第32話『VSガーゴイル』
将真たちが遺跡探索の任務へと出発した日の夜。
柚葉は学園長室で1人、仕事をしながらも頬杖をつきながら忙しなくペンを回していた。
「少しは落ち着いたらどうだ?」
「うひゃぅっ⁉︎」
1人しかいなかったはずの部屋に、突如2人目の声が発生。思わず柚葉は素っ頓狂な悲鳴をあげて飛び上がる。
いつの間にか部屋の真ん中に、団長が立っていたのだ。
その狙ったような手口に、思わず、柚葉は睨むような視線を団長に向けた。
「……あの、突然くるのやめてください。て言うか、ノックくらいしてくださいよ」
「いや、普通ここまで入ってきたら気づくものだろう?」
「今そんなに余裕ないんです……」
盛大にため息をついて、柚葉は深く椅子にもたれこむ。そんな柚葉を、団長は気遣うどころか呆れたような表情で見ていた。
「お前が学園長なのはわかっている。だから、生徒を大切に思うお前の気持ちは正しいのだろう。だが、それにしても、彼らにはやけに過保護じゃないか?」
「……そう見えますか?」
「俺にはそう見える。別にそこまで心配することもないだろう。遺跡とはいえ、そんなに危険な場所じゃない」
安心させようとしているのか、団長の声は穏やかだった。だが、柚葉は団長の言葉を聞いたことでむしろ不安が募った。
「あなたや私たちと生徒とではあまりに違いますよ、実力も経験も。そもそも、遺跡に絶対出てくる守護者としての役割を果たす魔物『ガーゴイル』が出てくるという時点で、任務の難易度はBランク。まだ高等部1年生では少しきついくらいです。だと言うのに、今まで彼らは本来ならそんなに苦労しなくても完遂できるはずの任務で不幸な事に巻き込まれて、無事で戻って来た試しは一度もないんですよ?」
また何か良くない事に巻き込まれやしていないかと考えると、心配するなと言うのは柚葉にとって、とても無理な話だった。
そんな柚葉の不安を、一蹴するような爽やかな笑顔で、団長が言う。
「それでも、彼らは生きている。無事で戻って来た試しがないと言ったな。だが彼らは元気じゃないか。むしろそれだけ苦難を乗り越えているんだ。その成長を信じてもいいんじゃないか?」
その言葉に、柚葉はそういう考え方もあるのかと思う反面、やはり心配せずにはいられないという気持ちがどうしても存在した。
「……団長が言いたいことはもちろんわかります。けど、私の言いたいことも少し理解してもらっていいですか?」
「どう言うことだ?」
「姉が弟を心配するのはそんなにおかしいことですか?」
「なるほどそう来たか」
すると今度は団長が、確かにその通りだと口元を緩ませ笑みを浮かべた。
「なら他の生徒はどうだ?」
「莉緒の事は信じてます。リンに関しては将真と同じです。……妹みたいなものですから」
「……そういえばそうだったな」
今の会話で、数年前のとある事件を思い出す2人。それを思うと、色々とやるせない気分になるのは仕方のない事だった。
7年前の魔王覚醒未遂事件に比べれば幾らかマシだが、その時よりも強くなっていた故か、あの事件以上に自分たちの力の足らなさを自覚させられた事件でもあったからだ。
「っと、空気を悪くしてしまったな。すまない、少しからかいすぎたようだ」
「今回に限らず、できればいつも気にして欲しいんですけどね。もう慣れて来ましたけど」
「なら結構。おそらく早ければ一週間で帰ってくるだろうし、何か進展があれば任務中に連絡がくるだろうから、あまり心配しすぎるな。学園長としての責務はきちんと果たしてくれよ」
「そんなことわかってます」
膨れっ面で言い返す柚葉。それを見た団長は少し笑って部屋を出て言った。
「俺も人のことは言えないがな」
弟や妹を思う彼女の気持ちは、確かにわかる。何故なら、彼もまた、柚葉に対して同じ思いを感じているからだ。
「ガァァァッ!」
「ひぇっ⁉︎」
「うおぁっ⁉︎」
「あぶなっ!」
化け物の雄叫びに、リンは悲鳴をあげて縮こまり、将真と莉緒は、その場で化け物の攻撃を回避した。
現在そこは、阿鼻叫喚の錯乱した状態となっていた。
周りを見渡せば、凶悪な姿をした灰色の化け物たち。その姿は1メートルを超え、見た目はまるで痩せ細った悪魔だ。
天井を埋め尽くすほどの化け物の数は、どう見積もっても千は下らないだろう。しかも、一体一体の強さもそれなりで、将真たちは防戦一方だ。リンに至っては、すでに戦意を削がれてしまってろくに動けない。
「チックショー、どうすりゃいいんだこの数⁉︎」
休む間も無く攻め立ててくる大群に、将真はろくに魔力を練ることもできずにいた。おそらく、“黒渦”系統の技が使えればかなり数を減らせると思われるが、その余裕もない。
莉緒の方は危なげなく、向かってくる化け物を一体一体確実に潰しながら、しかしその表情は険しい。
「やっぱしんどいっすねー。リンさんはもう萎縮しちゃってしばらく戦えそうにないですし」
莉緒が珍しく、困ったような物言いをする。リンとて、相手の強さに萎縮してしまったわけではない。彼女にとって、今の環境が悪すぎるのだ。
リンが嫌いな真っ暗闇。僅かに淡く周囲を照らす灯りが見せるのは、おぞましい化け物の集団。ホラー系が大の苦手らしいリンにとって、その環境は一発で彼女本来の強さを失わせるほどの影響力を持っていた。
一瞬気をそらした隙に背後に迫る化け物を、何とかギリギリで叩き落とした将真は、苛立たしげに表情を歪めた。
「何でいつもこうなるんだよっ__!」
時は数分前にさかのぼる。
洞窟を進み続けて数時間。彼らはようやく今回の目的である遺跡の目の前にたどり着いた。
特別凄いものを想像していたわけではないが、予想していたものとはだいぶ違うその場所を目の当たりにし、思わず将真は顔をしかめる。
「仄暗い灯りといい物々しい雰囲気といい……」
「な、なんか凄いなんか出そうだよ〜……」
「リンさん、言葉がおかしくなってるっすよ?」
「いいたいことはわかるけどな」
将真の背中に隠れて相変わらず怯えてプルプル震えながらリンが泣き言を言う。
怖いものが苦手というのは洞窟に入ってからのことで理解しつつあったが、ここまでだとは将真も莉緒も想像していなかった。なにせ、冗談抜きで足手纏いのお荷物と化しているのだから。
だが、本来の目的を忘れては行けない。ここに入らなくては、今回の任務は始まらないのだ。
どうしても感じずにはいられない、緊張と恐怖が少しだけ彼らの足を踏み止まらせる。将真は、それを振り切るようにして、遺跡の中へと足を踏み入れた。
だが、その瞬間に遺跡の空気が一瞬で変わった。
同時に聞こえるのは、無数の声。あまりにも異様な声が、幾つもいくつも聞こえてきて、それは徐々に近づいてくる。
「なっ……」
「何、この嫌な空気……?」
「……まあ、多分遺跡の守護者のお出ましじゃあないっすかねぇ」
引きつった笑みを浮かべ、それでもなお呑気な口調を崩さない莉緒。
やがて奥から出てきたのは、凶悪な顔をした化け物の群れだったのだ。
そして、現在にいたる。
「莉緒、お前確かこいつらを知ってるみたいな口ぶりだったよな?」
「まあ、多少は。遺跡を守る何かが絶対にあるっていうのは聞いてるっす」
「んで、これがその化け物ってわけだ」
それにしても、数が多い。確実に倒しているはずなのに、減るどころか増えている気がする。いい加減、このままでは非常に辛い。
「おい、リン。悪いけど、お前も戦ってくれ」
「うっ……。でも、怖いし……」
「大丈夫だ。なんなら手を繋いでやってもいいんだぜ? とにかく、俺と莉緒だけじゃもう手が回らないから」
「そ、そうだよね……。わかった、頑張るよ」
将真の頼みに答えるように、リンが警戒心剥き出しで将真の背中から離れ、槍を握ろうとする。
その時、彼女の足元に大きな歪みが生まれた。そのせいで、バランスを崩してよろけてしまうリン。
不意をつかれた将真も莉緒も動くことができず、隙だらけのリンへと、化け物の群れの一部が方向を変える。
「え?」
「げっ……」
「リンさん!」
手を伸ばす将真と莉緒。だが、その手は届かず、空を切るだけだった。殺到する化け物が、リンへと襲いかかる。
もうダメかと思われたその時、凄まじい魔力の波動が、化け物たちの中心から放たれる。そこにいるのはもちろん、今襲われそうになっていたリンだ。
その波動を直に受けた化け物たちは、黒い瘴気をあげながら、ごとごとと壊れかけの石の彫刻になって地面に落ちていった。
「な、んだ……?」
「……一瞬だったっすけど、とんでもない魔力の波動でしたね」
驚きを露わにしながらも、2人はリンの元へと駆け寄った。するとリンは、将真の姿を視認したところでふらりと体勢を崩して倒れる。
「うおっ」
将真は、危うく地面に衝突しそうになったリンの体を慌てて受け止める。リンは息苦しそうに荒い呼吸を繰り返していた。まるで高熱を出したかのような表情だ。そして見た。彼女の両方の瞳に宿る、真っ赤な輝きを。虹彩異色症が特徴の一つであるリンの身にたまに起こる、両目の色の変化。
将真はそれを深く考えた事がない。だが、側から見ていた莉緒は、少しだけため息をついた。
「……リンさんもまた、何か抱えてるってことはわかるようになったんすけどねぇ」
その後、辺りにまたあの化け物が来ない事を確認し、すぐに意識を失ってしまったリンを介抱するため、将真はリンを背負って莉緒と少し開けた場所まで進んでいった。
「ガーゴイル」
それは、石像もしくは石の彫刻に魂が宿った物。つまり魔族でもなければ魔物でもない。強いて言うなら何かしらの魔族によって遣わされた使い魔といったところだ。
大体が1メートルくらいのサイズで、悪魔のような見た目をしている事が特徴で、特別耐久は高くないが、高い攻撃力とそこそこな速さ。加えて大抵凄まじい数で行動するため、危険度が高いのだった。
「ガーゴイル?」
「そうっす」
将真は莉緒が口にしたあの化け物の名前を反復する。そして莉緒の頷きが、将真が正しく理解できているかを示していた。
2人のすぐそばでは、リンが眠っていた。2人が見ているそばで、すぐに目覚めるような様子は見せない。
「にしても、あの数はないだろ普通……」
「いや、ガーゴイルはいわゆる『遺跡の番人』で通ってるんで、むしろこれくらいは普通だと思うっすよ」
「マジかよ……」
将真は、改めて遺跡調査の難易度の高さを実感した。何かしらのハプニングがあったわけではない。これで普通なのだ。
「こりゃ今まで学生に任せられなかったわけだ」
確かにこれは、学生が対処できるレベルギリギリの紙一重といったところだ。遺跡で起こる些細な変化の程度次第では、ころっと学生では対処できない難易度に転がる可能性がゆうにある。
特にさっきのガーゴイル。その数がもっと多ければ、将真たちもただでは済まなかったかもしれない。
今回にしたって、偶然の出来事だ。リンが何をしたのかは分からなかったが、それでもとりあえず彼女の身に何かが起こったことによって、ガーゴイルの大群は一瞬にして瓦礫になっていった。それでなければ、もっと手こずっていたはずだ。
「周りに敵の気配もない感じですし、少し落ち着いたら奥の方見にいってみなきゃっすね」
「そうだな。とりあえずリンが目を覚ますまで、かな」
恐怖からとは言え、先ほどまであれだけ元気に慌てていたにも関わらず、寝息を立てるほどグッスリと安眠しているリンに、将真は呆れるような苦笑を浮かべた。
そして、将真は若干の憂い顔を見せる莉緒には気づいていなかった。
__やっぱこれも、学園長に報告すべきっすかねぇ。
そんな事を考えながら、莉緒は静かに嘆息した。




