過去7下
「まいったな」
少年は大きなため息をつきました。
彼はいつものように学校のグラウンドで練習に励んでいます。辺りはもう暗くなっていて、彼の周りにはもう誰もいません。
ただ一人を除いては。
「やっぱり今日もこんな遅くまで練習してるのね」
彼に近づきながら少女が声をかけてきました。歩くたびに揺れる髪に少年は目を奪われました。
「君もよく飽きずに毎日来るね」
「まあ、こんな時間まで残ってるなんてわたしとあなたくらいだもの。けど、嬉しいでしょ?」
少女は意地悪そうな挑戦するような視線で少年にウィンクしました。そのあまりの美しさに彼は再び魂を抜かれたような気分になりました。
彼は否定したかったのですがうまく口を動かすことができませんでした。
「それで、どうしたの? 何か悩んでそうだけど」
彼女は耳に髪をかけながら問いかけました。
「それは……」
少年は口籠りました。
君がその悩みの元凶なんだよ……。少年は再びため息をつきました。今度は心の中で、彼女に気付かれないように、そっと。
「別になんでもないさ」
少年は誤魔化しました。少女は彼の下手な誤魔化しを訝しげに見つめますが、あえてそこに言及することはありませんでした。
「ふーん、まあいいけど」
彼女は大げさに片方の頬を膨らませました。少年はそんな彼女の仕草が愛おしくてたまりませんでした。
「ねえ、一つ聞いてもいいかな?」
今度は少年が少女に問いかけます。
「何かしら?」
彼女は上目遣いで聞き返します。
「もし自分がどう行動したところで報われないとわかっていたとしても、それでも君は前に進むことができる?」
抽象的な問いでした。ですが彼女にも思い当たることがあったのか、迷うことなくすぐに答えました。まっすぐと、少年の目を見ながら。
「できるわ」
「それで自分が傷つくことになったとしても?」
「それでも」
迷いなく、淀みなく答えました。
「できる、というよりしなければならないって思うの。わたしにはね、予感があるの。いずれわたしにそういった機会が訪れるだろうって」
少女は俯いて言いました。彼女の緩く癖のついた髪が少しだけ揺れました。
「わたしは空っぽなの。もしかしたらそんな空白を埋めてくれる人が現れるかもしれない。だけどきっとわたしはその人を不幸にしてしまう。始めは二人ともお互いを補いあえると思うんだけどね、後になって傷を舐め合うだけの逃げだって気がつくの。それは間違いなく私たちを駄目にしてしまう。だからわたしは後悔しないように、その人がこれ以上自分を損なわないように、きちんと終わりを告げたい」
そこには予感というよりも啓示に近いような確信めいたものがありました。もしかしたらそう遠くない未来に本当に起こることなのかもしれません。
——彼女の空白を埋められる存在。
僕はそうありたい、少年は強く思いました。
けれどきっと自分はその役目ではない、彼女のヒーローには決してなれないのだということもわかっていました。
しかしそれでも——、
「うん、僕も後悔しないようにがんばってみようかな」
「それがいいと思う」
少女はそう言って屈託なく笑いました。
少年はこの笑顔が将来もこのままでありますようにと願った。
「じゃあわたしはそろそろ帰ろうかな。あなたは?」
「僕はもう少し残って練習するよ」
「そう、ではまた明日ね」
「また明日。今日はありがとう」
少女は手を振りながら別れを告げ、帰路に就きました。
ここから先は袋小路だとわかっている。
もちろんそこに救いなんてない。
だけど、
このまま何もしなければ後悔することに間違いはない。
だから、
進みたい。前に、未来に。
「よし」
そう言って少年は歩き始めました。
彼は決意したのです。新しい扉、その先へと進むことを。
舞台の幕が下りた後、会場はしばらく沈黙に包まれていた。しかしそれから少しして誰かがはっと気がついて拍手をしたのを皮切りに講堂が観客の熱狂で満たされた。生徒だけでなく教師たちも心を動かされていた。
絶え間ない喝采の中で再び幕が上がる。
そして主演である少年役の小宮山と少女役の絵美が舞台袖から姿を見せた。彼らはそれぞれ反対側から手を振って登場した。やがて舞台の中央に辿り着くと互いに手を取り合って大きく一礼した。その瞬間、響き渡る拍手の音がさらに大きくなった。
続いて他の役者たちも次々と舞台へ上がってきた。
少女の部活仲間役や少年の両親役、友人役など、そして役者が出揃うと衣装・照明・音響などの裏方たちが順番に姿を現した。
最後に脚本を務めた麗が出てきた。全員が出揃うと一列に並び、それぞれが隣り合っている仲間と手を繋いだ。そしてお互いに顔を見合わせてタイミングを取ると、舞台を取り巻く全てに対して感謝するように深々と礼をした。舞台の幕は盛大な歓声と拍手にて無事に締めくくられた。
皆良い顔をしている、と顧問は思った。
ただ一人幕の裏に残って部員たちを眺めていた彼は、カーテンコールの喧騒の中で誰にも気づかれないようそっと静かに目元を拭った。
物語もついに半分をきりました。現在と過去を見ていく中で、一体何が繋がっているのでしょうか。
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