第49話『将真、日本都市を去る』
「……ねぇ、団長さん?」
「何だ」
「……こういう時って、なんて言えばいいかわからないんだけどさ」
瑠衣は思っていた。
自分の負った心の傷も深いもので、けれど尊いものだと思う。内容は今聞いたものと似たり寄ったりなところもあるし。そしてそれゆえに瑠衣は花橘を恨んでいるところがある。
だが、規模や状況があまりにも違いすぎて、つい口から出た言葉は、
「あなたもそうだけど、柚葉ちゃんにとってそれはもう……地獄以外の何でもないでしょうね」
しかも、最愛の人の願いの一つでもあるせいで、ともに死ぬ事すら選べなかった。余りに一途で、故に地獄同然の苦しみとしか思えなかったのだ。
同じ事を考えたのか、団長はまるで落ち込んでいるような表情で言った。
「俺が殺そうとも思った。俺だってそんなのは嫌だけど、それでも柚葉がやるよりは多分マシだろうと思ったんだ。そうすれば、柚葉も今よりは辛くなかっただろう。俺を恨めばいいだけの話なのだからな。丁度近くまで来ていたから、話も一応聞こえていたよ。だが、俺は余りにも情けない事に、動けないでいた」
「……」
「友を失うのが怖かった。自分の手で、友を殺すことが、怖くてしょうがなかった。それが、あんな結果を生んでしまった」
団長は、深く後悔しているのだ。柚葉に、樹を殺させてしまった事を。
自分も大概だが、自分の後輩である若すぎる彼女には、否、当時の事を考えて言うならば、幼いとも言えるか。そんな彼女に、余りにも重すぎる物を背負わせてしまった。
「みんな団長さんについてさ、柚葉に甘いって言ってたよ。あの子に気があるんじゃないかって。でも、本当のところそういうわけがあったってことね」
「そうだ。仮に気があったところで、絶対に口にはせんがな」
そんな事があっては、樹に余りにも申し訳ない。
「俺は、申し訳ないと思うのと同時に、あいつに感謝しているんだ。俺に背負えなかったものを、あんなちっさい体で背負ってくれているのだから。甘くしているつもりはないが、確かに彼女の言動に対しては多少融通を利かせているつもりだ」
「ふーん……まあ、ひとつ言わせてもらえば、『多少』じゃなくて『かなり』だと思うけれど?」
「……そうかもしれないな」
だから、片桐将真が『裏世界』に来る事を許可した。彼女が望んだことだから。そして、今回の件でも、片桐将真を殺す気は毛頭ない。まあ、これに限って言えば、柚葉のためという事だけではないが。
「俺は別に強くとも何ともない。ただ、そうあろうとは思っているし、同じ間違いを繰り返すつもりはない」
団長は思う。
自分はむしろ弱い人間だと。だからこそ、強くなれると信じられる。もう2度とあんな失敗は犯さないし、誰かに辛いことを肩代わりさせるつもりはない。
「……あの子、大丈夫かしら?」
心配そうに、瑠衣が呟く。その言葉に、団長は首を振る。
「大丈夫なわけがないだろう。これで正気でいられるのなら、むしろ俺は軽蔑するよ。だが、それでも」
団長は、机に立てかけられた写真を見る。
そこには、柚葉の持っているものとは多少違う、自分たちの小隊に柚葉が加わったものが見て取れる。それを手にとって、団長は小さく、だが力強く呟く。
「あいつに誓ったんだ。世界を救ってみせる、と。俺が自警団の団長である内に、魔王は必ず倒してみせる」
そして。
団長が言った通り、柚葉は大丈夫ではなかった。
午前2時。ほとんどの人間は寝静まっている夜遅くのこんな時間に、柚葉は学園長室にいた。
うなされて眠れなかった彼女は、何故かここに足を運んできたのだ。
柚葉は、机の上の写真を手に取る。月明かりに照らされたその顔には、静かな笑みが浮いていた。今置かれている状況から考えてみるとあまりにも穏やかな笑みは、だが、よく見ればわかるだろう。
感情のない、虚ろな笑みだという事が。
「先輩、安心してください。今度こそ魔王を殺して、全部終わらせますから」
すでに柚葉は、普通ではなかった。
もう、狂い始めていた。
そして同時刻、将真もまた外を出歩いていた。
大事な話がある、という事で呼び出されたのだが、誰にも見つからず、誰にもバレずに出て来るよう言われたのだ。
一体何なのだろうか。
そして、目的地に到着すると、すでに呼び出し人はそこにいた。美空楓だった。
「きたわね」
「……こんな時間に何の用ですか、美空先輩」
「言ったでしょう? 大事な話があると」
「言ってましたけど……」
でもどうせ大した事ではないんだろう、と俺は思っていた。
確かに驚くことを伝えに来たのかもしれないが、柚葉を通して来ているような感じではないから、そう重要な事ではないのだろうと。
だから俺は、緊張感もなく欠伸を噛み殺しながら話の続きを待った。
だが、
「それも、あなたにとってとても大事な、ね」
続いた言葉に、俺の思考はしばらく硬直した。
「明日から、日本全土……いずれは全世界が、あなたを殺しにくるわ」
「……は?」
意味が、全く理解できなかった。
殺されるって……俺が? 全世界が、俺を殺しにくるだって?
「何で……」
「……あなたが使っていた力、もちろん覚えてるわよね?」
「っ、でも、どんなに危険な力だったとして、殺される覚えは__」
「それが、魔王の力だとしたら」
「__っ⁉︎」
楓が、俺の言葉を遮ってボソッと言った。その瞬間、戦慄を覚えた俺は息を詰まらせる。
「確かに、あなたの能力がどんなに危険なものでも、あなたを殺す理由にはならないわ。でも、それが魔王のものとなれば話は別なのよ」
「……俺は、魔王じゃない」
「ええ。私もそう思いたいわ。けれど、日本の上層部もあなたを魔王と断定して行動を始めているわ。明日にでも、あなたを殺すように指示する知らせが日本全土に回るでしょう」
「……」
何か言い返したかった。俺は魔王じゃないと言いたかった。魔王の力なんか知らないと、否定したかった。
だが、あまりにも心当たりがありすぎた。
もちろん、俺は魔王じゃない。でも、力はそうかもしれない。それに、そんな事言ったって信じて貰えないだろう。現に楓は半分くらい信じていない。
「柚姉は……知ってるのか?」
「ええ。と言うか、柚葉さんが上に報告したのよ」
「そうか……」
「あの人、今ちょっとヤバいから」
「ヤバい?」
「狂っちゃったっていうかね……以前、魔王に関して何かあったってことは聞いてるんだけど……」
という事は、今の俺の存在が、柚葉に負担をかけている事になるのか。
それに、このままでは仲間にも迷惑がかかってしまう。莉緒や美緒、杏果、響弥、そして__
「あの人が残った理性であなたを逃がすように私に言ったのよ。私も本意ではないけれど、明日からはあなたと敵対しなければならない。だから早く逃げなさい。あと、何かお願いがあれば、できる限りの事は聞いてあげるわ」
「……じゃあ、先輩。ひとつお願いがあります」
「うん。何かな」
「……リンの様子を、見て行きたいんだ」
目が覚めて、ようやく体の自由がきいてから数日。仲間たちとは顔も合わせて話もした。けれど、リンだけは未だ目覚めず、話ができなかった。
でも、別に起きてなくてもいい。それなら最後……になるかもしれないのだ。その様子を、見て行きたい。
楓は、少し考えてからこくりと頷く。
「わかったわ。私の魔法で、あなたの気配を限りなく消すから。でも、そんな事でいいの?」
「……今は、そんな事くらいしかない」
「そう」
楓は、少しだけ哀しそうに目を伏せた。
俺は、ゆっくりと学園へと足を進めた。
学園に着いて、校舎の中に入る。
そして、医務室の前で俺は足を止める。
深呼吸をして、扉に手をかけてスライドさせて開ける。
大きな窓からは、月明かりが入り込んでいた。
中に足を踏み入れる。すると、何かが動くような気配がした。俺は警戒しながら奥の方へと進んでいく。
そして__身体を起こしてこちらを見ているリンと目が合った。
「……リン?」
「……おはよう、将真くん」
「よかった……目が覚めたのか」
「うん。ゴメンね、心配かけちゃった?」
「本当だよ、無茶ばっかしてさ」
「それだけは君に言われたくないなぁ」
あはは、とリンは気の抜けた淡い笑みを浮かべる。
その様子を見て、俺は少し不安を覚える。
「体調はもう大丈夫なのか?」
「……実は、まだあんまり」
そう言ってリンは、丁度大怪我をした場所に触れた。
「何だか、まだ違和感があって、ちょっぴり気持ち悪いんだ。多分、動けるとは思うけど……」
「いや、多分すぐには動けないよ。何せ2週間くらいずっと寝込んでたんだから」
「……え、え? ボクが? そんなに寝ちゃってたの⁉︎」
驚いたように声をあげ__と言っても、そんなに大きな声は出せないようだが、直後、口を押さえて咳き込んだ。
「あ、おい大丈夫か⁉︎」
「ケホッ……う、うん、何とか……」
体調が万全ではない、と言うのはどうやら本当らしい。リンの様子を見ていると、何だか、凄い申し訳ない気分になる。
「ゴメンな。また、俺のせいで……」
「将真くんのせいじゃないよ。これは、ボクが自分で負った傷だから」
「でも、前もリンは俺を庇って大怪我したよな……俺男なのに、守られてばっかりだ」
「そんな事ないよ。今回も将真くんが頑張ってくれたからみんな……あ、そうだみんなは⁉︎ 大丈夫⁉︎」
「まずは自分の心配をしろよ」
俺はため息をつきながら、静かに頷く。するとリンは、ホッと胸に手を当てた。
「よかった……。前のよりももっと凄い死闘だったはずなのに、今回もみんな生きてたんだね……」
「それは……そうだな」
その言葉を聞いて俺は思い出す。
リンは知らないんだ、俺の力の事を。俺が魔王の力を持っている事を。まあ、魔王の力だという事は、俺もさっき知ったんだけど。
「……ねぇ、将真くん」
「ん?」
「今更だけど、何でこんな時間に?」
「それは……」
時計は午前2時を回っている。こんな夜中に学校に残っている事だけでも珍しいのに、わざわざこんなところにいるのだ。まあ意外に思っても仕方がない。
だが、俺はその理由を話せない。何といったものかと考えたところで、咄嗟に思いついたとこを口にした。
「リンが、そろそろ目を覚ましたかなって思ってさ。そしたら本当に起きてただけだよ」
「何それ冗談?」
あはは、とリンは笑みを浮かべた。まあ、やっぱり無理があるよな、と俺も苦笑を浮かべる。
「でも、なんか嬉しいな。ありがと」
「いや……本当にゴメンな」
俺は、繰り返した。
別に、庇ってもらった事でも、守られてばかりだからという事だけでもない。もう俺の存在は、そこにあるだけで魔導士全員に対する裏切りのようなものだ。
もう、何だか何もかもが申し訳なかった。それでも俺は、死ぬ気はないし、諦めたくもない。
「リンの無事も確認できたし、俺はもう行くよ」
「ん、そっか。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「……またね」
「……うん、バイバイ」
俺は、手を振ってくるリンに対して手を振り返し、静かに医務室を出た。
「もう、いいの?」
「うん、ありがとう先輩」
「それじゃ、武運を祈るわ」
「……お手数かけます」
「気にしないで」
俺は、ゆっくりと結界の外へと出る。
もう何度も慣れている事のはずなのに、それが無性に寂しく感じる。
諦める気は毛頭ない。が、日本全土が……いずれは全世界が俺を殺しに来るのだ。逃げ切れるとも思っていない。
本当に、これが最後かも知らないのだ。
__なんか、短い間だった気がするけどな……。
3ヶ月ちょっと。でも、楽しかった。
「やっぱ、これで終わらせたくないな……」
よし、絶対に逃げ切ろう。生き残ろう。
俺はそう誓って、結界の外を歩き、日本都市に背を向けた。
片桐将真が消息不明となった事を、日本都市の人々はまだ、知る由もなかった。




