第30話『一難去って』
警報が都市全体で鳴り響く。
すぐに、柚葉の元に通信が入ってきた。
「何があったの⁉︎」
『吸血鬼の貴族が、城壁前まで来ています! 若い貴族のようですが、今の自警団のメンバーでは少々荷が重いかもしれません……』
「まあそうでしょうね」
自警団と言えども、誰も彼もがべらぼうに強いわけではない。
無論、学園生より強いと言えばそうなのだが、それでも、学園の高位序列者と比べるとまだ足りないという他ない。それでも、自警団の高位序列者なら、吸血鬼如き相手にならない事もあるが、今はほとんどのものが遠征に出張っている。
自警団は数が多い分時間稼ぎくらいにはなるだろう。だが、吸血鬼の生命力や魔力の事を考慮すると、持久戦は避けたい。
一応シェルターがあるので都市内に入られても問題はないのだが、被害はできる限り最小限に押さえておきたい。
その時、不安そうな声で将真が口を開く。
「柚姉……もしかして、俺たちのせいなのか?」
「かもしれないわね」
吸血鬼の貴族を倒した矢先にこれだ。将真たちのあとをつけてきたとしてもおかしい事はない。その事に責任を感じているのだろう。
「でも気に病むことはないわ。どの道今のあなた達じゃ戦えないから、責任感じる必要はない」
「かもしれないけど……」
その時、柚葉の端末に別の通信が入る。
「誰?」
『……こんにちは』
ウインドウの向こうから響いてきたのは、美緒よりものんびりおっとりとした声だ。
__彼女は確か……。
「えっと、名草真那さん?」
『……そー』
「名草真那?」
その名前に、杏果が反応した。まあ、序列戦の時に顔くらいは合わせていたのだろう。知っていてもおかしくはない。
「どうしたのかしら、こんな大変な時に」
『……話は聞かせてもらったので、私達が行こうと』
「本気? いくら若い貴族とは言え、三体もいるのよ? あなた1人じゃ相手にもならないわ」
彼女の序列は学年の中で第8位。高いといえば高いのだが、それよりも上の杏果達が束になっても危ない戦いをさせられた吸血鬼を相手に敵うとは思えない。
それは彼女自身もわかっているらしく、
『……私達と言ったはず。1人で行くわけない。ちゃんと小隊で行くから』
「いつの間に作ったのね……でも、こんなこと言いたくないけど、仲間が弱くちゃ吸血鬼相手には無力よ?」
『……心配は無用。だって私のチームには__1位と10位がいるから』
『なっ⁉︎』
声を上げたのは、話を聞いていた将真達だった。
逆に柚葉は、落ち着きを取り戻したかのように静かな声で真那に言った。
「確かに、そのメンバーなら心配いらないわね。わかったわ。でも、無茶はしない事。いいわね」
『……問題ない』
ウインドウの向こうで、梨沙がこくりと頷いて通信を切った。
柚葉は、もう一つのウインドウに切り替えて、
「そういう事だから」
『わかりました。皆さんにはそう伝えておきます』
「お願いね」
柚葉は、短く言って通信を切った。
少しして、動揺を抑える事に成功した将真がボソリと呟く。
「第1位と第10位……って」
「そうね。1人は知っているはずよ」
知らないはずがない。むしろ、学園生なら全員知っている可能性すらある。
高等部1年生トップ、風間遥貴。そして、学園序列入りもしている超人だ。真っ当に切り結んで彼に勝てる学生は3年生にもいないという。一年生にして、事実上の学園最強だ。
そしてもう1人。
「第10位って、どんな奴なんだ?」
「私が知ってるのは名前だけだけど……黒霧紅麗だったかしら?」
黒霧紅麗。彼女も相当の猛者だ。その程度は、戦いぶりを見ずともわかる。だって、手の内が読めない程度の力しか使わずに高位序列者として君臨してるのだから。しかも、
「あー、彼女ね。自分との序列戦で辞退したもんで、結局戦えなかったんすよねー」
莉緒がぼやくように言う。
そう。彼女は序列戦の初戦で莉緒と当たった。だが、辞退したために第10位にとどまっているのだ。だから、実際どれくらい強いのかはわからないのだ。
「じゃあ、名草真那って奴は?」
「あー、彼女はいわゆる器用貧乏よ。ただ、銃火器を好むせいか、馬鹿みたいに火力が高いけどね」
「お前がそこまで言うほどか?」
「そうねー……」
杏果がうんざりとした表情で呟く。
「まあ何はともあれ、そんだけメンバーが揃っていれば大丈夫よ」
柚葉はそう言って話を締めた。
1時間ほどして、連絡が入ってきた。
結果は、真那たちの圧勝だった。都市住民は、避難せずにすみ、誰かが死ぬような事もなかった。
そして3日後。リンがようやく目を覚ましたのだ。
「……ん」
目を開けると、天井が広がっていた。
見覚えはないけれど、まあこうして生きている。ということは多分ここは、学園の医務室だろう。
人の気配がしたので視線を横に向けると、そこには将真がいた。
椅子に座ったまま、項垂れて眠っているようだ。
……看病してくれてたんだ。
看病とは少し違うかもしれないが。
気を遣わせてしまったことに申し訳なさを感じながらも、気を遣ってくれたことに対して嬉しく思う気持ちもあった。
起こすのは悪い気がしたのだが、流石に座りながら眠っても疲れはそんなに取れないだろう。
そんな訳で将真を起こそうと手を動かすが……。
「っ……」
痛い訳ではないが、体がすごくだるくて重かった。少し手を挙げただけで、力尽きてぱたり、と手を下ろしてしまう。
だが、結局その音で将真が目を覚ましたので、それで良かったわけだが。
「……お、リン。良かった。目が覚めたんだな」
「うん……何だか不思議な気持ちだよ」
「何でだ?」
「だって、何時もなら立場が逆だったでしょう? なのに今回はボクが看てもらってたみたいだし」
「そうだな」
ふふ、と自分の口から笑みがこぼれた。同時に、将真の口にも笑みが浮かぶ。
「体の調子はどうだ? なんか、内臓潰されてたらしいけど……」
「うん。まだちょっと体が重いけど……っ!」
「ど、どうした? まだ痛むか?」
「ううん。痛くはないんだけど……ちょっとね」
確かに、凄い攻撃を受けたのは覚えている。一瞬だったけど、とんでもない激痛だったのは覚えている。
傷も癒えたし、痛みはない。だが、思わず痛みを思い出して傷が疼くのだ。
将真が、心配そうな顔でボクの顔をみる。
「動けそうか?」
「うん……何とか。体は重いけどね」
全身に力を入れて、ボクは立ち上がろうとする。だが、どうやらボクは自分の体に溜まったダメージを舐めていたようだ。立ち上がれずに、そのまま布団から転げ落ちそうになった。
「あっ」
「危ないっ」
咄嗟に将真が動いて、ボクの体を地面にぶつかる前に支えてくれたおかげで、痛い思いをすることはなかった。
その代わりに。
「ふう、危なかったな」
「あ、ありがとう……その、将真くん」
「何だ?」
「その……手が……」
「手? ……あっ!」
将真がその場で手をすぐに離す__という事はせず、地面に下ろしてから手を離してくれたのは助かったが。
将真の手が、ボクの胸を鷲掴みにしていたから流石に恥ずかしかった。凄く、顔が熱くなってしまった。
「……うー」
「や、その、すまん」
「……どうせボクの胸なんてちっちゃいのに」
「いや、そんな事はないと思うぞ、以外と柔らかかったし……」
「〜〜〜っ!」
「あっ……、その……マジでスンマセンでした」
土下座のように頭をさげる将真を見て、思わず笑いがこみ上げてきて、実際クスクスと笑ってしまった。
「り、リン?」
「タダでは許してあげない。ちゃんとお詫びはしてよね」
「……わかったよ」
再び、お互いに笑みが浮かぶ。死闘の後とは思えない、平和な一時。
将真の手を借りて、ボクは布団の中に戻った。その時、丁度医務室に誰か入ってきた。柚葉だった。
「あら、目を覚ましたのね」
「学園長……すいません、迷惑かけてしまって」
「別に大したことないわ。それより元気そうでなによりよ。とは言えこんな時間だし、完治したヒトを何時までも置いてはおけないから……将真」
「ん?」
「久しぶりにおぶっていきなさい。まあリンちゃんが動けるのなら別にいいけど」
そんなことを言われて、ボクと将真は顔を見合わせる。
「……えぇっと」
「……俺は別にいいけど」
「そ、そっか……じゃあ、その、お願いします……」
ボクは、照れ臭さと申し訳なさで、消え入りそうな声でお願いした。将真の方はと言うと、
「了解」
と、優しげな微笑を浮かべて、快く了承してくれた。
「私も家に帰るから、何かあったら通信入れてね」
「わかりました」
ボクはまだ体を満足に動かせるほど回復していなかったので、久しぶりに将真におぶってもらって帰ることになった。
「……前は寝ちゃったからそうでもなかったんだけど……」
「おう……」
「やっぱりこれ、恥ずかしいね……」
「そ、そうだな」
快く了承したは良いものの、やはり気恥ずかしさはあった。いや、別に俺はおぶわれてるわけじゃないので、リンの恥ずかしさに比べたらだいぶマシなのかもしれないが。
例のごとく、慎まやかな発展途上の、それでいて柔らかい胸が、俺の背中に押し当てられてドギマギしてしまう。しかも、恥ずかしさに耐えようとしているのか、リンが腕に力を入れてしがみついてくるから余計にだ。
いや、それどころかさっきその胸を触ってしまったばかりなのだが。
「……ボクね、今回の事で実感したよ」
「ん? なんだよ突然」
恥ずかしそうな様子から一変、少し暗い表情を見せながら、リンが呟いた。
「ボクはやっぱり、まだまだ弱い」
「……そうだな。俺もまだまだだなって思わされたよ」
「でも、吸血鬼倒したの将真くんなんでしょう?」
「まあ、そうなんだけど……みんなのおかげで、俺の攻撃は届いたんだしな」
それに、
「俺が不甲斐ないせいで、リンを危険に晒しちゃってさ。だから俺はまだまだだよ」
そもそも、まだここに来て1ヶ月だ。そうすぐに強くなれないのは仕方がない事だとわかっている。
でも、だからと言ってじっとしてられないし、強くなるまで待つなんて呑気に構えていられない。
「そっか……でも、無茶はダメだよ」
「君がそれを言うのか?」
「……そうだけど」
バツが悪そうに、視線を泳がせる。
「それまでは、ボクが君を守るよ。今回みたいに」
「……リンみたいな可愛い女子に守られてばかりって言うのは、カッコつかないなぁ」
「かわっ……」
背後でリンが息を詰まらせて、俺の背中に顔を埋めた。
してやったり、とは思わない。そんな反応を見て、俺も気恥ずかしくなってしまったからだ。
「ま、これからも頑張ればきっと」
「そ、そうだね。ボクたちまだ一年生だもんね。一緒に頑張ろう。もちろん、莉緒ちゃんも一緒にね」
「そうだな」
俺は、俺たちはそう信じて、寮までの帰路を歩く。




