第46話『新たな問題』
気がつくと、真っ暗な闇の空間に立っていた。
正面には、黒い瘴気に包まれた、人型ということしかわからない何か。
その何かか瘴気が放たれ、それが帯状となって、まるで鎖のように俺の体の自由を奪う。
「なっ……」
「……」
黒い影は、無言で、だが狂気的な笑みを浮かべて俺に手を伸ばしてゆっくりと近づいてくる。
逃げようにも、抵抗しようにも動けない。
なす術もなくその手が俺に触れようとして__
「やめろぉぉぉぉぉっ!」
俺たち以外に誰もいない闇の中で、俺は絶叫した。
何というか。
まあ、夢の中だった。
バチッと目が覚め、布団の上で仰向けになって、俺は荒くなった呼吸を整える。
勢いで飛び上がった気がしたのだが、むしろ体はピクリとしか動かない。痛くはないが、全身が凄まじく重かった。
失礼な気もするが、体の不自由な人間の気持ちが、改めて理解できた気がした。
「……ここは」
ようやく呼吸も落ち着いて、俺は一言呟いてみる。そこは、例の如く学園の医務室だった。
まあ、病院顔負けの規模と器具の揃い具合からして、もう病院とでいいんじゃねと思わなくもないが、まあとにかく医務室だった。
視線を巡らせてみると、俺と同じようにベッドで横になっている奴が2人いた。杏果とリンだ。
そこで俺は、リンの傷のことを思い出して、何としてでも起き上がろうとする。
だが、本当に疑問だ。痛くもないのに、こうも体が動かないことがあるものなのか。
「ん……」
唐突にうめき声が聞こえてきた。そちらに視線を移すと、窓際でとっぷしている柚葉がいた。
「柚姉……」
「あ、将真。起きたのね」
柚葉は、あくびをして伸びを一つし、俺の方に向き直る。
「調子はどう?」
「ピクリとも動かない……」
「そう言えば、鬼人ランディと遭遇したそうね」
「……『きじんらんでぃ』?」
何だそれは、と俺は眉をひそめて聞き返す。
柚葉は、「そっか」と言いながら、
「あなた達は知らなかったわね。あなたが戦った鬼人の名前よ。まあ、死神なんて呼ぶ人もいるけど」
「ああ、『鬼人』の『ランディ』ね……てか、死神ぃ?」
「ええ。だって、今まで遭遇した人で生きて帰ってきた人はいないんだもの。良くて死体で帰ってくるの」
「うげぇ……」
よく俺らそんなのに勝てたな……、と思っていたのだが、柚葉が更に耳を疑う一言を。
「まあ、向こうにも逃げられてるみたいだけどねぇ」
「あれ⁉︎」
おかしいな、確かに殺……倒したはずなんだが……。
考えている事が顔に出ていたのか、柚葉が苦笑いを浮かべる。
「話は莉緒ちゃんに少し聞いたんだけどね」
「そうなのか?」
「うん。この後全部報告してもらうところ。ランディはね、吸血鬼の貴族と鬼人の混血なのよ」
「えっ……」
「だから、簡単に死なないのはむしろ当たり前ね。とは言え、あなたが一度殺すくらいまで追い詰めたおかげで全員が助かったというのはあるでしょうけど」
死んで生き返るっていうのは、消耗が激しいからね、と柚葉は付け加える。
ふーん、とその話を聞いていた俺は、一つ思った事を聞いてみた。
「何で杏果も寝てるの?」
「だから、今言ったじゃない」
「生き返った時の消耗がー、ってやつ?」
「そうよ。リンちゃんも杏果も、あなただって1週間も目を覚まさなかったんだから」
「へー……って!」
__1週間だと⁉︎
体は起こせなかったが、そんな感じの勢いで俺は驚いた。リンはまあ、あの傷だったから仕方がない。杏果もまあ、消耗が激しいなら仕方がない。
だが、1週間⁉︎ マジか!
そして更に思い当たる事を思い出した。いや、あまりに今更なんだけど、起き抜けで頭が回ってないんだよ。
「そうだよ、リン! リンはどうなったんだ⁉︎」
「うん、まあ……」
歯切れの悪い柚葉を見て、俺は少しずつ血の気が引いていくのを感じた。
そして。
「とりあえず一命は取り留めたわ」
「……よかった」
瞬間、俺は脱力した。いや、元々力なんて入らないんだけどさ。
ここでリンが死んだ何て言われたら、俺はどうすればいいのかわからない。だってリンは、俺を庇ってあんな大怪我を負ったのだから。だから、本当によかった。
「あなたが倒れた後になんか色々あったみたいでね。そこで救援に出ていた2年生のチームの子達があなた達を助けてくれたのよ。それで、そのうちの1人がリンちゃんの傷を一時的に塞いでくれたの」
「一時的?」
「ええ。原始的な治療法でね。リンちゃんの体に魔力を流し込んで、強引に再生能力を早めた……って言えばわかりやすいかしら?」
「……今の治癒魔法とかとはどう違うんだ?」
「治癒魔法は、能力としても希少だし、治す対象が負っているダメージによって負担も大きくなるけれど、確実に傷や病気は治せるわ。ただ、今回リンに施された治療は、昔魔導士の中で行われていた治療術なの」
そりゃあ原始的って言うんだから、その方法は過去のものだろうけど。
「一時的に傷を塞ぐことはできても、気休め程度のものだから直ぐにまた傷口が広がってくる。完全に治せるわけじゃないのよ」
「なのにリンは助かったのか?」
「ええ。迅速な行動のおかげってのもあるけれど、いくら原始的って言っても治療術の一つだからね。今じゃ魔導士の間では『究極の治療術』って言われてるくらいだから」
「俺には縁のない話だな……」
「そうでもないわ。あなたがあんなような怪我をすれば」
「やめてくれ縁起でもない」
俺は本気で嫌がるように顔を顰める。確かに仲間がそんな目に遭うくらいなら自分がとは思うが、出来ることならそんな事態は避けたい。全力で。
「ごめんね。こんなしんどい任務ばっかになっちゃって」
「え? わざと仕組んでたんじゃないの?」
「失礼ね、流石にそこまで非道じゃないわよ!」
嘘だぁ、と俺は呆れ半分諦め半分でため息をつく。こうも難易度の高い任務ばかり重なるのだ、何かしら彼女に思惑があるのだろうと思っていたのだが。
柚葉もまたため息をついて立ち上がる。
「まあ、いいわ。あなたはもう少しすれば動けるようになると思う。リンちゃんも多分あと1週間くらいすれば目がさめると思うわ」
「結構時間かかるな」
「怪我が怪我だからね」
「帰るの?」
「ううん。今から学園長室で莉緒ちゃんから報告を聞くのよ」
言ったでしょ、と言われて、そういえばそうだったと思い出した。
「ちゃんと安静にしてなさいよ」
「そもそも動けないんだって」
俺が顔をしかめてそういうと、柚葉は微笑を浮かべた。そして「じゃあまたね」と手を振って、医務室から出て行った。
「……もうひと眠りするか」
する事がない俺は、そのまま目を閉じて再び眠りについた。
私は焦るように、足早に学園長室へと戻る。そして、到着するや否や、ぶち破るような勢いで扉を開け放った。
部屋の中にいた2人の少女が驚いて目を見開いてこちらを見る。
「思ったよりも戻ってくるの早かったですね」
「もしかして、将真さんようやく目覚めたっすか?」
「……ええ、まあね」
私は重々しく首肯した。
将真には嘘をついてしまったが、莉緒からは既に1週間前の報告全てを受けていた。むしろ今回は、私が莉緒に報告みたいなことをするためにここに来てもらったのだ。
莉緒は訝しげな表情で問いかけてくる。
「将真さんの様子は如何だったっすか?」
莉緒や美緒、響弥たちは、ここ1週間ずっと将真が目覚めるのを待っていたのだ。とある推測を、確かめるために。
私はかぶりを振って答える。
「別に、いつも通り普通って感じだったわ」
その答えを聞いたと同時に、莉緒がホッと息を吐く。ずっと不安だったのだろう。まあ、彼女の推測が当たっていればということを考えれば当然と言えば当然で、私としても信じたくないものだったのだから。
だが、その安堵を吹き飛ばすように、莉緒と同じく部屋にいた楓が言いづらそうにいう。
「でも、力は間違いなかったんでしょう?」
「ええ、まあそうっすね……」
「柚葉さん、どう判断します? 弟さんの、あの力について」
「……」
私は、固く口を閉ざした。
さっき話した限りでは、何もおかしなことはなかった。変貌しているとかは断じてない。
特に危ない気配も感じなかった。
だが、確かに報告に受けた将真の力は信じたくないことに、以前見たものとかなり酷似しているのだ。
私は椅子に座って、机の上に立て掛けられた一枚の写真を見る。そこには、数年前の、ここに来たばかりの私が写っていた。そしてもう1人、私の頭に手を置いて小さく微笑みを浮かべる少年が隣に写っている。
この写真を見るたびに私は、やるせない思いに駆られる。ましてや、将真の話を聞いてからでは余計にだ。思わず奥歯が軋むほど歯を食いしばっていた。
「……取り敢えず、報告はしておくけれど」
そう言いながら私は、写真から目を離して机の上の報告書を手に取る。
その中には、佳奈恵が描いた将真の絵がある。覚えている限りで描いてもらったのだ。
将真が身につけているのは黒い服だ。だがそれは制服ではなく、肌に密着するようなロングコートっぽかった。
左肩には袖がなく、逆に右側は長袖で、袖の先の右手は人のものではない、鋭く長い鉤爪のようなものが生えていた。
肌は浅黒く、髪は真っ白。黒い双眸に金色の瞳。
……やっぱり、似ている。
ただ、以前見たものと比べればまだ程度はマシ、と言うところか。
資料を見て、再び黙り込む私を見て莉緒が怪訝そうに声をかけてくる。
「……学園長?」
「……将真の力、これってやっぱり……」
いや、と私は自分の言葉に自分でかぶりを振る。そして苛立たしげに資料を破った。
「あ、あー! ちょ、自分が苦労して作った報告書っすよ⁉︎ いきなり破り捨てるなんて酷くないっすか?」
「良いのよ。そのうちゴミになるものだし。それに__」
結論は出た。
「莉緒ちゃん、今日はもう帰って良いわよ」
「……はぁ、わかったすよ。何があったかは聞かないって話だったっすしね」
納得いかないと言いたげに莉緒は頭を掻いて、学園長室を出た。
莉緒の気配が完全に消えた瞬間、自制しきれなくなった私は、思わず壁を殴りつけ、大きなヒビが入った。
「何でよ……っ」
「柚葉さん……」
「何で、将真が……!」
私の嘆きに、答えられる者などいなかった。
俺は、アレから2日後に動けるようになった。その1日前には杏果も目を覚まして、リンが目を覚ますのを待つばかりとなった。
いつも通りの日常に戻すために、朝と夜は鍛錬をした。とは言え病み上がりだ、かなりしんどかった。まあ、魔導士だからいつもよりしんどい程度で済んでいるのだが。
任務も3人揃っていないから比較的簡単なものばかりを選んでこなしていた。
そうして日が経っていき、7月に入った。
いつも通りの平和な都市。日常。
だから、自分に危機が迫っていることなんて気づけるはずがなかった。




