第55話『脱走』
本来なら10分程度で着く距離を、慎重にゆっくりきたせいで1時間近くかかってしまった。
だが、その甲斐あって、誰にも見つからずに城壁前まで来る事が出来た。
「ようやく、ここまで来たわね……」
「後はここをどうやって抜けるかだけど……」
杏果がしみじみと、ボクは少し不安混じりに呟いた。莉緒の方にちらりと視線を送ると、少し考えるような仕草をした。
「んー、まあ、何とかなると思うしかないっすね……」
と言うのも、城壁内には侵入を防ぐためのトラップやシステムが幾つも有る。
無論、誰かが入るたびに反応するわけではなく、端末から電波を拾っているから普通は日本都市の住民に反応することはない。
だが、今ボクたちは端末の通信による逆探知を警戒して端末の電源を落としている。このまま入れば警報か何かで周囲に知れ渡ってしまうだろう。だが、端末の電源を入れれば、途端に逆探知の危険。
莉緒は数秒悩んだ挙句、
「……電源を入れるっすよ」
「え?」
「別に自分たちの端末は問題なく通れるはずっす。確かに交信してしまうんでいずれバレるのは避けられないっすけど、それでも今ここを切り抜けられるとしたらそれしかないっすよ」
バレる前に通り抜ければいい。莉緒が言いたいのはそういう事のようだ。確かにまあ、入っていきなり警報がなることはないだろう。
ボクたちは端末の電源を入れて、城壁内へと足を進める。
杏果が微妙な表情で、
「できれば誰にも見つからないことを祈るしかないわね……」
「そうね、誰にも見つからないといいわね?」
「うん、そうだね」
『……__っ⁉︎』
瞬間、ボクたちは飛び上がるような感覚と共に周囲を見渡した。
「……ねぇ」
「何すか?」
「今、私の言葉に返答したのは誰?」
「……私たちじゃない」
「って事は……」
誰かがいる。僕たちじゃない誰かが。しかも、状況からしておそらく、ボクたちを捕まえに来た誰か。
そして、何もない空間から再び声が聞こえる。
「こっちこっち」
「この声は、もしかして……美空さんっすか?」
莉緒がその名前を出すと、空間の一部が陽炎のように揺らめいた。そしてそこから莉緒の予想通り、美空楓が現れた。
「おはよう、一年の諸君。片桐将真の討伐任務に出るのかな?」
「っ……」
「ええ、その通りっすよ」
誰も答えられずに息を詰まらせる中、気丈に振舞って莉緒が答えた。それを見て楓はニコリと笑みを浮かべて一言。
「__下手な嘘ね」
「っ、どうせ知ってたんじゃないんすか?」
「まあね」
悪びれる様子すらなく、楓はあっさりと言ってのけた。
緊張感が漂い始めた。
「あ、あのっ!」
「……どうしたのかな?」
彼女の思惑が見えず__と言っても捕まえるつもりなのだろうが、その状態に耐えられなくなってボクは思わず声を上げた。
「行かせてください! 将真は絶対、魔王なんかじゃありません!」
「ふぅん……」
楓は、面白そうな顔でボクを見つめてくる。
「その根拠は?」
「根拠は……ないです。ないですけど……!」
悔しさに歯を食いしばりながら、ボクは拳を握ってそれだけを絞り出す。
そうだ。将真が魔王であるはずがない。
彼は、ボクたちを何度も助けてくれた。ボクたちがこうして生きていられるのは、彼が頑張ってくれたからだ。
初めて吸血鬼と戦った時も。この前の鬼人たちとの戦いでも。
「それに、将真くんが魔王だったのなら、どうしてここに来てから正体を現さなかったんですか?」
「まあ、それは確かにそうなんだよねぇ」
「……根拠と言える根拠はそれくらいしかないですけど、これじゃあダメですか?」
ボクは、心の中で強く祈った。そんな簡単なことではないけれど、願わくば、彼女がここで見逃してくれることを。
可能性は僅かかもしれないが、あるとボクは考えている。こうしてまともな会話をこうしてのんびりしていられるあたり、まだ他の人たちと違って思考能力がまともに働いてると思われるからだ。
楓は、頭を掻いて少し唸る。
「……いいの? もし片桐将真が魔王だったら、君たちに帰る場所はないわよ?」
反逆者として、延々と追われる。もし将真が魔王だったら、将真を殺さない限りは。
だが、
「証明します。将真くんを見つけて、話して、彼は魔王ではないと」
「……他のみんなも、同じかな?」
楓に問われると、みんな(少し渋々といった様子を見せるメンバーもいたが)こくりと頷く。
そして。
「ふぅん……まあ、いいでしょう」
「……あ、あれ?」
「どうかした?」
「いえ、その……」
自分たちから願い出たこととは言え、今から国を裏切ろうというボクたちを、こうもあっさりと行かせてくれるとは思っていなかったのだ。
驚いたものだから如何やら顔に出ていたようで、楓はボクたちの顔を見て小さく吹き出す。
「そんなに意外だった?」
「その……はい」
楓のその言葉に、ボクは素直に頷いて首肯した。
楓はクスクスと少しの間笑った後、表情に微かに影を落として口を開いた。
「さっきも言ったけれど、あなた達はこれから日本を、世界を敵に回すという事は分かっておいてね。私も片桐将真が魔王ではないとと信じたいけれど、君たちの味方にはなれそうにないから」
「あ、ありがとうございます__」
「何か、企んでないっすか?」
ボクが素直に頭を下げて礼を言うと、横から警戒するような声音で莉緒が前に出た。
楓は苦笑を浮かべると、
「今回ばかりは真面目だよ。こんな時まで何かを企むほど、腹黒くはないつもりだよ」
「確かに花橘の一族の噂に比べれば大分マシっすけど……それでも何か、別の思惑があるんじゃないっすか?」
「……私はね、柚葉さんを助けたいんだ」
「学園長を?」
それを聞いた莉緒が、小さく声を上げた。きっと意外だったのだろう。
「今の学園長は正気じゃない。でも、何時までも狂ってるわけじゃない。正気を取り戻した時に片桐将真が自分のせいで死んだなんて知れば、今度こそあの人は立ち直れない」
「今度こそって言うのは?」
「私も詳しくは知らないんだけど、昔に魔王関連の事件でトラウマを抱えてしまっているみたいだから。私はあの人に恩義もあるし、あの人の為にも、片桐将真が死ぬような事態は見過ごせないのよ」
まあ彼が本当に魔王なら話は別だけど、と茶目っ気を交えて付け足した。
その事件の内容がすごく気になるのだが、
「あの人に何があったのか、わかる範囲でよければまた今度教えてあげる。だから、今は早く行きなさい」
「……はい。ありがとうございます」
「じゃあ、任せるわよ」
そう言って、楓は何かしらの魔法を唱える。それが終わった直後、ボクたちの体を何かが包み込んだ。
「端末の電源を落としていても問題ないわ。多分感知されないと思うけど、時間はせいぜい1分が限界よ」
「それだけあれば十分です!」
杏果が最後それだけ言って、ボクたちは城壁の中を駆け出した。
「……気をつけてね」
楓のそんな声が、耳に残っていた。
その頃、日本都市からそこそこ離れた森の中。木の幹に将真は寝そべっていた。
「……ん、しまった、寝てたな俺」
鼻に何かが触れる感触で、俺は目を覚ました。起き上がると、はらりと葉っぱが落ちた。如何やらこれが俺の鼻の上に落ちてきたらしい。
端末の電源はつけたままだが、時計以外の機能は使っていない。あっという間に逆探知されかねないからだ。
その時計を見ると、午前10時を回っていた。
日本都市を出てから約8時間。眠っていた時間は大体3時間くらいか。こんなところで眠りこけていたというのに、よくもまあバレなかったものだ。
おそらく自警団や学園も動き出している。早く遠くへ逃げなければ見つかってしまう。もしそうなったら、俺はすぐにでも殺されてしまうだろう。だが、そんな訳にはいかない。殺されてたまるものか。
「俺は絶対に生きて帰るんだ……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、その場を立ち上がる。
「リン、柚姉、みんな……俺は生きて帰る。殺されてたまるもんか。俺が魔王じゃないって、証明してみせる」
それだけが、俺が魔王だという疑いを晴らすことができる、日本都市へと帰ることができる唯一の方法なのだから。
迂闊に魔力は使えない。俺は辺りを警戒しながら、なるべく音を出さないように走り出した。
「本当に反応しないみたいっすね」
走りながら、莉緒が呟く。
最悪楓に騙された可能性も考えていたのだが、如何やら杞憂だったらしい。
このまま何事もなく通り抜けられそうだったし、またそうあって欲しいと祈っていた。
だが、やはりこの国を守る要であるのだから当然といえば当然なのかもしれないが、如何やらそう簡単にはいかないようだ。
通路の向こうを、幾つもの影が迫ってくる。よく見るとそれは、人ではなく人型の自立機械だった。
「アレってやっぱ、自分たちに向かってきてるっすよね」
「そうね……」
莉緒と美緒がうんざりと声を漏らす。
自立機械といえど、魔導士であるボクたちの敵ではない。しかし、こんなところで派手な真似をすればあっという間に見つかってしまうし、それ以前にそんな時間はない。
「如何すんだこれ……!」
響弥が引きつった笑みを浮かべて呟く。
時間はかけられない。派手に交戦すればボクたちの居場所がバレる。
どうしよう。どうすれば、この場面を切り抜けられる?
みんなが頭を悩ませる中、1人だけブツブツと何かを呟いていた。
それは佳奈恵だった。みんなの視線が彼女に集まる中、佳奈恵の手に光が集まって言った。
「……えいっ」
小さな掛け声と共に、その光は波動上になって飛んでいく。それを浴びた自立機械たちが、少しずつ動きを鈍らせて、ついに動きを止めただけでなく、そのまま崩れ落ちた。
「い、今のは……?」
「これも『精霊の加護』。対象に流れる時間を急速に早める魔法だよ」
だが、そんな効果を持つせいでそうおいそれと人には使えないみたいだが。
つまり、自立機械たちに流れる時間を急速に進めることで、奴らの寿命を早めたということだろう。
だが、こんなところで魔力を伴うものを使って大丈夫なのだろうか。ボクの嫌な予想は、的確した。
「ご、ごめんみんな……咄嗟のことで考えなしでやっちゃったんだけど……」
「いやいや、むやみに暴れるよりずっといいっすよ__」
瞬間、ビー! と警告音が鳴り響く。
「……今更ながら、こんな気がしてたんです〜」
「ま、マジすか……」
佳奈恵が涙目になって泣き言を喚き、莉緒がうわぁと顔を引きつらせる。
「で、でもほらもうすぐ出られるよ」
「急ぎましょう!」
ボクたちは、残る数秒の距離を駆け抜け、そして__予想通り1分足らずで日本都市の外へ飛び出した。




