第33話『遺跡探索』
リンは、無意識の中を漂っていた。
上下左右、東西南北などありもしない、もし正気でこの場にいたのならば気が狂ってしまいそうな、そんな空間。
それでも平気なのは、リンにまともな意識がないからだ。彼女は今、ただ朦朧と、意識の海を漂っているだけなのだから。
リンの意識が僅かずつはっきりしてくると同時、目の前にあるガラスの壁のようなものに気づく。視線を動かしてみると、それは世界を二つに区切るように、見える限り__否、おそらく見えないところまで、どこまでも続いていた。
そしてガラスの壁は、まるで鏡のようにリンを映し出していた。
リンと視線を合わせる鏡の中の少女は、紛れもなくリンだ。一部を除けば瓜二つの、時雨リンがそこには映っていた。
体格や顔立ち、髪型ですら同じ2人の違う点を挙げるとすれば2つ。
鏡に映る少女は、漆黒の髪に赤い瞳をしていた。
鏡の前で漆黒の少女を見るリンの姿は、白髪に青い瞳だった。
誰だろう、と一瞬思った。紛れもなく自分なのだが、いつもの容姿と違う自分が、他人のように見えたのだった。
そして、リンははっきりしてきた意識の中で、思い出す。
黒い自分が、こちらに両手を伸ばしてくる。その手は鏡に遮られてこちらまで出てくることはなかった。リンは、鏡に触れるその手を見つめて、自分の手を伸ばそうとして、引っ込める。
__本当は、その手を重ねてあげたい。その手を取って、一緒に歩きたい。
リンは、少しずつ少女から距離を取り、小さく頭を下げる。
「__ごめんなさい」
今はまだその時ではない。いつか彼女を受け入れられる時はくるかもしれない。だが、今の弱い自分のままでは彼女を受け入れられないから。
鏡の向こうの少女は、少しだけ悲しそうに離れていくリンを見つめていた。
世界が、消えていく。
意識が、浮上していく。
「__おーい、リン。そろそろ起きろー」
「……う、ん?」
ゆっくりと瞼を開けたリン。自分を見下ろす将真の顔に気づくまで、どれくらいの時間をかけただろう。
「……」
「起きたか?」
「……、……あ」
瞬きを繰り返しながら少しずつ意識がはっきりとしてくる。そして恥ずかしくなってきたリンは顔を真っ赤にした。
どうやら将真の目の前で堂々と眠ってしまっていたようだ。それも、将真の膝を借りて。もちろんすぐそばには莉緒もいたが、頭が回っていないため、そこまで気づけていなかった。
まだ完全に目覚め切っていない体を、ガバッと勢いよく起こす。
「ご、ごめんなさい……!」
「いや、別にいいよそんなの。それより、体の方は大丈夫か?」
「え? うん、大丈夫みたいだけど……何があったんだっけ?」
「……これはアレっすね。気絶する寸前の記憶が飛ぶってやつ」
この時、横から莉緒が声を挟んできたことで、やっと莉緒の存在に気がついたリン。更に増してくる恥ずかしさで、顔が爆発しそうになってきた。
「え、えーと……?」
「本当に何もないか?」
「うーん……」
少し心配そうに、再度確認をとる将真。
リンは気を取り直して、少し考えて思考を回転させる。何かはあった気がするのだが、それは一瞬だけ思考を掠めては消えていってしまうため、思い出すには至らない。
やがてリンは諦めて、首を横に振った。
「ご、ごめん。やっぱり思い出せないや」
「そうか……。まあ、何もないみたいだったら構わないけどさ」
そう言って将真は難しい顔を解いて微笑を浮かべた。何もなくて無事なら問題はない。リン自身が無事だというのなら大丈夫なのだろう。特に心配することはもうない。
「それじゃあ、この後の事なんだが、どうするんだ? 遺跡見つけたし、一旦帰るか?」
「ボクは少し疲れちゃったからそれでもいいけど。……それにやっぱ怖いし」
「何言ってんすか2人して。ガーゴイルとの戦闘があったとはいえ、遺跡探索はむしろこっからっすよ。何もやらずに帰るなんてダメっす。できる限り深くまで潜って情報を集めないと」
「わ、わかってるよ」
ここにきて徐々にやる気を出してきた莉緒に、やや気圧されながら将真が答える。
「リンはどうする? 周りに魔物とかの気配はないけど、ここで待つか?」
「こんなところで待たされるくらいならついてくよ」
怖いものが苦手なリンは、自分1人取り残された状況を想像して、思わず身震いする。
もし本当にそんなことになれば、精神的に死ぬかもしれない。想像するだけでも十分に恐ろしかった。
全員の同意を得た莉緒は、意気揚々というほどでもないが、遺跡の奥の方に体を向ける。
「じゃあ行きましょう」
「そうだな。視界は相変わらずよくないけど、さっきも言ったみたいに気配はなさそうだから、気をつけながら進めば問題ないだろ」
「う、うん……」
「リン、あんまり裾引っ張り過ぎるなよ。流石に動き辛いから」
「う……。ごめんね」
申し訳なさそうな表情を作るリンに対して、将真はまあいいけど、と軽くため息をつくだけに留めた。
「……何もないな?」
しばらく進んでいても、本当に魔物の一匹も出ない。
だが、そんな将真の感想に対して、莉緒が少し呆れたように振り向く。
「そんなことはないっすよ。薄暗くて分かりづらいかもしれないっすけどほら。壁とか天井をよく見てください」
「……あ」
「これって、壁画かなんかだよな?」
莉緒に言われるがままに壁や天井をじっくり眺めるリンと将真。そうして見えてきたのは、掠れて読みづらくなっている文字や絵だった。
「別にそれは珍しいものではないんすよ。文字や絵くらいなら、何処の遺跡のどのフロアにもありますし。書いてある内容は少しずつ変わってくるみたいっすけど」
「詳しいな?」
「そりゃ、親とかから聞いてれば自然と耳に入ってくるっすよ」
「生憎俺は聞いたことないからなぁ」
そもそも遺跡に縁がなかったために、わざわざ柚葉にその話を聞くことはなかったのだ。
だが、それ以外は特に珍しいものは何も見つからず、そうして歩き続けているうちに、遺跡の突き当たりまでやってきてしまった。
話に聞いていた資源やら伝承、或いは財宝なども見当たらなかった。
拍子抜けな感じを覚えた将真と、何事も無かったことにホッとしたような表情を浮かべるリン。その2人を先導していた莉緒が突然、手を出して先を遮った。
先といっても突き当たりなのだが、それでもまだ少し距離があった。
「莉緒ちゃん?」
「何だよ、なんかあったのか?」
「いや、これっすよ」
そういって足元を指す莉緒。彼女が示す先には大きな穴があった。しかも周囲が暗いため、余計に見つけづらく、また底が見えない。そしてその穴には、通路の天井からぶら下がっている縄が通っていた。
「これってもしかして……」
「多分、こっから地下に行くんだと思うんすけど」
言いながら莉緒は、しゃがんで自分の影の中に手を入れる。そうして取り出したものは、野球ボール大のガラスのように透き通った球体だった。
「それ確か、備えとして買っといた道具の一つだよな?」
「その通りっす。とてもシンプルなものっすけど、こう見えて魔導具なんすよ」
彼女の言葉通り、莉緒が球体に魔力を流し込むと、それに反応して球体が光を放ち始めた。この球体の大きさにしては、かなり明るく広範囲を照らし出している。とても便利な代物だ。
「使い方は見ればわかったと思うっすけど、どうすか?」
「うーん……。あくまでわかったのは起動方法だけだしな。用途がわからん。まさか灯りのためじゃないだろうし。これをどうするんだよ?」
「まあ、灯りとしても使えるんすけどね。とりあえず今は、こうするんす」
将真の問いかけに対して、莉緒がとった行動は簡単だった。光を放ち始めたその球体を、穴の中に放り投げたのだ。
光る球体は、たちまち穴の中の暗闇に飲まれて見えなくなった。
「なっ……」
「莉緒ちゃん、何を?」
「ちょっと静かにしててくださいっす」
莉緒は人差し指に手を当てて、2人に静寂を促す。やがて、穴の中から、何かが割れるような音が響いて聞こえてきた。
それと同時に莉緒が目を瞑って、意識を集中させる。次に目を開いたときに、2人を前にして莉緒は口を開く。
「……光が見えなくなった深さと、あれが落ちて割れた音。ここが1階として、少なくとも下5階まではあるっすね」
「なるほど……。それを確認するためのアイテムだったのか」
「まあ、誰にでもできることじゃないんすけどね。自分はこう言う事得意な方っすし、この方が安全に下の方を調べられるっすから」
莉緒は特になんの感慨もなくそう言って、将真とリンに意見を求めてくる。
「それで、ここからどうするっすか?」
「どうするって言うのはつまり、何処まで降りるかってことか?」
「そういうことっす」
将真の解釈に、莉緒が頷いて工程を示す。
だが将真は、遺跡の地下5階と言うのがどの程度危険なのかを知らない。そしてそれは、他の階層も同じ事だ。隣のリンをみるも、それは彼女も同じらしく、故に意見を求められてもなんと答えればいいのかがわからないのだ。
それでも、最悪のケースを想定して行くならば。
「無理するよりは、1階ずつの方がいい……と、俺は思うんだけど」
「ボクも賛成。いきなり5階まで降りて大変なことになった時に撤退できないなんてことになったら危険だし」
「いやぁ、普通なら自分も同意見なんすけどねぇ」
普段なら、と言うべきかと、莉緒は付け加える。その含みのある言い方に、将真とリンは顔を合わせ、次いで視線で莉緒に問いかける。どう言う意味だ、と。
「さっきから気配が感じ取れるんすよ。おそらく、2階から4階まで、魔族の気配が」
「やっぱり魔族がいるの⁉︎」
「いやまて、下4階までってどう言うことだ?」
2人の問いに回答した莉緒の言葉を聞いて、将真とリンは驚きを示した。だが、2人が驚いているのは魔族の気配ではない。それはリンの嘆きからもわかるように、初めから予測されていたことだ。
だからそこではない。
莉緒の言葉を信じるならば、5階には魔族の気配がないということになる。より強い驚きは、莉緒の発言が意味するこのことによって与えられていた。
「5階には、何もいないってことか?」
「じゃあ、安全なの?」
「いや、むしろ自分は危険な匂いがする気がしてるんすけどね。でも、5階に行きたいとは思うっすよ」
危険性を理解しながら、莉緒はそう言う。
表面上だけなら、おそらく安全なのは5階だ。こんな狭く暗いところでは魔族や魔物との戦闘になると地上で戦うよりも危険だ。5階から危険な気配は感じ取れないと言うのなら、そちらに行くべきかもしれない。遺跡探索の目的である、資源や情報、財宝もそこにあるかもしれない。
「……じゃあ、とりあえずいってみるか?」
「うーん……。ぼ、ボクもそれで、いいかな」
「じゃあ決まりっすね」
そう言うと莉緒は、端末を起動させて誰かへと通信を繋げた。ホログラム画面に映ったのは、柚葉だった。
『__あら、莉緒じゃない。わざわざ顔見せてくれたってことは、遺跡探索は順調なのかしら』
「そっすね。とりあえず遺跡は見つけたっす」
『はやっ!』
おそらく予想外の回答だったのだろう。柚葉は露骨に驚いていた。
『学生だから、もっと時間かかるものだと思っていたのだけれど』
「意外とそんなことはなかったっすよ。まあ自分たちはこれでも、学年でトップクラスの小隊っすから。そんな事よりこの遺跡なんすけど、多分下に5階以上ありそうです」
『5階か……。半端に深いわね』
「それで、今から5階まで降りてみようと思うんすけど、許可貰ってもいいっすか?」
『そうねぇ……』
柚葉が首を捻って、唸り声をあげながら考える。何せ、例のない事なのだ。学生の遺跡探索と言うものは。
例外に例外が重なって、彼女自身、本来の判断と同じでいいのか決めかねているのかもしれない。
だが、彼女は数秒だけ沈黙し、ゆっくりと首を縦に振った。
『いいわ。無理は禁物だけど、過保護なのもダメだって団長に言われたばかりだし。ただ、その深さなら多分少し厄介なことになると思うから、ちゃんと自分たちで対処しなさい』
「了解っす」
莉緒が頷くと、とりあえず信用したと言うことだろう。柚葉は微笑を浮かべて小さく頷くと、こちらに向かって手を振って通信を切った。
「さて、と。じゃあ学園長の許可も貰えたところで、5階までいってみるとするっすか」
「ああ」
「う、うん……」
将真とリンは、珍しく真剣な莉緒の口調に、いつもより緊張感を覚えながら、縄を伝って地下5階を目指した




