第71話『解放』
「莉緒ちゃんに目を覚ましたって聞いたから……。体はもう平気?」
「それ聞かれるのもう3回目だぞ……」
「えっ」
リンが口元に手を当てて声を上げる。
そんなに意外だったのかと将真は苦笑を浮かべた。そのくらい、普通に思いつきそうなものなのだが。
すると、杏果が少し前に出て、腰に手を当てて仏頂面で言った。
「何度も聞かれるのは、あんたが周りに心配かけてばっかだからでしょ」
「それは……悪い」
少々辛辣な杏果の言葉に、将真は素直に謝罪した。
確かに、今回は特に周りに迷惑をかけ過ぎていた。その自覚はちゃんとあるのだ。
「にしても意外だな。杏果まで心配してくれたのか?」
「は⁉︎」
「うん、そうだよ」
「ちょ、リン⁉︎ 私はそんなんじゃないから! あんたの心配なんて全然__」
「杏果ちゃんは素直じゃないねぇ」
「っ……五十嵐さんまでリンと同じこと言わないで下さい!」
杏果は焦りながら、顔を赤くして全力で顔をブンブンと横へ振って否定する。だが、リンがゆっくりと首を振る。
「そんな事ないよ。杏果ちゃんも将真くんの事心配してた」
「だから、……っ」
杏果は尚も否定しようとしたが、リンの泣きそうな顔を見て口を噤んだ。
鉄格子に手を触れさせ、リンはポツリと呟く。
「みんな、心配してるんだよ……?」
「……そっか」
将真は、リンの震える声を聞いて、深呼吸した。そして、微笑みを浮かべて言った。
「俺の事を心配してくれる奴が、そんなにいるんだな」
申し訳ないと思う以上に、彼は嬉しかったのだ。
『魔王』と言うとんでもない者を宿してしまった、危険な存在だと誰からも認識されたはずの自分を、信じて、心配してくれる仲間がいる事が、嬉しかった。
「うん。いるよ、ちゃんと」
「……ありがとう」
「っ……!」
将真が素直に感謝を口にすると、リンは息を呑んで唇を噛んだ。リンの目には、涙が溜まっていた。
「……ありがとう。俺の事、最後まで信じてくれて。何ていうか、凄く嬉しいよ」
将真が、少し弱々しくはあるが、そうして微笑みかける。リンは唇をキュッと噛みしめると、体ごと瑠衣の方に向けて、目つきを鋭くして問いかける。
「……あの」
「うん?」
「将真くんは、すぐに解放されますよね……?」
「うーん……それはどうかなぁ」
「どういう事ですか?」
リンの言葉を否定した訳ではないが、それに近い物言いに、杏果が声を低くして聞き返す。
「いやー、実のところ彼みたいな立ち位置だと、問答無用で処刑されても仕方がないんだよねぇ」
「まあ、そうだろうな……」
「ちょ、将真くん?」
自分の事でありながらあっさりと肯定を示した将真に、リンが唖然とした表情を向ける。
だが、そうなのだ。
問答無用で殺されても、将真は文句を言えない立ち位置にいる。それが例え、彼が望んだ事でなくとも。それが、理不尽な事であっても。
だから、将真はむしろ不思議に思っている。何で生きているのか__否、生かされているのか。
「今、処刑が確定していない事自体、本当なら奇跡のような事なんだよ」
「そんな……」
「でも、色々な偶然が重なって、彼の処刑は議論されているんだよ。それも、処刑無しの方向でね」
「え、それマジですか?」
将真が、目を見開いて素直に驚きの表情を作る。瑠衣はそんな将真を見て頷く。
「うん。まあ1番大きな理由は多分団長が彼だからだろうねぇ」
「彼?」
「うん。君のお姉さんの一つ上の先輩。日比谷樹のかつての小隊仲間」
「ああ、あの人ですか」
「知ってるのか?」
目を瞬かせて将真が問いかけると、杏果は微妙な顔をして首を傾けた。
「知ってるっていうか……」
「たった20歳で団長を継いだ若き天才。彼の事をよく知ってるのは、かつての同期と『日本都市』上層部、そして自警団メンバーのみ。それにみんな団長って呼んでるから知らないのが普通なんだけど」
「その団長って、何て名前なんですか?」
将真は、首を傾げて問う。
みんなが団長と呼んでいるからといっても、本当の名前はあるはずだ。
だが、瑠衣は微笑を浮かべて、
「それはそのうち自分で聞くといいわ」
何だかはぐらかされたような気がして、将真は唇を尖らせた。姉が好きだった日比谷樹。そのかつての小隊仲間だった人だとわかれば気になるのも無理はないが、そんな機会がくるとは到底思えない。
「まあ、そんな事は置いといて話を戻すけど。団長は柚葉さんに負い目を感じていてね。だから、柚葉さんの要求は、可能な限り聞くようにしてるんだって」
「それで?」
「柚葉さんは君の死を望むはずがない。そりゃ、心の底では魔王を憎むべき存在だと思っているだろうけど、本心は君を殺したくないと思っているはずなのよ。彼女が君を生かしてほしい……いや、解放してほしいと望めば」
「将真くんは、出られるんですか⁉︎」
リンが叫ぶように続きを言うと、瑠衣は頷いてみせた。
「ま、100パーセント解放されると言うわけではないんだけど、それでも高確率で解放されると思うから。それにどの道、彼の体が全快しない事にはここから出せないし、君たちは心配しなくてもいいんだよ」
「まあ、俺の体も大分良くなってきてるし」
手を握ったり開いたりして、将真も続いて言った。この調子なら、あと数日もすれば普通に体を動かせる程度にはなる。
瑠衣は、少し顔を険しくして、リンたちを指差す。
「それにあなた達も、まだ本調子じゃないでしょう? とりあえず、あなたたちもちゃんとやすみなさい」
「は、はい……」
人の事を気にしてる場合かと言わんばかりの瑠衣を前に、リンと杏果は顔を見合わせて、少ししてから苦笑を浮かべた。
そして、
「瑠衣さん」
「うん?」
リンは、全身を瑠衣の方に向けて、ぺこりと頭をさげる。
「ありがとう、ごさいます」
「……」
その言葉を聞いた瑠衣は、面食らったような表情になる。続いて、杏果もゆっくり頭を下げる。
「それじゃあ、これで失礼します。将真くん」
「ん?」
「また、くるね」
「……おう」
将真とリンは、軽く視線を合わせる。やがて、小さく笑みを浮かべたリンが、軽く目を閉じてこの影の牢獄から出て行った。それに続いて杏果もその場を去り、2人が出て行った直後の影には波紋が広がっている。
そんな2人に対して、瑠衣は軽く手を振って見送っていた。
「……いい子達じゃない」
「まあ、そうですね」
将真は、瑠衣の呟きに素直に頷いて肯定した。
すると今度は瑠衣が立ち上がり、影の外へと出て行こうとする。
「私もちょっと用事ができたから、何かお願いがあれば聞くわよ?」
「そうですね……じゃあ2つだけ」
将真は、両腕を持ち上げる。その手首には鉄枷が付いていた。そしてそれに繋がる鎖がジャラリと音を立てる。
「とりあえず、これ外してくれないですか?」
「……その前に、もう一つのお願いを聞こうかしら」
瑠衣は神妙な顔で将真を見据える。将真の言葉の真意を確かめるように。だが、彼はこの枷を外して欲しいという事に関して、特に考えて発言したわけではなかった。
「いや、もう体動かせるんだったら、じっとしてても退屈ですから。もう一つのお願いって言うのは、何か本でも差し入れてくれると嬉しいんですけど」
将真の大したことのない真意を聞いた瑠衣は、目を瞬かせたかと思うと、突然小さく吹き出して笑った。
「……一応あなた囚人なのに、私に要求するのね」
「あなたから言い出したことじゃないですか」
「そうだね。そうだったわ」
瑠衣は、クスクスと笑い続けている。何がおかしいのかと将真が顔を顰めると、瑠衣は軽く手を振った。
「わかったわ。じゃあ何か本持ってきてあげるから。また後でね」
そう言って、瑠衣もまた影の牢獄から出て行った。
将真は、ため息をつきながら壁に体重をかける。
解放される可能性は高いらしいが、やはり自分がどれだけ危険なのかを理解してしまうと、不安が拭いきれなかった。
いつの間にか解放されていた手足を動かしてみて、まだ動き回れるほどには快復してない事を確認する。
「……逃げるのも無理だろうなぁ」
よって将真は、無事に解放されるのを祈るしかなくなったのだった。
将真が目を覚まして、1週間がたっていた。
拘束を解放した日から、別にこれといって目立った抵抗もなく、将真はただじっと本を読むか、2日前から体が動くようになってきたためか、できる限りのトレーニングを開始していた。
そして今日。
自警団幹部と『日本都市』上層部の人間を集めて、改めて会議が開かれていた。
花橘の一族は、出席していなかった。
「……まあ、当然だろうな」
団長は呆れたように呟く。
例え将真が魔王を宿していることが早くわかっていたとしても、おそらく同じことになっていただろう。今回のような大事になったそもそもの原因は、花橘の一族にあるのだから。
花橘は、こうした大きな失敗をすると、幹部クラスの人間のみを連れて何処かへと姿を消す。そして、何かしら国の利益になるような情報を持って帰ってきて、その失敗と打ち消す。それを繰り返しているのだ。
「どうするの、団長?」
瑠衣が隣から声をかけてくる。その口調はいかにも不機嫌そうだった。
「別に、どうもしない。このまま会議を始めるさ」
よくある、とは言わないまでも、特別な事ではないのだ。そんな事にいちいち時間を割いていられない。
「案件はもちろん、片桐将真の処遇をどうするか、という事だ」
団長が簡潔に告げる。すると、会議に参加する者達が議論を始めた。
「やはり処分すべきではないのか? あんなとんでもない爆弾を抱えた者を、都市の中で生かしておいては危険だろう」
「いや、だが一応コントロールはできているし、静める方法もあるのだ。今までの戦績からしても、魔王の力というのは戦力になりうるのではないか?」
「都市内で暴走しなければいいがな。それに、共に出ている魔導士達も危険なのでは?」
「魔族達は魔王に引きつけられるのだろう? 今後は魔族が都市周辺に高頻度で出没すると考えてもいいのか?」
ああでもないこうでもないと議論が進む中、遂に話が団長へと振られる。
「団長、あなたはどう考える?」
「……みんなの意見が固まってから言うつもりだったが」
団長は、チラリと自分の後ろに立つ人物の方を見る。そこにいるのは、柚葉だった。団長直々の呼び出しで、今彼女はここにいる。
彼女は、自分が何で呼ばれたのか、薄々と気づいていた。
「柚葉」
「はい」
「お前はどうしたい?」
「……どうしたい、とは?」
本当は、何を聞かれているのかわかっていた。だが、確認を取らないとどうしても不安になってしまったのだ。
そして、団長はやはり、思ったとおりの事を口にした。
「もちろん、お前の弟を殺すか生かすかだろう。お前は、どうしたいんだ?」
「……」
柚葉は、口を噤んだ。
魔王は倒すべき敵だ。憎むべき悪だ。それは、多くの人間の共通意識だ。
そして無意識ではなく、確かに柚葉の心の内には、魔王を処分しなければならない、つまり、将真を殺すべきだという考えは、僅かながら持っていた。
一を救って百を捨てるよりは、一を殺して百を救う。それが正しいとは思わないが、そうすべきだとは思っている。
だが。
「……殺したくありません」
たった1人の弟だ。彼は魔王を宿してしまっただけで、悪ではないのだ。ならば、一を救って百も救おう。例え無理でも、やってやろうではないか。
そんな意思を汲み取ったのか、団長は視線を外して椅子に深々と腰掛けた。
「聞いた通りだ。俺も殺す気はない。理由は、お前達が言っていたように戦力になるからでもあるし、殺すのが忍びないというのもある」
「団長……」
「異論があれば、聞くだけ聞こうか。聞き入れるかはともかくとしてな」
団長のその言葉に、だが異論を挟む者はいなかった。団長に遠慮しているわけではない。ただ単に、彼の信頼が厚いのだ。
団長がそう言うならそうなのだろう。任せても大丈夫だ。
そういう共通意識が、この中にあるのだ。
団長はその様子を見て小さく頷き、隣の瑠衣に声をかける。
「そういう事だ。近いうちに片桐将真の解放を任せる」
「了解したわ」
「それと、ここ最近監視を続けて、彼について何か気づいた事はあるか?」
「いいえ。彼については特にないわ。ただ……」
「ただ?」
瑠衣の言葉に、団長は意外そうな表情を作る。将真に、特に変わった事はない事がわかったのに、続きがあるとは思わなかったのだろう。瑠衣とて、自分で監視しなければ気がつかなかった。
瑠衣は立ち上がり発言する。
「今回の件で、私たちは大きな過ちを犯すところだった。そうでなくとも、7年前と同じ轍を踏もうとしていた。今後もそんな事があっては敵わないから、色々できる限りの情報を洗いなおしてみた。そしたら、危険人物が1人浮上した」
片桐将真ほどではないけれど、と瑠衣は付け加える。その言葉に、彼らは響めいた。ここで発言したという事は、それなりに大きな案件で、その人物が本当に危険なのだという事を示すからだ。
「それで、その人物とは?」
団長が、声を低くして問いかけてくる。瑠衣は、静かにその名を告げる。
だが、その名を聞いて反応を示したのは__柚葉のみだった。
会議が終わって夕刻頃。
将真はようやく解放された。
「ちゃんと解放してくれるとはびっくりです」
「あなたは自警団をなんだと思っているの?」
「やばい組織、ですかね?」
「やばいのは花橘だけだって」
なんて会話を瑠衣としていると、将真の迎えがやってきた。相変わらずニヤニヤした笑みを浮かべる莉緒と、完全に回復したらしいリンだ。
「ようやく出てきたみたいで、何だか一安心って感じっすねー」
「瑠衣さん、本当にありがとうございます」
「別に私はお礼を言われるような事はしてないよ」
頭をさげるリンに、手を横に振って否定する瑠衣。
将真はリンたちと合流する為に、瑠衣の横を通り過ぎようとする。
その時、軽く肩を叩かれ、耳元で瑠衣が小声で呟いた。
「……気をつけなさいよ、色々と」
「……? はぁ、了解です」
おそらく、自分の中に『魔王』がいる事に関してだろう。将真は曖昧に頷いた。
莉緒が手を挙げる。リンもそれに習って手を挙げ、将真も同じように手を挙げる。3人はその手を叩き、パンと音を立てる。
そして将真は瑠衣の方に向き直り、頭を下げた。
「迷惑かけて、すいませんでした」
「……忠告、忘れないでね」
「わかりました」
では、と将真たちはその場を離れていく。瑠衣はその3人の背中を見ながら、
「……さて、自分の職務に戻ろうかな」
将真たちとは逆方向、自警団の本部へと帰って行った。




