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第70話『魔族≠悪意の塊』

__将真が目を覚まして3日が経っていた。


莉緒はリンの部屋の中に入るやいなや、困惑した表情でため息をついて、眠りこけているリンの体を揺すった。

「リンさん、起きてくださいっす。もうお昼近いっすよ」

「う……ん、あと5分〜……」

呻き声を上げながら、リンはもごもごと呟く。あの大戦で疲労困憊していたリンたちだったが、その中でもリンの消耗は激しく、数日間眠ったままだった。加えて、今もまだこうして長い事眠っている。疲労が抜けきっていないのだ。

少し不安になった莉緒は、一応柚葉にはリンの様子を報告したが、その柚葉は、

『あの子の暴走はそういうものだから大丈夫だよ』

と妙に確信めいた言い方をしていたから放っておいたのだが。

「そんなお決まりの台詞はいいっすから。杏果さんとどっか出かけるんじゃなかったんすか?」

「っ!」

瞬間、リンが飛び起きた。一体杏果となにを約束していたのだろうか。

「そうだった……まだお昼回ってないよね?」

「近いってだけでまだ回ってはないっすね」

「よかったぁ……」

リンは胸に手を当てて、少し大袈裟にホッと息を吐いた。そして、莉緒の方を向いて苦笑を浮かべる。

「おはよう」

「おはようっす」

「ごめんね、迷惑かけちゃって」

「この程度の事、気にしなくていいっすよ」

「ありがと」

言いながらリンはベッドから出て、急いで着替えを始める。その様子を見ながら莉緒は、

「ご飯食べてくっすか?」

「うん。でものんびりはしてられないから、簡単に済ましちゃうつもりだよ」

「そっすか。自分はちょっと出かけるところあるんで、先に出るっすよ」

「わかった」

莉緒が部屋を出ながら言うと、リンは頷いて了承した。

着替えを終えたリンは、適当にあったものを口にして、その他諸々を済ませる。そして、正午を回ろうとしている時間にようやく部屋を出た。


向かった先は、杏果たちの寮の部屋だ。

リンは扉をノックして呼びかける。

「杏果ちゃーん、準備できたよー」

そうして少し待つと、部屋の扉が開かれた。だが、出てきたのは杏果ではなく響弥だった。

「リン? どったの?」

「えっと……杏果ちゃんいないかな?」

「あいつなら、1時間かくらい前に出てったぜ」

「えっ」

それを聞いたリンは、しまったと声を上げた。やはり思いっきり寝坊していたというか、約束の時間は大幅に超えてしまっていたようだ。

リンは急いで駆け出した。

「あ、ありがと!」

「おう、あんま走っとこけるぞ」

「大丈夫!」

なんて、在り来たりな響弥の忠告を耳にしながら、リンはその場を後にした。




「遅い」

「ご、ごめんなさい……」

おそらくここにいるのではと見当をつけて急いでくると、案の定彼女はそこで待っていた。

その表情は少し不満げで、開口一番不機嫌そうにそう言われては謝るしかなかった。

まあそれもそのはずで、もう7月の中旬。蝉も五月蝿く鳴き喚き、ジリジリ日差しが強く暑い夏だ。

そのため、急いで来たリンも、暑い中待っていた杏果もそれなりに汗をかいてしまっていた。しかもこの時期になると薄着が普通だから、服や下着が肌に張り付いて少し気持ち悪かったが仕方がない。

「まあ、まだ疲れが残ってるみたいだから、許してあげるわ」

それに、暑いと言ってもここは日差しはあまり差し込んで来ない場所だった。

リンは見上げる。そこには、巨大な壁が存在した。彼女たちが今いるのは『日本都市』内側の城壁前だった。

「……許可してもらえると思う?」

「多分、えっと……誰だっけあの影の人」

「五十嵐瑠衣さん?」

「そう、その人。多分その人まで話が通れば許可してもらえると私は思うけど」

2人の何方かが四大貴族出身ならばわざわざ許可をもらうまでもなくパスを所持しているので、入る所までは行けるのだろうが、彼女たちの場合はまず中に入れてくれるかどうかも怪しかった。

「約束の時間、どれだけ過ぎてた?」

「そうね……2時間くらいかしら」

「うっ……。もしかして、その間ずっと待ってたの?」

「私が来たのは1時間くらい前よ。貴方がなかなか来ないから……」

そう言えばそうだったと、リンは手を打った。杏果たちの寮部屋に行った時に、響弥が言ってたじゃないか。

そもそも、彼女たちがここに一体、何をしに来たかというと。

「でもそれってやっぱり、杏果ちゃんも将真くんの事、心配だったんだよね?」

「な、え、べ、別にそんなんじゃないわよ……!」

杏果は慌てて手を振り首を振り否定した。顔が少し赤いのは、暑さのせいだけではないだろうが。

「素直じゃないなぁ」

「余計なお世話よ! そもそも、貴方が言い出したことでしょ⁉︎」

「うん。そうだね」

2人が今日、ここへ来た理由。それは、将真の様子を見に来るためだった。




「__私の両親はね、私が6歳になる頃に死んじゃったのよ」

「……病気かなんかですか?」

将真が問いかけると、彼女はゆっくり首を横に振って否定した。

「外で生きていれはいつそうなってもおかしくない事で死んだの。むしろ、私が生きていたことの方が奇跡的な事なのよ」

「外、ですか……?」

「ええ。私の生まれは危険区域の何処かよ。それ以外は私自身も知らないけど」

危険区域と言うのは、『日本都市』のような安全が保障されている区域の外側の事だ。そこでいつ起きてもおかしくないで、病気じゃなければ一つしか思い当たる事はない。

「瑠衣さんの両親の死因ってやっぱり……」

「ええ。魔族に殺されちゃったのよ。でも私は憎いとは思はなかった。いえ、正確には、幼過ぎたせいでそんな事を思えなかったと言うところかしら」

頷いて、自嘲気味に彼女は呟いた。もしかしたら、彼女はそんな事があったにもかかわらず、未だに憎しみを持てていないのかもしれない。

それは別に悪い事だと、将真は思わない。だが、それを人でなしと見る人もいるかもしれない。瑠衣はもしかしたらそういう部類なのかもしれなかった。

「私は必死に足掻いて、生き抜いたわ。転機が訪れたのは、10歳になった頃よ」

ギシッと背もたれに体重をかけて、瑠衣は遠いところを見るような表情を見せる。まるで、思い出すように。

「いつしか流れ着いた、外で生きる人たちが集まるところ。といっても、そんなに人数はいなかったけれど、それでも以前よりはマシな暮らしができるようになっていたそんな頃。どうやら居場所が割れちゃったみたいでね、魔族の襲撃を受けちゃったのよ」

「……よく、生きてましたね」

「本当にね。最後に生き残ったのは私だった。今まさに殺されそうになったその時、突然現れた1人の吸血鬼が、襲撃してきた魔族たちを蹴散らしたのよ」

「それはつまり……」

吸血鬼に助けられた。そういう形になるのかもしれない。

人間を無差別に殺戮し、非道の限りをつくすと言われている魔族に、抵抗するはずの人間が助けられた。

珍しい事ではあるが、だが獲物の奪い合いという事も考えられる。その吸血鬼が彼女を助けたと考えるのは軽率かとも思ったが……。

「私はね、彼を見て初めに言ったのよ」

『お願いします……殺さないで……』

彼女は、懇願したそうだ。そんな事を魔族に言ったってしょうがないだろう。だが、吸血鬼は微笑んで、まだ幼かった瑠衣の頭に手を置いて言ったそうだ。

『怪我はないかい? もう大丈夫だよ、お嬢ちゃん』

「それで、静かになったその場を立ち去ろうとする彼に、私はあろう事かとんでもないお願いをしてしまったの」

『一緒に連れてって……』

まだ10歳の頃だ。居場所を失って、不安ばかりが残っていたのだろう。それでも、魔族に__吸血鬼に、そんな頼みごとは普通しない。例えその願いが叶ったとして、彼らの住処に連れられて殺されてそれで終いだ。

だが。

「今なら、どれだけ愚かな事だったかわかる。でも、私が後悔しているのは、魔族である彼にそんなお願いをした事じゃなくて、彼の優しさに漬け込んだ事なんだ」

驚くべき事に、吸血鬼は彼女の願いを了承し、自分の住処にも戻らず世界中をグルグルと回った。幼い瑠衣を連れて。

そして、15歳になった時に偶々、吸血鬼と瑠衣は日本を訪れた。

そこで待ち構えていたのは、日本の魔導士たちだった。

「彼らは私を保護してあの吸血鬼ひとを殺そうとした。それを止めたかったけど、人間である私に、嫌そもそも、当時魔導の才なんてほとんどなかった弱い私にどうこうできるはずがなかったんだ」

後から知った事だが、彼はとんでもなく強い吸血鬼だったらしい。だが、別段魔導士たちの強さが異常だったわけでもないというのに、彼は追い詰められて、ついに捕まってしまった。

「どうして気がつかなったんだろうって、今なら思う」

「何にですか?」

「……私と旅をしていた5年間、彼は一切血を吸わなかった。もちろん食事は取っていたけど、そんなもの、人間で例えるなら水だけで生活しているようなものだから」

もっと早く気づくべきだった。彼が、弱体化していた事に。だが、当時の瑠衣はどうしても気付けなかった。何故なら。

「あの吸血鬼ひと、私が血を吸ってもいいって言っても、頑なに吸わなかったから。ずっと、大丈夫だって言ってたから。だから……気づけなかった」

瑠衣は、悔しさを噛みしめるように顔を俯けた。

「あの場にいた魔導士が、私に十字架の形をした剣を渡して言ったんだ」

『この剣なら、あの吸血鬼も一撃で屠る事ができる。貴方が人間であるというのなら、それを示すために、貴方が殺しなさい』

それが保護する条件だと、その人は言った。私は、その剣を受け取る事しかできなかった。

吸血鬼が魔導士たちに捕まったまま、必死の抵抗を続けているところへ、瑠衣はその剣を持って歩みを進めて行った。

吸血鬼は、そんな彼女を見て動きを止めた。少しの間目を見開いて、やがてため息をついた。

__きっと彼は恨むだろう。裏切った私を。

瑠衣はそう思った。それでいいと思った。

『私は__生きたいです』

ごめんなさい、と泣きながら瑠衣はその剣の柄を強く握り締めた。

吸血鬼は、もう一度深くため息をついていったそうだ。

『醜い人間なんかに殺されるのはごめんだ。だけど__君が殺してくれるというのなら、是非お願いするよ』

彼は続けて言った。

自分は、死に場所を求めて放浪していたのだと。その際に偶々、気まぐれで瑠衣を助けただけなのだと。

だが、人間である彼女が魔族である自分に助けを求めてきた時に思ったそうだ。彼女が1人で生きていけるまで傍にいようと。

瑠衣が吸血鬼を殺せば、晴れて彼女は日本の人間として生きていける。だから彼は、もう抵抗しなかった。

『……ごめんなさい』

瑠衣は、その剣をゆっくりと彼の心臓に突き立て、殺した。


「私は、最低な人間だよ」

どんな理由があれ、恩を仇で返したのだから。

吸血鬼を殺した後、その服を持ち込んだ事に関して、何も言われる事はなかった。

瑠衣は、彼の存在と自分の罪を忘れないように、そして、自身で掲げた信念を、何があっても折ることがないように、形見を身に纏っているらしい。

彼女の信念とは、

「だから、私は魔族を恨まない。私が憎むべきは悪意だ。私は知っている。魔族にも人間みたいな澄んだ心の持ち主がいる事を。私は、人間と魔族が共存できる世界を作りたい」

それが無理でも、せめて殺し合うような関係を改善したい。そう言って彼女は、澄んだ表情を浮かべた。

将真は簡単には納得できなかったが、

「……柚姉と、同じような事になっちゃったんですね」

「彼女に比べたらまだ私はマシだと思うよ。なんでかっていうのはうまく言えないんだけど」

次いで、瑠衣は少し不愉快そうな表情を浮かべて言った。

「だから私は花橘の一族が大っ嫌いなんだ」

「……そうなんですか?」

それ以前に何故だろうという話だが。

「日本に来たばかりの時、待ち構えていたのは花橘の魔導士だった。そして、あの吸血鬼ひとを殺せと十字架の剣を渡したのは、現在の自警団序列4位の魔導士、花橘苛折。後から考えてみれば、あんな善良な吸血鬼ひとを殺す理由なんてなかったのに、あの女は謀った。花橘の一族は、悪意の塊だ」

人間でありながら魔族のように醜い心を持つ、クズの集まりだ。

瑠衣は、本当に憎らしげに、吐き捨てるように言った。

「片桐将真くん。君はまだ、魔族たちを恨むような経験はしてないよね?」

「はい」

「じゃあ、知っておいてほしいな」

瑠衣は勢いをつけて椅子から立ち上がる。

「魔族にも、そういう者たちがいるって事を」

「……はい」

将真の返事を聞いた瑠衣は、満足そうに頷いて影の中へと潜って行った。


彼女の昔話は、終わった。




「……ん」

目を覚ますと、そこは相変わらず暗い牢獄の中だった。だが、3日前と違って少し変わったことがあるとすれば。

「……少し、体動くようになってきたな」

身じろぎひとつできなかった体は、腕や足も少し持ち上がる程度までは回復していたし、首もなんとか動かせるようになっていた。

将真の呟きが聞こえたのか、牢獄の外から声をかけられる。

「おはよう。といっても、もうお昼だけどね」

「おはようございます、瑠衣さん」

将真は、挨拶を返しながら、

「そんなこと言っても、こんな空間じゃ時間の感覚がボケちゃいますよ」

「それもそうだね」

そんな不満そうな声を聞いて、瑠衣はあははと笑い声をあげた。

「何か夢でも見てたの?」

「まあ、その……3日前の、瑠衣さんの話をちょっと……」

「そっか……ん?」

瑠衣はピクリと顔を上げる。

手にした本を放り投げて立ち上がると、牢獄の外へと出て行った。なんだろうと思ったが、やがて彼女は戻ってきてニヤニヤと笑みを浮かべた。

「君も隅に置けないねぇ」

「……どういう意味ですか?」

要領を得ないその発言に、将真は怪訝そうに眉をひそめる。瑠衣は一つ頷いて、

「君にお客さんだよ」

そう言ってまた椅子に腰をかけた。

そして、

「将真くん!」

「将真!」

「……リン? 杏果? 何でここに?」

現れたのは、2人の少女だった。

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