第35話『VSブレイン』
床、壁、天井。
至る所から絶え間なく、唐突に生えてくる石柱群は、見た目以上の威力を持っていた。ただ速いだけではない。一撃が重いのだ。
それはいとも容易く、直撃した床を凹ませ、壁を貫き、天井を崩してしまう。
そして、例え躱したとしても追尾してくるという高性能のおまけ付き。もちろん、操り手がいてこそなのだが、どこから石柱が襲ってくるのかが即座に判断できないところが痛いところだった。
躱したところで追ってくるとはいえ、これでは躱すのも一苦労だ。
このままでは埒があかない。そう判断して、襲いくる石柱をギリギリのところで躱しながら、将真は『脳』の元へと駆けていく。その間ももちろん石柱は生えて襲ってくるのだが、それも全神経を張り巡らせて、精々掠める程度で収めるか、迎撃していた。
「あら、やるじゃない」
「う、おぉぉぉっ!」
『脳』が、鬼気迫るという雰囲気の将真を見て、意外そうに目を見開き呟く。
将真は、『脳』のすぐ前まで来て、強く握った刀を強く前に突き出した。だが、
「でも、わたしはそんなに甘くないし、単純じゃないよ」
トン、と『脳』は足のつま先で軽く地面をノックした。次の瞬間、将真との間に大きな壁ができてしまった。石柱と同じ素材だ。
「だったらなんだっていうんだ__っ⁉︎」
構わずそのまま刀を突き出す将真。壁を突き破り、『脳』に届くと思っていたその刀は、壁とぶつかり合い硬質な音を響かせた。将真の刀が、砕け散っていた。
接触の直前、将真は思っていたのだ。たかが壁だ。それがどうしたと。それをまんまと後悔する羽目になった。
体勢を崩して蹌踉めく将真に、容赦無く幾つもの石柱が襲いかかってくる。とっさに将真は『魔王』の力を解放しようとするが、すぐに考えを改める。
勿論、出し惜しみしている場合ではない状況だとのであれば躊躇する事なく使う心積もりだが、かと言って迂闊に使い過ぎてはいけない力だ。今はまだ使うとかでは無い気がしている、というのが理由の一つ。
そしてもう一つ、『魔王』の力を使わなかった理由があった。
将真を襲おうとする前方の石柱のさらに奥。そこに、火の粉を撒き散らしながら宙に浮く莉緒の姿を見たからだ。
「『日輪舞踏』__“炎舞螺旋”!」
先ほどガーゴイルの大群を蹴散らした時と同じく、刃に炎を纏わせて体を捻り、自身を軸とした炎の竜巻を生み出す。そしてその竜巻は、石柱を粉々に刻み、焦がしていく。
莉緒が将真の前に降り立つ。その身体には、目立つ怪我はない。
「大丈夫っすか?」
「俺は大丈夫だ。リンも何とか無事そうだぜ」
莉緒の問いに、将真は背後のリンに視線を向けつつそう答えた。そして、攻撃を受けたにも関わらず、大したダメージを負っているように見えない莉緒に対して、逆に将真が問い返す。
「むしろ、お前は大丈夫なのか? 石柱直撃してたと思うんだけど」
「まあ、鳩尾に喰らって少し動けなかったのは確かっすけどね。でも『神話憑依』使ってる最中ってだけあって、まるで無傷っす。なんでとりあえずちょっと気持ち悪いので気分が優れないというのはあるっすけど、怪我はないってところっすね」
「やっぱ神話を憑依するってだけあって、丈夫になるってことか?」
「そりゃあもう、肉体強化魔法なんて比じゃないくらいっすよ。自身が神話の主と同等の力になるわけっすから」
莉緒の言葉に、将真は素直に感心を示した。そもそも『神話憑依』を使えない将真からすればその感覚はわからないのだが、その力は神話の主に匹敵する。それはとんでもないことではないだろうか。
そんなことを考えていたせいか、意識が完全に逸れてしまっていた。その隙だらけの2人の側を、石柱がかなりの速度で迫り、そして通り過ぎる。
狙いは、2人の背後にいるリンだった。
「しまった__!」
「リンさん、危ないっす!」
思わず声を上げる将真と莉緒。2人が焦りに表情を歪める前で、リンはひどく落ち着いていた。
「フッ__!」
静かに息を吸い込み、一瞬溜めて吐き出す。手に持った槍を、踏み込みと同時に、正面に突き出した。
槍の先端が、石柱の中心と接触。その結果、石柱が粉々に砕け散った。
「お、おおぅ」
「……やっぱり魔導に頼らない分、リンさん自身がすごい逞しくなってる気がするんすけど」
そう。何故か魔導師として弱体化の一途を辿っているリンだが、そのせいで魔導に頼れない分を何かで補わなければいけない。彼女にとってはそれが身体能力だった。
最低限の魔導、つまり肉体強化魔法さえ使えれば、後は本人の身体能力次第ではどうにかなる場合もある。ここ数ヶ月で彼女は魔導師として弱くなった分、戦士としては飛躍的に成長していた。
だが、流石に1人で全て受けきるのは難しいのだろう、徐々に押されていた。そして将真と莉緒は、完全に傍観者となってしまっていたことに遅まきながら気づく。
その時、リンの死角から石柱がかなりの速度で迫ってきていた。それを、すぐに援護に入った将真の刀が叩き斬る。
「悪い、大丈夫かリン?」
「ありがとう。ボクは大丈夫だよ」
少しホッとした様子を見せて、リンは余裕の笑みを浮かべてみせる。とは言え、リンに限った話ではなく、この状況下で余裕などあるはずもない。
何か作戦はないだろうかと考え始める将真。その時、今の自分たちの陣形に覚えがある気がした。
「……リン。久し振りに、2人でやるか?」
「久し振りに? ……あ、そういえばそうだね」
将真が思い出していたのは、まだ将真とリンと莉緒が小隊を組んだばかりの時の任務。あの時莉緒は、初めのうちは傍観者に徹していて、将真とリンは2人の実力を確かめ合いながら共闘していた。
それが、今の状況と少し似ていると感じたのだ。
だが、将真の提案に、リンは少し不安そうに問いかけてくる。
「でも、いいの? 多分今のボクじゃ、何処まで役に立てるかわからないよ?」
「役に立つとかそういう話じゃないよ。ただ久し振りに共闘したいだけ……というわけでもないけど」
そもそも、将真はリンの援護に入ったのではない。莉緒の援護に入るための準備に入ったのだ。今からリンと共にやろうとしていることは莉緒の援護であり、具体的には、莉緒に向けられた『脳』の攻撃を可能な限り妨害することだ。
「別に、強制はしないぜ?」
「ううん、わかった。頑張るよ」
「オッケー。そういうわけだから、莉緒。とりあえず、あいつぶっ倒してきてくれないか?」
「ずいぶん簡単に言ってくれるっすねぇ」
莉緒の声からは呆れが感じ取れたが、どんな表情を浮かべているのか、将真からみて背を向けるように立っているために初めは分からなかった。
だが、彼女が背後に少しだけ顔を向けた時、その表情はとてもわかりやすかった。莉緒らしい、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていたのだ。
「本当に、自分でいいんすか?」
「……ああ。思いっきり頼むぜ」
莉緒の問いかけに、将真は親指を立ててGOサインを出す。
ここ2ヶ月の間は、特に大きな事件等は起こらなかったが、それでも莉緒の『神話憑依』を見る機会は少しだけあった。その時、将真は改めて感じたのだ。速さがかなり出鱈目だと。
莉緒が扱う神技『日輪舞踏』は、炎を纏う高速の斬撃だ。その速さと威力は、花弁が増すごとに上がって行く仕組みになっている。通常状態でもかなりの速さを出すことができるのだが、これを『神話憑依』で発動した時の速度は、通常状態と比べると段違いだ。
あの石柱や壁に邪魔されては、不調のリンは勿論、『魔王』の力を極力使わないよう制限している将真でも、『脳』に攻撃を届かせることは難しい。だが、莉緒の神技を持ってすれば、石柱は問題にならないだろうし、おそらく壁をも壊してしまえるのでは、と将真は考えたのだ。
将真のGOサインを確認すると、莉緒は軽く腰を屈めて、一気に前へ跳躍する。その速さは凄まじいもので、石柱の速度が亀の歩みのようだ。
さらに何度か地面や壁、天井を蹴って跳ねまわり、自身の軌道を複雑に変えながら『脳』に迫って行く。
「くっ……⁉︎」
その高速かつ不確定な軌道に、『脳』は反応しきれていない。その結果、莉緒はすぐに『脳』の目の前にたどり着く。
手にした刃を突きつけようとしたその時、将真の時と同様に壁が現れ、莉緒の道を阻んだ。
先ほどこれをされて将真が思ったのは、壁の向こう側が見えないということだった。その為、相手の出方を読むか、後の先を取るしかない。
だがそれは、壁を破らなければの話だ。
実際には将真は破れなかったのだが、莉緒はそんなヘマはしない。
「『日輪舞踏』__“五輪華”!」
強く地面を踏み込み放たれる斬撃は、5枚の花弁を持つ真っ赤な花のような型を描き、壁に叩き込まれる。そして将真の狙い通り、壁は莉緒の神技の威力に負けて壊れた。莉緒は見事にその壁を破ってみせたのだ。
「よしっ、次で最後っすよ__!」
さらに莉緒は、壁の向こう側にいる『脳』を討つために、崩れた壁を乗り越える。
だが、そこには何もいなかった。自分たちが幻覚を見ていたのではと思わされるくらいに、そこには、はじめから何もなかったかのような光景があった。
だが、そんな事はなかった。『脳』の声が、リンの背後で、そして将真たちのすぐそばで聞こえる。
「そうだね。そろそろ終わりにしようか」
「なっ⁉︎」
「いつの間に⁉︎」
莉緒はともかく、将真は目の前に現れた『脳』に気づくことができなかった。
一体何をされるのかと警戒を強めるが、それを見た『脳』がやれやれとため息を漏らす。
「言ったでしょ、お終いだよ」
「……は?」
「戦闘終了。オッケー?」
「……なんの冗談だ?」
「冗談違う。いいから話を聞きなさい」
『脳』が少し強めにそう言うと、渋々と将真は武器を下ろす。警戒をやめたわけではないが、『脳』から戦意は感じない。どうやらこれ以上の戦闘を続ける気がないと言うのは嘘ではなさそうだ。
「君たちの能力と、そこの赤い子の本気を見た感じだけど。ずっとこの力を維持できるわけではないとしても、それでも私のメガネには十分見合った。いいよ、合格だ。この先に行くことを許可するよ」
「……俺ら、勝ってないんだけど?」
「『勝ったら合格』なんて、そんなこと言った覚えはないよ」
将真は納得のいかないと言う表情だったが、確かに『脳』は一言もそんな事は言ってなかった。
「力を確かめる、だったな。つまり、この先に行ってもいいんだな?」
「うん。ただ、忠告しておくわ。ここより先、半端な覚悟じゃ即死するから気をつけて」
「忠告、痛み入るっす」
「うん。気をつけるね」
『脳』の忠告に対し、莉緒がニヤリと笑みを浮かべて、了解を示した。リンも、微笑を浮かべてありがたい忠告を受け止めた。
そして『脳』は、忠告だけ告げると、まるで初めからいなかったかのように、姿を消した。
瞬きした、一瞬の間だった。




