第1話『戻ってきた日常』
闘技場で2人の生徒が、己が武器を交えていた。
1人は、青いラインの入った、白く生地が薄めの半袖シャツ__学園の夏服を着た少年。片桐将真だ。
もう1人は、ノースリーブで生地薄めの黒いセーラー服__こちらも学園の夏服を身につけている。まあ、スカートの下にはスパッツを履いているのだが。
彼女の名前は、黒霧紅麗。わかっているのは、あの学年序列1位、風間遥樹の小隊仲間である事。そして、学年序列10位である事だけだ。
2人が持つのは、お互い魔力で生成した武器だ。
将真が持つのは、辛うじて剣に見えなくもない黒い棒。だがこれはある意味成長したと言える。以前までは本当にただの棒だったのだから。
そして紅麗が持つのは、深紅色の刀だ。お互いの武器が接触する際、妙に物質感が強く、将真はずっと疑問に思っているが、とにかく、流麗な日本刀だった。
2人の武器が接触を繰り返し、硬質な音を響かせて弾き合う。
「へー、なるほど。魔導の方はともかく、動きはかなりいいみたいね」
「そりゃどうも……!」
賞賛を受けた将真の一振りは、だが上手い事弾かれてカウンターを受ける。
幸い、パターン化してきたが為に直撃を受けるようなミスはしないが、パターン化してきているという事は、カウンターを受ける前の自身の動きが固定化されてきているという事で、あまり状況は芳しくない。
「将真くん、頑張ってー!」
「ファイトっすよー!」
一応スペースのある観客席でリンと莉緒が応援していた。
将真としては少し恥ずかしい感もあるし、いくら今の所勝ち進めていると言っても、こうして呑気に応援に来るのはごく少数だ。
対して紅麗は、彼女たちを見てクスリと笑う。
「ほら、応援してくれてるわよ。もっと頑張らないと」
「やってるんだけどなぁ……」
ちなみに将真は、魔王の力を使わずに戦っている。解放する事を条件に、許可なく魔王の力を使う事を禁ずると言う条件を自警団から提示された、と言うのは勿論ある。が、実際はそんな複雑な理由ではない。
ただ単に、まだ自分の意思で魔王の力を引き出せないのだ。感情の昂りで若干理性が外れかけると、その度合いに応じて自然と表に出てくるという感じで、コントロールには程遠い。
そんな訳で、自分の立場的にも、そして実力的にも将真は、魔王の力を使えないでいた。彼自身、個人的な思いだが、それを別に悪い事だとは思わない。あんな危険な力、そうそう使ってたまるかというのが将真の本心でもある。あるのだが……。
「少しくらいは使いたいもんだな……っと⁉︎」
「集中力切らすと瞬殺しちゃうわよ!」
「物騒だなおい!」
まあ、この特殊な結界に囲まれた範囲内なら、例え致命傷を受けても、この空間から出た時に元通りになるのだが、痛いものは痛いので殺されるのは遠慮したいところだ。瞬殺と言うからには、痛みを感じるかも怪しいところだが。
「……うっし」
将真は気を取り直して集中力を高め、剣を下ろして後ろに引く。あの大規模な戦闘のせいなろだろうが、アレの影響でおそらく一気に成長したのだろう。将真にはその自覚があった。その最もたる例が、自分で生み出した技__“黒技”シリーズの溜め時間の短縮だ。
とくに長く待つ事もなく、隙を見せるような迂闊な真似もせず、将真は刃を横一線に振り抜いた。
「へぇ……!」
「“黒断”っ!」
その一撃が通り過ぎた後に、衝撃で地面が捲れ巻き上げられる。そのせいで紅麗の姿が見えなくなってしまったのだが……。
「やったか?」
「いやいや、あんなの直撃したら、幾らあたしでも死ぬから」
「っ⁉︎」
呟いた瞬間、頭上で声が聞こえた。顔を上げるとそこにはやはり、紅麗がいた。
この状況、上を取られた形になるが、空中に跳んで不安定な分、こちらの方が有利なのかもしれない。
将真は瞬時に、自分の周囲に大きめの火の玉を3つほど生み出した。
「やるじゃん!」
「炎弾!」
叫ぶと同時、火の玉が紅麗目掛けて飛んでいく。
最近の鍛錬で、唐突にできるようになったのだ。こういった魔導技能の向上もやはり、あの戦闘のせいだろう。
決して低い威力ではないそれらは、紅麗の眼の前で爆発した。
「っし!」
将真は軽く拳を握る。だが、次の瞬間、炎弾は直撃していなかった事を知る。
爆煙を裂いて、一筋の真紅の閃光が襲ってくる。
「うおっ⁉︎」
それを将真は紙一重で躱す。そしてそれを見た。硬質な輝きを帯びたそれは、ランスに近いものがあるが、それにしては長すぎる気がする。
真紅の輝きを帯びたそれが伸びている爆煙の方へと将真が視線を移すと、それが何なのかが理解できた。納得はできなかったが。
「……は? 尻尾、なのかこれ⁉︎」
将真の驚きが示すように、紅いそれは、彼女のスカートの中から生えていた。
そしてそれだけではなかった。彼女の背中から、真紅の羽が生えていた。その羽の形状は、将真に余計な勘ぐりをさせるようなものだった。
「お前、まさか……!」
「きづいちゃったんなら尚の事仕方ないわね。そろそろ時間も勿体ないし、終わらせるわよ!」
彼女が宣言した瞬間、蝙蝠の翼のような形状をした羽に、無数の刃が生まれ、直後、将真の視界を真っ赤に染めた。彼が最後に聞いたのは、無機質な機械音声が告げた、黒霧紅麗の勝利だった。
そして__
あの事件から約1ヶ月。8月も半ばにさしかかっていた。
リンと莉緒が、目の前の光景を見て子供のようにはしゃいでいた。
「海だー!」
「海っすよー!」
別に珍しくもないだろうに。
ため息をついて、そんな事を思っている将真の顔は若干不機嫌だ。
それが伝わったのだろう。こちらを振り向いた莉緒が呆れたような表情で、しかし相変わらず笑みを浮かべたままで、
「まーだ気にしてんすか?」
「だってよー……」
時は、2週間ほど前に遡る。
8月の頭。解放されてそう日も経たず、序列戦が行われた。あの事件のせいで完全に忘れていたが、ここで将真は初戦を見事に勝ち取った。
そこまではいい。そして次の試合。最もあっさりと負けた。
もう少しいい勝負ができたらここまで不満を覚えることはないのだが、いくら向こうの方が手練れだったとはいえ、手加減された上に、パッと見細身の少女にコテンパンにされたのは、割と屈辱的だった。
「まあまあ、元気出して。ボクは凄いと思ったよ。すっごい強くなってたもん」
すると今度は、リンが振り向いてにっこり笑う。その笑顔は夏の日差しに匹敵するくらい眩しく感じた。
それを実感して将真はようやく、普通の生活に戻れた事を実感し、何故か彼自身も自然と笑みを浮かべていた。
「リンは相変わらず前向きだな」
「そ、そうかなぁ〜」
将真が思った事をふと口にすると、リンは照れ臭そうに頭を掻く。
「せっかく海に来たんすから、楽しまなくちゃ損ってもんですよ」
「将真くん、海に遊びに来たの初めてなんでしょ?」
「ああ」
将真は頷いて肯定する。
剣道部の合宿で海の近いところでやった事はあるにはあるが、別に遊んだわけではないし泳いでいない。
「泳げない……何て事はまさかないっすよね?」
「ないない」
まあ別段得意ではないが、苦手でも下手でもない。つまり普通だ。
ただ、水の中に漂っているというのは案外気持ちのいいものだ。この体験は、小・中学生時代のプールか或いは風呂での事を思い出してのことだが。
リンが、指をくるくると回しながら、和かに言う。
「将真くん、今回は1戦目勝てたから、序列ぐっと上がったでしょ?」
「まあな」
随分さりげなく話を戻したリンだったが、実際その通りで、将真の現在の学年序列は108位。とは言え、2戦目で負けたので最高でも81位までしか上げられず、それ以上あげようと思ったら、次の試験まで待たねばならない。
まあ、自分より序列が上の相手に喧嘩ふっかけて負かすという方法もあるにはあるが、将真は個人的にそれをしたくないので実行はしていない。
「お前らも上がってたよな確か」
リンも莉緒も1つずつ上がって、それぞれ12位と3位だったはずだ。正直、リンの戦いぶりを見ていた事もあってか、彼女が何故負けなかったのか不思議なくらいだったが。
「リンさん随分と魔力制御が不安定だったっすよね。ここ最近の任務でもそうだったみたいっすけど、何かあったんすか?」
「それが全然ないんだよねー……」
リンがため息をついて憂鬱そうに答える。
彼女たちの会話の通り、何故かリンは今、魔力制御が不安定になっている。
例えば、神技を放とうとしたが、神技とは思えないほどヘナチョコだったり、かと思えば、使い手の命すら奪いかねないほど暴力的な魔力を撒き散らしたりと、危険極まりない。
しかもどうやら原因に検討がつかないようで、これまたタチが悪い。
リン自身も、序列戦が終わった直後は喜びつつも怪訝そうな表情も作っていたほどだ。
「何だか不調みたい。ボクの序列が上がったのは多分、ここ最近の功績じゃないかなぁ」
「そうっすねー」
この3人はここ数ヶ月でかなり大きな任務をこなしてきた。その結果序列が上がるのは別に不思議なことではない。
そういう意味では、莉緒の序列が上がっていることの方が意外かもしれない。序列十席は成績に関係なく、直接的な実力で決まるからだ。
そんな考えが伝わっていたのか、莉緒は苦笑しながら、
「まあ、自分と美緒の間にはそんなに大きな実力差はないっすから」
と、あっけらかんと告げる。
曰く、中等部の頃から勝ち負けを繰り返しているらしいので、今回は偶々莉緒に軍配が上がったというだけの事らしい。ちなみに、お互い勝ち越した事はないらしく、そう考えると今回は彼女が勝つことくらい予想できることではあったのだが。
そして莉緒は、こちらに近づく足音を聞きながら、ニヤリと振り向いて言う。
「まあ、杏果さんと当たってたら、自分の序列がどうなっていたか、わかんないところっすけどねぇー」
「……え、な、何?」
莉緒が振り向いた先。そこにいた杏果は、唐突に話を振られて目を丸くした。そんな彼女の後ろには、響弥と静音もいた。
それを驚く事もなく将真とリンは出迎える。
「よう」
「うぃーす」
「ちゃんと来てくれたんだね」
「せっかくのお誘いを断るのもどうかなって。いい機会だから息抜きもしたいし」
将真と響弥は軽くハイタッチを交わし、リンと杏果は互いに笑みを交わした。そして、何かを探すように少し辺りに目をやった将真は、気づいたように問いかける。
「そういえば、美緒たちはどうしたんだ?」
「私達ならここだよ?」
『……』
その声は、集まっていた6人のど真ん中から聞こえた。そしてそこには、声の主である美緒がいた。
それを認識すると同時、将真、リン、杏果、響弥の4人が悲鳴のような声を上げる。
「い、いたのかよ⁉︎」
「今だけど」
「隠密系でも無いのに、相変わらず気配消すのだけは自分よりうまいっすねー」
「でもびっくりしないところを見ると、何となく私に気づいてたんでしょ?」
「黙ってた方が面白いかと思って」
莉緒は、まだびっくりしたままの体勢の4人を見てクスクスと笑う。
そしてすぐ近くから、2人の影がこちらに近づいてきた。
「ごめんなさーい、遅くなっちゃって!」
「何で俺までこんな茶番に……」
佳奈恵に引き摺られながら、猛がボソッと文句を言う。
実のところ、今将真と猛は少し折り合いが悪い状態だった。それもそのはずで、将真の初戦の相手は猛だったのだ。つまり、猛は今回将真に負けた形となる。今までも対抗心を燃やし続けていたのだから、負けて悔しいのは当然だろうが。
「ほら、過ぎた事は気にしない! 今回偶々そうだったってだけかもしれないでしょ!」
「つってもな……」
「いいの、せっかく海に来たんだから、楽しまなくちゃ損でしょ!」
「あ、莉緒と同じこと言ってる」
思わず将真は呟く。猛は一瞬物凄い目つきで将真を睨んだが、それっきり不機嫌そうな顔をするだけで特に文句を言う事もなかった。
そして莉緒が、切り替えるように手を叩く。
「よぅし、じゃあせっかくの休暇、せっかくの海! 思いっきり楽しむっすよー!」
『おーっ!』
それぞれのテンションに差はあれど、ともあれ、こうしてようやく彼らの、夏休みらしい夏休みが始まったのだった。




