第5話『年末当日』
女湯で女性陣がはしゃいでいる一方で、男湯の方はと言うと。
『……』
将真と猛が、対になるポーズで頭を抑えている。
響弥は、そわそわしながら壁の向こうを仕切りに気にしている。
そして遥樹も、少し困ったように苦笑していた。
全員、顔が少し赤いのは気のせいではない。
向こう側から、将真たちにも聞こえる声で、静音の声が聞こえてくる。
「胸の大きさなら、多分杏果が1番だよ?」
「め、メロンだ……!」
「んぁっ……」
「あいつら……」
「聞こえてんだが……」
「……なぁ、聞こえるような会話してるってことはよ、覗いてもいいんじゃね?」
「響弥、死にたくないならやめておくことをお勧めするよ」
遥樹の言う通りだが、響弥の気持ちにも少し共感で来てしまうのも事実だった。
壁を一つ隔てているとはいえ、年頃の男子と女子が裸の付き合い。しかも、女子の方から、それも大声であんな会話が聞こえてくるものだから、将真たちが気になるのも仕方のないことだ。
魔導師であるせいで、その気になればあっさりと覗きができてしまうことも、葛藤の一つであった。
要するに、すぐそばに男子がいることも考えて会話してもらいたいものである。
悔しそうな表情をしながら、「メロン、メロン……」とぼやいて両手をわきわきさせている響弥に同情の視線を送り、将真は意外に思ったことを猛に問う。
「そういえば、真尋ってあんなに人懐っこいやつだったのか?」
「あいつは極端なんだよ。極度の人見知りのくせに、顔見知りの、それも仲のいいやつ相手にはカケラも遠慮しないからな」
それも、どうやら長らく眠りにつく以前、まだ都市外の集落にいたときからそうらしい。
そんな他愛のない会話をできる限り必死で続けようとする将真たち。理由は単純、悪ふざけが過ぎた行為に対する紅麗の怒鳴り声が聞こえた後も、完全には沈黙せず、思春期の男子たちにとって、かなり辛い状況が続いていたからだった。
そして、遥樹がいよいよ口を開いてあげた提案に、何故もっとその答えに行き着かなかったのか、将真と猛は目を見開くのだった。
「……そろそろ上がろうか」
『あっ』
温泉から上がって再び全員で集まる。ちなみに唯は、温泉に入らなかったらしい。曰く、
「もう『表世界』来る前に一回入ったし、お風呂自体そんなに好きじゃないから、私はここの施設ぶらぶら回ってみんなを待つよ」
との事だった。
合流してすぐ、真尋、静音、莉緒の頭や頬に、たんこぶやビンタの痕が見て取れた。
どうやら、悪ふざけの粛清はちゃんと受けたらしい。紅麗曰く、彼女たちに手をあげたのは、被害を受けたリン、杏果、そして紅麗だった。ちなみに同じく被害を受けたらしい美緒は、特に気にしていないようだった。
「お兄ちゃぁん、紅麗ちゃんに拳骨もらっちゃったぁ〜」
「ちょ、真尋あんたねぇ!」
猛に泣きつく真尋を見て、紅麗が少し慌てた。
猛自身は、明らかな素振りを見せてはいないものの、妹に対する溺愛ぶりは、真尋が目覚めてからの彼の行動でみんなよくわかっていた。
加えて、真尋が目覚める少し前に起こした事件がある。その危険性を考えると、真尋に手をあげたとあっては、猛が怒り狂う可能性を想像してしまった。
紅麗が慌てた理由がそれだった。
だが、猛には失礼な話だが、彼は意外と常識人だった。
「いや、お前が悪いわ」
「いたっ」
隙だらけの真尋の額に、ビシッとデコピンを食らわせる。少し涙目になって額を抑える真尋が、不満そうに不貞腐れる。
「何するのぉ?」
「あのな、隣で俺らも入ってたんだけど?」
「うん?」
「会話聞こえるんだよ! 少しは自重しろ!」
『あっ……』
猛の怒りを理解していないのか首を傾げた真尋。だが、残る女性陣はハッとして、今更その事実に気がつき声を上げる。
特に、セクハラ被害を受けた3人は顔を真っ赤にしていた。
「あ、あの、将真くん……?」
「な、なんだよ?」
真っ赤な顔のまま、険しい表情を作って将真の顔を見上げ、問い詰めるリン。何が聞きたいか、おおよその内容は想像がついているものの、少し気圧されながら応対する。
「き、聞こえてたの? その……会話の内容、全部……」
「……あれは、完全に不可抗力だろ?」
「ああああああああっ!」
目を逸らしながらの将真の返答を聞いたリンは、羞恥のあまりに絶叫した。更には顔が、茹で蛸のように赤くなり煙を上げたかと思うと、両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「り、リン落ち着け、見てはないんだから……」
「お願い忘れて! 何も想像しないで!」
「むしろそういう類の発言は誘発しかねないと思うんですがねぇ⁉︎」
「もうダメ、お嫁に行けない……!」
「『裏世界』にもそういう概念あんのかよ⁉︎」
叫びながら、将真は顔を赤くして、すぐにブンブンと頭を振るう。
結局、自身で言った通り、リンの言葉に誘発されて、むしろ想像してしまったのだ。リンの裸を。
いや、まだ出会って間もない、小隊結成したばかりの頃に事故が起きて一度リンの全裸を目の当たりにしている将真ではあるが、一瞬のことだったのと、強烈な制裁があった為にそこまで覚えていないのだ。
思春期男子の妄想力とは中々に凄い物のようで、見えてなくても、むしろ見えている時よりもかなり扇情的な姿になっていた。
そして、同じことを考えていたらしい響弥が、グッと拳を握って叫ぶ。
「そうだよ、聞こえちまったよ! お陰で俺の股間が大変なことになっちまったじゃねーか!」
「セクハラァ!」
「せめて隠語を使えダァホ!」
「イッテェー!」
とんでもないことを口走る響弥に、同時に鉄拳制裁を加える将真と猛。そして2人の様子を見ていたその場の何人かは思っていた。
(あれ? 気のせいだと思ってたんだけど……やっぱり、将真と猛、仲良くなってる?)
以前よりも打ち解けているようだし、息もあっている。
いやそもそも、以前は顔を合わせるだけで衝突していたくらいなのだ。だからこうして普通に友人として共にいる2人を見るのは非常に珍しいかったのだ。
だがそれはそれとして、
「こんの、変態!」
「俺悪くねー……ゴフォ!」
胸の前で腕を交差させて顔を真っ赤にした杏果が、響弥の腹を蹴り上げる。いや、蹴り上げた時点で、股間に当てなかっただけ彼女に感謝すべきなのかもしれないが、実は杏果が今履いているのはスカートだった。
そしてボディに蹴りをもらった響弥が苦痛でしゃがみ込んだ瞬間、「あっ、ピンク……」などと言わなければ、きっとボディキックだけで済んだのだろう。
暫く響弥は、杏果にゲシゲシと蹴られ続けていた。
「イテェ、イテェ! あとパンツ見えてる!」
「うるっさい! いちいち、口にしなくて、いいわよバカァ!」
夜を待って、女性陣は着物に着替えると、一同はようやく本来の目的、初詣をする神社へとやってきた。
「なんか、ここまで来る前に無駄なことが色々あった気がする」
「ウンソウダネ」
「なんで棒読み? ていうか痛い! つねるなよ!」
「今、想像したよね?」
「は? 想像って何を……あっ」
想像と言われて、昼の珍事の時に脳裏をよぎった全裸のリンが、再び浮かび上がってきた。
が、珍しく鋭い眼光のリンを見て、その妄想はスゥーっと消えて言った。
「な、なんかリンさ、今日機嫌悪いのか?」
「えっ……。べ、別にそういうつもりじゃなかったんだけど……」
険のある表情が、ふと和らいで慌てた様子を見せる。
確かに温泉でセクハラ被害を受けたのは不愉快かもしれないが、それにしてもらしくもなく、随分とご不満の様子だ。
「そんなつもりじゃないならいいけど。そもそも思い返してみても最近、あんまり機嫌良くなさそうだったからさ」
「そ、そうかな……」
リンは苦笑を浮かべながらも、惚けたふりをしてわかっていた。自分がなぜこんなにも苛立っているのかは。
そしてそれは、誰のせいでもなく自身のせいだった。
「だ、大丈夫だよ? 自分でなんとかできることだから」
「……あんまりストレス溜め込むのはやめとけよ? そういうのは、後々大変なことになりかねないしな」
「うん。ありがと、気をつけるね。それに、今は楽しいから」
その言葉は嘘ではないだろう。さっきまで明らかに不機嫌だったのは温泉の件があったからで、リンは『表世界』にくるのも、そして幼い頃以来の『表世界』でのイベントを楽しみにしていたのだから。
「年明けるまで、もうそんなに時間はないし、早い所上に登るか」
将真の提案にリンが頷いて、その様子を見ていた残る一同も頷き同意した。
神社の最奥は、すでに人混みで溢れかえってしまいそうだった。
そして、神社の様子を一望した響弥が、両手を腰に当てて、胸を張ってドヤ顔。
そして。
「見ろ、人がゴミのようだ!」
「おいそのネタやめろ」
いや、なんで『裏世界』で生まれて生きてきた彼がそのネタを知っているのか。一応人気作とはいえ、不思議でしょうがなかった。
そして、少し考えて気がつく。
(そういや響弥、同人誌購入してたな。てことは少なからず『表世界』に来てるってわけか)
それならば、あの名言を知っていたとしてもおかしくはない。
「それにしても、本当にすごい人の数だね」
「まあ、一大イベントの一つだからなぁ」
これだけ人が密集しているのだ。冬だというのに随分と暖かい。いやそもそも、この程度の寒さなら、魔導師には関係ないのだが。
そうこうしているうちに、時計を確認してみると、年が明けるまで残り10分程度。
「もうじき年明けるなぁ。今年はいろんなことありすぎて、改めて振り返ると俺自身びっくりだよ」
「まあ、そうだよね。でも、ボクたちは年が明けると言われてもあんまりピンとこないんだけど」
「これ見てようやくわかったんすけど、『表世界』では結構年明けってこっちの人たちの中では重要なターニングポイントみたいなものなんすねぇ」
「そんなところかな」
ただ、こうしてわざわざ神社まで来て年越しを迎え、初詣していく人はいったいどれくらいいるだろうか。おそらく多くの人たちは、今テレビの前で、こたつの中でぬくぬくしながら、年末特番を見ているに違いない。という、将真の想像。
「そういや除夜の鐘っていうのがあってな、煩悩の数にちなんで108回鳴るんだと」
「そ、そんなに鳴るの?」
「そう。丁度、年が明けてからな」
「……ある意味近所迷惑になりそう」
「年越し待たずに寝るやつなんて今時ほとんどちっさい子供だけ……っていうのは俺の想像なんだけど」
きっとそうに違いない、と将真は思っている。
人混みの少し端の方まで、流されながら移動すると、うまく空いたスペースに入ることができて、少しだが窮屈さから逃れることができた。
すると、あちこちからざわざわと声が上がり始める。
将真はもう何度目かの時間の確認をすると、年越しカウントダウン目前だった。
「そろそろ年越しまでのカウントダウンが始まりそうだけど、みんな俺が教えた新年の挨拶、覚えてる?」
『もちろん』
みんなの頷きを見て、将真は少しホッとした。どうやら『裏世界』には、年越しという概念が本当にないらしく、新年の挨拶すら何人かは初めて聞くという有様だった。
カウントダウンが始まる。
『10! ……9! ……8! ……7!』
周囲からも、カウントダウンの声が上がり、それは徐々に大きくなっていく。
そして。
「さーん!」
「にぃ!」
「いーち……」
ゴォォォォン……。
除夜の鐘が響く。周囲で歓声が上がる中、将真たちも周囲のハイテンションに影響されながら盛り上がる。
「よし、じゃあ、せーの」
「あ「あ「あ『あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!』
「タイミングバラバラじゃねーか!」
なんとも締まらない新年の挨拶に、将真は思わず澄んだ夜空に向かって叫んだ。




