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 ユウキは正一からもらったタオルで泥のついた身体を拭きながら歩いていた。彼は何も言わずに隣を歩いていた。黙って傘をユウキに差し出している。彼の左肩は雨に濡れて服が張り付いてしまっていた。


「そういえば君と一緒に帰るのは初めてだね」

「……そうだな」

「今思うと少しおかしいね。一緒に帰る機会なんてそれこそいくらでもあったはずなのに」

「……かもな」

 正一はそっぽを向いて短く答えた。


「ごめん、もしかして怒った?」

「怒ってない」

「でも……」

「これは違うんだ。ただ色々思い出したってだけ」

 苦い顔をしながら弁明した。

 そして二人はしばらく並んで雨に塗りつぶされた街並みを歩いた。

 一つの傘の下で連れ立って歩いて見るこの光景は、まるで別世界のようだな、とユウキは思った。

 けれどどうしてそう思ったのかその時のユウキにはわからなかった。


 嘘。


 本当はとっくに気がついている。

 電灯の光の下で小さい方の影がかすかに揺れた。




「シャワーありがとう。お陰で綺麗になったよ」

 ユウキがバスタオルで頭を拭きながら脱衣所から出てきた。

「すっきりしたか?」

 正一は問いかける。

「うん、少しは良くなったかな」

 その問いかけが、身体についた泥だけを意味したわけではないとユウキにはわかっていた。だからその気遣いがとても温かくて心地良かった。

 泥だらけになったユウキを見た正一は「とりあえずその身体をどうにかした方が良い」とユウキを自宅へ連れて帰った。普段の正一なら絶対にしないことであったが、ユウキの尋常ならざる様子を見て決心した。


「何があったのか聞いても良いのか?」

「……」

 ユウキは沈黙していた。


「別に嫌なら答えなくても良い。そして気の済むまでここにいれば良い。今のお前に必要なのは休息だからな。肉体的にも精神的にも」

 正一はいつも優しさがあった。それがユウキに勇気を与えた。


「……いや、君には言った方が良いだろうね。こうして助けてもらった恩もあるし。いや、この言い方は良くないね。本当は君に聞いて欲しいんだ」

 ユウキは薄手の毛布に包まりながら言った。その下には、正一から借りたTシャツと短パンを身につけたユウキの身体があった。彼の服はユウキには少し大きかった。自分を包み込んでくれるその大きさが今は嬉しい。


「実を言うとね、絵美に別れを突きつけられたんだ」


「えっ、あの先輩が!? だってあんなに仲良くてお前のことも大好きだっただろ? なのにどうして……」

 予想外の出来事に正一は驚愕を隠すことができなかった。

「ぼくも今の今まで全てがうまくいっていると思っていたよ。そしてそれがこれからも続いていくと。でもそうはならなかった」

 ユウキは毛布に顔を埋めた。その姿は落ちない汚れを何度も何度も擦って取り除こうとしているようにも見えた。

「今度は何がいけなかったんだろう。ちゃんと絵美の期待に応えられるようにがんばってきたつもりだったんだけどな」

「もしかしたらお前が悪いんじゃなくて、先輩の側に何か変化があったのかもしれない。何か心当たりはあったりしないのか?」

 ユウキは絵美の様子を思い出す。

 そして一つのことに思い当たった。


「そういえば、もう耐えきれないって。そして悪いのは全て自分だと」

 絵美は自分の知らないところで何かを抱え続けていたのだろうか。

「先輩も色々抱えこんでいたのかもしれないな」

 彼が出した答えはユウキの導き出したものと同じであった。

 さすがは久保木くんだな、とユウキは思った。

「結局ぼくが絵美を救うなんておこがましかったのかもね」


「ああ、おこがましいな」


「はは、そうだよね。何だかぼく、馬鹿みたいだ」

 別に同意の言葉を求めていたわけではなかったが、いざ第三者から核心を突かれるとそれなりに堪えるものがあった。

 ユウキは涙を溢した。ユウキは人前では決して泣くことはなかったが、今のユウキに感情を堰き止めるだけの余裕はなかった。

「大馬鹿者も良いところだ。あの時はお前の覚悟を汲んで言わなかったが言ってやる。人を幸せにしたいならまず自分が一番幸せにならないといけないだろうが。本当の自分を曝け出して。だからお前はおこがましい」


 まっすぐな言葉であった。


 だがそれはユウキを心の鎖から解き放つには十分だった。

 溢れた涙がユウキの堰を破ってしまった。もうこれ以上我慢することなどできない。


 感情が抑えきれなくなったユウキは正一に飛びかかり、きつく抱き締めた。今まで我慢した分を取り戻そうとしているかのようであった。


 そして突然のことに驚愕している彼の唇に自分を押し付けた。最初は戸惑いと焦りから身体を揺らした。けれど正一は拒まなかった。

 唇が離れると二人はじっと見つめ合った。艶めいて濡れた唇から引かれた糸が名残惜しそうに伸びていた。

 そしてどちらからでもなく、互いの距離を再びゼロへと近づけた。正一は燃えるように熱く、ユウキはひんやりと冷たかった。


 まるで溶け合うかのように影は一つになった。

 それからはもう現から離れてしまったかのように無我夢中でお互いを貪り合った。


 自分の気持ちを確かめるように。

 相手の気持ちを確かめるように。

 互いの空白を埋めるように。

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