第22話『師の思惑』
エリド・グリーシェ。
彼はかつて、グリシャ・ヴァーミリオンと敵対する、国民側の魔導師であったそうだ。
非常に実力があり、国民たちにとっての強い味方だった。
そしてある時起きた、国内紛争。
この戦いは、フレミアも聞いたことがあり知っている。
そこでエリドは革命軍として、グリシャの国防軍と対立し、激しい戦いを繰り広げた。
当時は未だ全盛期ではなかったとはいえ、あのグリシャと対等に戦うことが出来たのは、おそらくエリドを置いてほかにはいない。
戦いの結果は、エリドの惜敗に終わった。
グリシャにも大きな手傷を負わせ、両手を地面に付かせるほどまで追い詰めることが出来たものの、それを成したエリドは、とうに限界を超えていた。
何故敗北したエリドがこうして生きているのか、フレミアは知らない。グリシャの考え方なら、決着がついたその時にエリドを殺していてもおかしくは無いはずだ。
だが、今それはどうでも良くて。
注視するべき点は、この戦いでエリドが負った傷だった。もちろん、物理的につけられた傷だ。
グリシャに付けられた右胸をえぐるような傷跡。例の戦いにおいて、エリドが戦闘不能になる要因となった傷だ。
これだけは、グリシャの力を持ってしても、完治には至らなかった。
だが、そんなわかりやすい弱点を容易く晒すほど、エリドは馬鹿ではない。
それをどうしてフレミアが知っているのかと言うと、それは単に、幼い子供相手に油断してしまったせいだった。
「……覚えてますか、師匠?」
「……何、を、だ?」
苦しそうな呼吸をしながらも、エリドはフレミアの問いかけに応える。
貫かれた右胸を、チラチラと炎が舐め、その傷口を治癒しようとしているのだろうが、何分大きな傷だ。それも、治癒の炎を持ってしても、完治させられなかった傷を大きく広げた。
ほかの傷口と違い、容易く治るはずもない。タダでさえ、ほかの傷口の治癒にも炎の恩恵を割いているというのに。
「昔の私は、結構やんちゃで……、私の教育係を押し付けられたあなたは、色々と世話を焼いてくれましたね」
「……お嬢、は、昔話が、したいの、か……?」
「いいえ。……まだ幼かったとはいえ、私を無理やり風呂に入れたこともありましたよね」
「は、は……。あぁ、そんな事も、あった……な……」
ジト目で見下ろすフレミアに、エリドは苦笑気味に返すが、彼女が言わんとすることをようやく理解したエリドは、目を見開いた。
「ま、まさ、か……」
「気が付きましたか。そうですよ。私をお風呂に入れる時、あなたも当然服を脱いでいました。その時の私は幼かったから気に求めませんでしたが、それでも印象的だったので記憶に残っていました。右胸に目立つ、大きな傷跡」
「……もう、10年以上は、前になるような、そんな時のことを覚えている、とは……」
驚きながらも、少し呆れた様子を見せるエリド。だが、そんな昔のことを覚えていると、誰が思うだろうか。実のところ、フレミア自身も思い出せたことに驚いているのだから、エリドが驚くのは無理もないことだ。
(……たった一ヶ月程度の話ではないな。知らない間に、ここまで成長していたか)
終わったかに見える戦闘。だが、フレミアは警戒を解かないまま、右手に剣を握って立ち止まっている。
そしてフレミアが想定した悪い予想通り、エリドからの反撃がフレミアを襲った。
「うっ……!」
「よく、躱したな……。だが」
地面から隆起した鋭利な大地を、咄嗟にフレミアが回避すると、エリドは傷口からボタボタと血を流しながらゆらりと立ち上がる。
「よもや、これで終わりということはあるまいな……?」
「馬鹿な……」
「あれだけの傷を負いながら、まだ動けるのか……?」
「ば、化け物だ……」
「…………」
日本の魔導師たちが驚く中、フレミアは冷静だった。
よく教えられていたことだからだ。勝ったと思い気を緩めた時こそ最大の隙なのだと。
確実に決着がつくまで、気を緩めてはいけない。
そして、格上に勝つ為には、相手の裏をかいたり、予想を上回る立ち回りができなくては難しい。加えて、確実に勝利するための切り札が必要だ。
それをフレミアは__もうだいぶ前から持ち得ていた。
負担が大きい為に、滅多に使うことはなく、そもそも一人に対して使う魔術では無いこともあって、誰にも見せたことはないが、それが功を奏するとは、彼女自身考えてなかった。
「__勿論、最後の一手、残してありますよ!」
「むっ……!?」
フッ……と地面に影が指し、見上げると共に、その場の全ての魔導師が絶句した。
〈炎弾〉よりも遥かに大きな、巨大な炎球。フレミアが得意とする強力な火属性魔術〈サンシャインバースト〉だった。
だが勿論、その程度で驚くほど、日本の魔導師もエリドも落ちぶれてはいない。
驚いたのは、その数だ。
たったひとつでも、本気で直撃させれば、並の魔導師を文字通り瞬殺できるようなそれは、優秀な魔導師にとっても充分な脅威だ。
そんな代物が__空を埋め尽くさんばかりに、無数に浮いていた。
その数__優に、万は超える。
「こ、これは……」
「かなり厳しい回数限定があるけど……」
「榛名の火属性魔術ですら足下にも及ばないレベルだなんて……」
火属性を得意とし、学生の枠を超えて日本の魔導師として相当な実力を持つ榛名小隊。そんな彼女達の目の前に広がる、はるか高みの光景に、羨望が混じったような呟きを、ため息と共に吐き出した。
「師匠。これであなたを倒しきれなければ、私は素直に負けを認め、あなたに従いましょう」
「なに……?」
「ですが、私は確信しています。この魔術ならば、あなたを倒す事すら可能だと__!」
フレミアは、ゆっくりと掲げた手を、今度は勢いよく振り下ろした。
「さあ、雨のように降り注げ、100万の豪華よ! __〈フォールダウン・ミリオン・フレア〉!」
唱えると同時、無数の炎の球がエリド一人に向かって下降を始めた。
その速度は正しく雨のようだった。
回避不可能な怒涛の爆撃に、エリドは自身をあらゆる魔法で限界まで強化しながら、地属性の防御魔法を組んで必死に耐える。
「ぐ……、うぉぉぉぁぁあっ!」
だが、エリドの努力とは裏腹に、防御魔法には徐々に亀裂が走っていく。
(……侮っていた。完全に舐めてかかっていた。いくらあの人の娘とはいえ、この歳で、これ程の強さを持っているとは……)
師匠の身であるエリドは、その事実に驚愕しながらも__僅かながら、喜びも感じていた。
(……お嬢の強さは知っていた。実力だけではなく、精神も。だが実際は、俺の予想も飛び越えていくか)
最早これまで、とむしろ満足気な笑みを浮かべたエリドは、防御と肉体強化に回した魔力を止めた。
それが何を意味するかは、当然誰もが理解していた。
フレミアの最強の魔術が、生身のエリドに牙を剥く。
爆煙に飲まれたエリドの姿は、もう見えなくなっていた。
爆煙が晴れた後、元々廃墟や荒野だったその場は、更に酷い有様を見せていた。
爆撃に晒され続けた大地は凸凹になり、大小様々なクレーターが出来上がっていた。
だが、威力に伴う被害の割に、その範囲は、エリドを中心とした半径数メートルほどに抑えられていた。この事により、フレミアが予想以上に、魔力コントロールに長けていることも示されていた。
そして、全身に火傷を負い、ボロボロになったエリドが大の字で転がっていた。
生きていたとしても、とても動けるような状態ではない。少し気を張り詰めていた魔導師たちも、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
そしてフレミアは、エリドの前まで、でこぼこの地面をものともせずに歩いて行く。
「__師匠」
「……強く、なったな。予想以上だ……」
「それは__」
(それは、あなたのおかげです)
フレミアは、それを言葉にしようとして、首を横に振った。それよりも先に聞かなくてはいけないと思っていた事があるからだ。
「師匠、ひとつ聞かせてください。あなたのような人が、どうして他国の……、日本の魔導師に危害を加えるような真似を? 敵対する理由は……ないはずですよね?」
「……ここらが、潮時、か……」
「え……?」
「全部、話してやる。俺の、目的を……」
そしてエリドは語り始める。
フレミアも知らない、エリドとグリシャの関係を。
フレミアも知る通り、エリドは初め、グリシャと敵対していた。国民側に立つ、強力な魔導士として。
だが、反乱は失敗に終わり、敵味方に多くの犠牲を出した。エリドもまた、グリシャを追い詰めはしたが、限界を迎え倒れ、敗北してしまったのだ。
フレミアはこの話を聞いた時、何故エリドが生きているのか疑問でしょうがなかった。
敗北したエリドは、殺されていてもおかしくないはずだ。
だが、エリドは生き残ったのではなかった。
『お前ほどの魔導師を殺すのは惜しい。俺と共にこい。なに、悪いようにはせんぞ』
エリドは、その実力を買われて『生かされた』のだ。
この時エリドは、不覚にもグリシャに対し、畏敬の念を抱いた。そしてエリドは確信した。
__自分では、グリシャに適わないことを。
その後、自身の心を押し殺し、国民を裏切る形となって、グリシャの秘書官まで上り詰めた。
その中で、幾度凄惨な光景を見てきたことだろう。エリドは、勝てぬとわかっていながらも、鍛錬を怠らなかった。僅かな可能性にかけて。
だが、エリドが万が一にでもグリシャに勝てる可能性は、ある日突然、いとも容易く途絶えた。
グリシャが、凶悪なまでの力を手にしたからだ。
その力を手にしてからのグリシャの力は凄まじく、米国の、否、世界中を見渡しても並ぶ者はいないと思えるほどの魔導師に__世界最強の魔導師になった。
もう誰もグリシャを止められない。絶望したエリドの前に、またも唐突に、今度は僅かな希望が舞い降りる。
フレミアの誕生だ。
エリドは決意した。彼女を可能な限り、真っ当な魔導師に育てようと。そしていずれは、グリシャの脅威となり、抑止力となれる存在になる事を願っていた。
フレミアは、少し我儘なところがあったが、何処にでもいる普通の少女で、あまり他者と壁を作ることは無かった。どんな身分のものを相手にしても対等に接していた。
それも、幼いうちだけの話だったが。
だがこれは別段、フレミアが豹変したと言う訳ではなく、彼女が城内から出る機会が減っていったというだけの話だった。
フレミアは、父の言うことを聞きながらも、エリドの願い通りに真っ当な魔導師へと成長していった。
反逆する国民たちを理不尽に斬首刑に処する。そんなところを見られたのはエリドにとっても想定外だったが、フレミアがグリシャに反抗し、グリシャが垣間見せた強大な力。
フレミアはそれに恐怖して逃げ出してしまったが、生きている事が確認できたエリドは、ここがチャンスだと思った。
フレミアが『日本都市』に逃げ込んだ偶然もまた、エリドに光明を与えていた。
少数ながら、強い者達は高位魔族すら束になっても相手にならないような一騎当千の魔導師たちが揃っているという国だ。そこへ助けを求めたというのならば、きっとフレミアは無事だろう。
そして、彼らの協力が得られたのならば、グリシャを止められる可能性も高くなるだろう。
「そして、俺は決めた……」
「お父様の目を欺くために……?」
「それだけでは、ないが……、まあ、主な理由が、それだ……」
フレミアの師である立場と、グリシャの秘書官である立場を考えた結果……エリドは、日本とフレミアが心置きなく戦えるように、彼らの的に回ることを決めた。日本と敵対しているように見せかければ、思惑をグリシャに悟られにくくなる、というのが本心だったが。
「お前は、あの人の力に怯えて、逃げ出して、しまったな……」
「……ええ。国民のみんなも裏切ることになってしまって、申し訳ない限りだわ」
「なに、恥じる事はない……。むしろ正解だ。あの力を、前にして……、生き残った者を、俺は、お前以外に、知らんのだから、な……」
だから、エリドは1度フレミアと戦う必要があった。
おそらく次はない。グリシャは今度こそフレミアを殺すだろう。そしてフレミアも弱くない。力の片鱗とはいえ、一度見せつけられたのだから、その心の準備は出来ているだろう。だから、次は立ち向かえるはずだ。
だが、エリドに勝てもしないのでは、到底グリシャに勝てる可能性はない。皆無である。
「お前を、安心して、あの人と戦わせる、為には……、お前に、実力、で……負けなくては、いけなかった……」
「師匠……」
フレミアは、エリドの計り知れない心中を思って顔を伏せる。
その時、エリドの下に影が蟠り、そこから飛び出してきた鎖や腕が彼を雁字搦めにする。
「お膳立ては、ここまでだ……。あとは、任せるぞ、お嬢……」
「……はい。必ず成し遂げます。だから、死んではいけませんからね」
「……そう、だな__」
エリドは最後に力を抜いて、微笑を浮かべると、完全に影に飲まれていった。
エリドを飲み込むと、蟠っていた影は小さくなっていく。
「……よし、それじゃあ早くお父様を探して戦いを止めないと__」
『__うわぁぁぁぁぁっ!』
「えっ!?」
フレミアが立ち上がり、意識を切り替えそうとした瞬間、背後で日本の魔導師たちの悲鳴が上がった。
フレミアは急いで振り返ると、魔導師たちが吹き飛んだ場所から火柱が立ち上った。
そして、今まで気がつけなかったのが不思議なくらいの巨大な魔力を、火柱の発生源から感じ取れた。恐らく、ここまで隠していたのだろう。
火柱の背後からは、無数の魔力反応。今の戦況を考えると、この数の米国魔導師がこちらに来ることは考えにくい。この凄まじい魔力反応をおってきた日本の魔導師と考える方が妥当だ。
火柱の中心に、人影がちらつく。
その姿は、2メートルに達するほどの巨漢だった。フレミアと同じ朱色の髪に、光を飲み込むような昏い両目。黒い軍服を身に纏い、フレミアを認識すると、ニヤリと嗤う。
「ここにいたか……、随分探したぞ」
「お、お父様……」
距離はかなり離れているが、見てすぐにグリシャだと分かった。
そして、ここに来る前の恐怖がフラッシュバックして思わず後ずさるが、数歩後ずさったところで踏み止まった。
(ここで逃げたら、また同じだ……。師匠の願いでもある。ここで戦わなくちゃ、立ち向かわなくちゃいけないんだ__!)
「お父様。私はもう__逃げません!」
「ほぉ……」
踏み止まり、一歩前に踏み出したフレミアを見て、グリシャは素直に感心を示した。
「前にお前が逃げ出した状況と同じだというのにな。……やはり、逃がしたのは失敗だったか?」
「前と、同じ……?」
グリシャの言葉を復唱して顔を上げると、フレミアは遅まきながら気がついた。グリシャから立ち上る火柱が、巨大な人型を形作っていることに。
あの日見たものと同じ、炎の化け物が、目の前にいる。
フレミアは、内心恐怖を覚えながらも、強がって笑みを浮かべて見せた。その笑みは引きつっていたが。
その強がりを見たグリシャは、多少驚いたように、若干目を見開くが、それも一瞬のことだった。
グリシャは、躊躇うことなく歩みを進め初めた。
一瞬動揺したフレミアだったが、彼女も少し遅れて足を前に踏み出す。
二人の距離が近づいていく__その間に、威圧からの硬直が覚めた榛名と燈が、フレミアの前に飛び出してグリシャに向かっていった。
「行かせない!」
「ここで止める!」
「なっ……、二人とも、待ってください!」
フレミアの静止も聞かずに、近接戦闘での攻撃を仕掛ける二人。
榛名は兎も角、燈は相性として効果的な相手だ。近接戦闘を得意とし、物理攻撃はほぼ無効化することができ、火属性による攻撃もまず効かない。
だから二人は、多少の足止め程度にはなるだろうと考えていた。流石に、世界最強の魔導師に勝てると思うほど自惚れてはいなかったが__足止め程度ですら自惚れであったと、すぐに思い知らされることとなる。
「__失せろ、ガキ共」
「カッ……!?」
「はぐっ……!」
グリシャが横薙ぎに手を振るうと、高圧の炎が彼女たちを呑み込んで焼いた。
攻撃に耐えきれず、吹き飛ばされて地面に落ちた榛名と燈は、酷い傷を負っていた。
榛名は酷い火傷を負い、燈は心做しか体が縮み、右腕と左足が欠損していた。燈に関しては、〈神気霊装〉の制御ミスによる代償なのだが。
ダメージの大きい二人はやがて、影に呑まれて消えていく。
今のは、無謀にも飛び込んだ榛名たちが悪い。それは分かっていたが、それでも納得出来ずに湧き上がる怒りで、フレミアはグリシャを睨みつける。
そして、二人は向かい合うようにして立つ。
「__お父様。あなたの横暴、ここで止めます!」
「やれるものなら、やって見るがいい!」
二人の間力が爆発的に跳ね上がる。
いつの間にか、フレミアの体からは炎が立ち上り、それは炎の巨人を形作っていた。
二人の、炎の巨人が、火の粉を舞い散らし、向かい合う。




