プロローグ(下)
「花が見たい――」
と、浅緋の瞳の少女は言った。絞り出すようなかすれ声だった。
それは彼女の故郷を象徴する、ベールバレーと発音される盲目草のことで、少女の記憶にみえた深紅の茎と純白の花弁の形状には、なぜかミカロの意思の深層にうったえかけるものがあるような気がした。
晦冥の空に光の点が無数にみえはじめた。
時期がくると一斉に地をすてて天に飛ぶ世にもめずらしい飛空花が、滅びの地へ舞い落ちてゆくと、鉄の焦げたにおいすらもやわらぎ、馥郁たる空気があたりにたちこめてくる。
ミカロの姿にもいつしか変化がおとずれていた。
彼は最初、鏡面の真球形で宙にうかぶ、この世界で”邂逅の卵”と呼ばれるにふさわしい姿をとっていたのだが、少女の意識に触れた影響かいまはある男性の姿となっている。それは彼女より年上のようで、恋人か、あるいは肉親かも知れなかったが、いずれ盲目草への思いと密接な者であることはちがいなかろう。
まるでそうするのが当然のごとく、ミカロは彼女のそばへ行くとその細い腕をとったが、少女は微笑みながら、すでに息絶えていた。
その亡骸に、また那由多の時を重ねた世界に、光る雪のような花々がしずかに落ちてゆく。その色は少女のかたわらに眠る少年――この世界の終わりを願い、彼のもつ赤き本にてそれをかなえた幼き者の髪の色にもよく似ていた。
やがて星震の時がくると、この宇宙における終わりの印であるらしい光焔の色彩が天をおおい、まるでマクロの獣のごとき口となりすべてを呑みつくし、世界が閉じてゆくその様を、ミカロは元の真球の形となって見守った。
また、時間の最下層の彼方へミカロはもどった。
そうして少しの力をふるい、多元宇宙それぞれに在る星々よりもやや少ないくらいの様々な分身をうみだすと、ありとあらゆる場所へと飛ばした。
彼が自らの意思を率先し、なにか行動を起こすのは初めてのことだった。
どす黒き天空に光を舞散らせたさきの光景と、少女の言葉をうけ、永劫のなかに放り置かれていた記憶に陰りがあることに気づいたのだ。
創滅具有万象自在のわが身と力の根源には、途方もなき遠き時間にかわされたある約束があるはずという、無形の確信がミカロを突き動かしたのだ。
何ものにも阻まれず、時間や次元をも選ばず、ミカロの分身は億兆の糸束の絡みのごとき時空の渦流を飛び、そのための変身を暴力的なまでに繰り返し、やがて各々が降った世界をさぐる者として、運命なる各所の理の胎内へとその種を浸食させたのだった。