第10話 『覚醒の兆し』
「杏果ちゃん!」
「柊!」
リンが飛び出したのを見て、将真もまた、闘技場で倒れた杏果の方へ駆け寄った。
傷は決して、浅くはない。
全身ボロボロで、火傷が無い箇所の方が少ないくらいで、そこから血が滲んでいた。
その姿は、あまりにも痛々しいものだった。
「杏果ちゃん、大丈夫⁉︎」
「……リン、見て、たの?」
「っ!」
意識はあるようだ。だが、その声音は、いつ意識を失ってもおかしくないほどに弱々しく、息絶え絶えといった様子だった。
将真は、序列2位の少年をキッと睨む。
少年は、面倒臭いとでも言いたげな表情で、ため息をついた。
「お前、ここまでやることは無いだろう」
「仕方ないにゃあ、そいつがさっさと諦めてくれりゃここまでやらずに済んだんだぜ」
「……そもそも、何でこんな、決闘なんかしてたんだよ」
「昨日オレがそいつの信念を馬鹿にしたから、腹が立ってリベンジにきた、らしい」
「らしいってお前……」
何でそんなことを言ったんだ。将真はそう言いたかった。
どんな信念を持とうと、それはその人の自由だろう。肯定するのならばそれでいいし、衝突するというのならまだしも、他人がそれを侮辱するなんてのは、するべきでは無いことだ。
「信念は、人それぞれ違って、その人にとって大事な物だ。それをお前は馬鹿にしたっていうのか?」
「か、片桐くん? 落ち着いて?」
苛立ちを覚え始めた、少し喧嘩腰な将真の態度に、リンが少し慌てたように諌めようとする。
闘技場のギャラリーたちも、今の状況が理解できずにざわつき始めていた。
「くだらんにゃあ。馬鹿にされた程度で折れるような信念なら、さっさと捨てるべきだよ。その点そいつは根性あると思うぜ。わざわざ昨日の今日でオレに決闘を挑んでくるくらいだからよ。……てか、そういうお前はどうなんだ?」
「なに?」
飄々としたその態度に、将真の怒りは益々エスカレートする。だが、次に続いた言葉に、将真は冷静になると同時に思わず口を噤んだ。
「お前にはそもそも、信念があるのか?」
「__!」
言われてみて、考えた。そして、将真は愕然とした。
信念を馬鹿にする行為に、将真は激しく憤りを覚えた。だが、今まではそんなこともなく、考えたこともなく、だから、当然とも言えるのだろうが……将真の中に、信念と呼べるものはなかったのだ。
正確には、何もないわけではない。だが、信念と言える程大層なものがはなく、あやふやで曖昧、ハッキリしていないのだ。
しかも、この世界に来てばかりで、自身にとっての大切なものや、志というものがまだ確立していなかった。
故に決められず、だから将真にはまだ、志も決められず、信念も固められずにいた。
そして、カマをかけたつもりだったらしい序列2位は、将真の反応を見て図星だったと悟る。
「なんだよ、ねえのか。信念もねぇ奴が、信念語ってんじゃねぇよ」
「ぐっ……」
彼の言うことは最もだ。
信念を持たない将真が、何を語れるというのか。
だが、それでも将真は、彼がした事に納得できず、食い下がる。
「確かに、俺には信念がない。こっちの世界に来てばっかで、わからない事だらけだしな。でも、こんなの見せられて黙ってられるか」
「か、片桐くん? どうするつもりなの?」
リンが不安そうな声で問いかけてくる。将真はその問いかけに答えず、少し考えるように口を閉ざすと、序列2位の目を睨んで言った。
「俺と戦え」
「……は?」
少年が、間の抜けた声を出す。構わず将真は、繰り返し同じ言葉を言った。
「勝負だ。俺は、お前に決闘を申し込む!」
「ちょっ……」
「にゃあ?」
「俺が勝ったら、柊に謝れ。俺にはまだ、信念がないけど、それでも言わせてもらう。他人の信念を侮辱する権利は、誰にもない!」
「……いいぜ、おもしれぇ。オレが勝っても特に何も求めねぇ。安心しな」
小馬鹿にするように、鼻で笑いながら言う。いや、実際馬鹿にされているのだろう。それに序列2位からしてみれば、将真に要求するものがないのも事実だった。
馬鹿にされるのは仕方がない。相手は遥かに格上。そんな戦力差で決闘を挑む愚か者はまずいない。
「やめ、なさい、馬鹿なのあんたは……」
闘技場に出ようとした時、杏果から静止が入る。
杏果の方を振り向くと、ボロボロの体を起こそうとしていた。その様子を将真は、少し顔を顰めて見ていた。
「……何だよ」
「勝てるわけ、ないでしょ。身の程を知りなさいよ、この馬鹿」
「うっせ」
「私のためだと思ってるなら、そんなのごめんよ。そんな気、遣われたくないもの」
「別に。ただ、誰の信念であっても、それを侮辱するのが許せないって思っただけだ」
「……あっそ」
「か、片桐くん!」
杏果が諦めたように嘆息して、力を抜いて仰向けに倒れる。そして今度は、リンが声をかけてくる。
「どうした?」
「止めてもダメっぽいし……、き、気をつけてね。片桐くんは神技も使えてないんだから、本気でやりあっても勝てないと思うけど、せめて……頑張ってね」
「……ありがとな。あと、俺の馬鹿に付き合わせて悪かった」
「気にしないで……とは言わないけど、今度ちゃんと埋め合わせしてくれるよね」
「ああ。わかった」
そして将真は、闘技場の中央に立つ。
「そういや、お前の名前ってなんだ?」
「は?」
「名前聞いてんだよ」
「……片桐将真。学年序列は274位だ」
「っ、にゃはは、マジかお前⁉︎ その順位でオレに挑むとか、正気じゃねえなお前」
呆れたように笑い声をあげながらも、虎生の目は笑っていない。
まあ、低序列の奴に喧嘩を売られたら、気分が悪いことこの上ないだろう。傍から見たら舐めた行為としか思えない。
だが、将真にとって、そんなことはどうでも良かった。
「オレは東虎生。わかってるとは思うが学年序列2位だ。ついでに言うと、学園序列10位でもある。自分の愚行を、その身をもって知れ!」
決闘開始の合図が鳴り響く。
将真と虎生は、2人同時に動き出した。
(集中しろ。まずは武器を作るんだ)
将真は、魔力を形作るために集中し、竹刀の形をイメージした。だが、生成できたのは相変わらず、魔力を棒状にしただけの、柔そうな武器だった。
それでも構わない。
将真は早速、その棒剣で虎生に攻撃を仕掛ける。
だが、その一撃はあっさりと防がれ、棒剣は忽ち、ガラス細工のように粉々に砕け散った。
だが、それは当然、将真も予想できていたことだ。
将真は再び集中して、魔力を形作る。同じものを生成し、もう一度虎生に打ち込む。
それを虎生は、体を後ろに反らして躱した。そしてそのままバック転で後退する。
「何だぁ、その武器は。脆すぎんぜ?」
「仕方ないだろ。まだこっち来たばっかで身についてないし、魔導についてはこれからなんだからよ!」
「なるほど、そりゃ無理だにゃあ!」
今度は、虎生の方から攻撃を仕掛けてきた。
光の速さとまでは言わないが、尋常じゃない、目で追えないような速さ。
虎生は一瞬で、将真の目の前まで距離を詰めてきて、的確に顎を狙ってきた。脳震盪による一撃ノックアウトが狙いなのだろう。
将真は仰け反りながら咄嗟に棒でガードしたが、やはり棒はあっけなく砕け散った。だが、それでも何とか戦闘不能は回避できた。
左頬を掠めていった虎生の腕を掴み、三度生成した棒剣を振り下ろす。だが、虎生はそれをまさかの素手で掴んで握り潰した。
そして、回転を加えて将真を地面に叩きつけた。その衝撃に、堪らず虎生の腕を離す。
「くっそ!」
叩きつけられて全身が鈍い痛みを感じているが、将真は構わず跳ね起きる。
そこに再度、虎生が一瞬で距離を詰めてきて、回し蹴りを放ってきた。
幸いにも体勢を立て直すことが出来た将真は、膝を屈めて回避した。
全く幸いではなかった。回避したと思った時には、立て続けて、一瞬で虎生の踵がとんでくる。
咄嗟に腕でガードしたが、それで止められるほど序列2位の攻撃は甘くなかった。
将真は軽々と吹っ飛ばされ、何度か闘技場をバウンドしながら、何とか体勢を整えて地面を滑り勢いを殺した。
そして、息を荒げながら、虎生を睨む。
「やるじゃねーの。思ってたよりずっと動きはいいな。となると、魔導がまともに使えねぇってのが、低序列の原因か?」
「……まあ、そんなとこだよ」
「なるほど。負ける気はしねぇけど、油断ならない奴ってのはわかったにゃあ。つーわけで……」
瞬間、虎生の姿が掻き消えた。
「は……?」
突然の事に、呆気に取られて呟く将真。そして次の瞬間、頭に強い衝撃を受けて、真横に吹っ飛んだ。
当然の事に受け身も取れず、強く地面に叩きつけられる。
「いってぇ……、何だいったい?」
さっきまで自分が立っていた方を見ると、虎生が蹴り終えたような構えで立っていた。
「第2ラウンドといこうじゃねえか」
虎生の体を、雷が走る。
「すごい……」
将真と虎生の決闘を見て、リンは思わず呟いた。
虎生は序列2位で、将真は序列274位だ。だから、将真は到底、虎生には適わないと思っていた。
そして事実、明らかに劣勢なのは将真だが、それでも何とか虎生の速さに食らいついている。
リンでもついていけるかわからないような速さの攻撃に、リンよりずっと未熟なはずの将真が、その動きに多少とはいえ対応出来ている。これを可能にしているのは、将真の高水準の身体能力に、魔力による無意識の強化がかかっているからでもあるが。
その事実は素直に凄いと思うし、衝撃的でもある。
だが、彼の弱点とも言うべきか。やはり魔導に関してまだ未熟な将真では、魔導戦において、勝機を得るのは困難だ。
ハラハラとリンが戦況を眺めていると、ついに虎生が動き出した。
「あっ……!」
瞬間移動のような超高速で、虎生が回り込んで、将真の頭を蹴り飛ばした。
虎生の『神話憑依』だ。
幸い、傷は深くないようだが、こうなってしまえば、もはや決着がつくのは時間の問題だ。
「片桐くん……」
「なに、リンってば、あんなお馬鹿を心配してるの?」
「あ、杏果ちゃん。もう傷は大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないわよ。身動きもまともに出来ないし。でもまあ、何とか喋れる程度には回復したわ。……それで?」
「うん……、やっぱり心配だよ。まだ会って間もないけど、ボクは友達だと思ってるし……、友達の事が心配なのは普通でしょ?」
「……私よりも?」
「……今だけは。だって、片桐くんは現在進行形で無謀な戦いをしているんだから」
だが、リンは心配する反面、少しだけ期待もしていた。
もしかしたら、将真が一発逆転してくれるのではないか。勝ってくれるんじゃないか。
そんな、有りもしない可能性を。
だが、将真の戦いをじっと見ていると、そんな可能性もゼロではないと思えてしまうのだ。
何せ、あの凄まじい速さに、少しずつ慣れ始めているのだから。
(こいつ、何なんだ?)
虎生がペースを上げた途端に、吹っ飛ばされていた、魔導師として未熟すぎる目の前この男は、いったい何なんだ。
どうして、打ち合うごとに、自分の動きについてこられるようになっているのか。
別に、将真に対する恐怖や焦燥はない。
だが、虎生の中の小さな違和感は、徐々に驚愕へと変わっていった。
まだ完全とは言い難いが、不意を突くような虎生の恐ろしい速さの攻撃も、今ではギリギリで凌いでいる。
流石に勢いまでは殺しきれず、受け止めるたびに吹き飛ばされているし、ダメージはどんどん蓄積されているようだが、このまま行けば、虎生の動きに完全についてこれるようになるかもしれない。勿論、速さでは虎生に適うべくもないが。
そして、虎生が何度も繰り返してきた、踏み込みからの超加速による攻撃を、なんと将真は正面から迎撃してみせた。
実はたまたま、うまく防げただけだったのだが、ここに来て虎生は、多少の危機感を覚えた。
それもそうだろう。まだ将真に対して神技を使ったわけではないが、今現在、『神話憑依』を使っている最中で、まともに魔導を使えない将真がその動きについてくるのだ。
例えるなら、狩りの心得もない子供が素手で猛獣に挑むような、そんな無茶な事を実行しているようなものだ。
まだ虎生は本気を出していないとはいえ、全く危機感を覚えるなという方が無理な話だった。
舌打ちをしたい気分で、虎生は一旦、動きを止める。
「お前、本当に動きだけは一級品だな。その集中力もやべぇよ。認めてやる」
「あぁ、そうかよ」
「だから」
虎生は、腰を低くしてナイフを前方に、逆手持ちで構える。
(だから__俺の本気で終わらせてやるよ……!)
「__吠えろ雷獣! 『死々雷々』!」
目の前に迫る虎生の神技に、なんと将真は反応した。その集中力と反射神経には、虎生ですら感嘆を覚えるほどだった。
だが、それだけで防げるほど神技は甘くない。
加えて、躱そうとしたのでは無く、受け止めようとしていたのだ。そんな事は、圧倒的な実力差があるか、対等な条件が揃わない限り、可能なわけがない。
案の定、その一撃を受けた将真が、微塵も堪えることが適わず、闘技場の壁まで吹っ飛んだ。
「ったく、ここまで手こずるとは思わなかったぜ。ちょっと手加減しすぎたか……、な」
目の前の光景を疑うように、虎生が目を見開いた。そしてそれは、リンたちも同じだ。
何と将真は、あの一撃を受けて、立ち上がったのだ。
間違いなく、全身がズタボロだというのに。
「お前、マジで何なんだにゃあ……」
「……」
問いかけても、返事はない。
その足元は、ふらついて覚束ない。
その様子を見て、虎生は少し安心した。安心した事に、驚きを覚えはしたが、さっきの一撃をおそらくはギリギリ耐えただけ。体は限界なのだろうと虎生は考えたからだ。
だが、彼の表情を見て、その考えは霧散した。
ハイライトを失った、感情を映さない闇のような瞳。
一瞬、視線が交錯する。
その瞬間だけだったが、虎生は初めて、本能的な恐怖を覚えた。
将真と目を合わせた時__何か、とんでもないものが見えた。それが何かはわからなかったが、これ以上は本当に手加減をしていられない、という事がわかってしまった。
まさか、序列274位を相手に本気で戦う羽目になるとは、と虎生はため息混じりにナイフを構えて、足を踏み込もうとした。
「__」
「なっ⁉︎」
だが、数メートル先にいるはずの将真は、いつの間にか、虎生の目の前まで迫っていた。




