。ぼくはこれまでずっと求められる側だった。だからどうやって相手に求めたら良いのかわからない。それがたまらなく怖かったんだ。そんな時、絵美に告白された。彼女ならぼくを『求めて』くれる。それにぼくと同類の損なわれた人間を一人救うことができると思ったんだ。結局、ぼくは怖くて前に踏み出せず、このままでいることを選んだ。けれど半端者のぼくは弱いから、絵美と一緒になった後も君と会い続けたらきっと壊れてしまうと思った。だからあの時君と距離を置くことにしたんだ」


 長い長い告白だった。

 正一は目を逸らさず真剣にユウキの話を聞いていた。

「俺もな、一歩踏み出すのが怖かった。本当はあの時お前の手を掴んで引き留めたかったさ。けど、お前は本気で覚悟を決めている姿を見てそれを言い訳にしてしまったんだ。本当に情けないよな。でも今回は違う。俺は腹をくくったんだ。どんな困難があったとしても構いやしない。だから言わせてくれ。俺は——」

 正一が次の言葉を紡ごうとすると、ユウキの「待って」という声に打ち消された。

「なんだよ」

「これは先にぼくから言わせてくれないかな」

「いや、俺が先に言いたい」

 どちらもこればかりは譲れないと言わんばかりに一歩も引かなかった。

「だったらこうしよう。いっせーのーせっ、で同時に言うっていうのは」

「わかった。じゃあそうしよう」

 それから二人は深呼吸をして気持ちを整えた。

「じゃあ行くぞ」

 正一が確認する。

「うん」

 ユウキも準備が整った旨を伝える。

 それじゃあ、

「「いっせーのーせっ!!」」


「「     」」


 ——その刹那、夜空が眩い光と共に咲いた。

 二人の声は花火の音に掻き消され、やがてその音も遠くに聞こえる後夜祭の喧騒に飲み込まれていった。

 けれど大丈夫。

 ちゃんと伝わっているから。

 二つの想いは重なっていたから。

 だから花火の後の静けさも決して寂しくなんかない。


 正一はそっとユウキを抱き寄せた。ユウキもそれに応えて腕に力を込めた。

 校庭から見たグラウンドは暗く濃い影になっていてその様子を探ることはできなかった。だから誰も二人を見つけることは叶わない。その瞬間間違いなくユウキと正一は世界から隔離され、二人ぼっちになっていた。


「ずっとこうしたかった。期待していないなんて嘘だ。本当はお前にずっと期待していたんだ」

「うん、ぼくも」

「もう離さないから」

 正一を見上げるユウキはとめどなく涙を流していた。

 綺麗だな、と彼は思った。

 正一はユウキの頬にそっと手を添えた。ユウキもそれに倣った。互いを愛おしそうに撫で合った。まるで確かめ合うように。


 言葉はいらない。

 だってもう伝わっているから。しっかりと。


 ユウキと正一は唇を重ねた。二人だけの世界で。

 この瑠璃色の世界には誰もいない。月明かりだけが二人の存在を知っている。

 元の場所へ帰ってきた時、そこはきっと前と少しだけ違うものに変わっているはずだ。

 けれどそれは多分良いことだ。


 なぜなら——、


 離れていた手はついに結ばれたのだから。

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