第7話『少女逃亡』
街の人たちの話を聞いて、フレミアは更に怒りを覚えた。
フレミアが疑っていた通り、間違っているのはやはり父たちだったのだ。
税の過剰な徴収に、長時間労働。賃金は安く、農業畜産においても収穫できたものの大半は、上層部へと納めるのが当たり前。
勿論国民は衰弱する一方だ。
彼らも黙っているわけではなく、今もまだ、いつまで続くともしれぬこの圧政に抗い、反旗を翻している。
そしてその実行者たちを反逆者とみなして、父たちは殺していたのだ。
ろくに話も聞かず、ただ、自分に逆らったからと言うだけの理由で。今までずっと。
それも、そう言った悪い噂を断つための見せしめ、という理由ではないのだ。その理由だったとしても許せないが、本来の理由は、更に信じ難く、胸糞悪いものだった。
曰く、反逆者たちが煩わしいから。
わかりやすく言えば、「お前ら鬱陶しいしウザいから死ね」と、余りに身勝手で、自己中心的な発想から生まれた処罰だったのだ。
フレミアは、この国がどこまで狂っているのかを、今まで知らずにいた。
だが話を聞いてからは、少なくとも、自分の父や部下たちが、狂気の沙汰にある事は充分すぎるほどに理解した。
そして、フレミアはある決意をする。
翌日の朝。
「……宿屋の主人、そして皆さん。話してくれてありがとう。私はこれから城へ戻り、父と話をしてきます」
『なっ……』
「ま、まさか我々を告訴するつもりですか……? あなたもやはり、私たちを裏切ると⁉︎」
「違います!」
とは言え、そう思われても仕方がない、とフレミアは思う。それほどまでに、父がしてきた事は、彼らの信用信頼を失い、その代わりに憎悪を集めているのだ。
フレミアがしようとしている事は、父に伝えるという点では告訴と変わりない。だが、彼らを処罰させるつもりなど、端からなかった。
「今回、いかに自分が無知で愚かだったか、よくわかりました。それに、ここまで知って黙ってなんていられない。どこまでできるかはわからないけど……今のあり方を変えたい。私は、父に抗議を申し立てます」
『なっ……』
宿にいた、話を聞いていたものたちが、フレミアの言葉に思わず絶句する。
「そ、それはいけません!」
「あ、安心してください。勿論あなた達の名前は出しませんし、そもそも誰かに問うたというような話をするつもりはありません。偶然、耳にする機会があったという設定で話をしますから」
「そうではない!」
いち早く意識が現実に戻った宿屋の主人が、慌てたように声を上げる。
確かにその内容は、告訴ではないし、むしろうまくいけば国民達にとってこれほどいい事はない。
だが、彼らが今まで、どれだけの月日を圧政下の中で過ごしてきたか。そして、どれだけ長く抵抗を続けてきたか。
それが上手くいくわけがないと、国民たちはわかっているのだ。
それが例え、グリシャの一人娘であるフレミアであろうと。
「例えあなたでも、あの人に反抗しようものなら、どうなるかわかったものではない!」
「確かに父は危険な思想の持ち主だけど、そんなすぐに、私を手にかけるような事はしないわ。絶対の確証はないけれど、私からのお願いなら、きっと頭ごなしに否定される事はないと思うから」
「最悪、我々のせいで死ぬことになるかもしれないんですよ……⁉︎」
「それならそれで、あなたたちからしてみれば、憎い奴が1人消えるというだけでしょう?」
「そんな事はありません! 真に民のことを考えられるあなたのような存在は、我々に必要なのです!」
その言葉に、フレミアは驚いたように目を見開く。元より国民のために動こうとは考えていたが、たかが話を少し聞いて、今の状況に彼らの痛みを少し理解して、そして行動に移すことを口にしただけだと言うのに、こうもあっさりと信用されるとは、想像できなかったのだ。
だが、それは少し違うだろうな、と思い直す。
彼らは信じたいのだ。今まで、否、これからも彼らはこの過酷な生活を強いられることになる。そんな政府の残酷なやり方に疑問を持ち、理解できる権力者。
絶望ばかりで、何1つ信じられなかった国のやり方に、一筋の希望の光がさしたのだ。消えられては困ると、縋りたくなるのも、無理はないのかもしれない。
だが、このまま何も言わずに放置しておけば、この悲惨な現状が続くだけだ。上手くいくとは思えないが、それでもフレミアは、言うべきだと思ったのだ。
「言わなければ何も始まらないわ。あなたたちの話を聞いて、余計このままではいけないと強く感じた。だから、私は父に伝える。間違ってるって。ただ、期待はしないで欲しいけど……」
「……わかった。あなたがそう言うなら、我々はその言葉に従いましょう」
「ここでの会話のことを告げられなければ、我々としてはすぐに危険が降りかかることはないですしね」
「あなたの言う通り、あまり期待はせず、待たせて頂きますよ」
宿屋の主人を中心として、居合わせた他のものたちもみな、彼女の意思に屈して、渋々納得した。
フレミアは、静かに頷いて立ち上がる。
彼女が宿屋を出て行った後を、国民たちは不安そうに見つめていた。
フレミアは、腹の底に怒りを湛えて、足早に父の元へと向かう。
城塞へと帰還すると、フレミアを目にした兵士たちが慌てて駆け寄ってくる。
「お嬢、どこに行かれていたのですか⁉︎」
「みな心配しておりましたよ!」
「……そう。それが、私の身を案じたと言う意味での心配だといいのだけれど」
「何かおっしゃいましたか?」
「何でもないわ」
返事の後の言葉は、どうやら兵士たちには聞こえていなかったようだ。呟くように言ったのだから当然だが。
兵士たちは、フレミアの帰還に安心しながらも、不安も覚えていた。理由はいろいろあったが、何よりの理由がまず、フレミアが明らかに不機嫌であることだ。
兵士たちは、彼女が純粋で素直だと知っている。だが、いかに温厚なフレミアとはいえ、父がアレだ。怒り狂えば、どうなるかは兵士たちも想像したくないことだった。
フレミアの態度にハラハラしていると、兵士たちに対してフレミアが問いかけてくる。
「ねぇ、あなたたちは町の人たちについてどう思っているの?」
「は? いや……、我々の正義に反する、薄汚く自己中心的な反逆者、と言う事は、あなたも知っていると思うのですが……」
「そう……、そうね。あなたたちは、父の兵士だものね」
「? はい、そうですね……、っ⁉︎」
1人の兵士が、フレミアの変化に気がついて咄嗟に後退した。
フレミアから放たれる凄まじい熱量。まるで幻でも見ているかのような、渦巻く炎が巨人を象る異様な光景。
彼らは今、理解した。
フレミアが、これ以上ないくらいに、怒りを覚えていることに。
「どうやらほんとうにあなた達は……救いようのないクズ野郎の集団らしいわね……!」
「な、何を……」
硬直する兵士たちを横目に、フレミアは城内を、苛立ちを隠しもせず、むしろ周囲の人間を威嚇するように歩く。
途中でハッと我に返った兵士たち数人が、慌ててフレミアを追いかけ、呼び止めようとする。
「お、お待ち下さい! そんな殺意を露わにして、一体どこへ向かうおつもりですか⁉︎」
「決まってるでしょ、お父様に話があるのよ!」
「なりません! お父上を殺すおつもりですか!」
「それならそれで構わないわ。あなた達と話すつもりもないし、死にたくなければ失せなさい」
「行かせませんぞ!」
「__どけぇ!」
憤怒の形相で激昂するフレミア。撒き散らされた炎と衝撃波で、兵士たちは悲鳴をあげながら、呆気なく吹き飛ばされた。
そして、その余波でグリシャの執務室の扉が壊れて、中が見えていた。
まるで動揺することも無く、こちらに目を向ける、グリシャと目があった。
「……何事だ?」
「も、申し訳ありません、閣下……」
「何があったのかは知りませんが、あの態度を見る限りですと、どうやらお嬢は、今の国の現状を知ってしまったようです」
「……そのようだな。俺の血が流れているだけの紛い物の力とはいえ、あの〈炎帝〉を目覚めさせるか」
「〈炎帝〉、ですか?」
「お前は気にする必要はない」
グリシャは秘書を軽くあしらうと、執務室の椅子からゆったりと腰を上げて立ち上がる。
「1日ぶりか、何処をぶらついていたんだアストレア?」
「お父様の隊は確か国一の武闘派集団と聞いていましたけど、城内にいた私1人見つけられないなんて、大したことないんじゃないですか」
もちろん嘘だ。
だが、先程門から入ってきたところを見ていた兵士たちは炎で吹き飛ばした。彼女が外から戻ってきたところを見たものはなく、証拠がなければ「城内にいた」といっても通用すると考えたのだ。
そしてグリシャや他の兵士たちは、それを思いのほかあっさりと信じたようだった。
グリシャが、兵士たちを鋭い眼光で睨みつけていたからだ。
「ひっ……」
「全くどいつもこいつも……お守りもできねぇのか、ぶっ殺すぞ」
「閣下、今はそれよりも……」
「あぁ、そうだな」
秘書の的確な一言で、グリシャは意識をアストレアへと向ける。
グリシャが歩みを進めるたびに凄まじい覇気を感じるが、アストレアは引かなかった。
「何のつもりだ?」
「この国が、あなた達がどれだけ腐った連中かってのがわかったわ。だから、それを改正してもらおうと思って」
「ほう、何の為に?」
「……現状を苦しんでいる人達のためよ!」
アストレアを中心に、炎が湧き上がり、渦を巻く。
加えてその炎は、強い光を放っていた。
アストレアの力が、そのまま具現化した形。激情によって、それが表に出てきたのだ。
それだけではない。先程発現した強力な何かが、アストレアの力を後押ししていた。
「今すぐこの無茶な政治をやめると誓って」
「断る、と言ったら?」
「この場であなたを焼き尽くす。お父様のやり方には、到底従えません!」
「そうか。従おうと従わまいと勝手にするがいい。だがな、俺が何故、弱者に従わなければ行けないんだ?」
「だったら、思い知るといいわ!」
炎が収束し、アストレアの手の中で形を成していく。
姿を露わにしたそれは、両手剣型のフランベルジュと呼ばれる剣だ。タダでさえ凶悪な形をしているというのに、アストレアの魔力に影響されてか、剣は黄金に輝き、炎を纏っていた。
アストレアは一瞬躊躇うも、余裕の表情を崩さない父を見て、馬鹿にされているのだと感じ、怒りを覚える反面チャンスだと思った。
地面を強く踏み込んで、一気にグリシャの懐まで潜り込む。予想以上に速い攻撃。兵士達の間に動揺が走る。
「閣下__!」
秘書が声を上げる。
だがもう遅い。アストレアは、剣を握る手を後ろに引いて、横薙ぎに、一息に振り抜いた。
そして、何かが砕け散る音を耳にした直後、目に移ったのは、黄金の破片だった。
「……え?」
理解ができなかった。
グリシャは全くの無傷。切りかかったはずの黄金の剣は砕け散り、無惨な姿へと成り果てた。
呆然とするアストレアの腹部に、強烈な衝撃が走る。
「ガッ……⁉︎」
地面を転がり、壁に激突するまで、アストレアはまるで動くことができなかった。
そうしてようやく起き上がったときに、自分が蹴り飛ばされたのだということを知る。
ふと影が落ちて、ハッとしたアストレアは顔を上げる。いつの間に、目の前にグリシャがいた。
強烈な威圧感。これに抵抗するのは容易ではない。だが、それだけなら、どれだけ良かったことが。
グリシャもまた、炎を纏っていた。アストレアの父というだけあって強烈な魔力を放っていたが、それがやがて、何かしらの形を作り出す。
そうして父の背後に見えたのは、あまりに凶悪な炎の化け物だった。
「ひっ、あ……」
「どうした? その程度か? 俺を殺すつもりだったんだろ?」
「うあ……」
アストレアは、地面にへたれこんで、少しずつ後退る。グリシャは、そんな自身の娘に幻滅したようにため息をついて、アストレアが下がった分だけ近づく。
元々、壁まで吹き飛ばされていたのだから、逃げ場がなくなるのは早かった。
追い詰められたアストレアは、先程の威勢は消え失せて、恐怖に震えていた。
「我が娘ながら情けない。その程度とは思わなかったぞ」
「あ、ぅ……、ひぐっ……」
「__もういい。失せろ」
その言葉と同時に、凄まじい熱量と轟音が周囲に撒き散らされ、巻き添えを受けた兵士たちの悲鳴が上がった。
煙が晴れたとき、既にアストレアの姿はない。
無論、吹き飛ばされたと考えるのは妥当だが、もしかしたら消し飛んだのかもしれない。
今後の事に思考を巡らせようとすると、秘書がグリシャへと耳打ちをする。
「生きている可能性も考えて、捜索隊を出しましょう。殺すつもりなら、トドメを確実に刺す必要があります」
「……面倒だ。その辺りは任せる。俺はやる事を思いついたのでな、しばらく開けるぞ」
「了解しました」
秘書は、すぐに動けそうな兵士たちを集まると、アストレアを探すように指示を出すと、散り散りに散っていった。
それを確認すると、グリシャはその場を後にする。
「そろそろ上に、軍拡の許可を下ろしてもらわねばな」
アストレアは、奇跡的に生きていた。どの辺りかは分からず、一体どれほどの距離を飛ばされてきたのかは分からないが、とりあえず自分が生きていることだけはわかった。
(熱い……、痛い……。……生きてる?)
そもそも、籠の中の鳥だったアストレアは、これほどの痛みを経験したことはまずない。だがそれでも、激痛で死にそうでも、痛みを感じている。
生きていると理解したのは、そのためだ。
そうして、朦朧とした意識の中、震える両手を、自分の目の前で開げた。
火傷に裂傷、打撲痕。ダメージを受けていない部分がないくらいだった。
そうしてようやく、自分が先程何を見て、何をされたのかを思い出した。
「うっ……、おぇっ……」
思わず口を抑えるが、堪えきれずに嘔吐する。再び恐怖が呼び起こされ、体を震わせる。全身のダメージが大きすぎて、自身が嘔吐だけでなく失禁してしまった事に気がついていなかったが、アストレアはしばらくそのまま蹲っていた。
体が落ち着きを取り戻した頃には、既に日が落ちていた。アストレア自身の魔力量が多かったのは幸いだった。そのおかげで、身体中に刻まれたダメージは少し癒えた。
心身ともに、傷が多少回復したのだ。
「うぇ、汚い……」
移動しようと立ち上がり、ようやく自身の現状に気がついたアストレアは、後でどこかで綺麗にしようと考えながら、ふと母国の方向へと足を向ける。
その瞬間、再び体の震えが止まらなくなるが、後退すると少し楽になった。
詰まる所、近づけない、という事だった。
(……このまま、逃げ出すなんて……)
本当なら、そんな事はしたくない。
街の人たちの話を聞いて、現状を変えようとした結果がこのザマだ。その上で、恐怖に屈して逃げるなど恥の上塗りでしかない。
だが。
(……ごめんなさい)
心の奥底まで刻まれた恐怖心は、母国への帰還を頑なに拒み、無理に進もうものなら拒絶反応で動けなくなるほどだ。
だが、この場でじっとしているわけにもいかない。
アストレアは、キュッと唇を噛むと、母国に背を向けて走り出した。
(私じゃ無理なんだ。でも、このまま野放しになんてできない!)
だからせめて、それができる人の所へ。
きっとどこかにいるはずだと、淡い希望を抱いてアストレアは走り続けた。
追っ手が、迫ってきている事にも気がつかず。




