第60話『最悪の反逆』
『日本都市』が危機に陥っているという事を聞いた団長は、飛ぶように帰ってきた。
だが、入り口__城壁の中で待ち構えていたのは、花橘の一族だった。
「……これは、どういう事だ?」
「そんなに睨まないでください団長さん」
自警団序列4位、花橘苛折は、蠱惑な笑みを浮かべる。
「あと、何故片桐将真の討伐命令が出ているんだ? 俺は捕まえるように命令を飛ばせと指示したはずだが?」
「すいません、我々の実験のために色々と細工させていただきました」
パチン、と苛折が指を鳴らすと、花橘の一族の者たちが団長を取り囲む。
「……本当にこれは、どういうつもりだ?」
「しばらく団長の座を譲っていただきますよ。今あなたに動かれると、少々事態がややこしくなりそうなので」
その笑顔の裏には、陰謀がありありと見て取れた。だが、花橘の一族を相手に多勢に無勢では分が悪い事は理解している。ゆえに、団長は何の抵抗もなく捕まった。
「情けないですねぇ。自警団の団長ともあろうお方が、何も抵抗してくれないのですか?」
「安心しろ。いつか反逆罪で全員裁いてやる」
「それはそれは、楽しみにしていますよ」
苛折は、花橘の者たちに命じた。
「団長さんを投獄してください」
『了解』
そして、放り込まれた檻の中で。
「……いるんだろう?」
『あ、気づいてた?』
自分がもたれかかっている壁から声が聞こえる。そこから、さらに声が聞こえてくる。
『今すぐ脱出する? 逃すくらいどうって事ないけど』
「……いや、ここで俺が迂闊に動いて事態をこじらせたくない。だから、幾つか頼みを聞いてくれればいい」
『……了解したわ』
壁から聞こえる声は、団長から言伝を受け取ってすぐに消え去った。
「頼んだぞ、瑠衣」
「あ、が……」
うめき声を上げるのは鬼人だった。その首はともすれば少女にすら見える女性の細腕に掴み上げられていた。
ボロボロになっているのは、この鬼人だけではなかった。
足元には、既に事切れた他の鬼人たち。もう生きているのは彼だけだった。
柚葉が、まるで悪人のような嘲笑を浮かべる。
「どう? 少しは後悔したかしら? まあしたところでここで死ぬのだから関係ないかもしれないけれど」
「て、めぇ……よく、も……」
「あら、命のやりとりなのだから文句言いっこなしよ。誰かを殺そうと思ったら、自分が殺される覚悟もなくちゃ、そもそも生き物として落第してるわ」
冷たい目で、柚葉が言い放つ。
もう彼らに、助かる見込みは微塵もなく、命乞いすら聞き届けられることはなかった。そうして鬼人たちは死んでいった。
「さて、何か言い残したことはあるかしら?」
「……タダじゃ、やられねぇ__」
少しの抵抗でもしてやろうとその兆しを見せた瞬間、首が潰される。
ボトリ、とその頭が落ちて、柚葉は手に付いた血を払い落とす。
その時、こちらを見ている魔族に気がついた。向こうもそれに気がついたようで、急いで逃げ出す。
その鬼ごっこは1分にも満たなかった。捕まった魔族は、柚葉に通信機を取り上げられ、無残に殺される。
なんの感慨もなく通信機を破壊すると、柚葉の端末に通信が入る。しかも、緊急時用のものだった。
通信に出ると、そこには切羽詰まったような表情の魔導士が映し出される。
「何事かしら」
『報告です! 時雨リン含め8名の脱走犯を発見! これより捕縛に入ります!』
「__」
その報告に柚葉は目を見開く。そして、その可憐な顔を、子供が見たらさぞかし泣き出しそうなあまりに冷たい表情に変え、
「わかったわ」
それだけを告げて通信を切る。
すぐにでも出発しようとした柚葉。だが、彼女の足が地面から離れることはなかった。
むしろ、地面に沈んだ。
「……っ⁉︎」
冷たい表情が一転、驚愕の表情を作り足元を見る。そこには、巨大な影が蟠っていた。
「これは……⁉︎」
『悪いけど、少し待ってもらうわよ』
「っ、魔族の仕業か……!」
力尽くで逃れようとするが、そうすると余計にズブズブと影にはまっていく。まるで泥沼だ。更に、影から漆黒の鎖や半透明の黒い手が伸びてきて柚葉を拘束する。
とぷん、と。
完全に影に飲み込まれたそこで、柚葉は人影を見つけた。相変わらず縛られたままだが、怒りを込めて叫ぶ。
「何のつもり⁉︎」
「……それは、こっちのセリフなんだけどねぇ」
「……っ⁉︎」
柚葉はその顔を見てギョッとした。
現れたのは、自分と同じくらいか少し小さいくらいの黒髪の少女。その顔は、柚はとはまた別の、困った子供に頭を痛める保護者のような怒りの表情をしていた。
柚葉は大きな勘違いをしていた。さらに冷静さがまるでなかった事を自覚した。
目の前にいる少女は、魔族ではない。あと、こう言っては何だか柚葉何かよりもずっと年上だ。
何故忘れていた。彼女がこの世界で唯一の影魔導士だという事は、自分にとって既知の事実だったというのに。
「……五十嵐、瑠衣さん」
「さて、時間もないというのにどう躾けたものかしらね……」
瑠衣は、本当に困った表情でため息をついた。
『日本都市』城壁前にて、金切り声を上げながらゴブリンがランディの元へと向かってくる。
「ほ、報告です!」
「何事だ」
「こ、これを」
そう言ってゴブリンが手渡したのは、人間たちが使うような通信機。
「……俺だ」
『ら、ランディ様!』
するとそこから、ガラガラ声が響いてきた。
『報告します! 鬼人6人が全滅です! それも魔導士はたった1人で……ちょ、何を……ギャアァァァッ!』
悲鳴と同時に、肉が潰れるような音が聞こえる。その音が響いた瞬間、ランディは通信機を自分から離して片目を閉じる。
そして最後に、グシャッと何かが潰れる音と共に、荒いノイズのみが鳴る。
「……ち、わかってたことだが」
そう。わかっていたのだ。
いくら今、片桐将真の探索によって魔導士の数が減っているとはいえ、当然何人かは対抗できる魔導士が何人か残っていることは、若い鬼人たちが出撃する前から予想できていた。
だが、若い鬼人たちが出撃してからまだ30分も経ってない。
すると今度は、また別の報告が入ってきた。
コボルドがゴーレムに抱えられながら、
「片桐将真を発見しました!」
「何っ⁉︎」
今度こそランディは声を上げた。
そして、大きく息を吸い、叫ぶ。
「撤収だぁ!」
「なっ……!」
魔導士たちは驚き、魔族たちは納得がいかない様子でこちらを振り向く。
「このタイミングで退けというのですか⁉︎」
「違う! 任務変更だ! これより片桐将真の捕獲に向かう! 現地には他にも魔導士が集まっているらしい。急ぐぞ!」
『オォーッ!』
魔族たちは、ランディのその言葉に鬨の声を上げる。当然といえば当然か。彼らは皆、こんなついでのような任務を望んでなどいなかった。本作戦で暴れたい血の気の多い連中なのだ。
だが、冷静に問題点を指摘する者もいた。
「しかしランディ様。先ほどの鬼人たちの事もありますし、魔導士の数が思った以上に多いです。何人か殿を残していくべきかと……」
「いや、その必要はない」
ランディは静かに首を振る。
「何故ですか?」
「指揮権は貴様らに譲ってやる。殿は俺がやろう」
「なんと、ランディ様自ら行かれるのですか?」
ランディはそもそもこの任務がどうなろうと興味がなかった。任務そのものがどうでもよかった。彼は今回、ただ駆り出されたにすぎなかったのだ。
「俺は別に暴れたいわけでも報酬が欲しいわけでもないからな。貴様らは行けばいい。どうせ俺は死なん」
「……では、お任せします」
そう言って、その魔族も立ち去っていく。
さて、とランディは呟いて地に手をつける。すると、日本都市を囲い込むように巨大な結界が展開される。
「馬鹿め、そんな結界なんぞ__」
「馬鹿は貴様らだ、魔導士ども」
その結界に攻撃を仕掛けた魔導士は、いとも容易く弾かれる。そして、驚いた表情を見せたが、無理をして笑みを作ろうとする。
「だ、だが全ての魔族が逃げ切ったわけではないというのに愚かな……っ⁉︎」
魔導士は、目に映った光景をみて目を見開いた。魔族たちが、結界をすり抜けて外へ逃げて行くではないか。
「何だとぉっ⁉︎」
「魔族だけを通す結界。貴様らが都市に張っている物の強化版にして魔族用。ここから先に行きたくば俺を倒してからだ」
ランディは澄ました表情で仁王立ちをする。魔導士たちは、戦慄の表情を浮かべた。
『警告! 警告! 鬼人ランディが城壁の外にいるぞ! 各員、警戒態勢に入り、これを排除せよ!』
「なっ……」
「鬼人ランディだと⁉︎」
都市の中や外でその放送を聞いた魔導士たちはあちこちで声を上げる。
そして、ランディとの戦闘が開始される。
対抗できる魔導士があまりにも少ない中__純近接戦闘において、おそらく自警団最強と思われる彼女が、30分の時を経て地上に戻ってきた。
端末に入った連絡を見て、端末から管制室にアクセス。そして告げる。
「各員、今すぐ下がりなさい。鬼人ランディを前に無意味な戦闘は命を無駄にするだけよ」
すぅ、吐息を吸い、光を取り戻した瞳で、
「__ここから先は、私が相手をするわ」
柚葉は、死闘へと身を投じる。
「……将真、くん?」
リンが、呆然と呟く。
一方で莉緒や杏果たちは、将真が放った攻撃を見て顔を青ざめる。
だが、大量の魔導士の死体というおそれていた事態にはなっていなかった。擦り傷程度はあるかもしれないが、誰1人として目立つ怪我をしたものはいなかった。
ちなみに、将真はリンの声を聞いても、反応一つ示さない。
リンにとっては初めてだったが、誰にとってもやはり、将真は変わり果てているようにしか見えなかった。
みんなが警戒の色を露わにする中、リンが近づいて手を伸ばそうとする。だが、その手を引っ込めて、代わりに槍を精製して将真の背中に押し付ける。
「ちょ、リン⁉︎」
杏果が悲鳴のような声を上げる。まさか、ここてリンがこんな行動に出るとは思わなかったからだ。
だが、迂闊な真似はできない。もし将真が魔王だった場合、いやそうでなくても、今の彼の状態がわからない以上、彼を刺激するようなアクションは危険だと思ったからだ。
リンは、静かに、不安に声を揺らして将真に問いかけた。
「……答えて、将真くん」
「……」
「あなたは、魔王なんかじゃ、ないよね……?」
今の将真の姿を見て、それでも100%将真のことを信じられる人間は恐らくいない。それでもリンは、ほんの僅かだけ「もしかしたら魔王かもしれない」と思いながらも、誰よりも信じていた。
そして、リンは肯定の返事を待っている。自分は魔王ではないと。自分は魔導士で、リンたちの仲間で、魔導士の味方だと。そう言ってくれたら、それだけで、頑張れるのに。
果たして将真は、クルリと振り向いてその槍を掴む。たったそれだけで槍は消滅した。将真は、槍に触れた左手をそのまま、リンに向かって伸ばした。
瞬間、杏果たちは動き出す。だが、彼女たちもやはり将真の事を信じていただけに、その反応は遅れていた。
リンもまた絶望と僅かな恐怖に体を硬くした。そして、将真の手が__リンの頭に、優しく乗せられた。
『なっ……』
「……え?」
みんなは呆然と口を開き、リンは戸惑ったように将真を見上げる。
そこにあったのは、1週間前に見た穏やかな表情と何も変わらなかった。
ただ、今見ているのは、恐らく彼が初めて見せる表情だった。将真は、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべて、呟いた。
「……ごめん。俺にも、わからないや」
この時、魔導士たちは気がついていた。
すぐそばまで、魔族の大群がこちらに向かっていることに。




