第3話 『試合開始』
『__ねえちゃん、どこに行くの?』
『ん?』
玄関で靴を履きながら、柚葉が背後を振り向いた。
声をかけたのは、まだ幼かった将真。
将真がまだ6歳になる年の頃、7つ年上の柚葉は12歳だった。
小学校を卒業する以前より、妙なところからI勧誘を受けていたらしく、両親と話をつけた柚葉は、この家を出て遠くの学校に通うのだと言っていた。
そんな怪しい誘いを受けるなんて、と普通なら考えるが、今にして思えばその学校が『裏世界』における、日本に2つしかない学園の一つ、『日本大魔導学園』だったのだろう。
だが、当時の幼い将真が理解できたのは、慕っていた姉が遠くに行ってしまう、という事だけだった。
『うーん……どこって……うん、何処だろうね』
『うわぁ!』
柚葉が、まだ幼い将真の頭を滅茶苦茶に撫でる。
『まあ、今の将真にはわからないところ、かなぁ』
『そんなに遠くに行くの?』
『うん。もう家には帰ってこないかもしれない』
『そっか……』
『こらこら、落ち込まないの』
『ムギュッ』
柚葉は、寂しそうに顔を伏せる将真の両頬を乱暴に、挟み込むように手で押さえる。
『男の子でしょ。こんな事で落ち込んじゃダメ。もう2度と会えないわけじゃないんだから』
『うん……バイバイ、ねえちゃん』
『それも違うでしょ。また会えるから。永遠のお別れじゃないのよ』
『そっか、そうだよね……それじゃあ__』
将真は、笑って姉を見送った。
『__またね、ねえちゃん』
「……う」
唸り声とともに、将真は目を覚ます。
目の前に広がるのは、白い天井。
将真は、学園の寮の自室で眠っていた。
「夢か……懐かしいな」
時計を見ると、朝の7時半。大きく伸びをして、ベッドの中から出る。
洗顔をして、制服に袖を通しながら考える。
「あれからもう10年経つのか……よく考えたら、マジで姉貴に再開するなんてな」
あの時はまだ幼かった。無論、姉と離れるのは寂しかったのだろう。今となっては他人事のようにも思える、昔の話だが。
本当に強くなろうとして子供なりに試行錯誤し、剣道に行き着いたのは、柚葉が家を出てから4年後の事だ。
強くなったからか、或いは精神的に成長したからか。
いつしか姉と離れた事に関して、特に何も感じなくなっていたことに今更ながら気がついて、何となく自分が薄情者に思えてきた。
将真はカレンダーを見て今日の予定を確認する。まあ、確認するまでもないのだが。
「今日は序列テスト……だっけか」
二日間かけて行われる、この学校で最も重要なテストだ。気を抜く事はできない。
魔導の知識はイマイチで、ましてや使いこなせるはずもないが……。
「まあ、やるだけやってみるか」
中学時代のこともあって、運動能力だけは自信がある。身体能力テストも適応能力テストも、悪くない成績だった。
例え魔導を上手く使えなくとも、何とかなるだろう。
自信は持たないまま、だが悲観的になりすぎることもなく、将真は自室を出て食堂に向かった。
「あ、片桐くん、おはよう」
「ん、時雨か、おはよーさん」
教室に行くと、すぐにリンとあった。
昨日まで気が付かなかったが、どうやら同じクラスだったらしい。
リンは、やけに機嫌良さそうにニコニコしながら問いかけてくる。
「どう? 今日は何とかなりそうかな?」
「いや、どうかな」
対照的に将真は若干引きつった笑みで応じる。
ここにきてまた少し不安になってきたのだ。
魔導がどんなものなのかはまだよくわからないのだが、よくよく考えたら、こっちの世界きたばっかの時、柚葉が空を飛んでいた事を思い出してしまったのだ。
__俺は剣道やってたから近接型なんだよ! 空飛ばれたら攻撃当たんねぇだろーが! 勝てるもんも勝てねーよ、バーカ!
思わず叫びたくなる衝動に駆られるも、引きつった表情を浮かべる程度に何とか抑え込む。
「まあ、今回ダメでも8月に2回目のテストがあるし、そんなに気負う事もないと思うよ」
「そういうもんか……」
「__ちょっと!」
『ん?』
突然、割って入ってきた声に、将真とリンは顔を向ける。
腕を組んで、不機嫌そうに仁王立ちしているのは、ボブカットの少女だった。前髪の上の編み込みが特徴的だ。実際には、後ろで三つ編みにしているようだが、正面から見ただけでは気がつきにくい。髪の色はショッキングピンクじゃなくて普通の柔らかそうな桃色。
リンと比べると結構背が高い。160cmくらいはあるだろうか。
優しそうな雰囲気に反して目つきは少々鋭く、その目には何故か敵意が見て取れる。
いや、本当に何故だろうか。
自分に敵意が向いていることを認識できた将真は、余計に首を傾げる。
「……誰?」
「あ、杏華ちゃん」
「杏華?」
「うん。この子は__」
「私は柊杏華。リンの親友よ!」
リンが紹介する前に、ドヤ顔で胸を張って名乗り出す、杏果と言う名の少女。
__何故にドヤ顔?
というか、自分で親友だなんて、普通言うだろうか。
「自分で言うのか……」
「うっさいわね!」
「自分で言っちゃうんだー……」
「リンも同じ反応しないでよ⁉︎」
呆れた将真の反応には何も示さなかったくせに、リンが将真に便乗すると、杏果は堪らず絶叫する。
クスクスと楽しそうに笑ったリンは、落ち着きを取り戻し、杏華を示して言う。
「この子の名前は今本人が言った通り。それで、杏華ちゃん自分で言っちゃったけど、ボクが学園入って以来の友達で親友だよ」
「そ、そういう事よ! 分かったら、いやらしい目でリンを見ないで! あと喋らないで!」
「何がそう言う事だよ、わからねぇよ! 序でにそんな目で見てないからな⁉︎ てか、無茶苦茶言うなお前!」
散々な言われようと無茶な発言に思わず憤慨する将真。
リンは将真にとって、昨日やっと初めてちゃんと話したここの学園生だ。しかも同じクラスなのだから、見るな喋るなというのは無理が過ぎる。
親友を取られて寂しいのだろうか。何にせよ将真にしてみれば驚きだった。
いがみ合ういがみ合う2人を見て、リンが再び楽しそうにクスクスと笑う。
「二人とも気が合いそうだね」
『本気で言ってんの⁉︎』
「ひっ⁉︎」
思わず重なる2人の怒声に気圧されるリン。リンとしては冗談のつもりだった。もちろん2人も、平静なら気がついていただろうが。
「そ、そんなに怒らなくても……。とりあえず、そろそろホームルーム始まるし、席に着いた方がいいんじゃない?」
『むっ……』
時刻を見ると、8時半手前を指していた。
将真と杏果は、互いに睨み合うと、プイと視線をそらして自分の席に着こうとする。
が。将真を指差した杏果。
「リンに手を出したらタダじゃおかないからね!」
「まだ言うかっ! そう言うのは俺じゃない野郎どもに言えっての!」
「何やってんだお前ら、席に着け!」
「うぃっす、サーセンしたぁ!」
「す、すいません……」
いつの間にか来ていた教師に止められ、ようやく将真と杏果はすごすごと席に戻ったのだった。
ホームルームも終わり、1年生に向けての序列テストの説明会が行われる。
まずはじめに配布されたのは一枚のプリント。それは、自分のブロックのトーナメント表だった。
序列戦の試合ルール。
手始めに、A〜Jに分けた10ブロックの中でトーナメント戦を行う。
これが予選となるもので、クラスは関係なく、対戦相手はランダムに振り分けられる。尚、以降の序列戦は、ある程度の成績に反映して割り振られるらしいが、とりあえず今回は関係なし。
1ブロックの人数は30人。その後は16人、8人、4人、2人となり、ブロックごとに代表を決める。
初めの試合は、シード権を持っているため序列戦に参加しない生徒がそれぞれのブロックでに2人ずついるのだが、30人から16人になるのはそのせいだ。
最後は、それぞれのブロックで勝ち残った計10人で、再びトーナメント戦を行う。
試合には制限時間が決められていて、試合そのものの時間は10分、準備や交代の時間に5分という配分だ。
つまり、1時間で4つの試合が終わる。
1ブロックにつき29試合あるので、7時間と15分かかる計算だ(無論、昼食の時間は挟むが)。
代表10人が出揃った、言わば決勝トーナメントでは、1試合が20分で準備や交代の時間は10分となる。つまり、全試合が終わるまでに4時間30分かかる。
決着がつかない場合は、監督役として見ている教師が点数をつけているらしく、その点数が高い方が勝ちとされるようだが、決着がつかないということは滅多にないらしい。
ちなみに勝利条件は、相手の意識を奪うか降参させる、つまり戦闘不能に追い込むことだ。
「結構長いテストだな」
「うーん、そんなに長くもないと思うけど……」
説明を読み聞きしながら将真が呟くと、慣れているのか、リンが己の感想を述べた。
確かに、『表世界』の学校にある、中間テストや期末テストの方が期間は長かったし退屈極まりなかった。
だがそれでも将真は長いと感じたのだ。
何故か。それが戦闘だからだ。
実際には、負けた場合や自分の番を待つ生徒も必然的にいるので、実質テストを行ってる時間というのはそんなに長くなかったりするようだが、勝ち続ける限り、1日に何度も全力で戦わなくてはいけない。
精神的にも肉体的にも負担がかかりそうで、筆記テストとはまた別の過酷さがあるように思える。
ちなみに2年生は5月、3年生は6月に序列戦がある。
さて、負けた場合や自分の番を待つ生徒もいるという事だが、ではその場合何をするのか。
他生徒の研究、すなわち観戦だ。
将真はトーナメント表を見て、自分の名前を見つけた。
それを見る限りだと、かなり早く順番が回ってくる事に気がついて愕然とする。
「Bブロック、3試合目だと……」
想像していたよりも早く、準備万端とはいかないだろう。思わぬプレッシャーとなって将真を襲う。
「まあまあ。ボクもBブロックだけど、11試合目だから、上で見てるね。応援してるから」
「精々勝ち進めるといいわね」
将真を慰めるリンの隣で、嘲笑を浮かべる杏果がいたことに気がつく。
偉そうな態度だが、早くも将真は杏果の対応に慣れて来た。早く順応出来るというのは、生きて行く上で必要な能力なのである。
「……まだいたのかよお前」
「いちゃ悪いかしら?」
「だって何か……ウザい」
「ウザい⁉︎」
うんざりと返した将真に、杏果は愕然としていた。とりあえず無視して、目の前の試合会場に目を向ける。
フィールドは特別広いわけでは無さそうなので、最悪の予想よりは幾らかマシだと自分に言い聞かせる。
「てか柊。お前は何ブロックなんだよ?」
「私は、Dブロックの7試合目よ。まだ余裕があるもの」
「あー、そうかい」
まあ、どうせ自分の番はいつか回ってくるのだ。早いか遅いかだけの違いだ。こうなったら、腹をくくるしかない。
ようやく立ち去った杏華を見送った後、将真は観戦席に着いた。リンもその隣に座る。
1試合目でなかったのは不幸中の幸いだった。ならばせめて、観て、学ばせてもらおうではないか。
__あっという間に順番回ってきたよ。
何を学ぶ間も無く、将真は今、フィールドに立っていた。呆然と。
向かいに立つのは、自分と同じくらいの体格で、黒髪を逆立てた、目つきの悪い少年だった。
とりあえず彼が、魔導に関して初心者であることを望もうかと、早くも弱気になる将真。しかも、その可能性は望み薄だ。
両者が立ち位置について、準備完了。3秒のカウントダウンの後に試合開始の合図が鳴り響いた。
その瞬間、少年の手の中で光が凝縮し、一太刀の片手剣が生成された。
ウゲェ、と内心で呻きながら、将真は一定の距離を保つ。
やはり、望み薄だった。
「やっぱ魔導使えるのな!」
「当たり前だろ、魔導戦で魔導が使えないなんてそれでも魔導士か⁉︎」
「生憎、こっち来たばっかなんで、魔導の心得なんかなくてな__どわぁ⁉︎」
片手剣を生成したものだから当然接近戦でくるのかと思いきや、なんといきなり火弾をぶっ放してくる少年。
地面を転がって何とか回避するも、次々と火弾が襲ってくる。
火弾が打ち出されるまでの間隔は、焦るほど短くはない。打ち出される火弾の速度自体もそう早いわけではない。ないのだが、近くで爆発しただけで熱気が襲ってくる。しかも、少年は少しずつ将真に接近してきていた。もう少しで片手剣の攻撃範囲に入る。
__やべーよ。結構ガチで。
それを自覚すると同時、将真は息を飲む。更に、重大な事実に気がついて思わず絶叫する。
「てか、俺武器ないんだけど⁉︎」
「アホか! 魔導師たるもの、武器は自分で生成るに決まってんだろ!」
「マジか!」
「マジだよ、オラァ!」
驚愕しながら、接近してきて片手剣を振り下ろしてくる少年の、その一撃を何とかして交わす。
魔導師というだけあって、中々の速度だ。
この様子を見る限りだと、魔導師の中には、人間の限界を超えた速さで動ける者もいるのではないか。
そして人間相手に真剣を振り下ろす度胸にも感服だ。そんなこと、簡単にできるものではない。そういう世界で生きてきているからこそ身についた精神力なのだろう。
それよりも、大問題だ。
__作るって、作るって! どうやるんだよ⁉︎
残念ながら将真は武器の生成方法を知らなかった。『魔導師入門書』にも一応記述されてはいたものの、やはり理解には至らなかったのだ。
「落ち着いて、片桐くん!」
「時雨⁉︎」
徐々に追い詰められ、抵抗することもできず、焦燥感に駆られる将真。そんな時、観戦席からリンが声を張り上げる。
「深く考えちゃダメ。魔導の基本は『何となく』だよ!」
「な、何となくって言ってもなぁ……うおっ」
「武器のイメージを描いて、自分の魔力を形にするの!」
「むぅ、よくわからんが……」
将真は全力で相手と距離をとって、剣を両手で構えるような姿勢をとる。
イメージするは、竹刀。
剣道をやっていた将真にとっては、1番使いやすく、イメージしやすい武器だ。
体内にある、言葉では形容しがたい力、つまり魔力を、イメージ通りの形に練っていく。
すると、将真の手の中に、徐々に光が凝縮していく。
「おおっ」
思わず声を上げる将真。初めて魔導をまともに行使した感覚に、感動めいたものを覚える。
だが。
「……おおぅ?」
できたのは竹刀ではなかった。
長さ的にはそんな感じだが、何色とも言えないどす黒い棒状のエネルギー体だった。これを赤色にすれば如意棒で通るのではないかと思えるほど、それはシンプルな形をしていた。
「……ナンジャコリャ」
「こっちに来たばっかなら仕方ないかもしれないけど、お前へったくそだな」
「何おぅ……って、不意打ち待った、やめろやめろ!」
「やめるわけねぇだろ!」
それもそのはず。たった10分で相手を負かさなきゃいけないのに、待つなんてバカの所業だ。
そうこうして、躱し続けていた将真だったが、やっとの事で自分の体制を整えることができた。
「……うしっ」
将真は深呼吸をして、そのよくわからない棒を竹刀の時同様に構える。剣道をやっていただけあって、その構えには隙がない。
その時、目の前の少年は何を見たのか、目を見開いた。
__とにかく、やられっぱなしは性に合わねぇ。
そうだ。こっから先は__
「俺の番だ」