第7話 『おんぶ』
「ね、ねぇ、片桐くん」
「な、何だ?」
「お、重くないかな……?」
「まあ、鍛えてるからな。女の子1人くらいなら全然平気だよ」
嘘だ。
いや、嘘ではないが、重さとはまた違う、別の意味で平気ではなかった。
どの道、リンくらいの女の子1人を背負うくらい、魔導師であろうがなかろうが、将真としては問題はなかった。
そうしてダメージが癒えきっていないリンをおぶってここまで来たわけだが、冷静になってみるとやはり気恥ずかしい。
夜道とは言え、人目が全くないことはないだろう。どこかで見られているかと思うと余計に恥ずかしかった。
まあ、おぶわれているリンの恥ずかしさは、将真の比ではなかろうが。
「や、やっぱり恥ずかしいよ……」
「ま、まあ、寮までの辛抱だ。頑張れ」
「う、うん。頑張る、ね……」
か細い声で、リンが答えた。
何気なく後ろを振り向くと、赤面して、涙目で将真の背中にしがみつくリンの顔が目の前にあった。
正直、可愛いと思った。心臓が、早鐘のように打ち始める。
(静まれ、俺の心臓っ!)
リンの吐息が耳にかかって、妙にくすぐったい。
リンは、どちらかというと小柄な少女で華奢だ。
もちろん無論全体的に発展途上なのだが、それでも背中に押し付けられる予想外の弾力があった。正直、変な気を起こさせようとしてるようである意味恐ろしい。
そして、思わずそんな事を意識してしまい自然と顔が熱くなる将真。
それでも気になって、どうしても後ろを向いてしまう。
顔がとても近い。ぱっちり開いた大きな目。そして小ぶりな桜色の唇が、リンの可愛らしさを引き立てているような気がする。
(改めて見ると、小柄だけど間違いなく美少女なんだよなぁ)
結構親しみやすい性格をしていたせいかあまり考えなかった。
加えて、まだ二日関わった程度だ。仲良くはなっても、こんな美少女と、こんな至近距離。意識しない男子がいたら、そいつはきっと天性の馬鹿か、男好きに違いない
すると、そんな将真の視線に気がついたのか、リンが顔を上げる。
「……どうかした?」
「い、いや、別に……!」
慌てて将真は前を向きなおす。
(何か、気まずいなぁ)
こう見えても将真は、『表世界』で学生最強の剣道選手だったのだ。
女子と仲良くなる機会は決して少なくなかったし、告白されたことだってある。
だが、将真は特別イケメンなわけでもなく、当時は、そういうのは煩わしいと思っていたので、将真のほうから女の子と仲良くなる機会を捨てていたわけだ。
だから結局、あまり女の子にあまり慣れていないのだった。
「……調子狂うぜ、全くよー……」
リンにも聞こえない程度の小声で、将真はぼやいた。
その声が聞こえたわけでもあるまいが、リンが話しかけてくる。
「ねぇ……片桐、くん……」
ただ、何か口調がたどたどしくなっていた。
もしや体調が悪くなったのでは、と将真は少し不安を覚える。
「どうした?」
「ちょっと……寝てもいい、かな……何か、すごく眠くて……」
「あ、ああ。そんな事か。いいぜ。休めるときに休んどけ」
大したことではなかった。将真は安心してホッと息をついた。ちなみに今の言葉は、将真のモットーと言ってもいい一言だった。
「それじゃあ、おことばに、あまえて……」
「……時雨?」
「……」
「はやっ」
(寝るの早っ!)
思わず、心の中で突っ込んでいた。無論、声には出さない。起こしてしまうだろうから。とは言え、将真からすれば、非常に羨ましい、この寝付くまでの速さ。
(俺なんてなかなか寝付けないもんだから、休めるときに休むべきだと思ってたのに!)
そんな将真の心の叫びなど聞こえるはずもなく、リンが心地よさそうにすぅすぅと寝息を立てている。
(やばい、超可愛い!)
女の子の寝顔など、滅多に見られる者ではない。あどけない寝顔が特に可愛らしかった。
(まって、やっぱ寝ないで! 自分の理性がどこまで耐えられるかわからないよ!)
そしてそんな将真の葛藤さえも知る由もなく、リンが時折「んっ……」とか声を漏らしたり、身を捩ったりしている。
とても危険だった。天然だろうが、小悪魔じみている。
(す、少しくらい触ってもいいんじゃないですかね……)
将真は、そんな心の声を聞いた気がした。
しかし頭をブンブンと降って、その煩悩を払い落とす。
時雨相手に限った話ではないが、いきなり手を出すようなことがあれば、真っ先に犯罪者だ。
変態のレッテルを貼られ一生を過ごす。勿論、そんな不名誉を被るつもりは微塵もありはしなかった。
「と、とにかく帰ろう。迅速に帰ろう」
飛んだら跳ねたりできたら楽な事この上ないのだが。一応そういう魔法は存在するらしいが、悲しい事に、将真は魔導師として、非常に未熟なのだった。
(……こっち来たばっかだからな⁉︎ 俺が落ちこぼれてるわけじゃねえよ⁉︎)
誰に突っ込まれたわけでもないのに、心の中で言い訳をする将真。
将真はなけなしの理性を振り絞り、できるだけ振動を立てずに、それでいて素早く寮に帰るのだった。
「……って」
(どうすんだよこれぇぇぇぇぇっ!)
将真は、寮の自室まで来て遅まきながら気がついた。というか、遅すぎである。
リンの部屋がわからない。
もちろん、わかったところでリンの部屋には入らないのだが。
ここにきて、ようやくリンを寝かせたのが失敗だった事に気がついた。
手遅れにもほどがある。
(誰だよ気がつかなかったの! 俺だよ、バーカ! 俺のバーカ!)
将真は頭を悩ませる。
疲労がかなり溜まっているだろう。あの戦いがなくとも、今日は序列戦で連戦続きだったのだから。
とても頑張ってたし、今から叩きおこすのは非常に心苦しい。
「……しかたない」
将真はリンを起こさないように、そっとベッドの上に横たえた。
一瞬、一緒に寝てしまおうかという邪な考えが浮上したが、幸いにも生きていた理性がそんな考えを潰してくれた。
そして、将真がとった選択は、リンを布団の上で寝かせて、自身は床で寝る、というものだった。
将真は、寝息を立てて眠るリンの顔を見る。
そのあどけない表情が、小柄な少女を余計に幼く見せる。
やはり触ってしまおうか、などと思い始める自分がいたが、いい加減抑えるのも辛かったので、頭を撫でるだけでもして、何とか収めようと試みる。
(髪の毛やらかいなー)
「ん……んぅ……ぅ」
「……」
余計に辛くなった気がした。
その時、タイミングよくピピピッと何かが鳴る音が聞こえて、思わず飛び上がった。
「うおっ……何だ?」
音の正体は、腕時計だった。正確には、腕時計の形をした何かだった。
柚葉が送ってきた荷物の中に入っていたのだが、使い道が分からずに机の上に置きっぱなしにしていたものだ。
「何だよ、脅かしやがって……」
少し不機嫌ながらも、将真は腕時計を手に取る。
画面は小さいが、どうやらタッチパネル式のようだ
。将真はとりあえず、そのボタンらしき部分を押してみる。
すると、ホログラムウインドウが現れた。
そこに映ったのは、なんと柚葉だった。
『……ねぇ、将真?』
「何だよ?」
柚葉が、唐突に何か言いたそうな顔をする。
『貴方、これ持ち歩いてないでしょ』
「これって?」
『腕時計みたいな奴。それ大事なものなんだから、常に持ち歩くようにしなさい』
「……以後気をつける。そんで、何の用?」
『ちょっと、私の家まで来なさい』
「どこだよ」
突然そんな事言われても、将真も疲れていたし(色々な意味で)、そもそも柚葉がどこに住んでいるのかを知らない。
『そうね。言ってなかったわね……はい』
少し間が空いたかと思うと、ホログラムの画面に地図が表示された。
『そこに示されてるところね。用はそんなに長くないから早めにね』
「……わかった。ちょっと待っててくれよ」
将真は、通信を切る。
そして、制服を脱ぎ捨て、クローゼットから黒いズボンと長袖パーカーを着て、自分の部屋を後にした。
「ここか……」
柚葉の家は、学園の近くにあった。当然と言えば当然かもしれない。
取り付けられたインターホンを押すと、部屋の中からパタパタと足音がして、少しすると柚葉が出てきた。
「思ったより早かったわね」
柚葉の方も、学園長として身につけている服装ではなく、ゆったりとしたパーカーを着ていた。
「まあな。それで、どうしたんだよ」
「とりあえず上がって」
柚葉は、特に説明もせずに、将真を中へと招き入れる。
学園長をやっている割には余り大きくない、普通の一軒家だった。家の中も、特別変わった様子はない。
将真は、柚葉の案内でリビングまで来た。そしてそのまま、ソファーに座らせられる。
「それで、学園長がこんな時間に何の用だよ」
「今は普通に呼んでもいいよ」
「じゃあ、姉貴」
「……もっと他の呼び方はないの?」
「んー……、じゃあ、柚姉」
「……まあ、それなら」
柚葉は少し考えて、その呼称を許可する。
「そんで、柚姉はなんで俺を呼んだんだ?」
「そろそろ帰ってるころかなって」
「まあ、確かに」
そして何故か、悪戯っぽい笑みを浮かべる柚葉。
「そんで、リンちゃんに手を出そうとしてるんじゃないかなーって」
「み……」
(見てたのかよ⁉︎)
と言いかけそうになって、それでも何とか抑え込んだ。だが柚葉は、将真の行動などお見通しだ、とでも言わんばかりの態度である。
「実は、使い魔つけてたの」
「……何それ」
「んー、わかりやすく言うと、貴方の近くに小型カメラを飛ばしてたの」
「俺のプライバシー⁉︎」
思わず絶叫した。見られて困るような事をしているつもりはないが、それを置きにしても、まさか毎日監視されていたのか。
「あ、安心して。寮についたら自然消滅する仕掛けにしてあるから」
「あんまし安心できねー……」
だが、プライバシーの侵害という最悪の状況では無かったので、とりあえずはよしとする。そして将真は、改めて柚葉に問い質した。
「それで?」
「ん?」
「なんで呼んだの?」
先ほどから、繰り返している質問。その答えは、中々口にしてくれないので、こうして何度も聞く羽目になっている。
すると、柚葉が将真の目の前まできて、何を思ったのか、将真をぎゅーっと抱き締める。
「な、何して……」
「……ごめんね。ずっと置いてきぼりで、ほっときっぱなしで」
「柚姉……」
「こっちに来てからも、忙しかったしで全然ちゃんと話せなかったもんね」
「……べつに、気にしてないよ。それに、あんだけ早くいなくなったもんだから、完全に姉離れできてるしな」
将真は、軽く舌を出して片目を閉じて、悪戯っぽく言う。柚葉は、苦笑を浮かべた。
「そうね。私の方はちょっと寂しかったけど……」
「……そういや、柚姉言ってたな。だいぶ前のことだけど」
『また会えるから』
柚葉は昔、将真にそう言っていたのだ。
「うん。言ったねそんな事」
「本当にまた会えたんだよなぁ。もう冗談だとばかり思ってたくらいだ」
「ごめんごめん。でも、これからは絶対守るから」
「んー、姉貴に守ってもらうってのもなぁ」
「ふふっ。まあ、これからは頼りにしてくれていいよ」
「頼りに……か」
姉であることを抜きにしても、学園長という立場の人間が、頼ってくれと言っているのだから、こんなに頼もしいことはない。
「そうだな。これからは、色々頼らせてもらおうかな」
「うんうん。存分に頼りにしてくれたまえ」
「なんで偉そうなんだよ」
言いながら、将真と柚葉は笑い合う。
長らく離れて、溝が開いていた2人だったが、この日を境に、少しずつ仲を取り戻していく。
まだこの世界については、わからないことばかりだ。だから、この世界に来て良かったと思えるほど、何かいいことがあったわけでもなく、世界についての知識もない。
だが、それでも将真は思っていた。
この世界に連れられた時は、戸惑いしかなかったけれど。こんな面白い世界に来られて良かった、と。