第52話『リンはキレると止まらない』
余りにも唐突過ぎたが、何が起こったのかは一目瞭然だった。
榛名たちがこの場に来たのとほぼ同時くらいに動き出したリンが、榛名を倒そうと攻撃を仕掛けたのだ。
理由は……分からない。
「リン__!」
私は思わず、今の状況も忘れて絶叫した。狭い廊下でそんな叫び声をあげたら、何かが起きていることを勘付かれてしまうかもしれないのに。
だが、それは杞憂だった。いらない心配だった。どうせ戦闘の余波で近付くことなんて想像できやしないから。
「うっ__⁉︎」
リンが槍を突き出し、それにギリギリで気がついた榛名は、咄嗟に剣を精製し受け止める。だが、榛名は実のところ、近接戦闘はそこまで強くない。
彼女があんな高序列にいるのは、近づかれる前に相手を倒してしまうからだ。それに、例え近づかれたとしても、最低限の防衛能力は持っている。しかし、彼女の近接戦闘能力は、いいとこ中の上くらい。
つまり、幾ら一つ学年が違うといえど、近接戦闘を主とするリンにここまで近づかれたら、榛名の方が圧倒的不利なのは目に見えていた。
左腕に怪我を負いながらも何とか攻撃を受け止めた榛名は、痛みに顔をしかめながら焦るように言う。
「ま、待ってくれ。まずは話を聞け!」
「……じゃあ聞きますけど、何でそのことを知っているんですか?」
リンが珍しく強い口調で、榛名を見据えた。
その事というのは、私たちが将真を助けに行こうとしていることだ。
榛名は、その問いにすぐ答えを返す。
「もしかしたらそうするんじゃないかと思っただけだよ……っ!」
「……ボクたちは将真くんを助けに行くんです。その邪魔はさせません!」
「だから、それは違__うっ⁉︎」
リンの動きが加速していく。その動きを見て、先輩たちは驚いた表情をする。多分、ここまで戦えるなんてというようなことを思っているのだろう。
だが、私たちはリンの動きを見て、逆に違和感を覚えた。
普段よりキレがない。力は強くなっている気がするが、何だか動きがぎこちない気がする。
だが、それは今気にするべきことではない。私は、先輩たちの1人、恵林に声をかけた。
「花橘先輩。少しいいですか?」
「どうしたの?」
「私たちを探してたみたいですけど、何でですか? やっぱり、反逆者になりそうな私たちを捕まえに?」
不安を抑えて問いかけた私の質問に対して、恵林は顎に口を当てて、どういったものかと言うような表情をする。
「んー……実を言うとね」
「はい」
「その逆なんだ」
「は……え?」
果たして、返されたその答えに、私は思わずポカンとした表情になってしまう。
「えっと……それはどういう?」
「私たちも気になってたんだ。彼が本当に魔王なのかってことは」
「だから、私たちも彼と話をしてみようという結論に至ったのよ」
恵林の言葉に付け足すように、共にいた燈が言う。そして燈は、2人の戦闘を見ながら続ける。
「君たちも片桐将真くんを助けようとするんじゃないかと思って、こうして協力を持ちかけに来たのだけれど……」
「どうやら、勘違いさせちゃったみたいだね」
「うあちゃー……」
燈と恵林の、そして榛名の真意を聞いて、響弥が顔を覆った。まあ、私も同じような気持ちではあるが。
「と、とにかくリンちゃんを止めないと……っ!」
佳奈恵があたふたと慌てて何とかしようと動こうとしたところを静音に羽交い締めにされる。
佳奈恵の気持ちもまたわかる。だが、佳奈恵には悪いが、彼女が行ったところでどうにもならない。
「ああなったら、そうそう止まらないわよあの子」
私もまた、止めなければと思いながらも、そのタイミングを掴めずにいた。
そして、ついにリンが榛名の剣を破壊した。
「う、そ……っ」
「__っ」
同時、リンは半歩下がって腰を低くする。構える槍に、凄まじい魔力が流れ込んでいくのが感じ取れた。
それに気がついた私は、再び叫んだ。
「リン、まって! この状況でそれをやったら__」
リンが使おうとしているのは神技だ。しかも、リンの神技は特別殺傷能力が高いのだ。
あの至近距離で、しかも無防備な状態でアレを受ければ、いかに序列高位の榛名といえど死にかねない。運が良くてもかなりの重傷となるだろう。
だが、リンは止まらなかった。正確に言うなら恐らく、止められなかったのだろう。今の彼女は、抑えがきかない。
「『刺し穿つ長槍』__!」
突然の状況に、それでも何とか落ち着いて対応していた榛名も、流石にこの状況には目を剥いて顔を引きつらせた。
神技が放たれ、その一撃が榛名の命を刈り取る__そう思われた瞬間、ガィンッ!と衝突音がした。そして、目を疑うような、とんでもない光景が広がっていた。
燈が、魔道具を装備しただけの状態で、リンの神技を受け止めたのだ。それも、片足で。
……黒タイツ越しに白いパンツが丸見えだった。
その辺、同じ女の子としてそれでいいのかと思わなくもないのだが(ちなみに、響弥はほぼガン見、猛はすぐに目を逸らした)、そんなことを言っていられない事態ではあった。
むしろ私としては、リンの暴走を止めてくれたことに感謝すべきなのかもしれない。
そして、神技をいとも簡単に受けきられたリンは、逆に顔を引きつらせていた。
「そんなっ__」
「……」
燈は槍を弾いて、すぐさまリンに肉薄した。そして、その肩をがっちりと掴む。
「っ!」
一瞬、リンの表情が怯えたものになり、ぎゅっと目を瞑った。
私も、一体燈が何をする気なのかとハラハラしたが、燈がとった行動は頭突きだった。
ゴチン、と鈍い音が響く。
「あいたっ」
思いがけない衝撃だったのか、そんな間抜けな声を上げてリンは尻餅をついた。それを見て燈は、ため息をついてしゃがむ。
「落ち着いた?」
「え、あ……その……」
「私たちはあなたの敵じゃないわ。むしろ、協力しようと思ってここに来たのよ」
「……え?」
リンが、パチクリと目を瞬かせる。そして、私の方を向いて、「なんで?」という視線を向けてくる。
仕方なく、私はリンに手を貸しながら簡単に説明した。
「2年生の先輩たちでね、2週間前の件でお世話になっちゃったのよ私たち」
「……?」
「まあ、将真とあなたは意識がなかったから知らないのも無理はないけど。ちなみに、リンの大怪我を何とかしてくれたのはあの人、花橘恵林先輩」
そして紹介を受けた当の本人は、榛名の元に駆け寄って例の回復魔法を施していた。
ようやくちゃんと冷静になれたのか、その光景を改めて見直したリンは、サーっと青ざめていった。
「あ……えっと、その……」
そして今度は盛大に動揺しながら、先ほどの佳奈恵以上にあわあわしながら、最終的に頭をバッと下げた。
「ご、ごめんなさいっ!」
何というか、再開してからというもの今の今まで終始周りに迷惑かけっぱなしで本当に申し訳なかった。
1番怖かったのは、我を失っていた間の記憶が曖昧になっていることだった。
そんなわけで、ようやく落ち着いて話ができるようになったボクたちは、どうやら先輩たちはすでに追われているみたいなので、人気の何場所まで来た。
そして、ここでようやくまともな会話らしい会話を始める。
「にしても、一年生のくせにとんでもない強さだなー。名前なんだっけ?」
「し、時雨リンです……さっきは本当にごめんなさい」
「まあ過ぎたことだから。それよりも『時雨』って……私と同じじゃないか?」
「え?」
「私は時雨榛名。こう見えて四大貴族『時雨』の一族の次期当主だ」
「自分で言うんですか?」
こう見えて、と自分で公言するということは、あまり適してないと彼女自身感じているということではないか。ボクは彼女のことを知らないのでなんとも言えないが。
「まあ、苗字の話も今はどうでもいいか。それより作戦だけど、どうする?」
「協力すると言った手前申し訳ないんだけど、実は私たちはそう簡単に外に出られないかもしれないんのよ」
「榛名ちゃんが暴れちゃったからね……」
「うっ……」
恵林がため息をつきながら燈に同意する。それを聞いた榛名が気まずそうな表情になる。
……いったい何したんだろう。
気にはなるが、もしかしたらボクみたいなことになっていたのかもしれない。さっきの事を思い出して申し訳なくなってしまうので、何も聞かないことにした。
そして、ボクの代わり……と言ってはなんだが、莉緒が榛名に問いかける。
「一体何したんすか?」
「片桐将真の討伐に大隊を組むから来てくれって」
「まあ、私たちの方が反対されるのは目に見えてたんだけど、榛名ってばそこでプツンといっちゃって」
「そこに集まってた生徒を魔術で吹き飛ばしてここまで来ちゃうっていう有様」
「あー……ド派手なことしたんすねー」
そりゃ難しいっすわ、と莉緒は苦笑を浮かべた。確かに、彼女たちはその件で目をつけられてしまったかもしれない。それだと迂闊には動けないだろう。
「でも、気が変わったとか言って適当にごまかせばなんとかならないですか?」
美緒が素朴な疑問をぶつける。先輩たちは、少し悩んだあと、
「検討はする」
とだけ答えた。
そして続けて、
「とりあえずの案としては、私たちが囮になっている間に、みんなが外に出るんだ」
「いや、私たちは普通に出るとして、逆に囮が必要なのは先輩たちの方じゃねえのか?」
響弥がボソリと返した。ボクたちはまだ目立つ真似はしていない。逆に彼女たちはこれ以上目立つ真似をすれば、自由に動けないだろう。
それを聞いた先輩たちは、再び考え込む。
「そうか、それもそうだよなぁ……」
「それじゃあ……なんだか申し訳ないけれど、お願いしようかな__」
この時には既に、ボクらは気付くべきだったのだ。
今、この学園には、ボクたちにとって魔王よりも恐ろしい人がいる事を。
ボクたちは、真っ先に想定して、警戒するべきだったのだ。
将真を追いかける前にまず、この都市の中において最も危険な相手を避ける事を、考えるべきだったのだ。いや、考えてはいたが、実際にそうなった時を想定していなかった。
ボクたちは、余りに楽観的な考えをしていたのだ。
最初に気がついたのは莉緒だった。
ボクと向かい合う位置に座っていた彼女は、不意に顔を上げたかと思うと、目を見開いて硬直した。
そして、それを訝しげに思った美緒が同じように顔を上げる。その顔が徐々に青ざめていくのが見て取れた。
「何で……」
莉緒が、呆然と呟く。
嫌な予感がして、ボクは後ろを振り向こうとした。
だが、その前に向こうの方から声をかけられた。
「__作戦会議は、終わったかしら?」
『っ……⁉︎』
その声を聞いて、ボクたちは身が総毛立つような恐怖を覚え、肩を震わせた。
恐る恐る振り向くと__
「柚葉、さん……?」
ボクもまた、呆然としてその名を呟いた。柚葉は、にっこりと笑いかけてきた。その顔は__余りにも虚ろで、怖かった。
「あなた達を、反逆罪で拘束させてもらうわ。悪く思わないでね。これも__世界の為なのだから」




