第9話 『信念』
柊杏果は、所謂天才だった。
もちろん、才能があって、努力して開花したものだ。
産まれながらに強い魔力を持っていた杏果は、それだけに留まらず、身体能力も幼い頃から高かった。更に、初等部の頃から頭もそれなりに切れる方だった。
自分が持つものを最大限に活かした結果。これを総じて、柊杏果は『天才』なり得たのだ。
杏果には、強い信念があった。
才能ゆえに疎まれることも少なくなかったが、それでも仲の良い友達は何人かいた。友人だけでなく、家族も勿論大切だ。
自身の力を自覚してから、大切なものを守れるようになりたい。彼女はそう思った。
始めは曖昧だったその信念を強く自覚したのは、中等部に入って間も無い頃だった。
その発端となったのは、時雨リンとの出会いだった。
何でも、家族を失って間も無いという彼女。
小柄な見た目と、色素は薄いが綺麗な銀髪。パッと見は美少女だったが、不健康そうな色白の肌と暗い表情が、弱々しい雰囲気を醸し出していた。
泣き腫らしたように赤い目元をみて、杏果がリンに対して抱いた第一印象は、『弱虫』だった。
だが、何度か接しているうちに、リンが強い少女なのだと知った。強くあろうとしている事を理解したのだ。
けれど、彼女はあまりに弱々しい。その感想は変わらなかった。
学園長の頼みだったとはいえ、放っておけなくてずっとリンの面倒を見てきた。そんなある日、自身の中で芽生えていた強い信念を、ようやく自覚したのだ。
『貴女が余りにもヘナチョコすぎて見てられないのよ』
『う、うん……』
『だから、私が守ってあげる』
(__私がこの子を守ろう)
大切な人を守りたい。
リンと共に過ごして自覚した、杏果にとって、大切な信念だった。
『なんで……』
そして昨日。自分の実力不足を自覚させられる結果となった。
杏果の対戦相手は、現在、学年序列2位となった少年。
動きは身軽で、素早い程度のものではない。後に序列4位となる少女の戦いも観戦してわかったことだが、その少女と同等以上のスピードを持っていた。
杏果は手も足も出ず、試合中様々な攻撃を仕掛けたが、何をしても敵わなかった。
『大事な人を守りたい? にゃはは、そういう戯言は最低限強くなってからいうこったなぁ』
『な、にを……』
地面に膝をついて、愕然としていた。
お互いに、そこまで大きな実力差はないはずだった。
『オメェは弱かねぇ。が、強くもねぇ。そういうことにゃあ』
『っ、うるさい!』
杏果は、それでも諦めずに少年へと攻撃を仕掛けに立ち、地面を蹴る。
『かはっ……』
鳩尾に拳を喰らって、耐えきれずに膝をついて蹲る。
『お前の信念を通すにゃぁ、お前自身が力不足だ。そんな奴が、守りたいだのほざいているのは、すこぶる腹立たしいんだよ』
『う、くっ……』
杏果は、あれ程までに完膚なき敗北というものを経験したことがなかった。
悔しくてしょうがなかった杏果は、もう一度勝負を挑んだ。決闘を申し込んだのだ。
相手はすんなりと了承した。
今度は勝とう。それができなくても、昨日よりはもっと戦えると、そう思っていたのに。
杏果は、現状を理解できずにいた。
どうして、昨日よりも圧倒的な力の差を見せつけられているのか、と。
杏果が、地面に膝をついている。昨日も見た光景とはいえ、彼女の実力を知った将真は、驚きを隠せずにいた。
彼女は、序列6位の猛者だ。
例え一年生の中での学年序列とはいえ、高等部の十席の強さは生半可じゃない。
将来的にはSランクになれる可能性を秘めた、有望な魔導師なのだ。
そして昨日見た、杏果の戦闘スタイルは、身の丈以上の巨大な戦斧を振り回し、力尽くで全てを叩き潰すという、細身の少女でありながら、超のつくほどパワーファイターだったのだ。
十席内序列で杏果は、序列9位になった生徒とも試合で当たっていたが、同じ十席の魔導師相手を全く寄せ付けない無双っぷりだった。
それにも拘らず、序列2位を相手に、打って変わって手も足も出ない。
巨大な戦斧も、高速で動く序列2位の前では、ただのお荷物同然だった。
「おいおい、嘘だろ……」
何より将真が驚いたのは、杏果が間違いなく昨日よりも万全の状態でかつ全力だったというのに、昨日より酷い結果になっていることだった。
この結果からわかることはつまり、序列2位もまた必然的に、昨日の試合で、全力ではなかったという事になる。あんなに強かったにも拘らずだ。
魔導師というのは、何処まで狂った力を有しているのか。将真は思わず愕然とする。
リンもまた、呆然と口を開いていた。
「これで、序列2位……」
まだ杏果は、負けたわけではなさそうだが、どう見ても不利な状況だった。
それでも諦めない彼女の精神は、おそらくとても強靭なのだろう。
再び立ち上がった杏果は、地面を強く踏み込んで、戦斧を一文字に振り抜いた。
『……』
闘技場には、沈黙が漂っていた。
決闘が始まって、彼此20分ほどになる。
決闘には時間制限が無いものの、こうも長く続けば普通は、戦闘続行が不可能になりかねない。
それでもまだ、杏果たちが動けるのは、単に魔導師としての並外れた才能ゆえだった。
何度も地面に膝をついて、心が折れそうになりながらも、杏果は再び立ち上がり、その戦斧を振り抜く。だが、やはりというべきか。速さに欠けるその攻撃は、高速で動く少年相手に悠々と躱された。
絶えず攻撃を続け、時折地面を抉るような一撃で視界の妨害をしたりもしたのだが、そもそも能力値が異常すぎる。
杏果の身体能力も充分高いが、序列2位のそれは杏果を遥かに凌駕していた。
「う、ぐぅ……、くそっ!」
「遅い遅い。もっと早く動かねぇと到底俺には追いつけねーよ」
「うるさい!」
「随分やけになってるみてぇだなぁ。何をそんなに怒ってんだ?」
「あんたには関係無いわ!」
「にゃあ、昨日のアレか。お前を馬鹿にしたのがそんなに許せなかったか?」
「っ!」
図星といえばその通りで、またそうでもないとも言えた。
杏果は単に起こっているわけではない。
悔しいのだ。
馬鹿にされたと言えばその通りだ。杏果は己の信念を叩き潰されて、それでも悔しくて、こうして決闘を挑んだのだから。
だが、結果は同じ光景が繰り返されているだけ。こうしてまた、圧倒的な力量差で、現実を突きつけられている。
序列2位の彼は、まだとかに何かをしたというわけでもないのに。
それが余計に悔しくて、どうしても一泡吹かせてやりたくて、杏果の動きは焦燥に駆られ、単調なものになっていく。
「ハァ、ハァ……」
「もういい加減諦めるにゃあ。いくらお前でも、そろそろ魔力切れだろ」
「負けられるわけ無いでしょ……。あんだけ好き勝手言われて、そのままが嫌で、こうして決闘を挑みに来たのに」
手も足も出ないまま、情けなく負けるなどと、認めたくはなかった。自分の信念を馬鹿にされたまま、負けるわけにはいかない。
だが彼のいうことも事実だった。杏果の魔力は、いい加減限界が近かった。
本当ならもっと長く戦えるのだが、後先考えず序盤から大きく魔力を使い過ぎたため、限界が早く訪れているのだ。
杏果は警戒は解かずに静かに息を吸い、ゆっくり吐き出す。深呼吸を繰り返して、戦斧を後ろに構える。
ぐっと腹に力を入れて魔力を集中させる。
このまま同じことを繰り返していても、昨日と全く同じ結果になるだけだ。
(この一撃で、今度こそ決着をつけてやる!)
序列2位は、それを見て初めて飄々とした表情を薄めて、僅かに眉を顰めた。
彼はここに来て初めて、杏果に警戒心を抱いたのだ。
「なんでぇ、昨日は使わなかったくせにお前、神技使えたのかよ」
「そう簡単に奥の手なんて見せられないでしょ」
「そりゃそうだ」
杏果が使う神技は、神話の中でも最強クラスと言われている大英雄の象徴だ。
その最大の威力だけなら、どんな神技にも劣らないと自負している。
膨大な魔力が戦斧に集中する。溢れ出した魔力が、杏果を中心として地面に大きなクレーターを作った。行き場の無いエネルギーが、大地を破壊しているのだ。
強大な力に振り回されないように、全身に力を入れる。そして、杏果は大きく足を踏み出した。その一歩が、地面を踏み抜き、戦斧を振り抜いた。
(喰らいなさい__!)
「『十二の試練』!」
「っ__⁉︎」
一瞬、序列2位が驚いたような表情を見せたが、破壊された大地とその轟音ですぐに、彼の存在を捉えられなくなった。
暫く時間を置いて、動きを止めていた杏果は、ようやく再起動する。時間にしてみれば精々十数秒くらいだろうが、それが随分と長く感じられた。
だが。
「……勝った」
追い詰められて、ギリギリの戦いだったが、格上相手に、勝利した。悔しさを晴らしたのだ。
これを受けて平然と立ってられるとしたら、それはよっぽどの化け物だ。
喜びのあまり、杏果は拳を握って__
「……やった、勝った……!」
「バッカでねぇの?」
噛み締めていた勝利の感覚を打ち消す、目の前から聞こえて来た声に、杏果は驚愕を隠さなかった。
あの一撃を受けて、平然と立っていられるはずがない。だが、闘技場を覆う砂煙が晴れてくると、確かに序列2位には傷一つ付いていない。
「な、なんで……」
「お前、あの神技どう考えても対人戦で使うもんじゃねぇだろ。もし当たってオレが死んでたらどうするつもりだったんだ?」
「そ、それは……」
「まあ、これは当たり前のことなんだけどな?」
彼は、序列2位は、私に言い聞かせるように言った。
「当たらなきゃ、意味ねぇよ」
「っ!」
反撃が来る。そう理解した杏果の体はすぐに動き始める。足に力が入り、そのまま後退しようとして__膝から崩れ落ち、地面に手をついた。手にしていた戦斧も消えてしまう。
杏果は漸く、全身の倦怠感と息苦しさを自覚した。
いよいよ、完全に魔力切れだった。
「なんで、なんで勝てないの……!」
「そんなの、オレの方が強いからに決まってんだろ。あと、お前がまだ弱いってだけだ」
「う、ぐぅぅ……!」
「……いい加減、諦めな」
魔力切れを起こしたにも拘らず、それでもまた立ち上がる杏果を、序列2位は呆れたように見ている。
「別にオレだって、無闇矢鱈と他人を傷つけることはしたくねぇんだけどにゃあ」
「諦められないわ。例え負けるとしても……!」
戯けたような序列2位の言い方は、降参しやすい雰囲気を作ってくれたのかもしれない。それでも杏果は、半ば意固地になって言い放つ。
序列2位は深くため息をつく。瞬間、雰囲気が変わった。
「わかった。余り気が進まねぇけど、もっかい負かしてやるよ」
「……っ⁉︎」
その声は__背後から聞こえてきた。
(いつの間に……⁉︎)
そう思った時には遅かった。振り向いたと同時に、鳩尾に拳が叩き込まれ、堪らず膝をつく。
すると、序列2位が説明するように捲したてる。
「思ったんだがよ。お前ら大勢、揃いも揃って、神技についての知識が足りて無ぇよ」
「足りて、ない……?」
「にゃあ。そもそも、神技っていうのは、能力の一つであって、能力全体を指すわけじゃ無いにゃあ」
「何を、言っている、の……」
「神技を使うと、全身に力が漲ってくる。そう思ってるだろ?」
杏果は、彼の物言いに怪訝そうな表情を作る。それが普通の知識であるはずだ。だが、彼の言い方はまるで、その認識が違う、と言っているようだ。
「まあ、高等部に入ってから暫くしてようやく習うことらしいけど、知らないのに神技を使おうとするのは自惚れた行為とも言えるにゃあ」
「何を行っているの……?」
「そもそも、神技と呼ばれる魔導の、本来の正式名称は『神気霊装』つってな。神技はあくまでその一部。いわば必殺技みたいなもんだ」
言って、彼は魔力を集中させる。するとすぐに、彼の全身を紫電が走る。
「……それは?」
「オレも流石にまだ、『神気霊装』の域には至らなくてにゃあ。その前段階『神話憑依』。んで、雷獣だ」
「雷獣……」
少しくらいは話を聞いた事がある。
昔々、ある所に、魔族に襲われた村があった。
もう滅ぼされる運命しかないのだと、村人たちが諦めた時、空を眩く照らすほどの雷が村に落ちた。
だが、雷はその村を焼くことはなく、傷一つつかなかった。獣の姿を現した事で『雷獣』と呼ばれるようになったそれは、村を襲撃した魔族を蹴散らし、以来村を守るようになった。そして村人もまた、守護神として崇め奉るようになったのだ。
『表世界』からやってきた将真がそれを聞いたら、知っている話と違う、ということもあるだろう。だが、それは何らおかしい事ではない。
『表世界』と『裏世界』では、例え同一の存在であっても伝承が違うことなど、珍しい事ではないからだ。
「お前もそうだが、オレもだよ。『神気霊装』の不完全型『神話憑依』の最中は、著しく身体能力が上昇すると同時に、魔力消費も著しい。お前らは、これの事を神技と思ってるみてぇだが、それは間違いだ」
「……それはわかったけど、結局、何が言いたいの?」
「わからねーかにゃあ。つまり、神技を使いこなそうと思ったら、自分の神技のモデルになってる神話を、よく知ることだ」
「__!」
杏果は大いに驚かされた。だが、納得できることもあった。つまり、これ以上強くなりたければ、己が目指す神話を学べと、彼はそう言っているのだ。
だが、それ故にわからない事が一つあった。
「何で、そんな、助け舟を出すような事を私に言ったの……?」
「にゃあ、弱いくせに身の丈に合わねぇこという奴は嫌いだが、そういう姿勢は嫌いじゃねぇ。そんだけだよ」
「……そう」
敵から塩を送られたわけだ。加えて、自身の甘さを痛感させられた。剰え、アドバイスを受ける有様だ。もはや、悔しさを通り越して虚しさすら感じていた。
呆然とする杏果の目の前で、序列2位の纏う紫電が、より一層強さを増す。
「けどまあまずは、神技の本当の力ってのを、その身をもって覚えとくといいにゃあ」
序列2位が、ナイフを構える。
清々しいわけではない。だが、昨日ほどモヤモヤとした感じはなかった。
次は勝つ。ただそれだけを決意した。
「唸れ『雷獣』! 『死々雷々』!」
黒い獣が、雄叫びをあげた。杏果は、そんな幻覚を見た。
身を焼くような激痛と熱を感じながら、杏果は敗北を受け入れた。