第59話『二章幕間②』
闇の中で、幼い少年が立ったまま泣いている。
伏せた顔で見下ろす先には、心臓を穿たれ、血塗れの少女。
少女は一命を取り留めたものの、未だに意識は回復せず、年明けを持って死亡したものとされる。
成長した少年の涙は、すでに枯れていた。
泣くこともできず、ずっと苦痛を胸に抱えたまま、爆発させた闇が少年を覆い潰そうとしていた。
(何でだよ……。何でこうなるんだ。結局オレは、何も守れねぇのかよ……!)
何も見たくない。聞きたくない。少年は目を背け、全てを諦めて、背中を丸めて膝を抱えた。
そんな時、闇に一筋の光が差し込む。
少年を飲み込もうとした闇が徐々に晴れ、光が広がっていく。
全てを諦めようとした幼い少年の隣は、眩しそうに目を細める中で、誰かが自分の隣を通り過ぎるのを見た。
成長した自分が、前を歩いて行く。
(……まだ、何もしてねぇ。やった事の償いも。守りたいものを守る誓いも果たしちゃいねぇ!)
殻に閉じこもるのはお終いだ。やるべき事は腐るほどある。
差し伸ばされた手に、自分の弱さを乗り越えた少年は、自身の手を伸ばしながら__
「これ以上、踏み止まってる場合じゃねぇよな。__真尋」
猛は、ゆっくりと目を開けた。
何度か瞬きを繰り返し、周囲を確認する。
目についたのは、おそらく病室と思われるこの部屋の壁にかけられた時計。
12月24日午後3時過ぎ。
猛は思わず飛び起きた。
「……オレ、一体何日寝てたんだ?」
「……1週間くらいだよ」
「っ⁉︎」
独り言に返答が来たことに驚く。
視線を向けた先には、佳奈恵が座っていた。安堵の表情が浮かぶその目には、涙を溜めていた。
「う……、うぇ……」
「……おい?」
「__うわぁぁぁぁぁん!」
そして突然、猛に飛びついてわんわんと泣きだす佳奈恵。
「佳奈恵⁉︎ 何なんだよ、ちょっと落ち着けよ⁉︎」
「だってぇ、心配してたんだもん、仕方ないでしょぉ⁉︎ 最悪、目を覚まさないかもしれないなんて言われたし、本当に全然目を覚まさないし……」
「えっ、オレそんなにヤバかったのか……」
流石の猛も、少し恐ろしくなった。まさかそこまで深刻な問題だとは考えていなかったのだ。
なかなか泣き止まず離れてくれない佳奈恵を暫く放っておくと、病室のドアが開いて、そこから美緒や、彼女が引き連れて来た莉緒小隊、杏果小隊、更には遥樹小隊まで揃って入って来た。大所帯である。病院側からしたら迷惑じゃないのだろうか、というレベルだ。
「あっ……。猛、目が覚めたんだね」
普段無表情の美緒も、この時ばかりは非常にわかりやすく、安堵の表情を見せていた。まあ以外のメンバーも、安心した様子だ。
これだけ大勢が安堵しているところを見ると、どれだけ自分が危険な状態だったのか、少し認識できた気がした。
今回の件では、最初から最後まで、仲間たちに迷惑をかけすぎていた。今、猛の中には、その罪悪感が強く残っている。
特に将真だ。完全に逆恨みだったのに、それに付き合って、最後まで戦ってくれた上で、暴走を止めてくれた。猛の性格上素直に認めるのは難しいものの、将真には特に、申し訳なさと感謝を強く感じていた。
だが、今回ばかりはケジメをつけなければ、と猛は決心して将真に呼びかける。
「なぁ、将真」
「ん? 俺?」
「あぁ。まあ、何つーか……迷惑かけて、悪かった。それに助かった。……感謝してる」
「……お前、実は頭打っておかしくなったか?」
「テメェ、こっちは至極真面目に礼を言ってんのに、どういう意味だそりゃあ⁉︎」
「わ、悪かったよ。意外すぎてつい……」
それを言われると、本人を含めて誰も否定できなかった。何せ、誰もが認めるツンデレにして天邪鬼。それが御白猛という男なのだから。
「誰がツンデレだ、おいコラ!」
「何も言ってないんだが⁉︎」
「顔に出てんだよ、見え透いてんだよ!」
どうやら、目覚めたばかりでも猛は平常運転のようだった。随分と元気だということは、何をチェックしなくとも、その様子を見ていればわかることだ。
だが、それでも確かめないといけないことが一つあった。『魔王因子』についてだ。
「どうだ? 『魔王因子』感じるか?」
「……いや、感じないな。苦痛もない。でも何か……似たような魔力を感じるんだが」
「そりゃ、全部は取り除けなかったからな」
「何でそんな知った顔なんだよ」
「だって『魔王因子』取り除いたの俺だし」
「はぁ⁉︎」
猛は思わず大声で驚いてしまった。当然、慌てたようにその場に居合わせた皆が人差し指を口の前に持って来て、「しぃーっ!」とやる。当たり前だ。病院なのだから。
とは言え、それを知った時の皆の驚きようも似たようなものだった。
だが、そもそもこれは、『魔王』を宿している将真だからこそできた荒技だった。
猛の容態が落ち着くと、『魔王』の力を顕現させて、『魔王因子』を探す。見つけたら、『魔王』の力が最も染みついている右手で猛の腹を突き破る。なぜ腹を突き破ったのかと言えば、そこに『魔王因子』があったからだ。
そして『魔王因子』を吸収した後は腕を引き抜き、傷口は治癒が得意な魔導師に任せておしまい。こうして『魔王因子』の除去をしたわけだ。
まさに荒技である。
だが、かなり強く『魔王因子』の侵食が進んでいたせいか、全ての除去はできなかった。
その結果どうなったか。
特別常軌を逸した強さがあるわけではないものの、ともすれば先天性のものよりも珍しい、後天性の魔人が誕生したわけだ。
「まあ要は、魔属性魔力が使えるようになったんだぜってだけだよ」
「魔導師としての伸び代は確実に上がっていると、学園長も言っていたよ」
「え、そうなの?」
「まあ、これは僕が個人的に聞いて見ただけだからね。みんなが知らなくても無理はないよ」
どうやら遥樹は、猛の魔人化について少し調べていたようだった。
そして遥樹小隊は、莉緒たちに何かしら耳打ちすると、病室を立ち去っていった。そして杏果小隊も、美緒に何かを告げると、その場を後にする。
残されたのは、美緒小隊と莉緒小隊の6人だけだ。
一体、彼らがどこへ行ったのかはわからない。ただ立ち去るならそう言えばいいものを、敢えて耳打ちで伝えて立ち去ったものだから、気にはなる。
だが、それよりも猛は、目が覚めてから1番気になっていたことがあった。
「なぁ」
「うん」
「俺は……この後、どうなるんだ?」
そう、猛自身の処遇だ。
自分がした事を考えれば、罰を受けるのは当然だろう。別に罪を軽くして欲しいというわけではなく、むしろ猛としては、しっかりと裁いて欲しいとすら思っていた。
どうやって償えばいいのか、その具体的な方法が思いつかない以上、それが1番手っ取り早いからだ。
「どうなるっていうのは……」
「あんだけの事しでかして、タダで済むわけねぇだろ。何も聞いてねぇのか? 俺がどんな罰を受けることになる、とか」
とは言え、やはり不安なものは不安だった。
どんな罰でも受け入れるつもりだが、心の準備くらいは欲しかったのだ。
だが、予想外の答えを返してきたのは将真だった。
「あー、その事だけどな」
「おう……」
「__お咎めなしっ!」
「………………ハァ⁉︎」
将真が手を交差させて『×』の形を作ると、それに乗っかって、その場の全員が同じように手を交差させていた。
将真の言った事を理解するのに随分と時間をかけてしまい、そして理解したと同時に、猛は思わず声を上げる。
お咎めなし。つまり、罰はない。
あれだけ仲間を傷つけて、しかも、一時的とはいえ、魔族側についた。『日本都市』側からしても、重大な裏切り行為とも取れる今回の猛の行動を、無罪放免。
「……ふ、ざっけんじゃ、ねぇよ!」
「ひぃっ!」
将真に怒鳴りつける猛。
だが、そもそも猛の1番近くにいたのは、彼の目の前にいる佳奈恵だ。もちろんその怒声を正面から浴びることになり、怯えた声を出して縮こまってしまった。
とは言え、他のみんなも耳を両手で抑えるような動きをしていたが。
「馬鹿野郎、ここは病院だっての……!」
小声で猛を諌めようとする将真。だが、猛の怒りは止まらない。
「意味わかって言ってんのか⁉︎ 俺がした事を考えれば、裁かれるのが当たり前だろうが! なのに何で、無罪扱いなんだ⁉︎ 納得いかねぇよ!」
「仕方ないだろ。上はお前の行動を裏切りとは判断しなかったみたいだし、むしろ仕方のない事だったと結論づけたらしい。そんで、俺たちもそこまで気にしちゃいないしな。元に戻った以上、何も言うことはないさ」
それに、と将真は続ける。
「お前、クリスマスが誕生日なんだってな。明日じゃないか。おめでとう」
「マジでふざけんじゃねぇよ、誕生日だから何だったんだよ⁉︎」
将真としては、本心で祝ったつもりだったのだが、むしろ猛の怒りに火をつける形となってしまった。
「オレのやった事が、そう簡単に許されるかよ! ケジメはつけなきゃならねぇ。無罪放免なんざ、あり得るか!」
「そうは言うけどな、柚姉だってお咎めなしって言ってるんだぞ? まあ、めでたい日だからってのもあるだろうけど」
「おめでたいのはお前らの頭の中だ!」
「まあまあ、そうカリカリしないでくださいよ。クリスマスプレゼント兼誕生日プレゼントを持って来てあげたっすから」
「頼んでねぇぇぇぇぇっ!」
突っ込んで絶叫しっぱなしの猛は、流石に少し辛そうだった。主に喉が。
だが、もちろん将真たちも高校生。
クリスマスという行事に賑わい、騒ぎたくなるような気分はわかるが、それだけで祝いの日などと言うつもりはない。例え、プラスで誕生日というイベントがあってもだ。
みんなが言う『祝い』は、祝いには違いないが、猛が想像しているものとは少し違う意味があった。
「俺らだってもうガキじゃないんだ。その程度のことではしゃぐかよ。まあめでたい日には違いないけど、俺たちが言ってるのとお前が思っているのとでは、何に対してめでたいって言ってるのか、多分意味合いが違うぜ?」
「じゃあなんだってんだよ!」
「いいから、黙って受け取っとけよ。騙されたと思ってな」
それにしても、戻ってくるのが遅い。
プレゼントをここまで運ぶのに、そう時間はかからないはずなのだが。
将真がそう思っていると、病室のドアがノックされて開かれる。現れたのは、先ほど立ち去った杏果たちだった。
猛からすれば、何しに来たのかわからないだろうが、将真たちからすれば、予想していたことだった。
むしろもっと早くこいよ、と思っていたくらいである。
とは言え、病室を出て10分も経っていないのだから、これくらいは仕方がないことである。
「プレゼント持って来たわよ」
「うん、ありがと」
杏果がそう告げると、美緒が珍しく表情を綻ばせていた。杏果たちが戻って来た時点で何故かテンションがハイになっている佳奈恵については完全スルーの猛だが、それにしても周りの様子が少しおかしい、ということには気がついていた。
何を企んでいるのかと猛が警戒していると、杏果が扉の奥へと呼びかける。
おそらく、響弥か静音でも呼んだのだろうが、一体何を持ってくるかなのか。
仏頂面を作りながら、部屋の向こう側を不機嫌そうに睨む猛。
だが、杏果が呼んだのは、響弥でも静音でもなかった。
その光景を目にした瞬間、猛の表情が劇的に変化する。
わかりやすくいうなら、呆然としていた。
目を見開いて、口が半開きの状態になっていた。魂が抜けたようにしばらく硬直していた猛は、声を震わせながら__笑っていた。
「は、はは……、おい、何の冗談だよ、コレは……? 悪戯にしたって、タチ悪すぎるだろ……」
「悪戯じゃないんだよ」
「冗談でもないわ」
目の前の光景を信じられない猛の言葉を否定する、佳奈恵と美緒。
「じゃあ、何だってんだよ……。これが、本物だって、いうつもりかよ……?」
「おう、そのつもりだぜ?」
そして、病室に入って来た響弥が、親指をグッと立てて、キメ顔で言う。
そして将真も、響弥の言葉に続けて、肯定する。
「ああ。これは嘘なんかじゃない。俺らを信じろよ」
「……そう簡単に、信じられると思うか?」
「なら、信じさせてやるよ。ほら……」
そうして将真たちは、病室の向こうにある光景__そこに立つ、1人の少女の背を軽く押して、猛の前に突き出した。強く押したつもりはなかったが、少女は少しバランスを崩して、ヨタヨタと猛の前まで歩いて来た。
まるで雪のような色をした少女だった。
白髪に、驚くほど白い肌。病衣を見にまとっている為か、よりそのイメージを顕著にさせていた。
少女は、少しの間モジモジと手を絡ませていたが、意を決したように両手を胸に当たると、少し深呼吸をして__花のような笑みを浮かべた。
「__おはよう。お兄ちゃん」
「__っ」
声を詰まらせた猛は、絶対安静と言われていた体を起こして、フラフラな足取りで少女の目の前に立った。
猛の表情は、今までにない程崩れかけていた。
「……本当に、真尋なんだよな? ……生きて、るんだよな……?」
「うん。お兄ちゃんと、色んな人のおかげで、私は生きています。__今まで、たくさん心配かけちゃって、ごめんなさい」
「……う、ぁ、あっ……」
猛は、真尋の背中に手を回し、膝から崩れ落ちながらも、しっかりと生きている妹を抱きしめていた。
心が、スッと軽くなった気がした。
心をガチガチに固めていた強固な意地が剥がれてなくなり、ぶら下げていた重りを外したかような、そんな感覚すら覚えた。
猛の口からは、嗚咽が漏れ出ていた。
「バカヤロ……、いつまで寝てやがったっ……。どんだけ、心配したと思ってんだ……」
「……うん。本当に、ごめんなさい」
「……あぁ、でも、よかった……。生きててくれて、本当によかった……っ! また会えて、本当によかった……!」
「__私も。私も、ずっと、会いたかった。会いたかったよ。お兄ちゃぁん〜……!」
気丈に振る舞っていた真尋だったが、ついに耐えきれなくなったらしく、猛に強くしがみついて、わんわんと泣き始めた。猛も、幼馴染の佳奈恵ですら見たことがないくらいに、子供のように泣いていた。
ただ、その時の兄妹の表情は、泣き顔でぐしゃぐしゃになりながらも、とても幸せそうだった。
ぐしゃぐしゃに泣きながら、とても幸せそうに、笑っていたのだ。
兄妹の感動の再会に、貰い泣きで号泣する佳奈恵とリン。珍しく涙を見せて崩れ落ちそうになる美緒を支える莉緒も、涙目になっていた。そしてこちらでも号泣している響弥に対して、ドヤしながらも涙を浮かべている杏果と静音。将真も2人の様子を見て、込み上げてくる涙を堪えられなかった。
魔族にその身を売ってまで、力を手にしようとした猛。だが、そもそも彼が力を欲したのは、いずれ目覚めるであろう妹を守るためだった。
一度はその望みを断たれ、今こうして、猛の念願は叶ったのだ。猛の山中に渦巻く歓喜が、どれほどの物かは将真たちにはわからない。
それでも、ここにいるみんなが、多かれ少なかれ、彼の努力を知っていたから。
だから、心から思ったのだ。
__ああ、本当によかったな、と。
「__悪い。かっこ悪いところ見せた」
「かっこ悪いもんかよ。むしろかっこよかったぜ!」
しばらく泣き続けて、ようやく落ち着いた猛の言葉に、響弥がグッと親指を立てた。目が腫れているせいで、どうにも締まらない感が滲み出ているのだが。
「ほら、そんなことより早く行こうぜ」
「行くってどこにだよ?」
「お前の誕生日とクリスマス。そんでもって」
「真尋ちゃんの快気祝いにパーティー会場は押さえてあるんだよ!」
将真に続いて、リンも嬉しそうにそう告げる。
将真たちが言っていた『祝い』というのは、その意味の大半を真尋の快気祝いが占めていたのだ。
「準備は遥樹招待に任せてあるから」
「今日は楽しく騒ぎましょう!」
静音と莉緒もノリノリだった。
そして、佳奈恵が優しく真尋の手を取り、美緒が少し乱暴に猛の手首を掴んだ。
「ほら」
「2人とも、行こう!」
「__ああ」
「__はいっ!」
小隊仲間に手を引かれ、兄妹は強く頷いた。
「__真尋」
「うん」
「もう絶対、誰にもお前を傷つけさせねぇから。今度こそ、俺が守ってやるから」
「__うん。頼りにしてるよ。お兄ちゃん!」
仲間たちの後ろについて。
兄妹2人は、幸せそうに手を繋いでいた。




