第37話『『死』の経験者』
「もしもし、莉緒ちゃん?」
『おや、学園長。どうかしたっすか?』
「進捗どうかなと思ってね」
『どうかなもなにも、やばい事態に備えて今は休憩中っす』
「そう……」
私は今、いつも通り学園長室の椅子に腰をかけていた。気になる事案なので、どうにも待ちきれずにこうして通信してしまったのだ。
「そういえば、美緒ちゃんが面倒な事になってるって言ってたけど、何かあったの?」
『あー、多分あれの事っすね』
「あれ?」
『地盤が唐突に崩れちゃったんすよ。将真さんと杏果さんがそれに巻き込まれて、恐らくは遺跡のかなり下の階層まで落っこちてしまったんす』
「はっ⁉︎」
「うわっ」
思わず私は素っ頓狂な叫び声を上げる。すぐそばで、楓の驚く声が聞こえる。
「え、ちょっと待って。2人の姿とか確認できなかったの?」
『だいぶ深くまで落ちてったっすからねー。自分の視力でも無理だったっす』
「うわぁ……」
片手で顔を覆って、私は嘆息する。
確かにそれは面倒事だ。まだ探索も進んでいない場所では、どんな危険が潜んでいるやもわからない。
「何とかして探してくれない?」
『その前に結界を解く方が先決っす。とりあえず解除でき次第探しに行く予定ではあるっすから安心してくださいっす』
「まあ、あの2人がそう簡単にマズイ状況に陥る事は無いと思うけど……」
不安がってもしょうがないのはわかっている。どうせ干渉はできないのだから。
『じゃあ通信切るっすよ』
「……そうね。急かしてごめんなさい。あとは任せたわよ」
『了解っす』
プツリ、と通信が切れる。私は深くため息をついた。
「心配ですか?」
私の心情を察してか、楓がそんな風に話しかけてくる。私は素直に肯定をする。
「そうね。やっぱり心配よ」
「それは、弟や生徒たちが心配なのか、それとも……将真くんの力の事が気がかりなのか」
「本当、嫌な性格してるわね貴女……」
「それが1番の取り柄ですから」
楓は悪びれずに微笑む。それを見て私は、再びため息をついて立ち上がる。そして、窓越しに外を眺める。
「もどかしいわね」
「そういう役職なんだから、しょうがないと割り切っていかないと」
「……そうよね」
私は、ぎゅっと目をつむり窓の外から視線を外す。
私は、私のできる事を。
そう自分に言い聞かせて、机に向かって自身の仕事に取り掛かる。
歩き続けてどれくらい経っただろう。といっても、恐らくいうほどの時間は経っていないだろうが。
ついさっき妙な境界を通った辺りから、視界が暗くなってきた。だが、元よりここは、光も射さない洞窟の奥深くだ。真っ暗なのは当然で、俺たちがさっきまで洞窟内を見通せたのは、単に魔導士がそういうものだかららしい。
魔導士は魔力を持っているが、それだけで肉体強化をしなくてもある程度魔力で、身体能力というか肉体性能というか、とにかく強化されているらしい。
だから、洞窟内が暗くなってきたように見えるのは__
「この辺りってもしかして……」
「魔力を打ち消す結界が張られているのね」
「やっぱりか……」
杏果の言葉に、俺は納得を示すと同時に嘆息した。
今はまだ見える。裏を返せば見えなくなってきている。つまりこの結界は、根源に近づけば近づくほど強くなるタイプだ。
「私たちの任務は、遺跡の調査をできるように霧の結界の解除をするって話だったでしょ?」
「ああ」
「多分これ、その遺跡の中なのよね」
「……だよなぁ」
そんな気はしてたんだ、うん。
ここは恐らく、今回の任務達成を必要とする未探索の遺跡だ。
遺跡の探索というのはハズレも多いと聞くが、こんな如何にも近づくなと言わんばかりの結界が張られているのでは、おそらくここは当たりなのだろう。
このまま進めば、結界の根源に近づきたいわけでも無いのに、魔力が完全に無効化されて、いよいよ灯りをつけるしかなくなる。こんな洞窟内でそんな目立つ真似は避けたいのだが。
魔族やら魔物やらにいきなり襲われたり的になったんじゃ、堪ったもんじゃないからな。
「うおっ」
そんな風に頭を悩ませていると、不意に手を引っ張られて、俺は後ろにつんのめった。
「……」
「何だよ突然」
「……ごめん、視界が戻るまででいいから、こうさせて」
「……お前、もしかして暗いのが怖いのか?」
さっき俺に「暗いのが怖いのか」言ってた癖に。まあ、別段嘲るような言い方をされたわけではないけども。
それに、俺だってこんな世界でこんな真っ暗な中にいたら、不安の一つも感じないなんて無いし。
「……怖いわよ」
意外な事に、杏果は素直に答えた。その事に俺は意外そうな表情を露わにするが、続いた言葉に俺は首を傾げた。
「何だか、『死』を思い出しちゃうから……」
「何だそれ。どういう意味だよ?」
当然の如く、俺は疑問を投げかける。
すると杏果は、少しの間口を噤んで、ゆっくりと話し始めた。
「私が使う『神話憑依』……その適性は『ヘラクレス』。流石に名前くらいは知ってるでしょ?」
「まあ、結構有名だしな……」
カブトムシの名前にもつけられてるくらいだもんな。こっちの世界に来てからも神話について調べれば割と簡単に資料が出てくるくらい有名な大英雄。流石の俺でも知らないはずがなかった。
「私は神技で『ナインライブズ』バッカ使ってるけど、ヘラクレスの有名な逸話で、『十二の試練』って知ってる?」
「……名称だけなら。でも、それが何なのかは知らないな」
「まあ、内容は省くけど、それを行った事で得たとんでもないスキルがあるのよ」
「それは?」
「__不死性よ」
曰く、大英雄ヘラクレスは生前与えられた『十二の試練』を達成し、神々からその不死性とやらを与えられ、その試練の数から、余分に12個の命を持っているらしい。
彼女がとんでもないと称しているのは、その不死性だ。
「現在、『神話憑依』の第二解放に成功している私は、3回まで死ねるんだけど」
「それは凄いな。まさにチート能力じゃないか」
俺は素直に驚きの声を上げる。だが、杏果は足を止めて、沈痛な面持ちになる。
「……柊?」
「……確かに、凄い能力よ。他人から見れば、それこそチート極まりない、羨ましいものかもしれない。けれど、経験者から言わせて貰えば、この能力は最悪よ」
「何でだよ?」
「一度死んで見ればわかるわ」
「いや、普通はそれができないだろ」
普通は死ねないから、彼女の能力を羨ましく思う人間がいても何らおかしくは無い。
杏果は、そんな風に言われることに慣れているのか、諦めたように、吐き捨てるように言う。
「ええ。だから簡単に言えるのよ。3回まで死ぬことができる、言い換えれば生き返ることができる能力。でも、それはつまり、何度も何度も、死を体験するという事に他ならないわ」
蒼ざめた表情で、俺の手首を掴む力が強くなった。その時感じた何かを思い出して、押し殺しているようだった。
「私が『神話憑依』をできるようになったのは、中等部二年生の最後の辺り。そこで初めての『死』も経験したわ」
「そう、か……」
死んだ事がないから、そんな事が軽く言えるのだと言う彼女の言葉は、経験者特有の重みがあった。
確かに俺も他の人間と同じだ。死にそうな目にあったことはここ最近よくあるが、実際死んだ事はもちろん、致命傷を負ったような経験もない。
だから、彼女の言う『死』を体験するという事が、どれほど苦しいものなのかわからない。
「思い出すだけでも寒気がして、吐きそうなくらいよ。初めての『死』を経験してからしばらくはおねしょ治らなくなっちゃったし……」
「ふうん……え?」
一瞬聞き逃しかけたが、今杏果何てった?
「お前、中2でおねしょ? 嘘だろ?」
「だから、死んだ事がないからそんな事が言えるのよ! 何だったらいっぺんここで死んでみる⁉︎」
「わかった、悪かったから斧構えんな! こんな暗いところじゃかわせないからマジで死ぬから!」
顔を赤くして戦斧を作り出した杏果を見て、慌てて俺は青ざめて手をブンブンと降った。
杏果は、ため息を一つつくと、俺の腕に全身でしがみついてきた。やや大きめの胸が腕に押し当てられて、今度は俺の顔が赤くなる。
「ちょ、柊さん?」
「……何かもう面倒臭いわね。もう杏果でもいいわよ」
「じゃあ、杏果、これはどういう……?」
「だから、暗闇が怖いのよ。『死』の瞬間って、寒くて、動けなくて……周りがどんどん暗くなる」
「……」
その言葉を聞いて、その震えた声を聞いて、俺は落ち着きを取り戻した。
「何度経験しても慣れないわ。慣れたくも無いけどね。今でも『死』んだ日の翌日はおねしょ治らないし……」
「言ってて恥ずかしくない?」
「正直、思い出したくはないわね。羞恥だってあるけど、そんなものより恐怖の方が強いもの」
言葉の通り、そんな恥ずかしい話をしているにも関わらず、彼女の顔は赤ではなくむしろ青かった。
「なあ、思い出させるのも悪いんだけど、今までで1番ひどい死に方って、例えばどんなのがあるんだ?」
かなり酷い質問だとは思う。だが、その『死』がどれほどのものなのか、少し気になった。
杏果は、渋るような表情をしながらも、ポツリポツリと語り始める。
「頭部損傷や心臓破壊」
「うわぁ」
「……なんてまだいい方でね」
「いい方なのか、それで⁉︎」
思わず俺は絶叫した。だが杏果は、それをスルーして静かな声音で続けた。
「例えば、胴体真っ二つとか」
「……それって、どうなるんだ?」
「知りたい?」
すごく冷たい表情で睨んでくる。だがそれは、軽蔑とか他人に向けるものではなく、彼女自身が感じている恐怖だと思われた。
「血とか内臓その他諸々が切断面からボトボトと……うっ」
「かなりエグいのはわかったけど、自分で言っといて自爆するなよ」
俺も思わず顔を顰めたが、それを語った当の杏果は、口を押さえてより一層青ざめる。
その時、しがみつかれているため気づいたのだが、ゾワッと杏果の体が震え上がる。
「おい、大丈夫か?」
「……」
杏果を心配して声をかけてみたが、彼女は何故かむしろ離れていった。
「どうした?」
「……ち、ちょっとそこで待ってて」
「いいのか? お前くらいの怖いんじゃ……」
「い、いいから来ないで! そこにいて! すぐ戻ってくるから!」
「お、おう……」
さっきの弱々しさが嘘のような剣幕に押され、俺は言われた通りにその場で待機した。
果たして、彼女は本当にすぐに戻ってきた。せいぜい5分ちょいくらいだ。
「何してたんだよ?」
「べ、別に……」
消え入りそうな声で答える杏果の顔は赤い。
俺別に何もしてないのにな。何があったんだろう。とか、そんな事を考えてたら、つい口が滑ってしまった。
「トイレ?」
殴られた。ゼロ距離で殴られた。吹っ飛びはしなかったが、超痛い。
今の反応からして図星か。
「貴方、デリカシー無いわね……」
「勘弁してくれ。『表世界』にいた頃なんて、こんな風に女子と関わり持ったこと無いんだよ」
「……でも、貴方人気者だったんでしょう?」
「……まあ、な」
自分で認めるのも何だが、確かに俺は学生剣道で、同世代の中でもぶっちぎりに強かった。更に教師ですら相手にならなかった。そんな奴が目立つのも、人気が出るのも当然といえば当然だ。
まあ、それもこれも、魔力の恩恵によるところが大きいのだろうが……
「そうでも無いわよ。魔力の恩恵があっても、それだけでそんな成績は出せないもの。謙虚なのは美点だけど、卑屈になりすぎちゃ逆にダメよ」
「別に卑屈なわけじゃねーよ。ただ、ドーピングまがいの事をしてたと思うと、申し訳ないだけだ」
「真面目なのね。……それで、話戻すけど、貴方人気者だったんでしょう?」
「……」
思わず顔をしかめる。この手の話はあまりしたく無いのだが……。
「……例えば、俺が誰かしら女の子と付き合ってたとするだろ?」
「無いわね」
「うっせ。とにかくだとして、そうしたら何が起きると思う?」
「……ああ、そういう事」
杏果が納得したように小さく何度か頷いた。
人気者の男がいたとしよう。そんな中、その男が1人の女の子と付き合い始めた。そしたら何が起きるか。嫉妬だけならまだいい。だが、そこからいじめとかに発展してみろ。気分は最悪だろう?
だから俺は、女子とは関わらなかった。そもそも、女子相手に、どう接したらいいかわからなかったという事もあるのだが。
「人気者ってのも大変なのね。けどそれは貴方が優柔不断なだけじゃ無いの?」
「痛いところを指してきたな……」
まあ、確かに彼女の言う通りなのだが、じゃあどうにかできたのかと言われればそんな事は無いだろう。
そんな風にして、どれだけ俺たちは他愛も無い会話をしていただろう。改めて考えると、正直状況的に緊張感がなさすぎる気もしたが、ようやくこの何も起きないという状況に、進展があった。
暗闇の奥に、ゴソゴソと動く影。赤く光る瞳。そして唸り声。
「ひっ……」
「待て待てしがみつくな! 胸! 胸が当たってるから!」
「きゃあぁぁぁっ!」
「ちょっと待て、こんな洞窟内でそんなでかい悲鳴あげたら……!」
そして、俺が危惧した通りの事が起こった。
こちらを向く赤い瞳の数が増えた。
「きゃあぁぁぁっ、きゃあぁぁぁぁぁっ!」
「うるさいっての! ちょっとじっとしてろよ__」
俺は、左手に意識を集中させる。すると、掌に火の玉が生まれる。そしてそれを、赤い瞳がある方へと飛ばした。
「ギャアァァァ!」
火の玉が炸裂して、一時的に明るくなる。視界に映ったのは__
「コボルドか! おい、杏果。動けるか?」
「うぅ……何? コボルド? お化けとかじゃ無いの?」
「……お前、『死』が云々以前に、そういうの苦手だろ」
呆れつつも、すぐに戦闘態勢に入る。杏果もすぐに切り替えて、戦斧を構えた。
「全く、本当ならお前の方がしっかりしてなきゃ困るんだけどな……」
「悪かったわよ。それじゃあ……やるわよ!」
「おう!」
俺と杏果は、コボルドの群れを殲滅すべく、ようやく回復し始めた視界を頼りにその場を駆け出す。




