第6話『ヴァーミリオンの圧政』
『絶対に許さねえ。お前ら一家、全員呪ってやる。末代まで呪ってやるからな__』
「っ……!」
グチャッ。
少女の耳に、人の命が絶たれる、堪え難い音が届いてくる。少女は思わず体を縮め、両手で耳を抑える。
落ち着こうとしても、両目は見開かれたまま、心臓の鼓動もやけに早く鳴り響いてうるさいくらいだった。
少女がいるのは、父が国より賜った城であり、父が手を加えたことで城塞と化した建造物の二階だった。
普段はあまりくることのない廊下を歩いていると、庭に多くの人影が見えて、窓から覗いてみると、そこには恐るべき光景が広がっていた。
縛られて身動きができない国民の首を、次々に落としていく兵士たち。少女には、何が起きているのか理解できなかった。
国民達は、怨恨の言葉を残して、今もまだ、首を絶たれ続けている。
先ほど、首を絶たれた男が言った言葉が、耳に残っていた。
『お前ら一家、全員呪ってやる』
少女が知らない以上、これを実行しているのは十中八九父だが、その言葉が本当なら、その憎悪は、自分にも向けられているのだ。そう思うと、体の震えが止まらなかった。
『ちくしょう、ふざけるな! お前らは間違っている!』
ブシャッ。
また1人、罪のない国民が消された。
そうして暫く、怨恨の叫びと断末魔が庭に響き続けて、少女はそれが終わるまで、蹲って震えていた。
あまりに凄惨な殺戮。それを簡単に許せるほど、少女は外道ではなかった。
全てが終わった後、キッと顔を上げて表情を引き締めると、勢いよく立ち上がって廊下を駆け出す。目指すは、父の執務室だ。
そして、父の執務室が近づいてくると、何人かの兵士たちが少女を見てギョッとする。
「お、お嬢、お待ちください! 今この先は大変危険で……」
「どきなさい!」
「で、できません! 今は、今は通すわけには行かないのです!」
「こんの……」
ギリ、と奥歯を鳴らす少女。その怒気と、膨れ上がる魔力を前に、兵士は恐怖を覚え後退る。
少女相手に情けない、とは、他の兵士たちは思わなかった。むしろこれは、当然なのだ。
この国最強の魔導師を父にもち、今はまだ未熟であれど、秘めたる潜在能力は父を凌駕するほどと言われている。
現状でも国内最強クラスの魔導師なのだから、例え最強の魔導師直属の兵士たちであれど、叶う道理はないのだ。
「いいから、どけぇ!」
彼女の怒りが形になったように、地面が突如発火する。焦るように炎から逃げ惑う兵士たち。その炎の中を少女は歩き、父の執務室の扉を開け放つ。
「__お父様!」
瞬間、目の前で血飛沫が舞い散った。
「え……」
執務室の中央に立つ少女の父。手にしているのは、簡易な両手剣だ。そして刀身は、赤い血で染まっていた。
父の目の前には、つい今さっきまで生きていたであろう男の亡骸。首が落とされ、動向の開ききったその両目は、偶然にも部屋の中に入って来た少女の姿を映していた。
落とされた首と胴体からは、滂沱の勢いで血が流れている。
「ひっ……」
思わず少女は悲鳴をあげて、そのまま尻餅をついてしまった。少女に気がついた父が、剣を手にしたまま、ゆったりとした足取りで少女の目の前まで歩いてくる。
「あっ……」
「何故いる? 確か部屋の前は、兵士たちを固めて入らないようにしていたはずだが」
そうして、開け放たれた扉の向こう側を見て、状況を理解する。
「そうか、止められなかったか。……いや、逃げたな。よし、お前たちは後で処刑だ」
「そ、そんな……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
残酷な結論を突きつけられ、絶望感を露わにする兵士たち。それを遮るように、少女は声を上げて立ち上がる。
怪訝そうな表情を作り少女を見下ろす自身の父に、激しく憤りを覚えた。
「なんで……、なんで、そんな事で、死ななければならないの⁉︎ どうしてそんなに、人の命を軽々と捨てられるの⁉︎」
「いいか、フレミア」
フレミアと呼ばれた少女は、父が手を肩に置くとビクッと体を震わせる。
そして父は、聞き分けのない子供によく言い聞かせるように、ゆっくりと言った。
「弱肉強食の世界において、弱きは罪であり、弱者は悪だ。絶対的な正義は、強い事。強者の行いは、全て正しい。今までも繰り返し、そう教えたはずだが?」
「う、あ……」
父は憤りを感じているわけではなさそうだった。子供の戯言と対して気にもしていないだろう。だが、フレミアは父の瞳を見て、狂気に囚われそうになる。
洗脳されてしまうような恐怖に襲われた。
確かに、そう教えられてきた。使用人に、兵士に、父に。この国には、弱いくせに我儘ばかりをいう愚民の巣窟だと。
だが、先ほどの光景を見て、執務室で父が部下にかけた言葉を聞いて。そして、成長してある程度自身の考えが持てるようになって、今までそれを当たり前のように信じていた自分を殺したくなるほどに憤る。
(そんな正しさ、あるもんか!)
声を大にして言いたかった。だが、父に逆らえばどうなるか、フレミアは理解していた。加えて父に抗うほどの力もなく、そもそも、可能性の話ではあるが、本当に父が罰した人間たちが愚民であった、という事もゼロではない。後者に関しては、自分を納得させるための言い訳であったが。
何も出来なくて、悔しくて、フレミアは父の手を振りほどいてその場を駆け出した。
翌日。執務室に、兵士の1人が焦燥を顔に貼り付けて転がり込んでくる。
「た、大変です、ヴァーミリオン閣下!」
「騒々しいぞ、何事だ」
「ふ、フレミア嬢が……、城内に見当たらないのです!」
「そうか」
「そうかって……、そ、それだけなんですか?」
昨日の事があっただけに、兵士の方はかなり過敏になっていたのは否めない。だが、それにしてもこの男、ヴァーミリオン家の長は、あまりに淡白な反応を示した。兵士はその事に驚きを隠せないでいた。
「よ、よろしいのですか……?」
「何をそう驚く? たかがガキ1人が何をしたところで、どうということはない」
「で、ですか、もしかしたら街中に出ているかもしれません。そこで、国民の話でも聞き出そうものなら……」
兵士は、取り繕ってからのやり方に従いはしているものの、間違っているということはずっと思っていたのだ。だが、その事実は今までずっと、フレミアに話すことなく、こうしていまに至る。焦る気持ちも仕方がないというものだ。
だがそれでも、ヴァーミリオンは特に反応を示さない。
「お前まで、俺の言葉を忘れたわけではあるまいな?」
「い、いえそんな、当然覚えていますとも」
「ならばいい」
さっさと立ち去れ、という無言の意志を感じて、兵士は部屋を出て行く。
そして思い出していた。ヴァーミリオン閣下が、いつもいつも言っているささ言葉を。
『弱者派悪で、強者こそ正義の執行者。俺に勝利するものなどおらんし、なれば俺の正義こそがやはり、何よりも正しく正義なのだ』
「何人たりとも、何があろうと、俺を止めることなど、できるものか」
その頃、街中。
廃れた路地裏の、安いボロ宿に、深くローブを被った1人の客が来ていた。
「……なんだいあんたは? 旅のものか? 悪いが、うちは今、人を泊めるほど余裕はないんだがな」
「……すいません。押しかけなのはわかりますが、今晩だけお願いできませんか?」
「……なっ⁉︎」
宿屋の主人は、フードをとって露わになったその顔を見て、驚愕に表情を硬ばらせる。
誰が見間違うものか。彼女は、圧制者ヴァーミリオン将軍の一人娘、フレミア嬢だったのだ。
流石に断れるような相手ではなかったため、宿屋の主人は渋々と受け入れた。ただし、その表情には、呆れた様子も見て取れた。
「しかしまぁ、よくもこんなところに顔を出せましたね」
「……どういう意味?」
フレミアが、少し声を低くして問いかけてくる。怒らせるのはまずいとわかっていながらも、宿屋の主人は口を開いた。
おそらく、街中で彼女を見かければ、国民のほとんどが思うであろうことを。
「圧政を敷いて、恐怖支配を躊躇なく行い、人の命を軽んじるようなあなた方が、どれほど我らにとって憎き存在か、あなたにわかりますか」
「……」
フレミアが顔を伏せる。
その宿にいたもの達は、耳を立てて、静かに様子を伺っていた。
理不尽なことだが、不敬罪によってここで殺される可能性も充分にある。
圧政を敷いた張本人、グリシャ・ヴァーミリオンの一人娘だ。思想が似ているというのは当然考えられるし、例え彼女が手を下さなくても、彼女が父に報告すれば、国民達のいったいどれだけの人が、反逆者として殺されるのだろうか。
だが、それでも言わずにはいられなかった。耐えられるはずもないことなのだから。
そして、国民達はフレミアの考えなど知る由も無いが、フレミアはグリシャと考え方は違う。彼女は、今の宿屋の主人の言葉を聞いて、胸を痛めていたのだ。
彼らも当然、フレミアの立場がかなり強いことを知っている。だから、今の言葉が裁きの対象になり得ることもわかっているはずなのだ。そして、それでも悪態をつかねば耐えられなかったのだろうと思うと、彼らの苦しみはフレミアの予想を遥かに超えていたのだろう。
いえば不敬罪で殺されるかもしれないとわかっていながら、言わずにはいられない。その現場に、フレミアは怒りを覚えた。
そして同時に、彼らに申し訳なさを覚えていた。
「……ごめんなさい。信じてもらえないかもしれないけど、私はあなた達に苦しみを与えたくないの」
「では、失礼ながら聞かせてもらえますか? 我々国民が、不満を訴えるたびに殺される現状を見て、あなたはどう考えていたのですか?」
「それも……本当に、ごめんなさい。その現場を今日初めて見て、その現状を、初めて理解したばかりなの。父や、使用人の話を盲信して、あなた達を勝手に身勝手な国民だと思っていた。勝手な話だとわかっているけど、許してほしい……」
いいながら、自分の無能さに、更に怒りを覚えるフレミア。だが、現状を知った今、そしてそれを、許せないと彼女は思っている。いつまでも、無能でいるつもりはなかった。
「あなた達とお父様のやり取りを、私は何も知らない。だから、あなた達の不満もわからない」
「それは」
「私が、自分の周囲の言葉を盲信していた、無能さゆえ。でも、いつまでも弱いままでいたくはないの。だから教えて。あなた達の不満を。意見を。その、気持ちを」
全部、聞くから。
フレミアの言葉に、宿に集まっていたもの達は半信半疑だったが、彼らは互いに頷きあって、素直に話し始めた。
その内容を、フレミアは真剣に聞いていた。




