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命を廻ったグング二ル  作者: しぐま
世祈―ハルキ
2/2

始まった分離

第二話 始まった分離

 一 

「お―――っ!! これが<赤見村>なので? 私、来るの初めてなんですよー!  <京界>とはまた違った美しさを感じますねぇ」

「うん。気に入ってくれたようで俺も嬉しいよ」

 小白は<赤見村>についた瞬間から目を輝かせ始めた。別に普通の集落だと思うのだが、どうやら<京界>育ちの小白には物珍しいようだ。

 はぁ―……よかった。性格はちょっとあれだけど、小白は一応使者だもんなぁ。第一印象は良いみたいで助かったよ……。

 大きな権限は無いといっても、十宮小白は<京界>からの使者である。今回の俺の任務は小白に村を案内し、出来るだけ良い印象を持って帰ってもらうのが、成功条件となる。

「あれが海なんですね!? なんという美しさなんでしょう……」

 海を見た小白のテンションは最高潮まで上がり、その場でピョンピョン跳ねるほどである。

<京界>に海はない。だから<京界>は魚介類を<赤見村>から輸入するしかないわけである。これが<赤見村>が<京界>と対等に交易ができる理由の一つだ。

「して陽希、村は山に沿っているのだな? うーむ……知らなかったぞ……」

「その通りさ。だから、こうして門付近にいれば村全体が見渡せるだろ? それにさ、山には神様が住んでいるんだぜ?  <赤見村>は神様がいるから、永遠に安泰なわけだ」

 <京界>と<赤見村>の間には一際大きな山がある。小白と待ち合わせた<終わりの崖>もその山の一部だ。その山の比較的平らな土地にできたのが<赤見村>で、門の部分が一番高地に属する。山は海に面しているので、村も海に面していることになる。

「陽希? あの人は誰なので?」

 小白が指を指した方に目をやると、一際大きな男が小刻みに震えながらこちらを見ていた。

「し……使者様っ! 桐本と申しますッ! ほ……本日は、遠くからはるばる……お、お越しいただきまして…………っ!」

 与道はその風格に似合わず、小白を前にガチガチに緊張していた。それを見かねたのか、小白は与道に微笑むと、ぺこりと頭を下げた。

「しばらくお世話になります。十宮小白と申す者です」

「あぁあ!! 使者様! お顔を上げて下さい――っ!!」

 小白は気を使って与道に頭を下げたのだろうが、使者が頭を下げるという行為が与道には逆効果であった。目が見開き、反り返るほど驚いてしまっている。

「……あのっ!! 桐本さん……!? 私には<赤見村>をどうこうする権限はありませんので。あの……その……肩の力を抜いて下さい……!」

 <赤見村>に対して権限がない、そのことを聞いて与道はホットしたのか、次第に落ち着きを見せ始めた。

「そ……そうですか……。では……使者様。ご、ごゆっくりと……」

 先ほどのような緊張は感じられないものの、小白に対してかなりの堅さが感じられる。意外と臆病な与道にとって、<京界>からの使者である小白には、それ相応の恐れがあるのだろう。

 小白は溜息を吐くと、真っ直ぐ与道を見つめた。

「もっとこう……戦友みたいに……。軽くね……接して下さいませんか?」

「せせせっ!! 戦友のようにと言われましても……ッ!」

 少し落ち着きを取り戻した与道であったが、『戦友のように』という無茶な要求を小白にされ、再び気が動転してしまった。

 そんな与道を見て小白は再び大きな溜息を吐くと、俺に目線を合わせた。

「行きますよ、陽希。あ――……桐本さん? とりあえずですね。私のことは小白ちゃんとでもお呼び下さい。<京界>では私のことをそう呼ぶ人がいますので、その方が呼ばれ慣れています」

 そう言い残すと、小白は一人で村の方へと足を運んだ。

「こは――――っ!?」

 俺は小白を追おうとしたが、大きな手が俺を掴みグイっと引き戻した。

「何ですか……。与道」

「お前さんの好みを体現したような子じゃないか」

 与道は俺の耳元で、小白に絶対に聞こえないような細々とした声で話した。

「確かにそうですけど……。言いたいのはそれだけですか……」

「……いいな? くれぐれも手は出すなよ……!」

「出しませんてッ!!」

「一年前のお前さんの話を聞く限りだな、お前さんはやりかねないんだよ……! 頼むぜ……」

 与道は本気で心配しているらしい。目がマジだ。

「陽希――? 何をしているので――?」

 俺が後ろからついてきていないことに気づいた小白が、不思議そうに声をかけた。

「ごめん! 今行く!」

 俺は与道に、俺はもう行くぞ? とアイコンタクトをすると、小白のもとへ向かった。

 

  二

 俺は座敷に姿勢を正しくして座っている。美しい黒髪を纏った美少女も、俺と同じように背筋を伸ばし座していた。俺と小白の前にはちゃぶ台が置かれており、ごく普通の座敷と言っていいだろう。座敷の目立つところに位牌が置かれており、横では線香が焚かれていた。

 この家にお邪魔するのは何年振りになるだろうか。しかし、この家の所有者とは毎日のように顔を合わせているので、懐かしさは別に感じない。

「待たせたかのう?」

 三つのお茶が置かれたお盆を持った老人が、座敷の奥から姿を現した。この人物こそ<赤見村>の村長である。名前は不名寺信太郎ふめいじのぶたろうといい、老人らしく顎鬚を蓄えており、パッと見仙人にも見える。もう年であるにも関わらず背筋はしゃんとしている。性格は温厚で、村の皆が慕う村長である

「村長、お邪魔しています」

 俺が村長に挨拶すると、村長はニッコリ笑って俺と小白の前にお茶を差し出した。

「陽希よ、護衛の任はご苦労じゃったな」

 俺のことを労った後、村長は小白の方に体を向けた。

「……十宮殿。<赤見村>によくぞいらっしゃった。ゆっくりしていくのじゃ」

 小白は村長に会釈した後、優しく微笑んだ。

「初めまして村長様。本日は私のような未熟者を招待してくださり、感謝しています」

 今日、<京界>から使者が来るということを知っているのは、自衛団員と村長を筆頭とする村の長老会だけだ。与道と違い使者を前にしても落ち着いているのは、さすが村長といったところか。

「村はどうじゃ?」

「はい。<京界>にも劣らない活気を感じられます。きっと、村長様の采配が素晴らしいのだと思いますよ」

「ほほっ! お世辞でも嬉しいわい!」

「いえいえー。お世辞じゃないですよー」

 小白はノリの良い返事で返した。なぜだろう、初対面のはずなのにこの二人妙にあっている気がする……。


 ――――当然だ。


「お茶も美味しい! 陽希はこのお茶をよく飲んでいるので?」

「……う~ん。昔はよく飲んでいたけど、最近は飲んでないなぁ。めっきりこの家にも来なくなっちゃたし」

「うわー。もったいねぇー」

 どうやら小白は村長のお茶がよっぽど気に入ったようである。村長の淹れるお茶は確かに上手い。俺も昔はよくいただいたものだ。

「十宮殿のお口に合うようでよかったわい。……それにしてもすまんのう……。陽希には間違いを犯さぬよう、よく言っておくから安心するのじゃ」

 小白を迎え入れる上で最も問題となったのが小白の宿泊場所であった。<赤見村>に宿泊施設などは当然ない。つまり誰かの家に泊まることになるのだが、何かあったときに護衛できる戦闘能力が必要なわけで――――。

「陽希の家に泊まるのでしたら、別に気にしてません。それに私はいつでもウェルカムですから」

 口角を吊り上げ、小白は意地悪く微笑んだ。

「はぁ!?」

「ん? うぇるかむ……? 何じゃそれ……?」

 驚いてお茶を噴き出した俺とは対照的に、村長は首を傾げた。

「ウェルカムの意味は村長様のご想像にお任せしますね……」

 小白はニィと妖しく微笑むと、俺に体を寄せた。いくら恋人とはいえ、村長の前でこういった行為はしないでいただきたいものだ。

「それにしても、お二人凄く仲がいいのう――?」

 俺と小白の異常な密着具合を見た村長は、不思議そうに俺と小白に対し交互に視線を送った。

「ふふ……。気づいちゃいましたかー」

 隠す気なんてさらさらなかったくせに。小白は俺をぎゅっと抱き寄せた。

「私たち……恋人なんです!」

 時間が止まる。突然のカミングアウト。村長はぽかーんとしていて始めは意味を理解していないようだったが、次第にその言葉の意味を理解した。

「ええぇ!? 恋人……? どういう事なのじゃ!? 説明しろ! 陽希!」

 村長の驚きと驚愕の叫びが部屋を満たし、俺はどう説明すればよいのかと頭を抱えた。

 

 俺と小白は恋人である。異常な速さで思い確認し合った。でも、ときどき感じるんだ。俺に対する憎悪を小白から。


「そうか……。崖で二人は恋に落ちてしまったのじゃな」

「はい。そういう事になります」

 村長はだいぶ取り乱していたが、事情を説明すると案外すんなり納得した。

「出会ってすぐに恋に落ちるとは不思議な話じゃ……」

「そう……ですよね……」

 一目惚れだと俺はずっと思っていた。しかし、時間が経つにつれてそれはそんな軽いものではないというのが伝わってくる。なんか、こう、重くのしかかるような……。

「ここからはあくまでわしの推測じゃ。実は……お二人を見たときから、何やら深い因縁のようなものを感じたのじゃ。ひょっとしたら、お二人は前世で恋仲であったのではないかの」

「前世で恋仲!? それは素敵な発想ですね!」

 小白は目を輝かせた。意外とロマンティストなようだ。

「そうじゃ。陽希よ、何か感じたりはしてないかの?」

「いや……特には……」

「えー!? 私にはありますよー」

 小白が俺と村長の話の間を割って入る。その目はきらきらと輝いていた。しかし瞳は何故か悲しげだった。

「さて……」

 村長は咳払いを一つし、二人の注目を集めるとニッコリと微笑んだ。

「いつまでも老いぼれの家にいるのも嫌じゃろう。時間をもらって悪かったのう」

 小白はそれを聞くとすっと立ち上がった。

「それでは村長様。お邪魔致しました」

 頭を軽く下げズボン裾を軽く摘み上げる。良いとこのお嬢様がよくやるアレ。やってみたかったのかな。そのまま小白は部屋を後にした。

「では、村長。俺も行きますね」

 俺も小白の後を追い、部屋を出ようとしたときだった。

「待つのじゃ。陽希」

 俺は不意に村長に呼び止められた。

「もし……陽希があの娘に好意を持ったのならば、お前はあの娘を幸せにしなくてはならない。よいな……?」

 村長の目はいつになく真剣で虚ろだった。

「俺は菊を……菊を幸せに出来なかった……。陽希よ、俺のようにはなるなよ……。小白を幸せにせよ。必ずだぞ」

「お菊さんは、お菊さんは幸せだったと思います」

俺がそう言うと村長は虚ろな目のまま微笑んだ。

「そうか。ありがとう。……もう行け、十宮殿が待っているぞ」

 俺は村長に軽く会釈し、小白の後を追った。

 村長は妻の不明時菊ふめいじきくが死んでから変わってしまった。位牌に置かれた線香の一つが、音もなく倒れた。


 四

 俺は藤見亭の台所で料理の準備をしていた。今日は護衛の任務があったから、昼は何も食べていない。だから、この食事は遅めの昼食兼夕飯ということだ。<赤見村>はそこまで裕福ではないので、三食毎日食べている家庭は少ない。

 俺は棚から赤い粉を取り出すと、網の下にある木炭にそっとまぶす。たちまち木炭は赤く熱を帯び、調理の準備が整う。

 鍋に魚を乗せ、そのまま火にかけた。

「はーるきー? まーだなーのでー?」

「しばしお待ちを」

 腹が減っているのか、小白は不満そうに舌打ちをした。

「使者を待たせるな。私は腹が減った」

「そう焦らず焦らず。男の料理、というものをお見せ致しましょう」

 使者である十宮小白は、藤見亭の居間の机に腰かけ料理が完成するのを待っている。俺は現在男の料理の真っ最中だ。<赤見村>で釣った新鮮な魚を、じっくりと焼き上げる。

「……男の料理か。期待させてもらうぞ?」

「期待するのはご自由に」

 魚の焼ける良い臭いが充満していく。そろそろ頃合いだろう。

 俺は網の下に大量の青い粉をかけ、火を消すと、机の上の鍋敷に鍋を乗せた。

「どうぞ。男の料理です」

「………………」

 小白は出された料理に呆気にとられたようで、目を丸くした。

「これは……料理なので?」

「そうです。男の料理です」

 一見鍋に魚を乗せ、焼いただけかもしれない。だが男でここまで出来れば十分だ。焼き加減、……。は完璧である。

「魚を焼いただけ……か……」

「男はな? 細けェことはしないんだよ……!」

「しかも使ったフライパンの上から食べるのか……」

「男は皿なんか使いませんっ! 使った鍋の上で食っちゃうのっ!」

小白はこんがりと焼かれた魚をじっと見つめると、パン! という気持ちの良い音を鳴らして手を合わせた。

「いただきます」

 小白が食事の前にいただきますと言うのはちょっと意外だった。そういったマナーは持ち合わせているようだ。



 約二十分後、小白は料理? を平らげていた。

「ごちそう様でした。男にしては上手かったぞ」

「…………」

「どうした? 私の優雅でエレガントなテーブルマナーを目の当たりにして、またまた悩殺されてしまったのでぇ~?」

 俺は悩殺などされていない。決して。ただ驚愕しているだけだ。

「す、すごく綺麗に食べるんだね……小白は……」

 皿の上に残されたのは骨と皮と腸のみ。過食部分は綺麗に食べてしまっている。加えて小白はどこぞのお嬢様のように優雅に食べていた。最もお嬢様はこんな男の料理は食べないでしょうけど。

「恋人が私のために作ってくれたのだ。綺麗に食べるのは当然のこと」

「お、おう……ありがとう……」

 ちなみに<京界>には海がないため、住民は魚とあまり縁がない。つまり<京界>の住人は魚を毟って食べるのが下手なはずなのだ。

 食べるのに苦戦している小白が見たかったから、あえて加工していないのを選んだというのに……。はぁ……苦い腸食べて涙目になる小白が見たかったなぁ……。

 俺の性癖はかなり歪んでいるらしい。一年前の誕生日会で俺は性癖を暴露してしまったが、誰からも共感されなかった。それどころか全員にドン引きされ、俺の好青年のイメージが崩れ去ってしまった黒歴史がある。

 その場のノリとは怖いものだ。俺は自分の性癖がまずいことは十分承知していた。だから自分の中で留めておくつもりであったが、その場の勢いで暴露してしまった。本当に後悔しかない。ひょっとして俺は同志を探していたのだろうか。

「陽希よ。こちらに来てくれないか?」

 小白が平らげた皿を片づけていた俺は手を止めて小白の方へ目をやる。小白は少し悪戯っぽい笑みをこちらに放つ。誰がどう見ても良くないことを考えているに違いない。近寄るのは避けた方がいいだろう。

 あぁ……。余裕こいた表情を泣き顔に変えてぇ……!

「少し待って、今片づけてるから」

「こっちに来てくれないので?」

「うん。今手が離せない」

 近寄ったら間違いなくろくでもないことをしてくると思うので、出来る限りゆっくりと時間をかけて食器を片づけようと思う。青い粉と白い粉をかけ布で拭うと泡立ち、食器の汚れが落ちる。

「じゃあ、ここからでいいや」

 あれ? この場からいけることなの?

 俺は手を動かしつつも、後ろに全力で警戒網を敷いた。

「では短刀直入に。陽希の性癖は何ですか?」

「…………」



 とんでもない爆弾発言が飛び出した。俺の心臓は驚愕さ故に飛び跳ね、全身の毛細血管が悲鳴を上げるほどの血圧に達した。一年前の黒歴史の一部始終が脳内を走馬灯のように駆ける。本当に一年前の自分をぶん殴ってやりたい。

 もし、性癖がナース服やチャイナ服に興奮するとかだったら、何ら問題はない。『性癖は何ですか』と聞いてくる小白に対してそれは容易に想像できる回答であろう。

「お、俺の性癖……? ななな何故そんなことを知りたいんですかねェ……?」

 しかし俺の場合は別だ。この性癖は間違いなくドン引きされる。最悪の場合村長にセクハラと訴えられて俺は村を追放になって夜になっても帰るところがなくて鬼に喰われてそのまま人生ゲームオーバー。

「俺の性癖かぁ。そうですねェえ」

 小白に俺の性癖がヤバいと悟られるのはまずい。小白の性格上、面白がって聞き出そうとしてくるはずだ。

「俺の性癖なんて面白みないからねェえ。聞くだけ無駄ですよぉ……」

 小白に悟られないように、俺は慎重に冷静さを保ちながら一つ一つ言葉を紡ぐ。


 ――――いやいや。動転しまくってると思うぞ。


 小白は不思議そうな顔をして小首をかしげる。よし、まだ悟られていない。このままやり過ごしてやる!

「あ、そぉだ! この後道場で手合せしませんかぁ? 俺、小白の実力が知りたいねェって」

 完璧だ! 話をうまい具合にすり替えてやったぜ! これでもう性癖の話になることはない。小白は相変わらず不思議そうに俺のことを見つめている。

「それはいいね。私もちょうど虎の実力を確かめたかったところだ」

 よし! これで危機をエスケーピイングだ!

「ところで――――」

 小白は慈悲深い表情をこちらに向ける。まるで俺のことを哀れな小動物だとでも言わんばかりのようだ。

「さっきから凄く動揺してるけど……ごめんなさい。ちょっとからかうつもりで性癖を聞いただけ……トラウマ……あるんだよね……?」

「やとのんッ!?」

 思わず変な単語が飛び出した。ところでいつばれた? 俺のすり替えテクニックは完璧だったはずだ……。動揺してるっていつばれたんだよぉ……。


 ――――誰でも気づくだろ、普通。


 「そ、そんなことはないよぉ! 俺はいたって普通さぁ! 別に動揺してないしッ! トラウマなんてありませんよ俺の性癖なんてとるに足れないものですだから聞かないでくださいお願いします!」

 長いセリフを言い終えた後に、俺はようやく自分が動揺していることに気が付いた。ゲームオーバー。小白に完全に性癖がマズイことが悟られた。俺の人生初の恋人は、俺の元を去ってしまうのだ。

 俺は恐る恐る小白と視線を合わせる。おそらく俺にドン引きしているはずだ。

「大丈夫だよ。私はそれくらいで陽希を嫌いになったりしないから」

 意外だった。小白は屈託のない笑顔を俺に向けてきたのだ。間違いない、小白は俺にとっての運命の恋人だ。

「話してくれないかな? 恋人の性癖に応えるのは、恋人の義務だ」

 俺の目の前にいるのは漆黒のベールに身を包んだ天使だ。俺の恋人は十宮小白をおいてほかにいない。

「少し長くなるけど……いいかな……?」

「もちろん! 私は陽希の話をいっぱい聞きたいなっ♪」




 俺の恋人は十宮小白をおいてほかにいない




 ――――お前のしたことは恋人として最低最悪の行為であると知れ。


 五

 ちょうど一年前のことだ。俺の十六歳の誕生日を自衛団の皆が祝ってくれた。俗に言う誕生日パーティというやつだ。自衛団の構成員は母さんを除いて全員男。だから母さんは皆に気を使って欠席してくれた。後日、盛大な第二回誕生日パーティが藤見亭で行われたのは、言うまでもない。

 鬼がいつ村に侵攻してもいいように、誕生日パーティは門の前で開催された。ちなみに誕生日パーティといってもお菓子を食べながら談笑する程度なんだが。

 全員で薪を取り囲む、まるでキャンプファイヤーのよう。

 さて、十代後半の若者たちが談笑すると、話は良くない方向に向くものだ……。

「ぼ……僕の……女性の好みは……。えっと、その……」

 一人の気弱そうな少年が目に涙を溜めながらプルプルと震えていた。まあ、当然だろう。十三歳になったばかりの少年に、十九や二十の奴らから好きな女性のタイプを言えと脅迫されれば誰でもこうなるはずだ。加えてこの少年、あがり症なのである。

「おいおい。その辺にしてやれ。漆部うるべが可哀そうだろ」

見かねた与道が漆部に助け舟を出した。本当に気が利くやつだ。

「与道さん……。ありがとうございます……」

「いいってことよ! 俺様は弱いものいじめが嫌いだからな!」

「弱い……ですよね……僕は……」

 再び漆部の目に涙が浮かぶ。

「ち、違うぞ! そういう意味で言ったんじゃないからな!?」

 与道は慌てて弁明した。

 漆部奏斗うるべそうと。自衛団最年少。称号は亀と最も低いが、僅か十三歳で称号を貰い、自衛団に入団していることから皆に一目置かれている。自衛団にとって弟のような存在で可愛がられている。自衛団の未来を担う期待の新星。あがり症で鬼の討伐経験もない。面倒見の良い与道に懐いており、俺と与道をよく羨望の眼差しで見ている。俺にとって唯一の後輩。

「だ……だけどな……。皆好みを言ったのに漆部だけ言わないのは……俺様はまずいと思うんだ……」

 漆部を刺激しないように与道は慎重に言葉を選んでいるようだった。もしここで漆部だけ免除された場合、それはそれで不公平だ。俺は納得しても何人かは納得しないだろう。

「分かっています……。しかし……与道さん……? 僕、緊張してしまって……どど、どうすれば……」

 どうやら漆部は緊張して言葉がうまく出ないようだ。

「分かった。俺様が誘導してやる。誘導尋問みたいなもんさ」

「じじ、尋問!?」

「あー! 尋問じゃない! 尋問じゃないよー!!」

 こんなやり取りが暫く続いたが、少しずつ漆部は落ち着きを取り戻していった。

「皆さん……先ほどはお見苦しい姿をお見せしました。漆部奏斗、腹をくくります……!」

 まだ震えているが、目には強さが宿っていた。

「ぼ……僕の女性の好みは……好みは……ッ!」

 言葉が発せられるたびに良くない方向に向かっているのが分かる。最悪このままでは朝になってしまいそう。

「優しい人がよかったりするのか?」

 与道が助け舟を出す。

「はいッ! 優しい人がいいです!」

 漆部はビクッと体を震わせる。本当に漆部は生まれてくる性別を間違えたと思う。

「あとは……そうだなぁ。漆部はさ、胸が大きい方がよかったりするのか? ちなみに俺様は大きいほうが好みだけど……?」

「ひゃいッ……」

 漆部の返事が裏返る。顔はトマトみたいに真っ赤に染まり、今にも爆発寸前だ。

「胸は……大きい方が……好みです……」

 漆部は弱々しく告げると、ヘナヘナと座り込んだ。

「はっはっはっ! やれば出来るじゃないか! 立派だったぞ、漆部!」

 与道は漆部の横にしゃがむと漆部の肩を力強く叩いていた。与道の大きな手が当たるたびに漆部はビクついていたが、どこか嬉しそうだった。

「さぁ、皆! 今宵の主役に注目しましょうや!」

 与道の声が高らかに響き渡る。

 全員の視線が俺に集まる。

 藤見陽希。僅か十六歳にして自衛団副団長を務める。称号は堂々の虎。ここまで輝かしい経歴を持っているにも関わらず、年上の先輩には敬意を払って接する姿には、誰しもが好印象を受ける。皆から好かれる性格をしており、彼を嫌う者は自衛団には一人としていない。

 俺は落ち着いて皆を見渡すと、ふっと一息の息を吐いた。

「少しいいかな、奏斗?」

「ふぁいッ!? 何でしょうか陽希さん!?」

 漆部はビクッと震えあがった。緊張しすぎだ。

 ちなみに漆部のことを奏斗と呼ぶのは自衛団で俺しかいない。

「奏斗は胸が大きい女の子がいいんだな?」

「は……はい……。そそ、そうです……」

俺は漆部をまるで嘲笑するかの如く微笑みかけた。やめろ……やめてくれぇ……!

「じゃあ奏斗はおっぱいだけで興奮するんだな?」

「はい?」

 想像の斜め上を行く発言に漆部の緊張は空の彼方へとぶっ飛び、自衛団の何人かは驚きと……うん、何人かは失望しているな。

「ちなみに俺は違う。おっぱいだけで俺は興奮したりはしない。女の子との組み合わせで初めておっぱいは効力を発揮すると思う。だからな奏斗? 胸が大きい女の子がいいとか言ってるお前は愚かということさ」

「ひッ……! ごめんなさいごめんなさい申し訳ありませんすいませんでした……ッ!」

 漆部の瞳孔は開き、若干潤んでいる。多分、女の子に生まれた方が漆部は幸せだったと思う。

「おい、陽希! そこまでにしてやれ……」

 俺による漆部へのイジメ? を与道が静止する。

「ああ。すみません。俺の女性の好みでしたね。今から宣言します」

 俺のその言葉に何人かは期待に胸を躍らせ、何人かは悲惨な事態になることを恐れていた。まぁ、後者が正しいことになるのだが。

「単刀直入に言います。俺は色白で長い黒髪を持つ女の子が好みです」

 期待に胸を膨らませていた者はおおーっと歓声に近い声を漏らし、悲惨な事態を恐れていた者は意外にも普通の回答にほっと胸を撫で下ろした。

「おお! そうかそうか! で、何で色白で黒髪の女の子がいいんだ?」

 胸を撫で下ろす勢であった与道は、一般的な回答を聞いて嬉しそうに理由を問いかけた。

 この問いかけが問題だったのだ。ここから俺の爆弾発言が飛び出し、俺の好青年の印象は崩れ去ってしまった。本当にひどい。一年前の自分は何だったのか。

「そんなの決まってますよ。色白だと辱めてやったときに頬が赤く染まって可愛いじゃないですか? それに黒髪で長いと乱れたときにそそるでしょう?」

 全員が俺の発言に硬直した。このときの俺の発言は犯罪者予備軍のそれ。しかも真に恐ろしいのがこのときの俺は全員がドン引きしていることに全く気が付いていないのだ。

「いいですよねー。嫌がってる女の子を抑え込むとか最高の――――、あれ? こういうの何て言うんでしたっけ?」

 うん。多分だけど“最高のシチュエーション”って言いたいのかな。それとこれ以上の罪を重ねないでくれ一年前の俺!

「泣いてる女の子最高ですし、辱められている女の子もまた至高です」

 俺を慕ってくれた自衛団の皆が失望の表情で俺を見ている。与道は口をぽかーん開け、目は宙を泳いでいる。漆部に至っては泣き出している。

「陽希よ……その辺りでやめた方がよいの……」

 不意に俺の後ろから老人の声がした。

「村長……!」

 暗闇から現れた村長にこのとき何人助けられたであろうか。

「周りをよく見てみなさい」

「え……?」

 村長の言葉で俺はようやく状況の重さを自覚した。

 冷め切った空気。皆の失望の表情。……泣いている漆部。

「皆今日は解散じゃ。見張りの番でない者は帰って眠るように」

 村長の言葉を聞いて見張りの番の者は門へと向かい、それ以外の者は帰路に着いた。

 漆部のことはどうやら与道が送るようだ。

「あの……ちょ……皆……」

 反対に取り残されたのは俺の方。皆の帰路に着く姿や、警備に着く姿を眺めることしかできなかった。

「陽希よ。刀士であるならもっと周りが見えなくてはいかんのう……」

「はい……も……申し訳ありません……」

 この日俺は帰って寝た。当然のことながら羞恥と後悔で眠ることができなかった。

 次の日、皆いつもと同じように俺に接してくれた。まるで昨晩のことなどなかったように。でもたまにいじられる。完璧好青年からいじれる要素が増えたと好評だったりするのだろうか。……すると信じたい。


 実はこの夜、俺には一つの疑問があった。村長の来るタイミングが良すぎはしないだろうか? まるで誰かから合図されたようなタイミングの良さだ。考え過ぎだろうか? もし、合図されていたとしたら……いったい誰が……。


――――勘がいいな。


 六

「では陽希は鬼畜で凌辱なのが好みなので?」

 一年前に何があったのかと俺の性癖について話したが、小白は全く同様の素振りを見せなかった。それどころか、うんうんと相槌を打ち、話を真剣に聞いてくれた。真剣に聞くような話じゃないけど。

「違う! 俺は凌辱で鬼畜なのは大嫌いだ!」

 全力で否定する。

「女の子を泣かせたり辱めるのが趣味なくせに鬼畜で凌辱なのは苦手なので……?」

「しゅ、趣味じゃねェよ!」

「答えになっていないぞ。私は説明が欲しいだけだ。泣かせたり辱めるのが趣味なくせに鬼畜で凌辱なのは苦手な理由をな」

 理由ならある。だが伝わるだろうか。

「女の子が辱められる――――、えーと」

「もしかしてシチュエーションと言いたいので?」

「それだ! 俺はそれ自体は大好きだ。けど……そこに至るまでの過程が、俺は大事だと思う」

「……過程とは?」

「簡単に言うとだな。泣かせたり辱めたりするのが正当か、そうでないかの差だ」

 小白の目がすっと細くなった。分からない問題に出会った受験生のよう。

「全く分からん。もう少し詳しく頼む」

「例を挙げると……例えば女の子に虫を投げつけて泣かせたとする。これは不正だ」

「……では正当なのはなんだ?」

「正当のは……そうだなぁ」

 理由はしっかりしているが、いざ言葉で説明しようと思うと意外と難しい。

 分かりやい例が思いつかぬ……。

「女の子と勝負して叩きのめして泣かせるとかは正当だ」

 そうそう、カードゲームとかで涙目にさせるとかは正当なのだ。

 ということを普通の表情でさらっと答える俺。おいおい、何言ってんだぁ! さすがにこれは引かれるぞ、馬鹿じゃねぇの!?

「ほう……なるほどな。何となく分かってきたぞ」

 小白も普通の表情でさらっと答える。

「女の子が夜這いかけたのに、返り討ちに合うシチュエーションとか陽希は好きではないので?」

「お……おお……!」

 図星である。

 俺は調子に乗った女の子が返り討ちに合うシチュエーションが好きなのだ。

 例を挙げよう。ヒロインが自分の胸を押し付けて主人公を誘惑してきたとする。その場合、主人公が言うセリフは『胸があったてるぞ!?』だ。しかも結構取り乱すことが予想される。すると、返しでヒロインが『これは当ててるの』と答えるのがテンプレ。俺が見てきたアニメでは多かった展開だ。

 しかし、俺はこのような軟弱主人公は軽蔑する! こいつらは自分が弄ばれているということを理解していない鈍感野郎なのだ! もし俺がそのようなシチュエーションに遭遇したら『ごめんなさいごめんなさい』と謝罪するまで揉み続けてやるつもりだ。しかも先に仕掛けてきたのは向こうなので、こちらが悪になることもない! これが正当性というやつなのだ!

 「要するに、女の子を泣かせたり辱めてやりたいけど罪悪感は感じたくない、ということだろう?」

 一言でまとめるとそうでございます。

「おっしゃる通りでございます」

「くひひ……随分とわがままな性癖ですねぇ……?」

「ぐ、ぐう……!」

 わがままな性癖と言われると心にグサっと来るものがある。

 というか本当に小白は物分りが良い。マジに前世で恋仲だったのかもしれない。

「ともあれ……ありがとう小白……君は最高の理解者だ……!」

 俺はまるで啜り泣くかのように小白の前に頭を垂れていた。みっともない体制なので控えていただきたい。

「別に感謝されることでもない。さっきも言っただろう? 恋人の性癖に応えるのは恋人の義務だと。それに――――」

 小白はニヤリとその可憐な表情を歪ませる。そして小白は俺の視界から姿を消した。

「な――――ッ!」

「鈍いんだな……意外と……」

 気が付いたときには小白は俺の正面にいた。

 男を惑わす妖怪のような妖しい光をその瞳に宿し、俺に迫りくる。

「何でお前の性癖を当てられたのか……分かるか……?」

 美しさと可憐さを調和させるとどうなるだろうか。言い方を変えよう、綺麗な絵の具を全部混ぜたら何色になる?

 答えは黒だ。

 では美しさと可憐さを混ぜると? 最終的には不気味さが残る。いや、もっと厄介かもしれない。

 小白の細くても一本の針金の入ったような腕が俺の肩を絡め取る。

 次の瞬間、俺の体は後ろに傾いていた。突如視界に入る天井。

「うぐ……!」

「良い受け身を取るじゃないか」

 俺が体を動かせないように、小白は俺の肩を抑え込んだ。

「私と同じだ」

「な……なにが……?」

 小白の頬がほんのりと赤く染まる。恥ずかしくて赤くなったんじゃない。完全に興奮している。

「性癖だよ……。私も似たような感じなんだ……」

 小白の口角が吊り上る。

 おそらく小白が女優オーディションに応募したら余裕で合格するだろう。演技力とかは考えないものとする。しかし、小白は主人公やヒロインには抜擢されない。小白に相応しいのは――――

「男のプライドをズタズタにしてやりたいんだ……!」

 妖怪や魔女といった悪役。それも改心する余地のない根っからの悪。

「私もお前と同じで罪悪感は感じたくないんでね。でも、女の子を泣かしたいとか言ってる奴ならどう料理しても文句ないよねぇ……!?」

「ひ、ひ――――ッ!」

 小白の圧倒的威圧に怯え、思わず変な声が出てしまう。

「ああ……! 良い声で鳴くなぁ……。でも安心して? 痛い思いはさせないから……」

 すると小白の後ろから一匹の蛇が出現した。その蛇の頭には角が生えていた。そのまま蛇は俺の体を這うと、俺の首筋に牙を立てた。

「噛んでやろうか?」

 悪役満点の小白の声が響く。

「何なんだよ! この蛇は!?」

「おや? 気が付いていないので? これは私と陽希の共通意識。実際にはいないのでご安心を」

「共通意識って何!?」

 小白は可憐な顔を台無しにしながら、小首をかしげる。

「共通意識……これこそが私達が前世で結ばれていた証ですよ。私達は意識を共通し、実際に無いものでも感覚を共有できる。崖で出会ったときに発見しました」


 ――――おお! 凄いな! それでこそ我が見込んだ女だ! お前もそう思うだろう!?


 ――――………………。


 ――――あー。無視ですかー、そーですかー。


「ああ、ああ……、噛んでやりたい泣かせたい痛めつけたい辱めてやりたい……!」

 真っ白で美しい肌を赤く染め上る。一般に女の子が赤くなるのは可愛いと賞されるものだけど、小白の場合は毒々しくて不気味だ。というか興奮の度合いが尋常じゃない。これがデレヤンというやつなのか!?

「おおお、落ち着いてくれませんかねェ!!」

 完全にぶっ飛んだレベルで興奮してしまった小白を、俺は全力で静止する。

 すると小白から赤さが消え、元の美しい白色へと戻った。

「おっと失礼。少々前世の記憶が倒錯して興奮してしまった。悪かったねぇ……」

 意外にも小白はあっさり落ち着きを取り戻し、俺の体を解放した。反対に俺は女の子に抑え込まれていたからだろうか、心拍数が恐ろしい程に上がっていた。

「おやおや、陽希ぃ? もしかして女の子に抑え込まれて興奮してしまったのでぇ……?」

「してねェよ!! 俺はお前を泣かす側だからな!」

「くはは……! それでこそ我恋人! そうでなくては!」


 ――――パクッた!?


「もっとも、泣かせて痛めつけるのは私の方だがな」

 再び小白の背後から一匹の蛇が現れる。あの蛇……どっかで見たような……。

「ああ、君の泣き顔を拝む日が楽しみだよ」

 売り言葉に買い言葉と言わんばかりに俺も反撃する。

 恋人を泣かせ合う、可笑しなカップルが誕生してしまった。


 ――――お前の泣き顔を見る日が我も楽しみだ。


 ――――…………。





 突如俺の頭にノイズが走る。例えるなら、今まで気持ちよく見ていたテレビに、砂嵐が入り、突如別の番組が割り込んでくる感じ。

 そこにいたのは一組の男女。場所はおそらく女の部屋。二人は楽しそうに笑いながら、手に持つ小型機器を真剣に凝視していた。小型機器には画面が付いていて、画面の中で二匹の蛇が睨み合っていた。

 小白の出したあの蛇だ。

 誰かの記憶はそこで終わった。


 ――――誰かの記憶と称すか。救いようのないクズだな。



 七

 ところ変わってここは藤見亭道場。刀士の昇格試験が行われる場所でもある。

 今、一組の男女が模造刀を持ち向かい合っている。漆黒の黒髪を持つ美少女小白の目は何時になく真剣で、先ほどとはまるで別人のようだ。

「では陽希、お手合わせ願います」

 礼儀正しく会釈する小白。それに合わせ、俺も会釈をし返す。

「よろしく小白。先功は君に譲るよ」

「ではありがたく先攻は貰おう。――――――――行くぞッ!」

 小白が道場の床を蹴り、俺との間合いを一瞬で詰めた。小白と俺の瞳が交錯する。母さんに勝るとも劣るとも言えない鋭い眼光は、鹿の称号を持つに相応しい。

「はぁあああッ!」

 小白から鋭い斬撃が繰り出される。その鋭さとは反対に、美しい黒髪はふわりと宙を舞った。

 一撃を見れば分かる。小白はきっと相当の鍛錬を積んできたのだ。だが、鍛錬を積んできた量なら俺も負けていない。弟の死を無駄にしないためにも、征鬼士を殺すためにも、俺は毎日鍛錬を欠かさなかったのだ。


 ――――さてさて、どちらが勝つことやら……。


「やるな。今のは私の必勝パターンだったんだが……」

「そっちこそ……俺の想像以上の素早さだったよ」

 先の小白の斬撃は俺を捉えることはなかった。俺は寸でのところで小白の斬撃を躱し、一旦距離を取ったのだ。

「次で捉えさせてもらおうか……!」

 再び小白が床を蹴り上げる。まるで爆弾でも落ちたような音を引っ提げて。

 またしても小白との距離がゼロになる。並大抵の奴なら、突然消える間合いに怯んでしまうことだろう。

 上段から繰り出される小白の斬撃は確かに鋭い。しかし、龍ほどの鋭さはない。母さんと比べたら鈍だ。それに先の一撃で小白の斬撃は見切ったつもりだ。

「くらえ―――ッ!!」

 その斬撃を見れば、小白も俺と同じくらい強くならなくてはならない理由があることを思い知らされる。心……いや、魂のこもった斬撃なのだ。

 ならば俺も全力で答えなくてはならない。それにこの程度の相手に手こずっているようでは、征鬼士を殺すなど夢のまた夢だ。

 俺は昨日習得したばかりの必殺技を放った―――――。

「あ―――――、あれ?」

 戦闘状態だった小白の目が驚きに変わる。しかし、それは当然の反応といえる。真下に放ったはずの斬撃が一瞬のうちに横方向に変わっていたのだから。

「――――――っ!!」

 小白が驚いていた時間も短かった。小白はすぐに再び臨戦態勢を整えようとしたのだ。不測の事態にも対応する能力……流石といえる。

 だがもう遅い、いなされて体制を崩された瞬間から小白に勝ち目はない。いなしが成功した時点で追撃の構えを取っていた俺には。

「せいッ!!」

「く…………ッ!」

 小白は辛うじてギリギリで俺の追撃を避けた。だがそれも俺の計算の内だ。

「きゃ―――――!?」

 小白は俺の脚につまずいた。体は立て直しが不能なレベルで傾いている。

最初の斬撃を見た時点で小白を相当の手練れと判断した俺は、追撃を躱されることも視野に入れていたのだ。

「あぐ…………」

 小白は転んでも刀を離すことはなかった。それどころか切っ先を俺に向け、目は完全に戦闘モードだ。刀を持っていない方の手も、捻らない方向で受け身を取っている。

「本当に凄いよ、君は。正直、ちょっと見直したかな……」

 俺は刀の側面で、小白の手首の辺りを素早く叩いた。

「痛ッ…………!」

 小白の手首が一瞬硬直し、持っていた刀を手放した。

「はあ……はぁ……ッ!」

 手首を抑え、苦しそうな息遣いをする小白。少し強く叩きすぎてしまったかもしれない。

「俺の勝ちだ」

 小白の喉元に切っ先を突きつける。

「私の……くっ……、負けか……っ」

 目は俺を睨んでいるが、痛みを必死で堪えているのが分かる。

「強いんだな……陽希は……」

 痛みを堪えながら、小白は全力の笑顔を作っていた。

 痛みの中作る笑顔は見ていて苦しいものがある。

 どんなに痛くても、俺の前では笑顔を絶やさない。

 再び俺の頭にノイズが走る。

 流れてくるのは一組の男女の楽しかった思い出。それ以上の苦しくて痛々しい記憶。紅い傷跡。俺を貫いた銀色の刀。そして、未知の言葉。


『もう一度チャンスを与えてやる。その代り、余らに協力せよ』



 八

「中々に綺麗な眺めではないか。気に入ったぞ」

「それはどうも」

 ここは藤見亭の庭である。俺と小白は庭にある小さなベンチに腰掛け、夜空の眺めを楽しんでいる。

 小白は一応<京界>からの使者であるので、このくらいのもてなしは当然である。

「して陽希? 今日はもう寝るのか?」

「何もなければ寝る予定だよ」

 小白は頬に手を当て、瞳をほんのりと濡らした。

「私も初めてを奉げる日が来てしまったわけか……」

「何言ってんの!? 俺は何もしないからね!?」

「くひひ……冗談ですよ。それにしても可愛いなぁ、陽希は。今すぐ、辱めて、痛めつけてやりたくなってしまう」

 小白は俺と視線を合わせようとしなかった。夜空が綺麗で見とれているというよりは、意図的に俺と視線を合わせようとしていないようだ。

「……陽希?」

「何だ?」

 小白の口調ひとつで、俺は次に来る話題が真剣なものであることを察知した。

「お前は村長様の家で私からは何も感じないと言った。それは本当か……?」

「……ああ、そうだな。逆に小白は何か感じるのか?」

 小白はゆっくりと俺と視線を合わせ、微笑んだ。

「感じるよ。陽希といると……時々頭の中にノイズみたいなのが走って……楽しかった記憶……いや、苦しくてどうしようもない感情が流れ込んでくるんだ」

「…………」

「あれは私の前世の記憶。お前と結ばれなかった世界の記憶」

 小白の声は弱々しく、今にも泣きそうだった。恋人としては今すぐに抱きしめて、慰めてやりたいところだ。


 ――――お前に小白を抱擁する権利などない! たわけが!!


「陽希はないのか? そういうの」

「ごめん。全くない」

 きっぱりと答える陽希。

 夜空に緑の煙弾が上がった。あの煙弾は問題ない。

「ははは! 陽希はそういうやつか」

 力なく笑う小白は、見ていて苦しいものがある。

「……なんかごめん」

「別にいいんだ。過去に囚われないのも大事だと私は思うぞ」

 小白は再び俺の視線を外す。

「ところで……陽希はどうして刀士になったので?」

「俺は……」

 脳裏に浮かぶのはあの忌々しい記憶。二人の弟を失った最悪な記憶。

 俺が刀士になったのは征鬼士を殺すためだ。二人の弟の死を無駄にしないためだ。

 でも、今ここでそれを小白に言うのは間違っている。

「征鬼士みたいに強くなって、鬼を殲滅するため……かな……?」

 気づくと小白は俺のことをじーっと眺めていた。全てを見透かしたような神秘的な瞳だ。

「嘘だろ」

「な……!?」

 簡単にばれてしまった。俺の反応を見て嘘であることを確信したのか、小白は勝ち誇った笑みを見せた。

「恋人に嘘をつくとはいい度胸だ。まあ、人には言いたくないことの一つや二つはあるからな。詮索はしないでおいてやる」

「お……おう……」

 こういうのを見ていると、本当に小白と前世で恋仲であった気がしてきてしまうのだ。

「じゃあ、小白はどうして刀士を目指しているんだ……?」

 一応聞き返してみる。それに先ほどの一太刀から小白は相当の鍛錬を積んできているのは間違いない。

「私か? 私はただ単純に……征鬼士の方々のお役に立ちたいだけだ……。もし……もしできたらだけど、私も……征鬼士になりたいんだ……!」

 さっき本当のことを言わなくてよかったと思う。征鬼士になりたいと語る小白の瞳はきらきら輝いていた。

「そうか、頑張るんだぞ」

 小白の言ったことが何を意味するのか俺は直感的に理解したつもりだ。

 征鬼士に憧れる者と殺そうとする者。二人が決して相容れない存在なのは火を見るよりも明らかだ。

 小白は俺の計画を知ったらどうするだろうか? 俺を止めるのだろうか? 告発するのだろうか?

 いや、違う。これは俺の何となくの勘だけれど、きっと、小白は俺を殺そうとするだろう。先の手合せで、小白は俺を完全に殺しに来ていた。真刀だったらもしかしたら負けていたかもしれない。

「陽希? おーい、陽希―?」

「……な……何かな……?」

「恋人を前にぼーっとしやがって……!」

「も、申し訳ありません……」


 ――――ハハハ! お前に似て考え事の多いやつだ。


 ――――…………。


 ――――あのー、そろそろ口きいてくれません?


「陽希よ、小指を出せ。指切りだ」

 偉そうな口調で俺に小指を差し出した。

「……何を約束するんだ?」

「馬鹿が。決まっているだろう?」

 俺が自分の小指を差し出すと、小白はとても嬉しそうに笑った。この笑顔のまま、いつまでも俺の横に居てほしいと願ってしまう。

「約束だ。私達は前世で結ばれなかった。きっと悲劇的な決別をしたんだと思う。だから――――、今回は――――、絶対に幸せになろうなっ!!」

 そのままゆっくりと、俺と小白の小指が近づいてゆく――――。

 そのときだった――――。

 目の前の光景に、俺は文字通り凍りついた。

 小白との指切りもほったらかして、俺は立ち上がると、そのまま塀をよじ登った。

「小白! 俺が戻るまで絶対にここを動くな! いいな!?」

 そのまま俺は塀を飛び下り、目的地へと急いだ。

「え……? ちょっと待って……」

 

 ――――あーあ、いい感じだったのになァ……。



 九

「くそ……ッ! 何でなんだよ……ッ!」

 ただひたすらには走る。行先は決まっている。

「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」

 目的地に着いたときには息は上がりきっていた。汗もかなりかき、服がぬれて気持ち悪い。走ったから汗をかいたのではない。ただ、単純に、この現状に、怯えているのだ。

「う……っ!」

 真っ赤な花が<赤見村>門前に咲いていた。遠目で見れば、綺麗で見とれてしまうかもしれない。

「与道……奏斗……っ」

 しかし、それは間違っている。その赤い花に見えるものは全て、俺の仲間の血なのだから。

 よくよく見れば、所々に人間の体の残骸のようなものが落ちている。酷いありさまだ。

 そしてその中心部に位置する異質の存在、鬼。全身を紫色で覆われるそれは、仲間の体を貪っていた。パッと見ではキツネのように見えなくもないが、キツネにしては巨大であるし、口は首まで裂けている。

「は……陽希さん……っ!?」

 惨状の場から少し離れたこの場所で一人の少年が震えていた。

「奏斗ッ! どういう状況だ! これは!?」

「分かりません……! それより与道さんが……与道さんが……ッ!」

 小柄な漆部の腕には、その腕に収まらないほどの巨体が抱かれていた。

「与道……っ、腕……」

 ひどい出血だった。傷口を千切った服で抑えているが意味はなさそうだ。

 与道の右腕の肘から下はなかった。

「陽希か……すまん……しくじっちまった……」

「説明してくれ……与道……っ!」

 惨劇を引き起こしたであろう鬼は、よく見かけるタイプの鬼なのだ。この手の鬼は与道は何度も討伐経験があるし、これだけの防衛ラインを引いていればあと四体ぐらいいても余裕で討伐できるはずなのだ。

 しかし結果は惨敗。与道と漆部を残して全滅。

「気をつけろ……特異個体だ…………。もう一体いる……っ」

「そいつは今どこにいる!?」

「分からねぇ…………。姿を消す…………鬼だ……」

 俺は慌てて辺りを見渡すが、それらしい姿はない。

 姿を消す特異個体の鬼、かなり危険だ。

「もう村の奥にまで行っているかも…………っ」

「くそ……ッ!」

 鬼は人を喰らう異形の化け物だ。発生原因など詳しいことは分かっていない。しかし、きちんと訓練すれば討伐することも決して難しくはない。

 しかし、特異個体は別だ。強力な力を持つ特異個体は、過去に甚大な被害を出している。

「その鬼は…………後ろから…………麻痺……だ……っ」

「何ですか!? 麻痺って!?」

 与道に呼びかけるも、与道は息も絶え絶えで、とても喋れる様子ではない。

「麻痺ですッ! 陽希さんッ! 紫の鬼に先輩達が気を取られてる間に特異個体が後ろに回り込んで刺してんですッ! そしたら先輩達の動きが鈍くなって…………う――――――ッ」

 漆部が説明してくれたのは有難い。途中で惨状を思い出してしまったらしく、吐いてしまったが。

「ありがとう、奏斗。それで十分だ。与道を連れて、早く皆のところへ行ってくれ。お前の役目はまだ終わってないんだぞ?」

 俺は漆部を安心させるために出来るだけ落ち着いて平常心を保った。

 漆部と与道の話からするに、目の前の紫色の鬼の他に特異個体が一体。特異個体は姿を消す能力を保持。後ろに回り込んで麻痺を打ち込む狡猾さを秘めている。与道と漆部が特異個体の存在を確認していることから、攻撃の瞬間に姿を現すことが考えられる。

 問題は、特異個体が村の奥に入っていないか、というところである。

「陽希さんは…………?」

涙目で訪ねてくる漆部。

「赤い煙弾を打ったのは奏斗か…………?」

「はい……」

「なら分かっているはずだ…………。俺が何をするのか」

 鬼が村に侵入し、戦闘態勢に入るときは緑の煙弾を打ち上げるのが<赤見村>のルールだ。鬼の数が多くて応援が必要なときは、紫の煙弾を打ち上げる。

 そして、赤い煙弾は――――――――。

「行け、奏斗」

 俺は感情を押し殺した。

「…………分かりました」

 漆部も俺の決意を理解したらしく、無言で与道に肩を貸すと、その場から去った。

 

赤い煙弾、強力な鬼が侵攻したときに打ち上げる。その意味はこうだ。

『全自衛団は村人を地下避難区に誘導せよ。鬼の活動が鈍くなる日の出まで防衛に当たれ。


 これだけなら何ら問題はない。俺もここまで恐怖に苛まれることは無かったろうに。


最高戦力保持者は単騎での対象の討伐を命ずる』

 

 単騎での討伐命令、生きて帰れる保証はない。


 十

 考えられることは二つだ。

 一つ目、特異個体の鬼は村の奥に侵攻してしまった。

 二つ目、特異個体の鬼は俺に麻痺を打ち込むため近辺に潜んでいる。

「……どこかにいるな」

 俺は一つ目の可能性を即座に棄却した。なぜなら村の奥に侵入しているなら、もう何かしらの被害が出ているからだ。

 つまりは特異個体は俺が油断するのを待っている。

 きっと俺が目の前の紫と戦闘を開始して隙をついて、といったところだろう。

「厳しいな」

 こっちは一人である以上、背後からの攻撃を防ぐ手段はない。

 そのとき、背後で気配がした。

「―――――――――――ッ!?」

 特異個体の奇襲と考え、後ろに刀を振るが、空振りに終わる。

 俺の背後にいたのは、特異個体ではなく、黒と白を調和させた美少女であった。

「来るなって言っただろう!?」

 思わず目の前の少女に怒鳴りつける。

「…………私に出来ることはないか?」

 落ち着いていた。少なくとも俺よりは。

 小白は目の前の惨状を冷めた瞳で見つめていた。

「何で来たんだ!?」

 もう一度小白に怒鳴ったときだった。小白の瞳が、まるでナイフのような鋭い視線へと変わった。

「何を焦っている…………。私を打ち負かした人間が怯えて……みっともないぞ……!」

 凄くドスの効いた声だった。十七の少女が出せる声じゃない。異常だ。

 だが、その異常さは俺の恐怖を吹き飛ばすには十分すぎた。

 俺は一旦深呼吸して、頭の中をリセットする。向こうが二体ならこっちは二人だ。しかもこちとら前世で恋仲ときた。コンビネーションは抜群……なはずだ。

「小白に協力して欲しい」

 俺は素直に小白へ協力を要請した。

「良いだろう、私は何をすればいいんだ?」

 小白は場違いな笑顔を返した。



 俺は小白に現在の状況を説明した。具体的には侵攻した鬼が二体であること、そのうち一体は特異個体で、姿を消す能力を持っていること。

「なるほどな。私は陽希が紫の鬼と戦闘している間、特異個体の奇襲を陽希に伝えればいいんだな?」

「そういう事だ。でも気をつけろよ。ひょっとしたら、特異個体は小白を先に狙ってくるかもしれない」

「そうなったら私に防ぐ手段はないな。骨は拾ってくれよ?」

 冗談じみた笑顔を見せる小白だが、それは最悪のパターン。

 俺と小白の作戦はこうだ。俺は目の前の紫の討伐に専念する。その隙を突き、背後から

 奇襲をしかけた特異個体の存在を小白が俺に合図し、俺が特異個体を討取るというもの。

 タイミングさえ合えば真後ろとはいえ攻撃は当たるし、攻撃を当てれば奴から出る血でだいたいの位置は分かる。俺が麻痺しても、奴に攻撃を当てさえすれば、小白の実力なら十二分に対処できるはずだ。

 最も、小白が最初に狙われたら防ぐ手段はない。そのときは小白は死んで俺も死ぬだろう。

「して陽希、合図はこれにしよう」

 俺の体がビクッと震える。まるで血管の中に未知の液体が注ぎ込まれたような感覚だ。しかし、決して不快な感覚ではない。

「い……今のは…………?」

「これもきっと、前世で結ばれていた恩恵だな」

 優しい微笑みを小白は見せた。

「……今回は前世の俺に感謝だ」

 俺は腰に差してある刀をゆっくりと抜いた。刀身が月夜の光で美しく輝く。

「……小白、行ってくる……」

「では、陽希に賢者様の御加護がありますように」


 ――――賢者様の加護ねぇ。ま、悪い気はしないな。


 ぺちゃ。俺が紫の鬼に近づこうと一歩踏み出すたびに鳴る不快な音だ。

「………………」

 血の水たまり。何人の仲間がこいつに殺されたことだろうか。紫の鬼は決して強力な鬼ではない。はっきり言おう、雑魚だ。その雑魚に殺されることは、無念で、屈辱で、苦しかったことだろう。

 仲間のことを考えると怒りでおかしくなってしまいそうだ。しかし、ここは冷静でなくてはならない。怒りは勝利から最も遠い感情。仲間を、雑魚に殺されたカスと嘲笑うくらいの冷酷さが必要なのだ。そうでなくては、特異個体は討取れない。小白を守れない。小白と結ばれない。

 俺の意識にノイズが走る。それは俺と小白の前世の幸せな思い出。そして、痛々しい決別。俺は小白を不幸にしてしまった。だから、絶対に小白と幸せを勝ち取ってやる!

「ようこそ、<赤見村>へ。お味の方はお気に召したでしょうか?」

 紫の鬼はこちらに向き直り、唸り声を上げた。耳まで裂けた口から唾液と血が混ざった液体が漏れだしている。

「はは……こういうの何が悪いって言うんだっけ? 小白は綺麗に食べてたぞ?」

 きっとテーブルマナーが悪いと言いたいのだろう。

「グォオオオオオオオオッ!!」

 紫の鬼が雄叫びを上げる。<絶瞳ぜつどう>と呼ばれる紅い瞳に、俺が獲物として映る。

 次の瞬間、鬼は俺に向かって駆け出した。巨大な口を全開にして。

 きっと仲間もこんな感じに喰われたのだろう。そう思うと、俺の中で怒りが込み上げてくる。

「おやおや、お客様。追加の代金はいただいておりませんねェ……ッ!」

 狙う場所は決まっている。<絶瞳>だ。

 真っ直ぐ駆け出してくる鬼をギリギリのところで躱した。ちょうど闘牛士みたいに。

 横にそれた俺の瞳と、鬼の<絶瞳>が合う。<絶瞳>はもう何度も見てきているが、それでも見慣れることはない。赤ではなく紅く光るその瞳は不気味で、目があった者を恐怖のどん底に陥れる。

「行くぞ――――、【斬鬼龍ざんきりゅう】――――!」


 ――――うわー、厨二っぽいよー。我のネーミングセンスの足元にも及ばんなァ……。


 俺が自らの刀の名を叫ぶと、刀が一瞬光る。鬼を斬ることと龍になりたいという思いから、俺は刀を【斬鬼龍】と名付けた。

 俺の放った斬撃は、鬼の<絶瞳>に吸い込まれていき―――――――――

「グガァァアアアアア!!」

 命中した。紫の鬼は<絶瞳>を斬られた激痛に悶絶する。<絶瞳>から噴き出した大量の血液が俺の頬を濡らした。

 <絶瞳>には大量の血管と神経が集中しているらしく、鬼にとっては急所である。

 その場でピクピク痙攣する鬼を尻目に【斬鬼龍】に着いた血を払う。

「特異個体がどこにいるのか教えてくれたら、生かしてあげなくもないよ?」

 鬼とコミュニケーションを取ることは出来ない。それを知っていて聞いてるあたり、俺はかなり激昂しているようだ。

「セキ……マモ……」

 鬼は痙攣しながら呻く。人間の言葉に聞こえなくもないが……。

「死ねよ、くそ鬼」

 俺は躊躇なく【斬鬼龍】で喉元を掻き切った。鬼は痙攣をやめ、二度と動くことはなかった。

 ジュ――――という音とともに鬼の死体から紫色の湯気が立ち上る。死んだ鬼の肉体は蒸気となって消える。故に鬼の研究は全く進んでいないのだ。

「小白!!」

 俺は後ろを振り返り、小白に向かって叫ぶ。特異個体はいなかったのか、と。すると小白はゆっくりと首を横に振った。

「嘘だろ……」

 考えられることは最も最悪なパターンであり、俺がすぐさま捨てた可能性。

 特異個体は村の奥に侵攻してしまった――――。

 初めからこの場に特異個体はいなかった。門と住宅地は離れているから、被害があっても俺が気づくことはない。奴の狡猾さから考えるに、避難誘導をしている自衛団から先に狙うだろう。

「…………ッ!」

 じっとしてはいられなかった。すぐさま駆けつけなければならない。そう思い、住宅地へ向かい駆け出そうとしたときだった――――。

「陽希――――ッ!」

 小白の顔が恐怖に歪む。俺の体に流れ込む、今までに感じたことのない感覚。合図である。しかし、それは無意味だ。俺は合図に反応する準備をやめていたのだから。

「あ……ぐあ…………っ!」

 侮っていた。奴は隙を突いて云々、なんてレベルじゃない。俺が完全に自分を警戒しなくなる瞬間を狙っていたのだ。

 鬼の姿を確認しようと、動ける力を振り絞って首だけ振り返る。

「ケケケ……!」

 トカゲのような姿をした鬼だった。全身を橙色の鱗に覆われ、意地汚い笑みを浮かべる。最も注目するべきは頭に生えた一角のような角だ。その角は俺の左肩甲骨の辺りに突き刺さっていた。

「うううう……!!」

 動こうとするが、全身に麻痺が回ってきて思うように動けない。

「セキ……ジョウイ……ゴカン!」

 鬼は人間の言葉のような唸り声をあげると、角をまるでアンテナのようにたたみ姿を消した。

「は……あ……ッ」

 息をするのも苦しい、視界がぼやける。体はもうほとんど動かせそうにない。

「ぁ…………っ!」

 俺は渾身の力を以て、一歩、また一歩と踏み出した。この行動に特に意味はない。ただこの場から離れたいだけ。

「あああ…………」

 もうかなり麻痺が回ってきてしまった。一歩前に進むどころか立っていることも苦しい。

「――――っ!?」

 体が突然ふらついた。俺の体はゆっくりと後ろに傾いていく。

 これではまずいと思った。このままでは確実に後頭部を地面に打ち付け、意識を失うことだろう。それだけは避けなくてはならない。

「は…………っ」

 倒れ込む前に何とか体を半回転させることに成功した。俺はそのまま腕から着地し、うつ伏せに倒れ込む。

 鬼の姿を確認しようと辺りを見渡すも姿は見えない。姿を消すのだから当然か。

 だが、俺のすぐ真横に、真っ白な木が生えていた。自然界ではありない美しい色合い。

「小白……逃げろ……」

 当然そんな木は存在しない。木に見えたのは小白の脚だった。いつの間にか、小白のところまで逃げ延びたらしい。

 小白は膝を折り、倒れ込んだ俺を見つめる。前に垂れた黒髪を耳に掻き揚げる仕草が可愛らしい。しかし、彼女の目つきはまるで俺を試すような挑発的なものだった。

「もし……恋人が討伐対象だったら……陽希は恋人を殺しますか?」

 意味不明な質問だった。しかし、小白にとっては大切な質問であることが、小白の目から伝わってくる。いい加減な回答は、してはならないだろう。

「何を言ってるんだ……?」

「ごめんね、変なこと聞いて。でも、これは大事なこと。答えてくれないかな?」

 恋人が討伐対象だったら殺すかって? そんなこと――――

「俺だったら殺す。……刀士なら……恋人だからとか、そんな感情は……討伐対象に抱いてはいけない……っ」

 息が苦しかったが、陽希は何とか自分の考えを言葉にすることができた。

「ありがとう。それなら私も安心だ」

 小白は屈託のない笑顔を見せると、さっき俺が刺された場所まで歩いていく。

 その後ろ姿は、人間のようで、人間のものでなかった。

 

 十一

「何やってる!? 早くこの場から立ち去れ!!」

 血の水たまりの中を歩いていく小白に向かって俺は全力で叫ぶ。体はまだ思うように動かないが、視界ははっきりしてきたし息も苦しくない。即効性はあっても持続性はないようだ。

「大丈夫だ。私の活躍をそこで見ておけ」

 自信たっぷりの声色だ。

「頼むから逃げてくれ! 俺はお前を失いたくない!」

 しかし、俺は彼女のことを信用することは出来ない。いや、違う。彼女が殺されるところを見たくないのだ。


 ――――おー、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。クズのくせに生意気だがな!


「うるさいなぁ……」

 小白は腰に差してある刀をゆっくりと抜く。その刀身は純白の白。気味の悪いくらいに白かった。

 そのまま小白は片腕で刀を持ち、もう片方の腕で、自分の黒髪を一束掴んだ。そして小白は自分の髪を刀で切り裂いた――――――――――。

 切り裂かれた美しい黒髪が宙を舞う。俺がその黒髪に見とれたときだった。真っ白な輝きが小白の体を包み込んでゆく。純白の刀身から放たれる輝きは、この世界に神の存在を決定づけているようだ。

「………………」

 俺は思わずその輝きに見とれていた。美しく一切の邪悪さも感じ取らせない。まさに天使のような光だ。


カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ カサ


 とても、非常に不快な音。全人類はこの音が嫌いだし、拒絶反応を起こす人もいるかもしれない。

 それは俺も同じだ。この音は不快感以外に何も感じさせない。視界から入ってくる美しさと耳から入ってくる不快感が合わさり、ただただ不気味な気分になる。

 光が散乱し、中にいた存在の姿が明らかになる。美しい黒髪はそのままであるが、その体は純白の装束に包まれている。白かった帯は黒く染め上っていた。腰布は四層に折り重なっており、昆虫の羽を彷彿とさせる。そして、こめかみの辺りから生えた二本のどす黒く禍々しい角は天を仰ぎ、その存在が人間でないことを決定づける。白い部分が大半を占めているにも関わらず、その姿から連想される色は黒。

「こは……く……?」

 分からない。小白が何なのか俺には分からない。

「陽希! 私がその特異個体とやらを仕留めてやろう」

 小白の手元に光が集まっていく。その光は純白の槍を形成し、小白はそれをしっかりと握った。


ガチチチチチチチチチチ!


 二本の角が振動し、気持ちの良くない音を立てる。

 俺も刀を握りしめ、戦闘に備える。最も、体はまだ動かないが。

「…………っ!?」

 突如、俺の横にあった小石が不自然な動きを見せた。風は少し吹いているが、それでも不自然だ。

「ゲゲゲゲゲ――――!」

 俺の横から突如として特異個体が姿を現し、飛び掛かってきた。巨大な口を全開に明け、俺を食い殺そうとしてくる。

「く―――――――ッ!」

 俺も慌てて刀を特異個体へと向けるが間に合わない。そもそも俺を先に狙ってくるのは当然のことだった。麻痺が機能している間に仕留めた方が効率が良いし、何より俺を先に仕留めることで、小白の動揺を誘うことができる。

 口の中にずらりと並んだ無数の牙。きっと多くの人間がこの牙の餌食になったことだろう。

 そして陽希もその一人となるのだ――――――――。

「え…………?」

 しかし、俺はその牙の餌食になることはなかった。特異個体は空中に静止していた。特異個体も何が起こったのか分からないらしく、動こうと全身をくねらせるが、その場から動くことは出来ないようだ。

「これは…………」

 俺は特異個体が空中で動けない理由を理解した。特異個体の首元を貫通した槍が地面へと突き刺さり、ちょうど串刺し状態となっているのだ。

「姿を消す能力。厄介だけど私の前じゃ無力だね」

 小白は俺の傍に来ていたが、ある一定の距離以上近づこうとしない。

 小白は手を前に突き出すと特異個体を串刺しにしていた槍が消え、再び光となって小白の手の中に集まっていく。

「セキ……オマエ……ヨリモ……」

 急所を一撃で突かれたらしく、特異個体は死滅した。橙色の蒸気が立ち上る。

「小白……君は一体何なんだ……?」

 俺は小白を見上げ、問いかける。

「……分かってるくせに」

 小白は呆れているとも、嘲笑っているともとれる表情を見せた。

 そのとき雲が掛かっていた月が姿を現し、小白の左半身を照らした。

「――――――――ッ!?」

 その左側にあるものは禍々しく毒々しい。俺は絶句した。



 その昔、鬼と人間の間で戦争が起きた。具体的に何年前かは分かっていない。

 鬼と人間の戦力差は歴然だった。数では人が勝っていたが、個々の戦力は鬼の比にならず、多くの人間が殺された。

 人の敗北が目に見えたときだった、一人の鬼が人間に味方することを決意した。しかし、彼は信用されなかった。だから彼は自らの魂を九つに分け、その一つ一つを刀の姿に変えると、九人の刀士に与えた。後にその刀は<刃鬼はき>と呼ばれることになる。

 <刃鬼>を手にした刀士達は鬼の力を使い、人間を勝利に導いた。

当時の王は九人の刀士達に、一から九の番号の入った性を、活躍した順に授けた。

鬼の力を以て鬼を征すその姿から、人は彼らを征鬼士と呼ぶ――――――。


「小白……ッ、お前は――――ッ」

「ええ、ええそうですとも! 私は十人目の奇跡――――――」


 征鬼士が鬼の力を使うこと、すなわち<刃鬼>との融合は、<鬼化>と呼ばれる。

 そして<鬼化>した際、征鬼士の体に決定的な変化が現れる――――。


「私の名前は十宮小白! 奇跡の十人目の征鬼士なりッ!!」

 見開かれた彼女の左目は、紅く燃え上がる<絶瞳>であった。本来白目である部分は紅く、異常なまでに小さくなった黒目は白く縁どられていた。




十宮小白

使用<刃鬼>――――【神魔槍グングニル】

<鬼化>名――――【羽化黒漏血ブラットオディア

<天命>――――【四賢者・コハク】 Lv.100

メタ度――――★★☆☆☆

<刃鬼>と<鬼化>の名前を命名したのはコハクである。


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