第50話『戦略的撤退』
やっぱりウェブ利用制限かかるようになってから、明らかにアクセス数減ってるなぁ……って、思うわけよ。
心臓付近に焼けるような痛みを感じる。
それだけではない。黒い影が、どんどんと近づいてきて、俺を取り込もうとしてくる。
__何なんだ、この世界は。
知らないはずなのに、知っている世界。
何もない世界に、1人の人間と人影一つ。
そうして思い出す。
命の危機に瀕した時。よく見ていた夢だ。
未だにはっきりとした姿を見せないこの人影を、将真はすでに知っていた。
「……魔王」
『__然り。我こそは魔王。いずれ貴様を乗っ取るものだ』
姿は見えないのに、その人影は嘲笑しているように感じた。
『あのようなまがい物に負けるとは、愚かな』
「まがい物? 何を言って……」
『まがい物にすら勝てん貴様に用はない。さっさと戻って、あの力を奪ってくるといい』
途端、将真を取り込もうとしていた影が動きを止めた。そして、将真を包んだ状態で、一気に上に振り上げる。
「うっ⁉︎」
無意識の中の出来事のはずなのに、思わず意識が飛びそうになる。
以前と比べて魔王との意思疎通ができたが、そんなことはどうでもよかった。
急激に意識が浮上していき__
「うぉわっ!」
「わっ、な、どうしたんだい⁉︎」
ベットから飛び起きる将真に驚き、遥樹が珍しく声を上げる。しばらく荒い呼吸を繰り返した将真は、やがて落ち着きを取り戻して辺りを見渡す。
そこは、病室らしき場所だった。例によって例のごとくなのかと、遥樹に問いかけてみる。
「……医務室?」
「病院だよ」
「なん……だと……」
「ボケる余裕があるならとりあえず無事みたいだね」
「無事?」
遥樹の言葉を反芻する。
直後、意識してしまったせいか、強烈な痛みを感じて思わず蹲った。
「が、ぁぁぁぁ……」
「やっぱり、それなりに深い傷のようだね」
「な、なんの痛みだ、これ?」
「覚えていないのかい? 詳しいところは見てなかったからわからないけど、猛に受けた攻撃だと思うよ。完全に致命傷だったけど、何とか繋いでここまで帰ってきたんだ」
「……そういや」
改めて、辺りを見渡す。そして今度は、窓の外を見た。
何処の病院かは知らないし、だから窓の外からの景色は余り見たことのない感じだったが、それでも街並みは日本都市のものだった。おそらく、見る角度が違うせいだろう。
自分たちは今、日本にいる。
「いつの間に、帰ってたのか……」
「そもそも1日立ちそうなくらいだね」
「……敗走か?」
「いや、戦略的撤退だよ。また作戦を練った上ですぐに出るつもりさ。まあ尤も__」
遥樹は、将真に視線を向ける。
服の下には、包帯が巻かれている。その下はもっと酷いことになっているだろう。
「__君を連れて行くつもりはないけれどね」
「な……、何でだよ⁉︎」
「いや、そんな深手を負ってるのに、連れて行けるわけがない。普通に考えればわかることだと思うよ?」
遥樹は、呆れたようにため息をつく。
悔しそうに膝の上で拳を握り締める将真を一瞥して、座っていた椅子から立ち上がり、病室を出ようとする。
その時、将真が声を張り上げて遥樹を呼んだ。
「おい遥樹! これを見ても行かせないとか言う気かよ⁉︎」
「これを見て? どう見たって君の傷では戦えないと思うけど__⁉︎」
諦める気のない将真に、突き放すような態度をとりつつ振り向く。そして遥樹は、将真の包帯の下の傷を見た。
跡は残っている。どころか、血も滲んでいた。だが、それだけだ。
確実に体を貫かれていて、ここまで運ぶ最中も、仲間たちが必死に止血して繋ぎ止めた命。それがほぼ完全に治りつつあった。
__『魔王』の力の影響か?
先ほどの反応を見ても、痛みはまだあるようだが、たった一日でここまで治っているのであれば、或いは。
その時、遥樹の端末に通信が入る。端末の電源を入れると、画面の向こう側に紅麗の姿が映し出された。
『遥樹、今いい?』
「あぁ、構わないよ」
『美緒と佳奈恵が目を覚ましたわ』
「そっか。こっちも丁度、将真が目を覚ましたところだよ」
『えっ、あの怪我でもう意識が戻ってるの⁉︎』
紅麗が、ギョッとして声を上げる。将真からは彼女の様子は見えないが、驚いているであろうことは想像に難くない。
とは言え、将真の今の状態は、おそらく紅麗の予想のさらに上をいっているが。
「いや、それなんだが、もう傷もほとんど塞がってるみたいだ。それに、本人はまだ行く気満々みたいだから、とりあえずそっちに連れて行くよ。作戦を練らなくちゃいけないしね」
『あんな深手だったのに、傷も治ってるとか。あんたやっぱぶっ飛びすぎよ、色々と。吸血鬼じゃあるまいし……』
「俺だってわからないんだけどな」
まるで珍獣を前にしたような物言いに、将真は少し不愉快そうに顔を顰めた。
とは言っても、呟く程度の声量だったのだが、どうやら画面の向こう側にも将真の反応が聞こえたらしく、少し溜息をつくと、紅麗は了承を示した。
『わかったわ。みんなにも伝える』
「意外だね、将真を止めないのかい?」
『あんたで止められないなら誰がいっても止まらないでしょ。まあ、リンか莉緒が言ってくれれば止まるかもだけど……今は少しでも戦力が欲しい時。それならいっそのこと作戦に組み込んでやるわ』
「……あぁ、そうだね」
一体紅麗は、画面の向こうでどんな顔して笑っていたのか。それを見ていた遥樹の顔には、苦笑が浮かんでいて、それが将真は少し恐ろしく思えてくる。
通信が切れると、再び遥樹は将真に背を向け、病室の扉を開ける。
「さて、じゃあ行こうか。早く猛を助けに行かないとね」
「おう」
力強く頷き、将真はベッドから出る。そして、病室を出る遥樹の後について、集合場所へと向かった。
集合場所、と言うのはどうやら美緒と佳奈恵に振り当てられた病室らしい。
2人の状態については、魔力欠乏による衰弱以外は、特に異常は見当たらなかったと言う。
「で、目が覚めてるってことは、無事なわけだな。美緒と佳奈恵」
「そうだね。……ところで将真。さっき飛び起きたのは一体何だったんだい?」
「あ? 飛び起きた?」
一瞬、惚けたように声を上げるが、そう言えば確かに飛び起きていたことを思い出す。
自分の事なのにすぐには思い出せなかったのだが、意外と遥樹が驚いていた事が逆に印象に残っていたせいで思い出せてしまったのだ。
だが。
「あー……、何だろうな?」
「何も覚えてないのかい?」
「何か、妙な夢見てた気がするんだけどなぁ」
肝心の飛び起きた理由については、思い出せなかった。
何の夢を見ていたのだか。思い出そうにも、頭に浮かぶのは黒い影のみ。
それでも諦めずに頭を悩ませていると、いつの間にか集合場所に着いてしまった。
確かに病室前のプレートには、2人の名前が記されていた。
遥樹が、病室の扉をノックする。
「美緒、佳奈恵。遥樹だけど、入ってもいいかな?」
『うん、いいよ』
美緒の了承を受けて、遥樹は引手に手をかける。そして扉を開ける直前__
『え、美緒ちゃん⁉︎ ちょっと待って__』
かなえの慌てる声が聞こえた。
だが時すでに遅し。戦闘時なら化け物じみた反応速度を有する遥樹であっても、やはり日常的にそんな状態のはずもなく。
開けられた扉の先には__下着姿の少女たちがいた。
状況が飲み込めず硬直する将真と遥樹。同じように美緒と佳奈恵も硬直しているが、美緒に関して言えば、硬直していると言うよりは単に動きを止めているだけと言った雰囲気だ。
こうして目にしてしまったが故に知ってしまったわけだが、美緒のスタイルはかなり良いようだった。少なくとも、双子とは言え姉の莉緒よりもスタイルがいい。体格にそこまでさはないはずなのにこの差は何なのか。対して佳奈恵は普通だった。おそらくこの年の少女の平均的なスタイルだろう。美緒ほど胸も大きくない。
こんな事を考えている場合ではないのは、冷静に考えればわかることだが、理屈ではない。本能的に考えてしまった。
もはや本能。男の性と言うやつか。正直、どうしようもない。
「……は?」
「……え?」
「待ってた」
「ひっ__」
3人が硬直していた間はそんなに長くなく、そしてそれを見計らったかのように、美緒が口を開く。その口調は、とても下着姿を見られているとは思えないほど呑気だった。と言うか、やはり美緒は他の女子と比べると羞恥心が薄いようだ。
だが、佳奈恵は違う。顔を真っ赤にして、胸元を隠しながらしゃがみこむ。こっちの方が多分、普通の反応。
そして佳奈恵は声をひきつらせて__
「__きゃあぁぁぁぁぁっ!」
この後、まだ集まっていなかったメンバーも集まってきた。その時に将真と遥樹と美緒は、悲鳴に駆けつけてきた杏果と紅麗に鉄拳制裁と説教を受けたのだが、それはまた別の話。
美緒と佳奈恵が着替え終わるまで、一旦外に放り出されていた将真と遥樹は、着替え完了をリンから伝えられて病室に入る。
一応は輪になるような形で座り、莉緒が手を叩く。
「じゃあ切り替えて、作戦会議といきましょう」
「ふぁい」
「イテェ……」
「何もここまですることなかったんじゃないかい?」
『うるさい』
ぶたれたせいで頬が少し腫れて、返事が若干おかしくなっている美緒。ぶたれた場所を摩る将真。そして、やんわりと抗議する遥樹。その抗議に対して、未だに若干の怒気を滲ませて威圧する杏果と紅麗。
やり過ぎだと言いたいのは将真も同じだったが、非があるのはこっちだ。そのせいで強く言いにくいのだ。
「そもそも、美緒がオッケーっていったから……」
「だって私は別に気にしないし」
「私は気にするよぉ⁉︎」
「……別に減るもんじゃなし」
「恥ずかしいからやなの!」
「……ごめんなさい」
やはり羞恥心の度合いが2人の間で全然違うようだ。それでも自分が原因である事は理解しているらしく、美緒は佳奈恵に対して謝罪する。
「その話もいいっすけど、脱線してるっすよー。今はそれどころじゃないんすから」
「そだね。とりあえず状況をまとめよう」
莉緒を後押しするように静音が続く。
静音と紅麗に挟まれる位置にいる真那はと言うと、ベッドに寝転んでお休みモードに入っていた。
「起きなさい」
「ふぁっ」
紅麗に脳天をチョップされて、涙目で真那が起き上がる。
さらに杏果の隣にいた響弥が、
「いいなぁ、俺も見たかったなぁ、二人の下着姿」
「正直で結構。このまま引きちぎってもいい?」
「ひはひえふ」
不用意に呟いたせいで、杏果の制裁を受けていた。
その様子を見て、リンが一瞬吹き出していたが、その場の真剣な空気に、緩んでいた気が締まる。
簡潔に状況を把握していくと、想像以上に事が危険な方向へと進んでいる事がわかった。
まず猛だが、やはり将真は猛に負けていた。
『魔王因子』なるものを体内に埋め込まれているらしく、そのせいで将真と同様『魔王』の力を使うだけなら可能らしい。そして同じ力で殺されかけた。
ただしこれは、どっちが強いかと言う単純な話ではない。
将真の場合は『魔王因子』ではなく『魔王』そのもの。無理に力を引き出せば『魔王』に侵食される可能性が高く、ある程度の力しか使えない。それに対して猛は、一切制御をしていないのだ。『魔王』の力の恐ろしさは、同じ力を使える将真がよくわかっている。
だが、『魔王因子』には同時にリスクもあるらしい。
「学園長に聞いた話だけど、そもそも『魔王因子』は魔属性の塊だから、普通に考えれば取り込んだ時点で侵食されて死んでるらしいわ」
「でもあいつ、普通に動いてたぞ? むしろ今まで以上に強いし……」
「強いのは当たり前だけど、例え適性があったとして、体が徐々に侵食されていくのは変わらない。このままだと多分、猛の命は長くない……って、これも学園長の言葉だけど」
「猛が、死ぬ……?」
佳奈恵が、呆然と声を漏らす。
側から見ていてもわかりやすい。1番猛と付き合いが長く、仲もいい。それでいて彼に好意を向けている佳奈恵だ。その事実はかなり辛いだろう。
だが、問題は猛だけではない。
第8階層で遥樹たちが相手にしたと言う、名前持ちのマッド『外道』。そして、どんな手段を使ってか、千も超える紅麗のクローンの大群。
遥樹たちですら、美緒と佳奈恵を助け出すので精一杯だったらしく、その話だけで、層の厚さは十分理解できる。
「優先的に解決すべきは猛の問題だろうけど、『外道』もしっかり攻略しなくてはいけない」
「いや、猛さえ助けられれば、『外道』はほっとけばいいんぎゃないか?」
「そうもいかない。『外道』の狙いは将真の生け捕りだ」
「マジか⁉︎」
「そしてそれを、猛にやらせているんだ」
「マジか⁉︎」
新たな情報、しかも自身が狙われていると言う事実に、驚きを隠せない将真。だが、改めて考えてみれば当然だ。将真の中にいるのは、『魔王』そのもの。つまり、人間からは望まれなくとも、魔族にとっては待望の『魔王』復活になるかもしれない。
「そもそも、美緒と佳奈恵を助けた時点でおかしいと思ってたんだ。タダで僕たちを逃した理由」
「気まぐれじゃないの?」
「いいや。おそらく、猛が向こう側にいる時点で、僕たちがもう一度乗り込んでくることを見越しているんだろう。彼を助けるためにね。そして残念なことに、僕たちは『外道』の思惑通りに動かなくてはいけない」
「なるほどね……」
「すでに人質を奪還されているんだ。この上猛まで取り返されて挙句将真も捕らえられなかった、と言う結果に納得してくれるとも思えない。だから、『外道』は倒す必要がある」
ここまで聞いて、ようやく将真は『外道』を倒す必要性について理解した。猛を助け、全員で生きて戻るためには、必要な事なのだ。
「ここからが作戦なんだけど、どうしよう?」
「……ごめん、今更なんだけど。作戦会議に参加してるってことは、もしかして美緒ちゃんと佳奈恵ちゃんも参加するの?」
「もちろん。私の魔術はクローン吸血鬼の大群にだって効果的なはず」
「私は足手纏いかもしれないけど……でもやっぱり、猛をほっとけない。助けたい!」
二人の力強い意志に、リンは感銘を受けたように頷いて微笑んだ。
「うん! ボクも頑張る。みんなで猛くんを助けよう!」
「もちろん」
「そのつもりだよ!」
盛り上がる3人のそばで、将真が一人、腕を組んで何かを考え込んでいた。
「……将真くん?」
「……なあ、美緒、佳奈恵。できたら教えてくれないか?」
「何を?」
「猛って、なんであそこまで力を求めてるのかなって」
「あ、そっか。そうだよね……」
将真の体を聞くと同時、美緒と佳奈恵は少し表情を暗くする。瞬間、将真はしまったと表情を僅かに歪める。今、この危機的な状況で、士気が上がってきたところに、水を差してしまった。
「わ、悪い。嫌なら言わなくていいんだ」
「……ううん。そういえば言っておいたほうがいいかなって言うのは、実は結構前からあったんだ」
「でも猛が絶対言うなって言うから、黙ってた。でも、話す。ただ、ここだと場所が悪いから、丁度いいところに向かう」
「丁度いいところ?」
そんなところがこの病院にあるのか。いやそもそも、その話をするのに場所が関係するのか。
いろいろな疑問がそれぞれの頭の中をぐるぐると回る。
そして、頷いた2人が示した先は__下。
「病院の地下」




