過去5
時は経ち、ついに卒業生に向けての公演となった。当然の事ながら在校生である一年生と二年生が企画から公演までの全てを行う。
例年では練習量の蓄積が多い二年生が中心となるのだが、今回に限っては劇の核にあたる部分の大半を一年生が担うことになった。その学年は十年に一度の逸材と言っても差し支えのない人物が何人も揃っていたからであった。
もちろん先輩である二年生を差し置いて一年生が劇の重要な役割を担当するという顧問の判断に反感を抱く者もいた。しかし多くは彼らを認めた。この一年間、彼らの実力と並々ならぬ努力をその目で確かめ続けてきたからだ。
今回の劇は、主演を絵美と小宮山が、脚本を麗が担当する。
絵美の演技に対する評価は今さら語るまでもない。相方の小宮山は高校から演劇を始めたものの、持ち前の感覚の良さと舞台に立った時の映えから俳優として入学当初から期待を集めていた。
顧問の指導により、徐々に絵美の隣に立っても見劣りしないような演技へと成長を遂げていった。
いける。
そう顧問は確信していた。
そして彼は小宮山を激励すべく、彼の控えている教室のドアに手をかけた。。
「小宮山、今回の劇は頼んだぞ。期待してる」
小宮山は舞台が行われる部室の隣にある準備室に待機していた。準備室は現在控え室として使われているので他の部員たちも衣装の最終確認や化粧で皆それぞれ忙しそうであった。見たところどうやら彼はすでに準備を終えているらしい。
「先生」
小宮山は大きな姿見の前に置かれた椅子の前に座っていた。
彼は努めて笑顔を作ろうとしていたが上手くできていなかった。鏡越しに見る彼の顔がこわばっているのを顧問は準備室に入った時から察していた。
確認したところ、やはりすでに着替えや化粧は済んでいるらしい。しかし彼からはいまいち覇気を感じ取ることができなかった。
「緊張しているのか?」
「はい、とても」
「何、心配することはないさ。初めての本番というのは誰でも緊張するものだ」
「そういうものですか」
小宮山は自分の手をもう片方の手で交互に握ったりさすったりしていた。その動きはせわしなく、ぎこちない。
「そうだ。それにお前が今まで一緒懸命がんばってきたことを私は知ってる。だから絶対に大丈夫だ。私が保証する」
顧問は力強く小宮山に語りかけた。
「わかりました。やってみます」
小宮山が表情を引き締めて顧問の目をしっかりと見据えた。
まるで「もう大丈夫です」と語りかけるように。
もう大丈夫だ。僕にはできます。
——という演技をした。
公演が終わってから顧問は自分がした事の愚かさに気がついた。どうしてだ……。こんなことずっと前からわかっていたじゃないかっ……。
そう、小宮山は強く優しかったが、彼の傷はまだ癒えてはいなかった。
彼は自らのそういった欠点を自覚し、克服しようと試みていたが、今回の演劇本番が彼の精神的疲労の限界となりやがて決壊した。
彼はこれまで周囲の期待に応えようとしてきた。演劇部の通常の練習に加え、顧問からの特別稽古。この二つをこなしながら、決して学業もおろそかにせず常に学年上位の座を維持していた。
練習による疲れや期待による重圧が日を追う毎に積み重なっていった。夜遅くまで稽古をしているため勉強時間がなかなか確保できなくなる。その補填のために寝る時間まで削っていた。一日が経つごとに彼は外側からも内側からも蝕まれていった。
もっと力を抜けばよかったのだが、そうするには彼は生真面目すぎた。顧問は後になってそのように分析した。
そうして小宮山の初演は失敗に終わった。
顧問は、彼がこのことで心に致命的な傷を負ってしまっていないか心配だった。公演後すぐに小宮山の元へ駆けつけたかったのだが、そうすることができなかった。
もちろん劇の終了後、控え室へと駆け付けた。しかし顧問がそこに到着した時にはもうすでに小宮山の姿はなかった。
絵美が彼を連れてどこかへ行ってしまったからだ。
その日から翌日の部活動まで、顧問は小宮山のことで頭が一杯だった。授業の合間に様子を見に行こうかとも考えたが、余計な注目をさせかねないと思い踏み留まった。なので結局部活動が始まるまで待たなければならなかった。とても長く落ち着かない一日であった。
ようやく放課後になって急ぎ足で部室に向かうと、小宮山はすでに部室にいた。顧問の心配とは打って変わって彼は晴れやかな顔をして今まで以上に真剣な顔つきで演技の練習に打ち込んでいた。あまりの熱中ぶりで顧問が来たことに気づかない様子であった。
彼は小宮山の意外な表情に面食らったが、何か良いことが起きたに違いないと軽やかな足取りで彼の元へと歩み寄り声をかけた。




