第29話『一時の平和』
この世界の日本に、安全地帯は本当に少ない。
日本では、表世界の東京に当たるここ『日本都市』と、北海道、沖縄に当たる場所に地下支部がある程度だ。
そして『日本都市』は、不可侵の結界で囲われている。あくまで拒むという概念を具現化した結界なので、侵入される時はされるものの、その時はその時で警報が鳴る仕組みだ。
『日本都市』の安全地帯、と言うか領土は、城壁__丁度、表世界の万里の長城のようなものだ__に囲まれていた。
長さはおよそ図ることができず(というか面倒臭くて誰もやろうとしないだけだが)、幅は何と30メートルと言う規格外の大きさだ。何故そんなにも大きいのか。それは単純に、自警団の本部も兼ねているからだ。
その自警団本部内の地下二階。廊下を、1人の魔導士が歩いていた。背丈はそんなに高くなく、可憐な表情をした女性だ。少女に見えるのは、彼女が高ランクの魔導士である証の一つとも言えるだろう。
偶々廊下には彼女以外居らず、カツカツと足音だけが静寂の中に響いていた。そして、曲がり角を曲がろうとした時、丁度曲がり角の逆の道から声をかけられる。
「急ぎの用か、瑠衣?」
「あら、団長さん。何かようかしら」
瑠衣と呼ばれた女性は、声をかけてきた男に返事を返す。
そんな彼女の様子をみて、何が可笑しかったのか、男はフッと笑う。
「俺を相手にしらばっくれる気か?」
「……学園の方であった緊急招集、かしら?」
「そうだ」
今回、緊急招集を受けた学園の生徒9人__要は中隊を組んだ彼らは、任務先で吸血鬼と交戦した。しかも運悪く長い年月を重ねた貴族だった。加えて彼らはまだ一年生。全滅してもおかしくない、どころかむしろその可能性の方がずっと高かったはずだ。
それでも、満身創痍とはいえ彼らが全員生還できた理由は幾つかある。
一つ。
一年生とはいえ、高位序列者が4人もいた事。だが、それでも吸血鬼1人を追い詰めるので精一杯だった。その後の貴族との戦闘が続いていれば、目も当てられない状況になっていただろう。
二つ。
低位序列にも関わらず、やたら強かった少年の存在だ。まあ恐らく才能のある初心者なのだろうが、それにしたって、高位序列者と比べても見劣りしないレベルだった。嫌、体技だけなら高位序列者よりも上がもしれない。
三つ。
無茶をしたから。あれだけの無茶をして、よくもまあ1人も暴走しなかったものだと感心してしまう。
そして、四つ。
「__学園の生徒たちの戦いには、干渉するなと言ってあるはずだが?」
「そうね」
咎めるような口調で男が言うも、瑠衣は悪びれずに答える。
確かに、自警団にはそういう規則があるにはある。自警団が生徒たちの確かに干渉してしまうと、生徒たちが成長しないからだ。要は、生徒に比べて自警団はかなり強い。
そして今回、瑠衣はその規則を破って彼らの戦いに干渉した。具体的には、瑠衣自身の能力で吸血鬼の影を縛り付け、動きを封じたのだ。そのお陰で、生徒たちは吸血鬼に打ち勝ち、生還する事ができたのだ。
それはいい事であるはずなのに、彼はそれを咎めようというのか。
「干渉と言うほどの干渉はしていないと思うけど?」
「首を突っ込んだ時点で干渉してるんだよ」
「だとしても、私はその規則に従うつもりは一切合切無いわ」
「副団長たるお前が規則を破るようでは、自警団の規律に関わる」
なおも咎めるような口調をやめない彼を前に、瑠衣は深くため息をついた。
「未来を担う若手を失う事は、規律よりも大事なのかしら?」
「……」
「私はね、未来ある若者が、未来を創っていく若者が危険にさらされて、今まさに死の間際に立たされている。そんな状況で黙っていられる人間じゃ無いのよ。知らないわけじゃ無いでしょう?」
「……そうだったな。まあいい、今回の件はなかった事にしておこう。確かに、お前の言うように、彼らを失うのは我々の未来の事を考えてもプラスにはならんしな。だが、くれぐれも干渉しすぎはやめるように」
「感謝するわ、団長さん」
短く、それだけ言って瑠衣は曲がり角の先を歩き去っていった。
男は、困ったやつだと言わんばかりにため息をついて、来た道を戻っていった。
「なあ、将真?」
「何だよ」
「結局、お前の能力って何なんだろうな」
「だから、俺の方が知りたいよそれは」
「まあ、そうなんだろうけどなぁ」
医務室の前で俺たちは座り込んで話をしていた。と言うのも、俺はまともに動けないし、響弥も長く活動できるほど回復はしていなかった。お陰で、追い出されたついでに俺たちもトイレに行ったのだが、随分と苦労させられたものだ。
「でも、お前の技……確か“黒渦”だっけ? あれとはまた違わなかったか?」
「あー、あの吸血鬼ぶった切ったやつな」
俺の武器精製魔法の練度はかなり低く、いつも出来上がるのは魔力棒だった。そして“黒渦”は、その武器に瘴気のようなものを渦上に纏わせて叩きつける、みたいな技なのだ。
だが、今回使った技は、刀身が伸びて、刃がついて、刀身そのものが黒く染まり、あの強固な吸血鬼の血の装甲ごと、人間よりも遥かに丈夫な肉体を持つ吸血鬼を真っ二つに斬り伏せたのだ。
だが、あの技が何なのかは自分でもよくわかっていない。何となくできる気がしたから。やらなければいけなかったから。理由を挙げればそんなところだ。
そもそも、自分の能力自体ちゃんとわかっているわけでは無いから、やはり説明しろと言われても無理がある。
だが、
「そうだな……じゃああの技は“黒断”とでも名付けてしまうか」
「その名前はアレか? イメージしやすいからか?」
「それ以外には無いだろ」
黒の力で断ち切る。ただそれだけの意味だ。だがそれ故にわかりやすい。シンプルイズベストである。
「もう一つ聞いていいか?」
「まだあるのか?」
「つっても二つ目じゃねーかよ」
仕方なく俺は先を促す。すると、響弥が発したのは予想外の言葉だった。
「……時雨のこと、やっぱり心配か?」
「……何でそう思うんだよ」
「何つーか、さっきから気にしてるみたいだったからさ。心配してるっつーか……ああ、そうか。もしかしてお前、責任感じてんじゃねーの?」
「……そうかもしれない」
リンがあんな重症を負ったのは、自分がミスをしたからだ。そして、ミスをして攻撃を受けそうになっていた俺を彼女が庇ってくれたから、俺はあんな深手を負わずに済んだし、最後まで戦うことができたのだ。
気にしないようにしてるつもりではいたものの、やはり罪悪感があったのは否めない。それを指摘されれば、余計に感じざるをえない。
「学園長も言ってただろ。数日すれば完治して目を覚ますってさ」
「まあ、そうだよな……」
一度気にしてしまうと、どうしてもすぐには切り替えられない。
そんな俺を見かねてか、響弥がため息まじりに苦笑して立ち上がる。
「じゃあ、時雨が起きるまで看ててやれよ。チームメイトだろ?」
「……ああ、そうだな」
そうしよう。別に罪滅ぼしとかそんなんじゃ無いけれど。せめて彼女が目を覚ました時にそばにいようと、俺は決めた。
「さってと、流石にもう中も終わっているはずだな。おーい」
言うが早いか、響弥は扉をノックする。返事は、すぐに帰ってきた。
『もういいわよ』
「じゃあもう少し寝てくか」
「はは、そうだな」
正直、まだ体が痛いしだるい。リンの看病をするにしろ、せめて動ける程度に回復してからにしよう。そう決めて、俺たちは医務室に入る。
男たちが戻ってくる少し前。
「うう、学園長……もうちょっと別の方法はなかったんですか?」
「贅沢言わないの。男子が戻ってきた時に、世界地図作った布団でも見せるつもり?」
しかもその歳で、と追い詰めるように柚葉が続けた。いや、彼女にその気はなかろうが、私はそう感じたのだった。
さらに横から、
「そうっすよ。むしろ学園長の心遣いには感謝っすよ本当に」
「うんうん。私なんて全身に力入れられないから本当に危なかった」
莉緒と美緒が肯定するように言う。
確かに、学園長の判断はこの場における最善の判断だったのだろう。それはわかる。わかるのだが。
「恥ずかしいものは恥ずかしいのよ……貴女たちには羞恥心とかないの?」
「何言ってるんすか。流石にありますよ」
「うんうん。莉緒はある」
「……美緒は?」
「わかんない。から、ないかも」
「ちょっと⁉︎」
その答えに、思わず私の方が絶叫してしまった。しかも無表情だから、もしかしたらこの少女は本当に羞恥心というものがないのかもしれない。
そんなお喋りをしていると、柚葉が手を鳴らして場を取り仕切る。
「はい、ちょっとお喋りは後にして。それよりも、将真が妙な力を使ってたっていうのは本当?」
「まあ、そっすね」
莉緒が素直に頷く。そのタイミングを見て、私は惚けたように、
「あれ、そうでしたっけ?」
と言う。更に美緒も。
「んー、忘れちゃった(棒)」
「あれ?」
莉緒が不思議そうな声を上げる。嵌められたことも知らずに。
「じゃあ莉緒ちゃん」
「なんすか?」
「今回の件の報告書、作成よろしくね」
「……あ、あ、あぁぁ!」
そして、嵌められたことに遅まきながら気づいた莉緒が、頭を抱え絶叫した。
あくまで先輩たちの話で聞いた程度だが、やたらいろいろあった時の報告書は結構面倒臭いらしい。そんな訳で、報告書を書かされては堪らないとしらばっくれたわけだ。
莉緒の様子がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。美緒も珍しくくすくすと笑っていた。
笑いも収まったところで、医務室の扉がノックされる。将真と響弥だろう。
「もういいわよ」
柚葉が、許可を出す。すぐに扉は開かれ、2人が入ってきた。
__瞬間、警報が鳴り響いた。




