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 ユウキは正一に()()()()

 いつも『抱く』側にあったユウキにとって先日の経験は忘れられないほどの衝撃だった。ごつごつとした手、逞しい身体、力強く頼もしい声、そして自身を貫く熱く滾ったもの、その何もかもが絵美とは違っていた。

 意識を向けると腰の辺りに鈍い疼きを感じた。まだ身体の芯の部分には彼の温かさが残っているようだ。


 あれから正一とは会っていない。


 あの翌日「昨日はありがとう」とだけメッセージを送った。正一からも「おう」という返事が来ただけだった。両者とも突然訪れた関係の変化に対応し損ねているようであった。なぜなら普通の恋人が経るべき過程を一気に飛ばしてしまったのだから。


 絵美はあの一件から部活に姿を見せなくなった。最初の数日間は何事もなく部活動が行われたが、時が経過するにつれて一人一人その異変を感じ取ったようだ。何人も絵美にメッセージを送ったが、返信を受け取った者は誰一人としていなかった。ユウキもその一人であった。幸い学校には来ていたので直接話を聞きに行ったが、彼らは口々にあれは本当に絵美なのかと言うのみであった。まるで氷のように冷たくなっていたと表現する者もいた。

 彼女の親友である麗は静観していた。ただ一度部活動で「今はそっとしてあげよう」とだけ言った。その時の視線はユウキを捉えていたので、それは自分への忠告だと思った。

 そしてついに学園祭の日が訪れた。

 絵美が部活動に来なくなってから一週間、学園祭の出し物には彼女の代役を立てることになった。今回彼女は主演ではないものの、それでも劇の中で重要な役を担当していた。突然の欠席で空いた穴を埋めるのは非常に大変であった。それでも最終的にはどうにか形にはなった。

 絵美はついに姿を現さなかった。


 公演の準備の集合まであと一時間ほど、ユウキは当てもなく校舎を彷徨っていた。各クラスや部活が出している模擬店や出し物、そして楽しそうな生徒たちの様子が視界を掠めた。ユウキにはそれらが酷く遠くの出来事のように感じられた。

 そのまましばらく辺りを彷徨いていると、

「進藤、ちょっと良いか?」

 小宮山に声をかけられた。


 小宮山についていくとそこは校舎裏だった。校舎内の活気が嘘のように人気がなかった。

「いきなり呼び出した上にこんなところでごめんね。けどなるべく誰にも話を聞かれないようにしたかったから」

「別に構いませんよ、先輩」

「そう言ってもらえるとありがたい」

 それから小宮山はしばらく何も言わずに空を眺めているようであったが、やがて決心を固めたかのようにユウキに向き直った。

「前野さんのことなんだけど」

「……はい」

「あれって僕のせいだよね?」

 普段は柔和な小宮山の表情は翳っていた。

「いえ、あくまでもきっかけというだけで崩壊は免れなかったんだと思います。きっと違いは遅いか、早いか、ただそれだけです」

「そうか、でも僕は君が何と言おうと個人的な責任を感じずにはいられない。僕に償えるなら何でもしたい」

 真摯な瞳だ。本当に良い人なんだろうな、この人は。そうユウキは思った。


「では一つだけ聞いても良いですか?」

「もちろん。君がそう望むのなら」

「あの日ぼくに告白した時、どうして返事を求めなかったんですか」

 そう、小宮山はユウキに想いを告げたが、その後返事を求めることはせず、何事もなかったかのようにそのまま去ってしまった。

「これはとても個人的なことだったからね。いわゆる禊のようなものだったんだ。だから君にぼくの想いを告げることさえできればそれで良かったんだ。もしかしたら付き合えるかもなんて全く期待していなかった。君に好きな人がいることもわかっていたしね」

 乾いた笑みでユウキの疑問に答えた。


「個人的なこと」


「そう、個人的なこと、だ。最初はこの想いを隠し通していくつもりだったんだ。けれどこのまま部活動を引退して、受験勉強をして、卒業をしていく。それでは将来絶対に後悔するだろうなって。そう考えるといてもたってもいられなくなった」

「つまり小宮山先輩がこれから後悔しないための禊であったと」

「その通りだ。こうして冷静に振り返ると、僕はなんて酷く身勝手な男なんだろう。進藤、本当に申し訳ない」

 そう言って、小宮山は頭を下げた。その様子は彼が今までに色々なものを一人で抱えていて、それでありながら他人を思いやっていたことが滲み出ていた。ユウキは穏やかに彼の肩に手を乗せた。

「先輩、顔を上げてください。あなたは何も悪くない。そしてありがとうございます。好きになってくれて」

「こちらこそありがとう、進藤」

 顔を上げた小宮山は晴れやかな顔をしていた。

「屋上へ行くんだ、進藤。きっと彼女はそこにいる」

 小宮山はそう伝えてユウキを送り出した。彼の迷いのない眼差しはユウキに僅かばかりの勇気をくれた。

 大丈夫。これなら向き合える。ありがとう先輩。


「久保木くん……」

「進藤、待っていたよ」

 屋上へと続く踊り場の前には正一がいた。全く予想外の人物の登場にユウキは驚きを隠せなかった。

「どうしてここに?」

「いや、ちょっとな。それより早く行けよ、先輩が待ってる」

 彼はそう言って扉の向こう側を指で指した。

「うん、そうする」

 ユウキは頷いた。

「がんばれよ」

「ありがとう」

 そしてユウキはドアに手をかけた。

 扉を開けると絵美がフェンスに寄りかかって気怠げに街を眺めていた。

「絵美……」

「ユウキくん……うん、来ると思ってたよ」

 寂しそうに口元を歪めてフェンスから身体を起こした。

「わたし覚悟を決めてきたよ。だからもう逃げたりしない」

「聞かせてくれるかな」

 ユウキも絵美の覚悟に居住まいを正した。


「わたしはあなたの優しさに甘えていただけなの」

「ぼくは優しくなんて……」

「ううん、ユウキくんは優しい。これだけは断言できるよ。だってずっと隣であなたのことを見てきたんだもん」

 絵美は目を閉じて、過去のことを反芻しながらそう言った。その顔は穏やかで、愛おしくて、彼女が本当に幸せだったと物語っていた。

「けれどある日わたしは気づいてしまったの。この幸せはあなたの犠牲の上に成り立っていることに。わたしが『本当』の自分でいられる代わりにあなたはわたしの理想に成りきらなければいけなかった。これってとても理不尽なことだよね」


 それに、と絵美は付け足した。


「ショッピングセンターであなたと久保木くんが話しているのを見たときわかっちゃったの。だってユウキくんすごく嬉しそうで悲しそうな顔をしていたから。そんな顔、決してわたしには見せなかったのに。その顔がどんな顔なのかわたしにはわかる。あれは心の底から誰かに恋をしてる顔。ユウキくんはとっくに『本当』のあなたを見つけていたんだね。あなたは気づいていなかったかもしれないけど。それを見たわたしはものすごくどす黒い感情に飲み込まれてしまった。それが嫌でわたしはあなたと別れる決心をしたわ。けれどうまく感情を抑えきれずにあんなやり方になってしまったの。本当にごめんなさい」

 思いの丈を全て打ち明けると、絵美はそのまましばらく嗚咽を漏らした。いつもならば抱き寄せて泣き止むまで絵美を安心させようとしていただろう。けれどもうそれはできない。してはいけない。


 しばらくして絵美は落ち着いた。目尻や鼻などがところどころ少し赤くなっていた。その姿をユウキは直視できなかった。けれど目を背けてはいけない。

 途端、絵美を纏う空気が変わった。きっと彼女は『誰か』に成り代わったのだろう。ユウキにはそれがよくわかった。

 わかってる。

 これは絵美の精一杯の強がりだ。

 そうしなければ耐えきれないのだろう。


 絵美が演じるのはアレクサンドル・ドュマ・フィス作『椿姫』のヒロイン、マルグリット・ゴーチェ。ユウキとともに主演を演じた作品だ。全国を制覇したほどの演技だ、たとえユウキであってもマルグリット本人が目の前にいるかのように錯覚させられてしまう。


「私が『恋』を知りたい。そう思った矢先にあなたが現れたの。あなたは誰かに求められることを求めていた。だから私が求めていたその人をあなたにしようと思ったの。だからね、私が好きだったのはありのままのあなたではなくて、私がこうあって欲しいと願い、それをあなたが叶えた姿なの」


 やがて『マルグリット』は姿を失い、再び『前野絵美』の形をとった。


「ユウキくん、本当のわたしを見つけさせてくれてありがとう。あなたとの時間は夢のように素敵なものだった。だけど夢は醒めるもの。わたしはそろそろ現実に戻らないとね。今度はあなたが本当の自分を見つける番。それもハッピーエンドでね。今回の物語ではどうやら王子様が二人いるみたいだけど」

 最後はいつもの絵美らしく前向きな冗談で締めくくられた。彼女の目元は赤くなっていたが、その表情はとても柔らかく、魅力的で、本当の絵美だった。


「確かにそれは絵面的にどうなんだろう……」


 だからユウキもそれに合わせる。


「あら、それはそれで良いと思うけれど。きっとそれで喜ぶ女の子も少なくないんじゃない? ううん、あなたならきっとなれるよ。彼だけのシンデレラにね」

 絵美はそう言って屋上を後にした。去りゆく彼女の後ろ姿は震えていた。けれどあくまで明るい空気で送りだそうとしてくれていた。絵美はどこまでも優しかった。そんな彼女が好きだった。とても。


 ありがとう、絵美。

 ぼくもがんばるよ。

読んでいただきありがとうございます!

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