第26話『VS吸血鬼Ⅲ』
「氷華よ、咲き誇れ!」
美緒が、魔術を唱える。地面から唱えた通りに咲き誇るように氷の結晶が生えてくる。だが、いまいち威力が足りていない。
加えて相手は吸血鬼の貴族。荷物を持ちながらでも、軽々とかわし、あるいは砕き割った。
「だったらこれならどうっすか?」
今度は莉緒が飛び出した。
あれだけの接近戦に身を投じて、魔力をガンガン使った後で、それでもまだ神技を使うようだ。
「__『五輪華』!」
莉緒の姿が搔き消えて、吸血鬼に一撃を加えようとする。だが、その刃を血の装甲を纏った手で受け止めていた。
「へぇ、さっきのこの一撃にしてもそうだけど、昔に比べて魔導士が強くなっているというのは本当らしいな。確かにこれは、潰しておく必要がありそうだ」
「確かに……?」
莉緒が復唱する。そのセリフが意味するのはつまり、吸血鬼がこの罠を仕掛けたのは確かだが、それを差し向けたものがまた別にいる。吸血鬼が私たちを殺しに来たのは、彼らの一存では無いということになるのでは無いか?
「おっと、勘がいいね。危ない危ない」
軽々と莉緒の攻撃を受け止めた吸血鬼は、逆に彼女を押し戻して、同時に距離をとった。
「全く、吸血鬼ってのは厄介っすねぇ」
それはそうだろう。なにせ、高位魔族の中でも最も頭が回るのだから。
人間は弱いが、知恵を用いて強者を倒そうとしてきた。昔も今もそれは変わらず、そしてそれは可能なことなのだ。だが、強者に知恵が加わればどうなるか。少なくとも同等のスペックが無いと、相手にもならないだろう。
そこまで考えて、今更ながら私は気づいた。吸血鬼の片腕が、血で生成されていることに。
「ねえ吸血鬼。その腕はどうしたのかしら?」
「これかい? いやぁ、向こうの槍使いの女の子にしてやられちゃってね。腕がなかなか再生しないから、こうして代用してるのさ」
「リン……よく当てられたわね」
思わず感心してしまう。私たちはあれだけやってようやく確実に大きな一撃を与えたというのに、おそらく1人では無いだろうが、彼女たちの実力で吸血鬼の貴族にダメージを残すのは到底無理な話と言ってもいいくらいだ。
「じゃあ、尚更ここで倒れるわけには行かないわ!」
彼女たちが作ってくれたチャンスを、それが例え小さくても無駄にはできない。おそらくこいつの腕も、先ほどとどめを刺し損ねた吸血鬼の傷も、いずれは回復してしまう。ここで仕留めなけられなくて、何のための高位序列だ。
「ハァァッ!」
魔力で肉体を強化して、吸血鬼に向かって特攻を仕掛ける。莉緒ほどでは無いが、私も他に比べたら早い方だ。そして一撃が重いというアドバンテージもある。
故に、当たればそれなりにダメージは入るはずだ。例え受け止めても、手を痛めたりしてもおかしく無い。
だが、私は失念していた。この吸血鬼は、私の神技さえも止めたということを。
「動きは悪く無いけど、力不足だよ」
「ぐっ!」
先ほどと同じように、私は押し戻された。だが、交代して響弥が飛び込む。彼もまた、魔力を残していたのだ。
「『雷槌』ッ!」
響弥が、雷槌を振り下ろす。だが吸血鬼は、無理をせずに後退した。周りを囲うように立ち上る雷も難なくかわしていく。
「つえぇな……けど、動ける範囲はやっぱり決まってくるだろ?」
すると、雷の柱が立ち上っていない所を、氷が走っていく。美緒がなけなしの魔力で放った神技だ。
「“コキュートス”……!」
「むっ」
油断していたのか、吸血鬼の速度よりも凍りついていく速度の方が早い。やがてその技が、吸血鬼の右足を捉える。
「よし、このまま……」
美緒は、吸血鬼を凍りつかせようと全力で魔力を集中させる。だが、あろう事か吸血鬼は、自らの足を切断して逃れた。
「ふうん、この氷にも再生能力阻害効果があるのか。少しばかり厄介だね」
「何なの本当に……ちょっともう、そろそろきつい……」
遂に美緒も弱音を吐き始める。無理もない。アレだけの大技なのだから、魔力の消費は尋常じゃないはずだ。むしろまだ平然と動けるあたりに序列3位という凄まじい実力が垣間見える。だが、それでもあくまでまだ1年生。私たちの間に実力差はさほどなく、故に、束でかかったところでどうしようもない。
更に、絶望的な状況が私たちの心を折りにかかる。
「ふむ、じゃあ君たちの実力に少しばかりの敬意を表してこちらも少し本気を出そうか」
そう言った吸血鬼の手に現れたのは、血で創られた両手剣だ。
そしてそれを、無造作に振り下ろす。
それだけで私たちは、周囲の地面ごとズタズタにされた。
「ぐ、あっ……!」
激痛。たまらず呻き声を上げて膝をつく。
よく見ると、全身いたるところに裂傷ができていた。響弥は比較的軽症だが、それでもやはり裂傷が目立つ。莉緒は意識を保っているのがおかしいとしか言いようがなかった。と言うのも、運悪くあの攻撃の真下にいたからだ。そして美緒は私達の中でも最もひどいダメージを負っていた。しかもどうやらいよいよ気を失ってしまったらしい。
絶体絶命とはまさにこの事だ。
「今のは……」
「知らないかい? ダインスレイフっていう、いわゆる吸血剣さ。本来は神器だから僕らじゃ到底触れもしないんだけど、血で作る分には何の支障もない。どころか、僕らは吸血鬼だ。相性が良すぎるくらいだよ」
確かに、彼が言う通り、ダインスレイフは血を吸う剣として知られている。私たちの傷から流れた血が血溜まりになっていないのは、つまりそういう事だ。
ダメージは深刻。魔力は底をつき、体力ももうもたない。更に血が足りない。
これでどう戦えというのか。
それでも私は、戦斧を地面に突き立てて立ち上がろうとする。
「……ごめん、リン」
半ば、諦めながら。
吸血鬼が、見かねたようにため息をつく。
「安心してくれ。僕は戦闘狂ではあるけれど、苦しんでいる君たちを見て悦に浸るような外道ではない。だから、早々に、楽に殺してあげよう」
トドメを刺す様に、吸血鬼が手刀を作って掲げる。
もう無理だ。私は……私たちはここで死ぬ。
でも、絶対に負けるものか。せめて心では、負けるものか。
半ば意地になった私は、今まさに自分を殺そうとしている吸血鬼を正面から睨みつけた。
だから、その後に起きた事を鮮明に見る事が出来たのだ。
吸血鬼が、手刀を振り下ろそうとした瞬間、結構離れたところから、とんでもないスピードで、これまたとんでもないエネルギーを持つ物体が飛来してきたのだ。
不意をつかれた吸血鬼は、かわしきれないと思ったのか、お荷物と化していたもう一体の吸血鬼を手放す。
飛来物は、もはや手足も動かせない方の吸血鬼を貫いて、今度こそ完全にとどめを刺した。
もう一方の吸血鬼は、バックステップで下がりながら、飛来物が飛んできた方向を睨む。それにつられるようにして、私もそちらを向いた。
「あ……」
自分の喉から漏れた声が、安堵だったのか絶望だったのか、わからない。
そこにいたのは、リンと将真の2人だったのだ。
俺たちは、現場に到着してその惨状を見た。
大地はひどく荒れていた。視界に映ったのは、満身創痍の吸血鬼を抱えて戦っていた、さっきまで俺たちの前にいた吸血鬼。そしてボロボロにやられてしまった杏果たち。
そして、杏果が今まさに殺されそうになっていた。
その瞬間、リンが目にも留まらぬ速さで動いた。
「『神話憑依』……!」
構えた長槍が、猛々しい魔力を纏っていた。
「刺し穿つ長槍__『ゲイボルグ』っ!」
そしてリンが、ありったけの魔力で強化した、ありったけの膂力で、神技を放った。
それは見事、吸血鬼の元へと飛来していった。
目標には当たらなかったが、どうやら満身創痍になっていたもう一方の吸血鬼の方は今の一撃で倒せたようだ。
俺はひとまずホッとした。
だが、リンはそうではないようで、急いでその場を駆け出した。
「あ、おい、リン! 落ち着けよ!」
「ゆっくりなんてしてられないよ!」
それはそうかもしれないが。
すぐに俺たちは杏果たちの元へと駆けつける。
「杏果ちゃん、大丈夫⁉︎」
「リン……どうしてきたの?」
切羽詰まって捲し立てるリンを、宥めるような静かな声で杏果が問うた。
「どうしてって……助けに来たんだよ、当たり前でしょう⁉︎」
「あんな化け物を相手にしても? 私としては逃げて欲しかったんだけど……」
「大事な友達を見捨てて逃げるくらいなら、ボクは一緒に死んだほうがマシだよ!」
「リン、とりあえず続きは後だ」
「っ!」
俺に声をかけられると、リンは切り替えるように臨戦態勢に入った。
「俺1人じゃ流石に無理だ。2人でもできるかは怪しいけど……諦めるわけにもいかないしな」
「うんっ! ボクたちは、勝って……みんなで生きて帰るんだ!」
俺の「諦めない」という意思が余程嬉しかったのか、リンが見ていて気持ちよくなる様な笑みを浮かべた。
さて。
ここから先が、本当の死闘だ。
あの吸血鬼は、さっきまでと違っていよいよ遊びを止めて本気でかかってくる。
「わざわざ見逃してあげたのに向かってくるなんて、愚かしいにも程があるよ。君たちは今の状況を理解できないのかい?」
「理解はできてるさ。でも、はいそうですかと諦めて仲間を見捨てて自分の命だけでも拾う決断ってができるほど、俺は大人じゃないんでな」
油断なく吸血鬼を睨みつけながら、俺は問いに答えを返す。吸血鬼は、嘆息しながら実に残念そうに呟く。
「君たちがもっと弱ければ、ちょっとしくじって逃げられたで済んだんだけど、ここまでとなるとそうも行かなくてね。逃げないというなら遠慮なく殺すけど?」
「っ……上等だ!」
湧き上がる不安を抑えて、初めて覚えた身を震わせるほどの恐怖を押し殺し、威勢よく叫んで俺は飛び出した。
その後ろを、リンが同時に飛び出す。
「仕方がない、ね」
そして、吸血鬼もまた動き出した。
血の剣を作り出して、襲いかかってくる。すると、背後から杏果が叫び声をあげる。
「気をつけて、その剣に切られたら血がごっそり持ってかれるわよ!」
「マジかよ⁉︎」
「危ない!」
「フッ__!」
多少怪我するのは仕方がないと特攻を仕掛けた俺にはその一撃がかわせない。
吸血鬼が剣を横に振りぬいた。瞬間、背中を鈍い衝撃が襲い、思わず俺は前のめりに転ぶ。
頭上で、金属音が響いた。
「なっ⁉︎」
視線を上に向けると、リンの長槍と吸血鬼の剣がギリギリと競り合っているところだった。どうやら先ほどの衝撃は、リンが長槍の柄で、咄嗟に俺を突き飛ばしたものだったらしい。
「くぅっ……」
「へぇ、中々やるじゃん。でも、こんな事なら、さっきの斧の子の方が強かったよ!」
「っ、うわぁっ!」
多少の踏ん張りは見せたものの、リンの膂力では吸血鬼には到底敵わない。すぐに後方へと吹き飛ばされる。
「まだまだ行くぞぉ!」
「うっ……」
更に突っ込んでくる吸血鬼を見て、リンが顔をしかめた。
剣と槍が、再びぶつかり合った。
それも一度ではない。何度も何度も切り結ぶ。圧倒的な攻撃速度で剣を振るってくる吸血鬼に対して、リンは反射神経のみでなんとか追い縋ってはいるものの、それでも防ぎきれていない。
だが、リンのおかげで俺から意識が外れた。
本当は余り連発したくないのだが、もうそんな事は言っていられない。
俺は、魔力棒を上段に構えて、魔力を集中させる。
魔力棒を中心に、黒い渦が集約されていく。
「“黒渦”!」
その一撃を、肉体強化した体で力一杯振り下ろす。だが__なんという事か。吸血鬼は受け切った。リンを後方へと押しやって、こちらを向いて、手にした血の剣で。
「凄まじい威力だね、今のは。流石に驚かされたよ」
その言葉に嘘はないだろう。
その証拠に、“黒渦”を受けて耐え切れなかった吸血鬼の肉体が、あちこちから血を流していた。大きな傷ではないが、血管が破れたのだ。
だが、それだけといえばそれだけ。
吸血鬼がその程度のダメージで弱体化すれば、そもそも魔導士にとって脅威になるはずがない。
その傷はみるみるうちに修復されていき__
「でも、残念。惜しかったよ!」
吸血鬼の拳が、恐ろしい速度で迫ってくる。魔導士としたまだ未熟な俺は、その拳をかわせるほど戦闘経験がなく__横殴りの衝撃に吹き飛ばされるしかなかった。
「う"っ⁉︎」
だが、予想していた様な痛みはほとんどなかった。代わりに感じたのは、重みだった。
そしてすぐに思い知った。
俺が痛くなかったのは、リンが庇ってくれたからだと。
「……おい、リン? 大丈夫か⁉︎」
「ぐ、うっ、おぇ……!」
苦しそうに呻くリンの口からは、吐瀉物とともに血が大量に混じっていた。
「おい、リン⁉︎」
「ご、め……なさ……」
それを最後に、リンが意識を失う。
その瞬間、俺の頭は真っ白になった。
その背後には吸血鬼が迫っていた。
「隙だらけだよっ!」
その剣を振り下ろしてくる。
そして__
「__テメェ……!」
およそ自分のものとは思えない、異常な声の低さで、怒りをたたえた目で、吸血鬼を睨みつけた。
『VS吸血鬼』編は次で終わりです。……多分。




