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過去8


「皆さん本日はどうもお集まりいただきありがとう。この度の劇をこうして成功という形で終えることができたのは役者の方、裏方の皆さん、そして顧問である先生、それら全員の協力があってこそだと思っています。来週からは早速新入部員を交えての部活が始まります。そこで先輩としての威厳をしっかり保つためにも今日は思い切り楽しみましょう。それでは——、乾杯!」


 部長の掛け声に続いてその場にいた他の者たちも「乾杯」と声をあげてそれぞれ近くにいる仲間と手に持つグラスをぶつけ合った。そして思い思いにその日の感動を共有した。まだ始まったばかりだというのに既に涙を流している者もいた。


 学校から程近い居酒屋を貸し切って打ち上げが行われた。


 新入生歓迎の演劇の大成功を記念して急遽行われることになったのである。打ち上げをやりたいという部員たちからの突然の陳情に顧問はどうしたものかと考えあぐねていたが、部員の一人の実家が個人経営の居酒屋であったので、彼女に駄目元で家に確認を頼んだところ幸運にも店を貸し切ることができた。こうして居酒屋でありながら酒類が店の卓上に一切存在しないという健全な空間ができるに至った。


「いやー、本当にお疲れさま。特に久保木と渡邉は一年生なのによくやってくれたよ」

 部長は乾杯の音頭を取り終わって着席すると、すぐに近くに座っていた二人に声をかけた。

「ありがとうございます。先輩方のご指導ご鞭撻があってこそですよ」

 普段は謙遜している小宮山であったが今回ばかりは素直に褒め言葉を受け取った。それほどまでに今日の劇は達成感があった。彼の横では麗がうんうんと頷いて同意を示していた。

「俺たちの指導って、あまり大したことをしてやれたとは思えないんだけどな。でもそう言ってくれるのならお世辞でも嬉しいよ」

 彼はそう言って爽やかな笑顔を小宮山たちに向けた。それは春の陽光のような暖かさであった。きっとそれが部長の魅力であり、そのおかげで自分たちはここまでやっていくことができたのだと小宮山は思った。


「でもさ、やっぱり俺はお前の努力を評価したい。いつも部活が終わった後に居残りで遅くまで練習してたり、自分で演技の勉強をしてたりしてるのを知ってるからさ」

「えっ、部長どうして知ってるんですか?」

「実は前に部室に忘れ物を取りに行った時に偶然見かけてしまってな。あまりに一所懸命だったんで声もかけられなかったよ」

「気付いてたなら言ってくださいよ。今更言われると恥ずかしいですし」

 小宮山はそう言ってむず痒そうな表情を浮かべていた。

「えー、部長さっきから小宮山ばっかり褒めてないですかー? 私も脚本書くのがんばったんだけどなー。何か言ってくれないのかなー」

 部長と小宮山の会話を聞いていた麗が不満気に抗議した。そのあまりにわざとらしい三文芝居に周りのみんなが声を上げて笑う。


「すまんな、渡邉。もちろんお前だってよくやってくれたと思うよ。あんな脚本は俺たちの代のやつでは誰も書けないだろうしな」

「もっと言ってもっと言って。私、褒められて伸びるタイプなんです」

 麗はテーブルから身を乗り出して言った。

「部長、あまり間に受けないでくださいよ。渡邉はすぐに調子に乗りますから」

 冷静を装って彼女を諭す小宮山も昂りを隠しきれないでいた。

「えーたまには良いじゃん。褒めて褒めてー」

 そう言って麗は隣の小宮山の服を掴み思い切り揺すっていた。部長はそれを見ながら「ははは」と笑っていたが、突然何かを思いついたように麗に問いかけた。


「あ、そういえばずっと聞こうと思っていたんだが良いか?」


「ええ構いませんよ。何です?」

 麗はきょとんとした顔で部長に問い返した。

「今回の『誰かと誰かの物語』なんだが、あれって実物のモデルとかっているのか?」

「ええ、いますよ」

 麗は事も無げに答えた。

「俺の知っている人か?」

「そうですよ。小宮山と絵美です」

「えっ、僕と前野さんなの!?」

 小宮山は驚きのあまり烏龍茶の入ったジョッキを落としてしまいそうになった。

「そうだけど……って、えっ? 気付いてなかったの?」

 彼の反応に麗も面食らっていた。

「……うん」

「あらまー、多分だけど絵美は知ってると思うよ」

「そうなのか……」

 小宮山がちらりと絵美の方へと向くと、彼女はそんな彼の気も知らず両手でグラスを持ってちびちびと飲んでいた。


 楽しい打ち上げもやがて終わりを迎えた。

 外は四月になっているとはいえ夜はまだ肌寒かった。

 店からぞろぞろと部員たちが出てくる。彼らはまだ興奮が冷めていないらしく、外に出た後も語りあっていた。そしてたまに声の大きさを顧問からたしなめられていた。とはいえ顧問も怒っていたわけではなく、むしろ軽い注意の後生徒を巻き込んで大笑いして別の生徒から咎められていた。

 彼らの熱狂を冷ますには今宵の気温では足りないようであった。


「前野さん」

 小宮山は密集した生徒たちの中から絵美を見つけて声をかけた。平均よりも僅かに小さい彼女は見つけるのにやや苦労した。


「なに」

 絵美はいつもと変わらない。

 普通の生徒ならそう思うであろう。

 しかし小宮山には彼女の頬が少し上気しているのがわかっていた。きっとさすがの彼女もこの場の雰囲気に当てられてしまったのだろうと彼は思った。

「前野さんもやっぱりそんな風になったりするんだね」

 彼は思わず自分の顔が綻ぶのを感じた。

「悪い?」

 絵美は小宮山を努めて睨みつけたが、そこには全く迫力といったものが備わっていなかった。小宮山にはそれがますます愉快に感じられた。


「いや、全然悪くなんかないよ。むしろもっとそういう顔を見てみたいよ」

「私には無理よ」

 彼女はこともなげに言った——ように見せかけたが、それはもう小宮山には通用しなかった。絵美の表情や気配からある種の寂しさを彼は読み取った。

「屋上の時、君は今まで見たどの時よりも鮮やかだった」

 小宮山は力強く絵美に言った。

「あの時は特別よ。ああなれたら、いいえ、あの時よりもっと色々な自分を見つけられたら、そう思うけどまだまだみたい」

 絵美ははあとため息をついた。それは少しだけ本物の匂いがした。

「けれど、あなた結構恥ずかしいこと言ってるけど大丈夫かしら?」

「え……あ……」

 彼は自分が何を言ったのか理解した。それはまるで小説や映画の山場で使われる台詞のようだった。小宮山は顔が熱くなるのを感じた。


「ふふっ」

 それを見た絵美は、笑った。

 慣れていないせいか少しだけぎこちなく感じられたが、それは心からの——『本物』の微笑みであった。


 それは初めて見る笑顔であった。


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