第41話『莉緒と美緒』
「将真さん! そいつは鬼人っす! 気をつけて!」
「フンッ」
「うおっ⁉︎」
莉緒の忠告と同時に放たれる拳。
速度はそこまでデタラメなわけではなく、若干の余裕をもって躱す。そして、今し方いた場所を、鬼人ことランディが粉々に粉砕した。
「げっ……」
嘘だろ。
思わず戦慄を覚える。吸血鬼もかなりの脅威だが、こうして相対して分かる。接近戦に関しては、吸血鬼よりもずっとヤバイ。
これで動きも速いとなったらもはや手の打ちようが無いところだが、そこは不幸中の幸いと言うべきか。吸血鬼よりも動きは遅い。これなら逃げられるし、追うことも出来る。
「くらえっ!」
俺は、少し距離をとって“黒風”を打ち込む。
だが、それをランディは素手で受け止めた。
「おいマジかよ⁉︎」
「お、おおぉぉっ!」
「っ⁉︎」
グンッ、と。
凄まじい力で体を振り回される。そして投げ飛ばされた時、俺は受け身を取ることができなかった。
「が、ふっ……!」
「おいおい、なんつー力だよ……」
「それよか、援護に行くっすよ!」
呆然と呟いた響弥に、莉緒が喝を入れるように叫ぶ。だが、その目の前を吸血鬼が塞ぐ。
「貴様らの相手は俺だ。1人たりとも逃さんぞ」
「くっ……」
「将真くん、大丈夫⁉︎」
杏果の歯噛みする様子。リンもまた、心配そうに声をかけてくる。
俺はそれに声を返す。
「大したダメージじゃない。大丈夫、お前らはそっちを頼むぜ」
確かに、とんでもない力だった。踏ん張ろうにも耐えきれない、圧倒的な力量差。だが、今のはあくまで投げ飛ばされただけだ。多少体は痛めたがその程度。先頭に支障は無い。
「さて、と。じゃあ続きをやろうか。鬼人」
俺は威勢良く、ランディを睨みつける。ランディは、静かに笑みを浮かべ、構えをとった。
「威勢がいいな。いいだろう、ちゃんと相手してやる」
しばらくお互いを睨み合い__同時に地を蹴る。
『おおおぉぉぉっ!』
衝突。
周りに衝撃波が散った。
「……1人で大丈夫かな」
「今は任せるしかないっすね。大丈夫、序列通りの弱さじゃないことくらい、自分たちはわかってるんすから」
「そうさな。それよか、今はこっちに集中だ」
将真の元へ行こうにも、目の前で行く先を塞ぐ吸血鬼をどうにかしない限りは進みようがない。
「こっちも行くっすよ」
「うん」
「そう思い通りにいくと思うなよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すわ__!」
杏果が、吸血鬼へ攻撃を仕掛ける。ボクは、彼女の動きが以前よりも速くなっていることに気がついた。
「だあぁっ!」
「むっ」
戦斧が振り下ろされる寸前で、そのまま受けることに危険を感じたらしい吸血鬼が回避行動をとる。そのため、杏果の攻撃は地面を砕くに止まった。
吸血鬼は、地面に着地すると共にボクたちのほうへ向かってきた。
「速いっ!」
「回避!」
ボクたちはすぐにその場を離れる。すぐに体勢を立て直して攻勢に移ろうとしたのだが。
「逃さんぞ__」
吸血鬼の背中から、真紅の触手のようなものが伸びてきて、叩きつける、或いは掴んで投げ飛ばすなどして蹂躙する。
「くっ……」
「やっぱり強い……!」
らしくもなく、猛がそんな風に呟いた。だが、無理もない。やはりどれだけ成長しても、吸血鬼の相手をするのにはまだ早かったのかもしれない。
だが、諦められない。諦められるわけがない。それは、命を捨てる事と同じだ。
「頑張ろう。将真くんも1人で戦っているんだから、彼より強いボクたちが弱音を吐くわけにはいかないよ!」
「……そうっすね」
「大丈夫、わかってるわ」
全員、しっかりと足を地面につけて立ち上がり、未だ届かぬ吸血鬼を睨みつける。
「ほう、まだやるか」
吸血鬼は笑みを浮かべて、再び真紅の触手を出した。
「来るよ!」
私は声を上げる。
それに反応して、リンたちは周りへ散ってかわす。だが、それにも関わらず、しつこく触手が襲ってくる。
「このっ……!」
仕方なく、私は戦斧を振りかざして迎撃しようとする。無論、押し返せる保証はないが……。
「杏果さん、伏せるっすよ!」
「莉緒⁉︎」
突然、背後から声がかかり、言われた通りに頭を低くする。
背後では、莉緒が魔法陣を展開していた。
「別に得意なわけじゃないんで、こんなんで魔力の消耗は避けたいんすけどねー」
赤色の魔法陣が、一瞬眩しく明滅する。莉緒がパチンと指を鳴らすと、その合図に反応して魔法陣から大量の炎弾が飛んで行った。
その一つ一つには触手を迎撃するほどの力はないけれど、その圧倒的な質量を持ってどうにか押し切った。そのついでと言わんばかりに、炎弾が今度は吸血鬼のほうへと飛んでいく。
「ふん」
それを吸血鬼は難なくかわし、追尾してくる炎弾から距離をとる。
だが、唐突に吸血鬼の動きが止まった。足元を見ると、そこには地面から生えるように現れた氷の塊があり、それが吸血鬼を捉えていたのだ。そしてその氷は侵食範囲を広げていく。
「無駄な事を__⁉︎」
先ほどと同様に、アッサリと氷が砕ける様子を誰もがイメージした。だが、実際には小さくヒビが入る程度で止まり、そのヒビさえも、侵食していく氷に飲まれて消えていく。
「何っ⁉︎」
「悪いけど、神技を使わせてもらったよ。こんなところで出し惜しみなんてしてる場合じゃないから、ね!」
「チッ……だが、それでも所詮は時間稼ぎに過ぎんぞ!」
吸血鬼は、先ほどよりも更に力を込めて氷を粉砕しようと試みる。結果は、思った以上に丈夫だったものの、やはりアッサリと氷は砕けてしまった。
それを美緒は特に驚く様子もなく見つめ、
「それでいいのよ」
「何だと__ぐあぁっ⁉︎」
怪訝そうな声を上げると同時に、吸血鬼を爆発が襲った。莉緒が飛ばした無数の炎弾だった。
「凄い……」
「たったの2人で、吸血鬼をここまで追い詰めるなんて……」
呆然と呟いたリンの感想に同意して私も頷いた。私にはまだ、そんな真似はできないだろう。
「こっちへの意識がそれたおかげっす」
「このままおっ死んじゃいなさい……と言いたいところだけど……」
2人が見つめる爆煙の中、一つの影が悠然と立っている。煙が晴れて、吸血鬼の姿が露わになる。その体には、ほとんど傷はなかった。血の装甲が、彼の体を守っていたのだ。
「やっぱり、そう簡単にはいかないっすねー……」
「これで終わりか? だとしたら拍子抜けだな」
「実はまだ終わりじゃないっすよ」
莉緒が不敵な笑みを浮かべて言った。
その瞬間、何の前触れもなく吸血鬼の体がピキピキと凍りつき始めた。
「何だと……?」
「空中には水分があるから、凍らせることは難しくないよ」
「だったら何だ? どのみち殆どは俺の装甲に防がれて無駄になっているだろうに」
「それが狙い通りなんすよねー」
莉緒が再びパチンと指を鳴らす。
すると、いつの間にか虚空に存在していた、吸血鬼を囲みこむように展開される無数の魔法陣に、私も遅まきながら気づいた。
「いつの間に⁉︎」
「自分たちが、ただやられてるだけなわけがないっすよ」
魔法陣が輝きを増す。それを見た吸血鬼が警戒を示す。だが、空気ごと急激に冷やされたため、血の装甲もうまく動かせないでいる。
「これはただの炎弾とは違うっすよ!」
魔法陣から炎が放たれる。その形状は彼女の言う通り、炎弾とは少し違う。
例えるなら槍。炎槍だ。
それが、冷やされた血の装甲に直撃する。今度は急激に熱せられることで、ビキビキと血の装甲にヒビが入り始めていた。
「ぐ、ぬぅぅ……!」
「確かに、魔族が強いのは知ってるっすよ。吸血鬼が高位魔族である事も。でも、人間舐めてちゃおしまいっすよ。下手すりゃ魔族なんかより自分たちの方が、よっぽど怖い存在なんすから」
炎槍が、絶え間なく吸血鬼を襲う。
莉緒の顔には、汗が滲み出していた。これだけ魔力を消費する魔術を使っているのだから当然と言えば当然かもしれない。
だが、莉緒は不敵な笑みを絶やさず、美緒の方をチラッと見る。
一瞬の視線の交錯。次の瞬間、美緒が動き出していた。アレだけで莉緒が何を言いたかったのかを理解したらしい。
私は、同じ高等部一年生十席のメンバーでありながら、何も出来ずにいた。
__たった二つ三つ、序列が違うだけで、ここまで違うものなのか。
「……ボクたち必要なのかな?」
「気を抜くなよ、いつ何が起きるかわかんねぇからな」
気落ちし始めていたリンや私にそう言ったのは、意外にも響弥だった。
「……そうね」
私は、意識を切り替えて、目の前で行われている銭湯の行く末を見守る。
吸血鬼の血の装甲はボロボロで、吸血鬼自身も身動きが取れない。その瞬間、莉緒が叫ぶ。
「今っすよ!」
「っ⁉︎」
吸血鬼が、不意をつかれたように上を見上げる。そこには、巨大な氷の塊があった。
「フッ!」
美緒が、掲げていた手を振り下ろす。それと同時に、氷の塊が落ち始めた。
「自分の猛攻すらも囮って訳っすよ」
「これで、終わりよ!」
ズン、と鈍い音を響かせて、吸血鬼を押しつぶしたまま氷の塊が地面に突き刺さる。
「やった!」
思わず、私は声を上げてしまった。だが、それくらいにホッとしてしまったのだから仕方がない。莉緒は、ぐっと親指を立ててこちらを向く。美緒もまた、こちらを振り向こうとして__一瞬、驚愕の表情を見せて、瞬時にその場を離れた。だが、左肩には深々と抉られた。
「う、そ……」
「ちょっと待ってくださいっすよ……自分たち、コンビネーションには自信があったんすけどねぇ」
氷の塊の方を振り向くと、バギンと音が響いて、そこからほぼ無傷の吸血鬼が現れる。
「なるほど、確かにいいコンビネーションだった。魔族でなければ、部下に欲しいくらいはな」
触手が、氷塊を粉々に砕いた。
「だが、生憎魔導士と仲間同士になる気なんざ毛頭ない。やはりここで死んでもらおう」
触手が、凄まじい速度で迫ってくる。
「やばっ……」
私たちのいる場所に、幾つもの触手が突き刺さる。




